第三話
坂本を斬っても死なない!?
門を開け、石畳の道を坂本の後ろから着いていく。
庭を行き来していた兵士たちは立ち止まり此方を見ていた。
状況は分かっている筈だが警戒を解かない。
きっと私があの二人の兵士にした事が許せないのだろう。
そう思えて申し訳ない気持ちで一杯になる。
「朔、コーヒーと紅茶はどちらがよろしいですか?」
坂本がいきなり聞いてきた。
「え?」
私は何を言ったのか聞き取れず、聞き返したら、
「おや?ココアの方がよろしいですか?」と、悪戯な笑みで振り向かれた。
コイツも子供扱いをするのか。
苛立ちも、もうここまで来たら隠す必要もない。
「子供扱いしないでもらえます!?私はもう24なんですよ!ココアなんか飲みません!コーヒーを出してください、勿論ブラックで!」
フンッ!と鼻息を鳴らせば、坂本はとうとう肩を震わせて笑いだした。
「な、何がおかしんですか!?」
「いえいえ、失礼しました。ただ、その発言こそ爪高して早く大人になろうとしている子供みたいだと、思ってしまった次第でありますよ。」
「なっ………!!」
頭の中で血管が数本切れた音がした。
「ムカつくジジイだな!!どんな教育受けたらそんな腐った性格に成るんですか!!もう一辺小学校から頭鍛えた方が良いンじゃないですか!!?」
「おやおや、言葉の端々に自が出てきてますよ?暴言を言うに慣れている様では雅臣も大した教育をしていなかったのでしょうな。…可哀想に」
「グッ…!!」
ギリギリと歯軋りが脳を痺れさす。
だが坂本は変わらず笑いをこらえ、足を止める事なく歩き続ける。
そして気付いた時にはある部屋の前まで来ていた。
見上げる程大きな扉には、これまた素敵すぎる彫刻が細部まで施されており、赤を基調とし、ゴールドの淵が美しい。
辺りもよく見れば、赤をメインとし、そこらで光るのはゴールドの輝き。
美術館を思わす内装に、思わず見とれてしまう。
「気に入りましたかな?」
それを、この坂本が邪魔してきた。
「べ、別に!よくこんなゴテゴテした所で生活出来るなって思っただけです!」
「ふふ、そうですか。ですが2、3日経てば直ぐに馴れますよ。」
坂本の言葉は、一々感情を逆撫でさせる。
手紙で脅したからってもう私が此処へ住むと決定している。
誰がこんな場所で暮らすものか!
と言い掛けた時、目の前の大きな扉が開かれた。
それと同時に射す眩しい光で反射的に眼を細める。
そして扉が開くや否や、劇団でもやっているのかと問いただしたくなる奥深い声が室内から聞こえた。
「お!やっと来たのかね!!和成、私は待ちくたびれてしまったよ!!」
「申し訳御座いませんチェスター様。この騒動の張本人を連れてきましたので、少し時間が掛かってしまったのですよ。」
「おお、そうか!で、どんな奴なんだ?武器は?装備は?まさか自爆テロなんて者ではないだろうな?」
眩しさが馴れ漸くマジマジと室内を見ると、八畳の自分の部屋が馬鹿馬鹿しくなる位のだだっ広さ。
その丁度真正面にはだだっ広い部屋にはお似合いの大きすぎるガラス窓が四枚、太陽に照らされ堂々と佇んでいた。
そしてその前方に声の主が居た。
高級そうな木彫のデスクに両手を着いているそのチェスターと言う人物は、逆行で顔が見えない。
ただその演技っぽい口調に、やはり此処の住人には苦手部類ばかり居るなと感じた。
「ご紹介させていただきます。朔、前へ。」
坂本に言われて我に返る。
忘れてはならない。
今此処に居るのは悪態をつきに来た訳ではなく、お詫びを言いに来たのだ。
それが済んだら本題だ。
私は今回来た理由を話し完璧に断る。
スゥ、と息を吸うとそのまま前へ。
するとチェスターと言う男も、此方へ近付いてきた。
第一印象は気品漂う紳士。
だがファッション的に着崩すのが上手く、シャツをラフに着てワザと前髪を垂らしている所を見ると[遊び人]みたいだ。
