8・静の気持ち
三人はケヤキの巨木が立ち並ぶ参道に面している、マンションの前に着いた。
四階建てで、こぢんまりとした建物は、家と家とに挟まれ窮屈そうに建っている。参道に面しているため、車通りは少なく静かだが行き交う人はちらほら見られた。
アリア達の住む三階の部屋の窓からは、立派な枝振りのケヤキが見えた。
「素敵なところに住んでいるのね」
「場所はいいけれどね。部屋は狭くて、何もないし」
確かに立地は良くて都電も近いし、池袋駅も歩いていける距離で利便性はある。だが、室内はお世辞にもお洒落な雰囲気ではなかった。
アリアと柚子はマンションを転々と移動していたため、必要最低限の生活用品しか置いていないのだ。生活臭が感じられず、無機質な空間は、まるでウイークリーマンションのようだった。
部屋は八畳ばかりのリビングに、三畳のキッチンが続き、他に二部屋あった。飾り気のない居間にはテレビとローソファ、テーブルがある以外は、小さい食器棚あるだけだ。
「てきとーにそこら辺に座ってね、お茶でも淹れるから」
柚子に言われるまま、静はローソファに座り、アリアも静と向かい合わせに腰をおろした。
静は居心地が悪そうに、緊張した面持ちで背筋を伸ばして座って窓の方を向いていた。アリアには顔を向けない。アリアは顔をつき合わせて沈黙しているのが重たかった。
何か話さなければ。でも慎重にしないといけない。自分の行動でこの娘の気持ちをかき乱してしまったのか。どう扱えばいいのか。ヒロならどうするだろう。
女の扱いに慣れていそうな義兄ヒロのことをアリアはふと思い浮かべてしまった。しかし、いい策が浮かぶわけでもなく、アリアは仕方なく、思いつくまま静に話しかけた。
「……彼ができたと言ったら、君のお父さんは喜んでいた?」
「ええ、会うのを楽しみにしているみたい」
静はやっとこちらを向いて笑顔で返答したので、アリアは少しほっとした。
静の緊張をほぐし、恋人同士に見えるようにしなければならない。そう考えるとアリアにはその道のりが遠く感じた。本当にこんな状態で家族を騙し通せるのか。
「親に嘘をついて、後ろめたい?」
「少しは。でも、父が横暴だから仕方ないわ」
そう言って静は肩をすくめた。そして、アリアのほうをちらりと盗み見て、頬を赤く染めた静は、「でも……嘘じゃなくなってもいいかなって……」と柚子に聞こえないよう声を低く落として付け足したのだった。
アリアは何を言われたかすんなり理解できず、頭の中で反芻した。
それは《彼氏役》ではなく本当に《彼》になってほしいという意味だったのだ。アリアはやや暫くかかってそのことに気づいたのだった。
突然告白されたような格好になったアリアは困惑した。今度はアリアの方が静から視線を逸らして俯いた。
「急に……ごめんなさい。でも、ソウイチさんに思っていることを言わないとわからないって言われたから、自分の気持ちを知ってほしくて……」
両手を膝の上できつく握り、勇気を振り絞って言ったであろう真っ直ぐな彼女の気持ちは、アリアに痛いほど伝わってきたのだった。しかし同時に、それに応えられないこともわかりきっていた。だが、今そう言ってしまえばきっと彼女は恋人役など演じられなくなるだろう。引き受けたからにはそれは避けたいと思ったが、そのためにどう行動するのが最良なのかわからず、アリアはただ曖昧な笑みを浮かべた。
「どうしたの?」
柚子はテーブルに、大きなティーポットと三客の白いティーカップを置いて紅茶を並々と注ぎながら、二人の緊張した空気を感じ取り、交互に二人を見比べた。
「……さっき矢萩さんと話していた人、刑事だって言っていたけれど、ソウイチさんは刑事なの? 前に矢萩さんがあの男の人のこと、お兄さんの仕事関係の人だって……」
静は柚子が来たことで、話題をがらりと変えた。
アリアは柚子が来てほっとしたが、その質問にどう答えればよいのか柚子の方を向いて救いを求めた。
「兄さんは探偵なの。で、刑事さんとは知り合いで。そうよね、兄さん」
柚子がなんとかその場を取り繕った。
「ソウイチさんは探偵さんだったの?」
「難しい仕事はしていない」
静が好奇心一杯の顔になったので、アリアは慌ててそう付け加えた。
嘘が徐々に膨らんでいく。このまま切り抜けられるのだろうか。アリアの中で不安が広がっていた。