3・練習
翌日の放課後、静は待ち合わせの境内へ急いだ。
「……泥棒? 静があんまり緊張していたから兄さんは冗談を言ったのよ、きっと。いやねぇもう」
今朝、柚子はそう笑って答え、静の話を本気にしなかった。
だが、静にはどうしても冗談には思えなかった。ソウイチの真剣な顔はとても嘘には思えなかったのだ。
静は不安と期待の入り混じった表情をして、昨日の大木の前にたたずみ、ソウイチを待った。
「ごめんね、待ったかな」
「昨日の? 柚子のお兄さん?」
静が見た男は、昨日のその人とはかなり違っていたのだ。静は動揺した。
見知らぬ男は静に近づいてにっこり微笑んだ。
「静のタイプに近づけてみたけれど、イメージと違う?」
「いえ、そんなこと。昨日とあんまり感じが違っていて驚いただけ……」
「サングラスをしていたから」
確かに、ソウイチは茶のフレームの眼鏡を掛け、髪も耳にかかるくらいに短くなったが、それだけではない、雰囲気が別人だった。
白いワイシャツに薄い緑のジャケット、同色のネクタイを緩めに締め、麻のパンツを着こなし、大学生というより社会人に見えた。
「大学生はぼろが出やすいから、高卒で働いているって言う設定でいいかな。職業は……ホテルのベルボーイなんてどう?」
「ええ……」
この人は一体何者なのだろう。普通の人ではない、やっぱり泥棒なのか。
静の思考はこの状況に追いつけないでいた。
「……静、聞いている? どうしたの」
静が我に返ると、アリアが直ぐ側で、顔を覗き込んでいた。
「あっ、ごめんなさい。私、ぼうっとしていて」
体が触れそうな至近距離にいるアリアのことが、急に怖く感じて静は慌てて少し離れた。
「……静、無理しているね」
「え?」
「今まで、男の人とまともに付き合ったことがないのでは?」
「どうしてそう思うの?」
「男に対して免疫がなさそうだから」
アリアの歯に衣着せぬ言い方に、静はプライドを傷つけられて少し腹が立った。だが、その通りだったのだ。
取り繕う必要がなくなった静は、思い切って悩みを打ち明ける決心がついた。
「確かにあまり長く付き合ったことはないです。でも、違うんです……私、ちょっと男性不信になっていて……」
「そう。でもそんなことはすぐに解決できると思うよ」
アリアはそう言ってにっこりと静に笑いかけて、次の瞬間、静を抱きしめた。
「お兄さん?」
静の鼓動は一気に早くなった。
相手が何を考えているのかわからなくなった静は、半ばパニックになり、抵抗することも思いつかなかった。
「ソウイチと呼んで」
「ソウイチ……」
言われるままに、そう呟いた。
「緊張しないで、楽にしてごらん」
静は、まだこの状況を理解しきれなかったが、アリアに髪を優しく撫ぜられ「静」と囁かれると、 その声が心地よく響いて、静は肩の力が抜けていき、安らいだのだった。
「少しは慣れた? 手も握れないようだと、恋人は無理だから。でも荒療治すぎたかな」
アリアは微笑みながら静から離れた。
「静姉さん!」
アリアの背後から甲高い声がして、静は驚きの声を上げた。
「亮介? どうしてここにいるの」
静の二歳違いの義弟が立っていたのだ。
亮介はボーイッシュな女の子と言っても通用しそうだった。背は静と同じくらい、色白で長い睫毛に鼻筋もとおり、日本人離れした顔立ちだった。なかなかの美少年だ。
アリアが挨拶をして簡単に自己紹介すると、亮介はアリアを見つめてはにかんだ。
静は亮介を見るアリアを悲しそうな瞳で見つめ、アリアの袖を無意識に引っ張ってしまった。
静は「どうしたの?」と、アリアに顔を覗き込まれてしまった。
「なんでもないわ」
静の笑顔は強張っていた。
静はアリアをじっと見つめて何かを訴えたそうにしていたが、アリアには静が何を言いたいのかまったくわからなかった。