「おや、こんな子供が?私の屋敷を乗っ取ろうとしたのかね。」
話が大事になっていたようだ。
「違いますチェスター様。発端は些細な事だったのですが朔は二年前、私が呼んだ助手でございます。」
「ん?ああ、あの時の……。だが何故今になって?」
「チェスター殿、自己紹介をしても宜しいでしょうか?」
横道に反れるのは癪だ。
表情にもそれが出ているのだろう。
チェスターは少し驚いた表情で此方を見下ろしていた。
だが直ぐに笑顔になり、「どうぞ」と一歩下がった。
「私は坂本和成の姪で、足立朔と申します。チェスター殿もご存じだとは思いますが、代々坂本家の血筋は[殺し屋]の種族でございます。」
「ああ、知っているとも。」
力強く自信に満ち溢れた瞳で頷くチェスターは、朔の両手を握り締め腰を屈めた。
「私の名はチェスター・マルク・クルサード。今年で58になる。我々の機関は情報機関で、その中でも特殊とされる機関なんだ。簡単に言えば、このイギリスを護る仕事なんだよ。」
「ある程度予想は着いていました。坂本は手紙に(機関)と書かれておりました。機関と言っても様々有りますが、殺し屋を雇おうとする機関はそう無いでしょう。しかもイギリス女王直々の命令であれば個人の恨み、と考えても宜しいが、坂本は手紙にこうも書いておられました。〈事件〉と。だとしたら女王直々の命と言えば特殊機関ともスパイ機関とも謳われる情報機関が一番それらしいかと。まさか、その特殊機関にこんな別荘があったとは…知りませんでしたが。」
「フフ、頭の回る子は私は好きだよ。」
「ですがその前に、言わなければならない事があります。」
朔の言葉にチェスターは立ち直す。
朔はそこから一歩下がると、チェスターに頭を下げた。
「この度の無礼、誠に申し訳御座いませんでした。部下の方々の負傷、銃器の破壊、許される事ではありません。ですが本来、私が此方へ来たのは別件なのですよチェスター殿。」
発した直後朔は両手に刀を持ち、その顔に笑みを貼り付けた。
「おやおや、それが朔の相棒かい?カッコイイではないか。」
余裕を見せるチェスターはきっと、幾度となくこんな修羅場に立ったのであろう。
些か、楽しんでいる様にも見える。
だが今回の標的は違うのだと、朔はチェスターの目の前で知らせた。
刃は背後に居る坂本の首を通り、抗う暇なく喉を捕らえた。
「坂本和成!私はお前達の[仕事]を手伝うつもりは一切無い!!殺されたくなければ、今後一切私や周りに関与するな!!私が言いたいのはそれだけだ!!分かったなら誓約書を書け!!」
今出来る事、それはこれしかなかった。
きっと口で言っても聞き入れられない。
相手は国家機関なのだ。
簡単に捻じ伏せられて終わってしまう。
だったら此方は形あるもので自分の身を守るしかない。
どの罪も、全てをチャラにする様に。
そして、皆の所へ帰る為に。
「やはりそうでしたか。坂本の血筋たる者、殺しは本望なのですがね。何処をどう間違えたのか、貴女には本能より理性が働く。」
「え?」
一瞬の出来事だった。
坂本は朔の腕を掴み、一気に捩じ上げた。
「うああっ!!」
「無駄な抵抗はお止しなさい。筋が伸びるか骨が折れますよ?」
暴れるが全く歯が立たない。
片手一本で軽々と逆転された。
「何故って顔ですね。良いです教えて差し上げましょう。私の得意とした能力は幻術。戦闘・暗殺・拷問、全てにおいて効果覿面のれっきとした戦闘能力でございます。つまり今貴女が捕らえた者、それは瞞しにすぎません。」
「なっ!?」
「私を捕らえようなんて今の貴女では出来ません。敵とも見なされない。」
痛みを通り越して腕の感覚が無くなってきた。
坂本は何事も無かった様に涼しげな顔を此方に向けている。
それでも腕に掛かる重みも力量も変わることなく、振りほどけない。
どうする。
悔しさで頭の血管が全て千切れそうだ。
冷静になれ!
