4・小悪魔な美少年
静の義弟が原因で、静が今まで何人もの彼氏と別れているという事実を、柚子は故意にアリアに知らせていなかった。おかげで、アリアは大変な目に遭うことになったのだ。
「ソウイチさん、これから家に遊びに来て」
「亮介、初対面の人に無理言わないの」
「いいじゃない、親は今いないから部屋でゆっくりできるよ」
亮介は天使のように純真に見える外見と違い、ませた口を聞いてアリアにウインクをした。
嘘がばれないように気をつけなければと、アリアは少し緊張して身を引き締めた。
結局、亮介に押し切られて、二人は家へ行くことになった。
小姑は二人の間に割り込んで並んで歩き、「これからデートだった?」などとわざとらしく聞いてきた。
その間、静はばれないかと不安に思っているのか始終無口で、時々アリアのほうを不安そうに見てはため息をついていた。
アリアのことが頼りなく感じたのだろうか。それとも、嘘をつくことに慣れていないだけなのだろうか。アリアは静の内心をはかりかねていた。
亮介は静のそんな態度にはお構いなしに、何かとアリアに話しかけ、家に着くまでの間、ずっとハイテンションだった。
「僕、知らなかったな。静姉さんに彼氏ができたこと」
シスコンなのだろうか。だが、彼氏に対して敵対心はないようだ。どちらかというと好意的な態度だった。
アリアは亮介の話には耳半分で、頭の中ではこの状況の分析を試みていたが、納得のいく結論は出なかった。
花井家の外観は、レンガ造りの品の良い洋館だった。つる薔薇が壁を伝い、前庭には草花が生い茂り、イングリッシュガーデン風だ。
都心の、池袋駅からさほど遠くない一等地に、庭付きの住宅を建てた花井静の父は、かなりやり手だろうと想像がついた。
「どうぞ」
静が重そうな白いドアを開けてアリアを招き入れた。
「静姉さん、お茶でも淹れてよ。僕、ソウイチさんを部屋に案内するから」
「亮介君、僕はお茶いいから……」
アリアのそんな言葉を無視して、亮介は静の返事も待たずに、アリアを強引に引っ張り二階へ連れて行った。
静はアリアに何か言いたそうにしていたが、「ソウイチさんは大丈夫よね……」と呟いてため息をつき、諦めたようにキッチンへ行った。
二階へ上がると、一番手前の部屋には《しずかのへや》と書いた木のボードが掛けられていた。だが、亮介はその部屋の前を通り過ぎ、一番奥の部屋へアリアを案内した。
部屋は十畳ほどあり、ブルーで統一され落ち着いた雰囲気だった。シングルベッドと向かい合わせに勉強机があり、男物のジャンバーがハンガーにかかっている。
「ここは君の部屋?」
「そう」
亮介はにっこり天使の顔で微笑み、背中でドアをパタンと閉めた。
アリアは嫌な予感がしたが、部屋を出て行く理由を見つけられないでいた。
「ねえ、宿題があるんだけれどちょっと難しくて。教えてくれないかなあ」
「いいよ」
「ここのとこ……」
亮介は勉強机に向かって座り、アリアはその横に立って英語のノートを覗き込んだ。
「シェークスピアの『空騒ぎ』の翻訳? 難しいのをやっているね」
直ぐ横に亮介の横顔があり、長い睫毛がフランス人形のようだ。
「……私はあなたに自分の全てを捧げる。だからあなたも全てを私に与えて欲しい、かな?」
アリアが亮介の方を向くと、彼は幾分頬を上気させて言った。
「ソウイチさん、こういうこと言ったことある? 女の人を抱いたことは? 静姉さんとはどう?」
突然の質問攻めに、アリアは眼を丸くした。
「ないの? じゃ、キスはもうしたの?」
屈託のない笑顔が一変した。瞳には物憂げな鈍い光が宿り、机の上についていたアリアの手に、亮介は手を重ねてきたのだ。
「そろそろ、静のところへ行く」
この手はどういう意味だろう。混乱した頭の中で、ただ本能的にこの部屋から出ようと、重ねられた手を机から直ぐに離して、アリアは後ずさりをした。
亮介がドアの前に走って立ちはだかった。
「ソウイチさん、僕……」
亮介は思いつめたような顔つきで、切ない瞳をアリアに投げかけてにじり寄った。
次の瞬間、アリアには何が起こったのか理解できなかった。
亮介に勢いよく抱きつかれて、両腕を掴まれ強引に唇を奪われたのだ。
アリアは亮介を突き放し、「からかうんじゃない!」と動揺を隠しながら、袖口で口を拭った。
「からかってなんていない。僕、あなたみたいな人に惹かれる。僕じゃだめ?」
亮介はアリアにしな垂れかかり、首に両腕を絡ませてきた。
「……確かに君は魅力的だ。でも僕は静と付き合っている」
アリアは冷静に亮介の腕を振り解き、毅然とした態度で言ったつもりだったが、額に冷や汗が滲むのが自分でもわかった。
「……ごめんなさい、静姉さんにはこのこと内緒にしてね。でも僕の気持ちはわかって」
亮介は耳元でそう囁くと、ドアを開けてアリアを開放した。
「ちぇ、今度の奴はなかなか動じないな。手を変えるか」
アリアがドアを閉めた後、亮介は舌打ちした。
亮介がそんな台詞をはいたことを、アリアは知る由もなかった。
アリアはまだ頭の中が混乱したまま、少し乱れたネクタイを整えてふと顔を上げた。廊下には静が泣きそうな顔でコーヒーセットを持って立ちつくしていたのだった。
アリアは動揺を隠して冷静な態度を演じなければならなかった。
「どうしたの?」
「亮介の、部屋にいたんですね」
責めるような瞳でアリアを見ている。
「宿題を見て欲しいって言われて」
「そう……」
と言って俯き、目を伏せると、静の頬が涙で濡れた。
「まず静の部屋へ行こう、ね?」
ひょっとして今までもなにかあったのだろうか。
アリアは訳がわからないまま、声もなく泣いている静の背中をそっと押して部屋へと促した。