2・対面
「……気が進まない」
アリアは古い境内の一角にある大木によりかかり、柚子の話を一通り聞いた後、かなり嫌そうに言った。
三十分ほど前、アリアが部屋でごろごろしていると、柚子から大事な用事があるからと呼び出されて、自宅マンション近くの鬼子母神境内に呼び出されたのだった。
梅雨時期の晴れ間とあって、境内には古い駄菓子屋で品定めをしている子供や、幾重にも立ち並ぶ真っ赤な鳥居を走り回る子供達、ゆっくりと散策を楽しんでいる老婦人などがいた。
その中で、制服姿の柚子と黒いサングラスをした二十歳そこそこの男の組み合わせは奇異で、皆ちらりとこちらを一瞥していくのだった。
「ね、お願い。このままじゃ、彼女は親の言うなりになるしかないの。可愛そうでしょ? 今まで何人かと付き合ったことはあるみたいだけれど、いつもすぐだめになって。少し落ち込んでいるようなの。で、これから彼氏を見つけるのってかなり無理があるのよ」
「ずいぶん横暴な両親だね。……そういうことはヒロに頼んだら?」
「ヒロじゃ大学生に見えない」
「だけど誕生日の後はどうするの?」
「別れたってことで大丈夫よ。要は誕生日まで何とかしたらいいの。とにかく一度会って」
「柚子、また厄介なことに首を突っ込んで……」
やはり来なければよかった。アリアは嫌な予感がありながらこの場に来たのだった。
高くそびえる木の幹を見上げ、アリアは何度目かのため息をついた。
柚子が本当に可哀想という理由だけで、こんな面倒なことを引き受けるだろうか。
時折、都電の通り過ぎる音が聞こえてくる。
猫が昼寝をしており、この場所だけがゆっくりとした時間が流れているようだ。
雑司が谷界隈は、都心にいることを忘れてしまいそうなのどかさがあった。
アリアはそんな風景にしばし目をやって、考えた。
そして、目の前に立っている制服姿の柚子を、サングラス越しにじっと見つめた。
柚子はアリアと目を合わせようとしなかった。
「柚子、他に何かあるでしょ?」
柚子の瞳が大きく開き、肩をすくめて渋々口を開いた。
「……実は、最近急成長している結婚相談所『フレール』の社長が、彼女の父親なの。結構裕福らしいのよね、彼女の家。で、ちょっと目をつけていたの」
柚子はえへへと笑っている。
「クラスメイトまでそんな目で見ているのか。柚子は、非情だな」
アリアは顔をしかめた。
「私って根っからの泥棒なのよね、アリアより素質があるかも。この頃自分でもつくづくそう思う」
アリアのきつい言葉にも柚子は全く動じず、真面目とも冗談ともとれない顔つきで言った。
「でね、彼女もうここに来ているの」
手回しが良いというか、有無を言わさないやり方というか。
アリアは観念した。
少し離れた木影に隠れている同じ制服に、柚子が手招きをすると、その彼女は俯いたまま、おずおずと二人の側に近づいてきた。
「どうも、初めまして」
花井静は緊張した面持ちでアリアをちらりと覗き見すると、また直ぐに俯き、そのままぺこりとお辞儀をした。
髪は茶色に染めていたが、いまどきの女子高生というよりは、伏し目がちで、少し大人しい印象だった。
「こちら、花井静さん。で、こっちが私の兄で……」
そこまで言ってから、アリアの名前を考えていなかったことに気づいて、柚子は言葉に詰まった。
「ソウイチです、宜しく。サングラスのままで失礼」
アリアは開き直って柚子の兄を演じ、ごく自然な笑顔で自己紹介した。
花井静はやっと顔を上げ、観察するような視線をアリアに向けた。
アリアはカーキ色のパーカーに黒いボタンダウンシャツ、ゆったりした茶のカーゴパンツのポケットに両手を突っ込んで立っていた。普段より幾分ラフな服装だったが、こざっぱりとした身なりだった。