そう考えれば力が抜けた。
坂本はそれでも警戒を解かず、私の腕を掴んでいた。
だが、坂本の手からも力は徐々に抜け、
「クッ……!」
私はその隙を狙い、踵部分に仕込んだ刃で坂本の背中を突き刺した。
「………っ!?」
これは考えていなかった様だ。
ニヤリと笑い、緩んだ手から抜け出した。
そして直ぐ様刀を持ち変え、動きの鈍った坂本の喉仏に切っ先を突き立てる。
「私は怯まない!!お前が頷くまで決してこの刃を外さない!!その為に私は此処へ来たんだ!」
朔の持つ刀は次第に力がこもり、坂本の皮膚から一筋の赤が流れる。
「チェスター殿、度々の無礼申し訳御座いません……!ですが、私はどうしてもこれをやり遂げなければならない理由がある!」
「ほぅ。」
背後から聞こえるチェスターの声には、一寸の怒りもない。
平然とした、飄々とした声だった。
「ではその理由を述べてもらおうか。」
やはり、楽しんでいる様にしか取れない。
だが朔は背後の攻撃はないと見て口を開いた。
「私は、普通の生活を送りたいだけなんです……。」
「ならば此方へ来なければ良かったのでは?」
「それは違います。いえ、そうだった。それで良かったんです。ですが私に、血の繋りなど無い家族が出来ました。」
「………それで?」
「でも駄目なんです。私の正体を彼等に知られたくない…!気にもしていなかった坂本の手紙、彼等が愛しくなるほどその手紙が重く圧し掛かって来るんです!これでは駄目だと思いました…。だから此処へ来た。だからここまでして誓約書がほしいのです。」
そして坂本を睨み髪を掴んだ。
「私は彼等の元へ帰りたい。それが許されないのであれば、その時は己の命を絶つ。」
すると坂本ではなくチェスターから考えもつかない案が出された。
「そうだ足立朔、良い事を思いついたぞ!」
いきなり大声でそんな事を言われ無駄に吃驚したが、振り向くとチェスターがにっこりと笑い人差し指を坂本に指していた。
「今から[その]和成を殺しなさい。殺す事が出来れば君を自由にしてあげよう。大丈夫、私は此処のお偉いさんだ。君の罪なんて簡単に消してあげるよ。その為の誓約書も書いてあげよう。…どうだい?文句はないだろう?」
信じられなかった。
自分の部下を殺せと言っているのだ。
信じれるはずも無い。
コイツ…頭が狂っているとしか思えない。
「わ…たしに、罪を増やせと言っているのですか!?嫌ですよそんな有得ない話を信じろと言うのですか!!」
「私は嘘をつかないさ。なんなら今からでも誓約書を書いてあげよう。それなら、信じてもらえるかな?」
「くっ…!」
何故だ?
何故そう軽々しく死を弄ぶ!?
何故…
そう考えていたのが顔に出ていたのか、坂本が此方に話掛けてきた。
「この特殊機関は殺しがメインの仕事場なのですよ。そんな職場に正常な人間が居るとでもお思いですか?それは間違いですのでどうぞお気になさらず切り裂いてみては如何です?」
…本当に頭が狂ってる。
鳥肌が立つ。
だがそれは恐怖でなのか、何なのか…。
ただ己の息が上がり、鼓動が速くなってくるのが分かった。
手が震える。
汗でジワリと柄が湿る。
そうだ。
これは許された殺し。
[公開処刑]の様なもの。
この機関にとって、[殺し]は豚やヤギを殺す様なものなのだ。
[屠殺]と一緒なのだ…。
ゾクリ、
[いけない]と思うほど、にやけが濃くなる。
[分かって]いるのに、混濁とした己の[欲]が現れる。
その瞬間、無の中で風が靡いた。
一瞬の事で、チェスターも誓約書を書く手が止まっていた。
ゴトッ、
綺麗な曲線を描く断面からはその数秒後遅れて紅い血液が流れた。
首を無くした胴体はそのまま痙攣し、二・三歩歩いた所で崩れ落ちる。
坂本和成はあっけなく死んでしまった。
「さぁチェスター殿、坂本の死体を確認してください。」
朔はそう言うと刀を振り、鞘へ納める。
そしてチェスターへ振り向いた時、朔は厭な空気を感じた。
「…?」
チェスターは先程から何も変わらず其所へ居る。
背後にある死骸もそのままだ。
先程から何も変わっていないと言うのに、何かがおかしかった。
「あぁ、本当だ。和成が死んでしまったね。」
この違和感が何なのか、分からない。
「く………くく、くはははは!」
ただ、私はきっとこの組織に似合いすぎる。
冷静になる頭の中でそれが一番恐ろしかった。
「や、やる事はやりましたよ?確認したならはやく誓約書を渡してください!!」
そして厭な予感が続く。
「いやいや、失礼。君の気持ちはよぉく分かったよ。だがね、私には関係無く、[それ]に笑いが耐えきれないのだよ!」
指差す先は朔の背後。
つまり、坂本和成の死体。
自分の部下の首が落とされ、その死体が面白いのか…。
だがそれも此方としては同感だ。
今までにない余興だった。
[許される犯罪]がこんなにも楽しいとは初めて知った。
元々[殺し]が嫌いな理由は一つだけだったのだ。
それはコソコソと泥棒みたいに人目を忍ぶ事。
だが公然での殺しは当たり前の如く罰せられる。
だから嫌気がさしていた
ここまで堂々と出来る殺しは絶頂に近い快感だ。
ブルル、と体が震え必死に快楽を抑える。
それを見たチェスターはご満悦な様子で此方の肩を叩いた。
「まだ終ってはいないよ?」
その言葉に心臓が跳ねた。
振り返ると信じられない光景が目の前にあった。
坂本が立っていたのだ。
それも、繋がっていない首を両手に持って。
「ひっ!」
恐怖と愉悦が入り交ざる。
何なのだこれは、まさかこれも幻術か?
そう頭に過り、再び刀に手を伸ばす。
すると、
「だぁっはっはっはっはっはぁ!!」
ドスンッ、と背後から何かが落ちる音が聞こえた。
振り向くと、チェスターが腹を抱えながら床に尻を着けて笑い転げていた。
「……っ馬鹿にしやがって!」
幻術か何かは知らないが、こうなったらとことん捌いてやる……!
朔の頭にはそれしかなかった。
「うおおおおおおおおおお!!」
斬って斬って斬って斬って斬りまくる。
殺して殺して殺して殺して殺しまくる。
その一個体を何度も切り裂いた。
人間の原型を残す事も許さず、爪の形すら残さずに。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………」
朔は返り血で真っ赤に染まり、目の前は肉の塊が至るところに飛び散っていた。
「ふ、ふふ、もう終わりかね?」
背後から聞こえる声も、もう聞きあきた。
それにしても……、
(…楽しい…楽しすぎる。こんなに人を斬ったのは初めてだ。どうしよう…このままじゃ、[戻れなくなる]。)
本来の目的は[断る事]。
そして[殺し屋]の終わりだった。
それなのに…それなのに自分は[殺し]を楽しんでしまった。
自分が嫌になる。
嫌悪感が支配する体を引き摺り、最後のトドメと言わんばかりにその肉片を踏みにじった。
そこまですれば、チェスターの笑い声は消えた。
そして目の前の茶番はまだ続いていた。
「ふぅ、たいした喜劇だった。だが私はまだ死んではいない。さあ、ここまでミンチにした私を次はどう始末するつもりだ小娘……」
坂本ではない別人の声。
それは笑いながら話し掛けてきた。
「ふざけるなっ!これが幻術だと!?だったら何故攻撃をしてこない!馬鹿にするのも程々にしろ!!」
精神的に限界だった。
[幻術]など産まれてこのかた掛かった事もないのに免疫なんて付いてる筈もない。
いや、それ以前に幻術なんてものがこの世に有る訳がない。
完璧に馬鹿にされているのだ。
だがもし本当に幻術に掛かっていたのだとすれば…己を覚ますしかない。
朔は嫌味にも取れる苛立ちが頂点に達し、刀を己の足に突き刺した。
「ぐっ………!!」
「……お、おい君!何もそこまでしなくても……!!和成!急いで医療班を此方へ呼んでくれ!!」
焦ったのはチェスターだった。
急いで背後から朔の肩を掴むと、自分の胸に倒す。