背丈は静より幾分高いが、そう変わらなかった。肩につきそうな少し癖毛交じりの黒髪に黒いサングラス。
花井静は戸惑いと好奇が入り混じっているような、複雑な表情をしていた。
きっと身長はもう少しあったほうが理想なのだろうなと、アリアは静の反応を見て思った。
「僕は合格かな?」
アリアは腕を組んで苦笑した。
「あ、ついじろじろ見て……ごめんなさい」
ぱあっと静の顔が赤らんだ。
本当に今まで彼氏がいたのだろうか。アリアは静が男性との免疫がないように感じた。
「いや、いいんだ。いくら偽者でも、タイプってあるよね」
「アリ……っと、兄さん、静が困っているじゃない」
柚子がアリアの脇腹を肘でつついた。
「……ある程度好みを言ってくれた方がこちらとしてはやり易いけれど」
「ええっ? 私は別に……」
静は口ごもってしまった。
「じゃあ、代わりに私が設定してあげる。そうねぇ……物腰がスマートな知的な文系タイプ。でもしっかりリードしてくれる王子様。静はこんなタイプが好きなんじゃないかしら?」
「オーケー。それならできそうだ。静さんはそれで良い?」
本当に好みがぴたりと言い当てられてしまったのか、静は一瞬驚いた表情をしたが、小さく頷いた。
「あ、そうだ。言い忘れたことが……柚子は向こうへ行っていて、内緒の話だから」
「え? 何よ、私にも教えて」
「だめ」
このままだと、また柚子のペースで振り回されてしまうと感じたアリアは、対策をとることにした。
アリアはさっきまで静がいた木陰へ、彼女の腕を引っ張り連れて行った。
「彼氏役を引き受ける代わりに、約束してほしいことがある」
アリアは木を背に立っている静へ体を寄せて、耳元に顔を近づけ、今までとは違う冷たい口調でこう続けた。
「誕生日に何かことが起こっても騒がないこと。それが条件」
「何かって?」
「例えば、少し高価な宝石や、誰かの財布がなくなっても」
「! 泥棒、なの?」
「決して警察沙汰にはしないこと、いいね?」
静はごくりと唾を飲み、「……はい」と答えたが、彼女の頬は上気して瞳は潤み、自分の置かれて いる状況に陶酔しているようだった。
アリアが予想していた反応とかなり違っていたのだ。
「本当に、いいのか?」
アリアは戸惑い、もう一度聞き返した。
少し脅してみたら、怖がってこの話は流れるのではと考えたが、逆効果だったのだ。
アリアは小さくため息をついて肩をすくめた。
「じゃあ、明日早速会いましょう。ぼろが出ないよう練習しないと。ここで待っているから」
先ほどとは別人のように、アリアは優しく静に微笑みかけた。
静は恥ずかしそうに「はい」と小さく返事をすると、そのまま小走りに境内を出て行った。
「何を話したのよ、あんなにくっついちゃって、もう彼氏役になりきっていたの?」
柚子が急いで駆け寄ってきた。
「違う、ちょっと脅してみたんだけれど。どうもうまくいかなかった……」
アリアは困ったように頭をかき、静に言った内容を話した。
「何それ、まるで影がある謎の男じゃないの。それにワルがついて。おまけに暗い過去でも引っ付けたら? 日常にはないスリルに、静はきっとアリアの虜ね」
「でも、さっきのタイプとは随分違う」
「馬鹿ね、全く違うタイプにも惹かれるものよ。アリアだって一応は女でしょ? そのくらいわかってよ」
「そういうもの?」
アリアはきょとんとした。柚子は当たり前よ、そんなの常識だと言ってから、アリアに釘を刺すように付け足した。
「あんまり本気にさせないでね、静が傷つくから」
「そんなつもりはない……元はといえば柚子が厄介な話を持ち込んだんじゃないか」
柚子はいつも面倒なことを持ち込んできて、アリアは割に合わない仕事をさせられていい所だけ柚子が持っていくのだ。
アリアは口を尖らせて、ぶつぶつと呟いた。