だが朔はそれが気に入らず、思い切り抵抗をした。
「離せクソッタレ!!貴様らの遊戯に付き合ってやったんだからもう良いだろうが!!私はもうこれ以上は誰も殺したくない!!」
「わわっ!あまり暴れてはいけない!傷口が開いてしまう!!それに君も楽しんでいたではないか!?」
チェスターの言葉に痛い所を突かれた。
その瞬間、朔の頭の血管は最高潮にブチ切れた。
「こうなったら……この屋敷に居る全員ぶっ殺してやんよ!!」
「それは駄目だ!目の前の坂本なら良いが他の人を殺してはいけないよ!!」
「あ~~~もうイライラする!!目の前の坂本は死なねぇじゃねぇか!!なんのトリック使ってっか知らねぇがさっさと殺されろクソジジイ!!」
チェスターと朔の身長差から朔は足を宙にバタバタと振っている。
その為靴から漏れる血液が、そこら辺りに飛び散った。
「………美味いな。おい小娘、お前処女だな。」
再び坂本ではない声が聞こえた。
「!」
そして気付けば床に広がる肉片は意志を持っているかの様に集まり始め、
「な、なんなんだ……何が起きてる……」
赤い膨らみになり、
「…………!!」
人間の形になり、此方へ歩み始めた。
「やっ……く、来るな!おいお前!この腕を離せ!」
「駄目だって言っているではないか。くくく……あ、いや、早く傷の手当をしなければ。」
「お前今笑っただろ!?今笑ったよな!?止めろって!頼むから!」
必死に藻掻くが、足を掴まれ動きが止まる。
「ひっ!」
皮膚が再生し、蛇の様にうねる髪に、常闇の様な目の窪み、そこから覗かせる眼球とおぼしき赤い光が、朔の瞳を捕らえた。
「今日は、最高の餌が入ったな。」
そして靴を脱がし、足の傷口が露になるそれを、長い舌先が、チロチロと舐めとる。
「ひぁっ!やっ、止めて……あぁ、くっ!」
一瞬、傷口に塩を塗った様な痛みが足全体を覆うが、次第に痛みとは別の感覚が朔を刺激する。
「あ……う、ん……」
心臓の動きが速くなる。
それにより、朔は己が高揚している事に気付いた。
「だ、駄目だ……舌を、除けろ……」
言いながらも、視線は外せなかった。
パックリと開いた傷口に挿し込まれ、血液が滴る足の指の間や、踵、足の裏まで丹念に舐めるその舌の動きに、堪らず快感が押し寄せてくる。
捩る体でさえ感覚に囚われ、力が入らない。
「も、やめ………」
そして………
「チェスター様、医療班が到着しました。朔、大丈夫ですか?」
「………え?」
扉の前には無傷でピンピンしている坂本が居る。
その後ろには、白衣を着た医者らしき人物達。
「おお和成!今アルカードが止血をしていた所なんだ。早く縫合を頼む!」
「え?」
眼を先程の人物に移せば見知らぬ男が自分の足を持ち、嫌味な笑みを浮かべていた。
「足でイってしまう気分はどうたい?お嬢さん。」
色白な、人形の様な男だった----。
**********
「いやぁ、すまない。ちょっと驚かせようと思って仕舞ったんだよ。なに、イギリス人のジョークさ。」
hahaha、と笑うチェスターを、朔の殺気が黙らす。
向かいに座り、改めて話をしようと言われ場所は変わらずこの応接室での対話。
チェスターは先程の出来事が楽しくて仕方ない様で、眼を右上にずらしては一人で笑いを堪えているのが現状だ。
「チェスター殿、いい加減にしてくれませんか?私はもう話す事等御座いません。早く帰らせて下さい。」
「おや?もう誓約書は要らないのかね?」
いつまでもニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるチェスターに、朔は怒りを通り越して呆れていた。
そんな朔の背後から、坂本が現れる。
「朔、申し訳ございません。当主は新しい玩具を見付けると、中々手を放してくれません故。」
そうして出されたのは香ばしい香りが漂うアメリカンコーヒー。
可愛らしい英国調のプリントをしたティーセットはそれだけで心満たされる。
だが朔は思考を現実に引き戻し、坂本に振り返った。
「坂本、その……彼奴は、一体何者なんですか?」
顎で方向を指すその場所は部屋の角。
その角の影に馴染む様に先程の彼は立っていた。
何をするでなく、ただ此方をジッと見詰めるだけ。
坂本はふふ、と笑い指を鳴らした。
「彼の名は[アルカード]今からご説明するカテゴリーの中に彼は入っているのでご安心下さい。」
「他の話を聞くつもりは無いです。私が知りたいのはあの男。」
朔は足をテーブルに勢いをつけて落とすと、紐の切れた靴底までパックリ開いた靴を脱ぎ捨て、足を見せた。
「傷口が消えた。あれだけ大きな傷口が、彼奴が舐めた事で治ったんです。これも幻術ですか?違いますよね。これは私が自分でつけた傷だった。じゃあ何です?何故治った?何故皆それを知らなかったんですか?」
朔の足はキレイなものだった。
血の一滴すら残ってはいない。
それに比べ、朔の靴は血に染まり刀傷で履いて歩けない位にボロボロだった。
朔は今一度坂本とチェスターを見、答えを求めた。
チェスターは先程坂本から貰った紅茶を優雅に口へ運ぶと再び静かに笑いだした。
「……何が可笑しいのです?」
ドスの効いた朔の声に、チェスターは多事炉いなく返す。
「やぁ朔。君が言っている事は実に可笑しくて仕方がない。それは我儘な物言いではないか。人にモノを聞く時はどうやって聞くのか、小学校の時に教わらなかったかね?」
「!!……てめぇ……!」
「おっと、すまないね。別に君の口調や態度にイチャモンをつけている訳ではないのだよ。ただ、」
そこで切ったチェスターは組んでいた足を崩し、体を前に傾けた。
「これはビジネスなんだ。等価交換、此方は情報を君にあげ、君は私達に何もくれないのかい?」
「だったらもう良いですよ。そうなりゃ聞くのも面倒です。」
「だがね朔。君はもう此処から出られないのだよ?」
「……何?」
「君は多大なる損害を私達に与えたのだよ?部下の負傷、銃器類の破壊、和成を脅し、私にまで狂気が向いた。国家軍を率いる私達組織を、君は愚弄し、そのまま立ち去る気かね?利子が付いても良い位だ。」
飄々とした男からいきなり現れた別の人格。
威圧感が朔を捉え、生汗が頬を伝う。
「謝れば済む問題だろうか?否、それは出来ない。私達は国を支える組織だ。それに歯向かう者は……敵だ!」
室内がビリビリと響く。
そして直後の沈黙は、誰もが動く事を許されない。
身の危険を感じる、恐ろしい沈黙だった。
「……ふ、ははは。」
チェスターは笑う。
「ご理解いただけたかな?」
初めから朔を放す気はなかったのだ。
「私が…今ここで死んでも良いのですか?」
「死んだらそれまでの事さ。どちらにしても、君はこの屋敷に足を踏み入れた時点でもう此処から出られない。安心したまえ。此処に君がいる以上、罪に問われる事はさせない。」
迂闊だった、来なければ良かった、後悔してる、なんて女々しい事は思わない。
自分が決めて進んだ道。
生きていれば、必ず彼等に会える。
きっと、どこかで……。
「理解出来ましたよチェスター殿。要は貴方の指示に従って標的を殺せば良いんでしょ?」
「フン、潔いな。もっと楽しませてくれるものと思っていたのだが……。」
怒りが頂点を越しそうだ。
この男のお遊びに付き合ってやるだけでも感謝して欲しい位なのに…。
「こちとら遊びに来たわけじゃあねぇ。さっさと終わらせて、私は家族の元へ帰る。」
朔はそんな思いを込めて断言したが、それに対しチェスターはソファーに凭れ朔を見下す。
「……まぁ、〈生きて帰れたら〉な。」
「どう言う…」
「と、言うよりは全てを終わらせれば、の方が聞こえは良いですぞ?チェスター様。」
「おお、そうだな。では…」
事がペースを早め、朔を置いて行く。
何をそう焦っているのかこの時はまだ何も、そして、
「本題へ入ろうか。」
本当の理解をせぬまま、錆びれた歯車が動き出した―――。
第三話END