14・誘拐劇
「じゃあ、ご両親の所へ行こうか」
「ソウイチさん、うまくやってね」
静は緊張した余裕のない顔をしている。
アリアはそんな静の緊張を察し、リラックスさせるために静を優しく見つめて両肩にそっと手を置いた。
そして、「ここにいる誰よりも君が一番綺麗だ」と言って微笑みかけ、静の手を取って自分の腕にかけた。
静は顔を少し赤らめて微笑んだ。
「アリアったら、よくそんな歯が浮くような台詞言えるわね。聞いている方が恥ずかしくなっちゃうわ」
直ぐ傍にいた柚子は、二人に聞こえないように呟いた。
会場はドレスアップをした、三、四十代位の男女が八割方を占めていた。そして、同じ銀色に鈍く光る羽の形をした小さなピンバッチを付けており、どうやらそれは『フレール』の会員の印のようだった。年配の紳士も入り混じっているが、皆、同伴の女性が一緒で、その彼女達はゴージャスな宝石を身にまとい、明らかに『会員』とは違う。多分、花井社長の招待客なのだろう。後は静のクラスメイトもちらほらそれに紛れていた。
そんな中を通ってアリアと静は会場の前面中央にいる、花井夫妻の方へ向かった。
アリアは笑顔で花井夫妻に軽く会釈をしてから、自己紹介をした。
「素敵な方ね。ねぇ、あなたもそう思わない?」
花井夫人も微笑み、夫に同意を求めた。
「静の好みは、優男か。恋人を連れてくるという条件はクリアしたな。ソウイチ君、今夜は無礼講だ。ゆっくり楽しんでいきなさい」
思ったより面倒なこともなく、両親はあっさりとした対応だった。
静の父親は、一代で会社を大きくしただけあって、隙がなく快活な感じがした。若い妻がいるせいか、服装もオーソドックスな黒のタキシードではなく、ラフな感じの明るいグレーのスーツで若々しい。がっちりした体格だが、無骨な感じはなく、爽やかなスポーツマンタイプだった。
アリアが丁寧に礼を言っていると、会場が突然暗くなり、ハッピィバースデーをアレンジした軽快なピアノの生演奏と共に、静にスポットライトが当てられた。
「皆様、本日、花井静様が十七回目の誕生日を迎えられました。是非、祝福の歌をご一緒にお願い致します」
会場係の女性がアナウンスすると、ウエディングケーキ並みの三段重ねの大きなバースデーケーキがワゴンで登場し、静の前に止まった。蝋燭も、きっちり十七本立てられている。
そして、会場内は再び照明が落とされて、暗闇の中、蝋燭の明かりだけが浮かび上がり、ハッピィバースデーの大合唱となった。
歌が終わり、静は思いっきり蝋燭の火を吹き消すと、拍手が沸きおこった。
「ケーキは皆様にお配り致しますので、ご希望の方はお申し付けください」
アナウンスが終わると、早速ケーキは、パティシエによって手際よく切り分けられ、その前には行列ができていた。
「豪勢ね。そろそろ私も、ちょっと腕試ししようかしら」
柚子が鵜の目鷹の目でお客達を物色し始めると、背の高い会場係の女が、柚子の側に近寄り、「どうぞ」と、ジュースを渡した。
「柚子、あんまり派手に動かないで。私がやりづらくなるから」
その接客係の女は柚子に小声で耳打ちした。
「驚いた、Dなの?」
「うまく化けたもんでしょ」
Dは得意気だ。
「これを本業にしたら?」
「口の減らない娘ね」
「何を狙っているの?」
「取り敢えずは、あれ」
そう言ってDは、花井夫人をちらりと見た。
「大人しくしてあげる代わりに、分け前はきっちりね」
「わかったわよ」
「そう、じゃあ協力する」
あっさりそう承諾して、柚子は会場を出た。
「素直すぎて、気持ち悪いわね」
柚子の後姿を見送りながら、Dは不安そうに呟いた。
「静、誕生日おめでとう」
アリアが抱えるほどの真紅の薔薇の花束を渡すと、静は嬉しそうに顔をほころばせてお礼を言った。そして、友人から次々にプレゼントが送られた。静は笑顔で応えて丁寧にお礼を言っている。
だが、その合い間で、静は誰かを探しているのか会場内に目を泳がせていた。
「誰かを待っているの?」
アリアは気になって声をかけた。
「亮介がいないなと思って。あの子、今朝から変だったから気になって……」
「亮介君だったら、さっきホテルの駐車場にいたよ。少し、暗い顔をしていたね」
「どうしたのかしら……」
「行ってみようか?」
「ええ」
再び会場の照明が落とされて、色とりどりのライトがゆっくりと交差し、スローテンポな音楽が流れた。
「皆様、ダンスタイムです。どうぞお楽しみください」
客達は思い思いに相手を探し、チークダンスが始まった。その中を二人は手をつないで縫うように歩いて会場を出た。
「おかしいな、確かにこの辺りにいたんだけれど」
アリアはどんどん駐車場の奥へ静を引っ張っていった。
「入れ違いになったのかしら? 会場に戻ったらいるかもしれないわ」
屋外の駐車場には人気がなく、薄暗かった。
アリアは今まで握っていた手を離し、静を駐車してある車の間に置き去りにすると素早く身を潜めた。
「え? ソウイチさん、何処へ行ったの?」
静がおろおろしている所に、アリアは自分だと悟られないようにそっと近づいていきなり背後から静を目隠しして、両腕をお腹の辺りで縛り上げた。静は咄嗟のことで、声も出せないようだった。
「騒ぐと顔に傷がつくぞ」
できるだけ声色を低い声に変えて脅しながら、間違っても切れることがない刃のないおもちゃナイフを静の頬にあてた。
静は震えて怯えきっていた。抵抗することなく、指示通りにすぐ横に止まっていたワゴン車へ乗った。
「おまえを誘拐した。大人しくしていろ」
アリアは低い声で冷たくそう言うと、布で猿轡をかませようとした。
「待って、大声は出さないから……ソウイチさんなんでしょう? どうしてこんなまねを」
あっさりばれてしまった。アリアは少し無理があったかなと小さくため息をついた。
少しシナリオを変更するしかないか。
「……金目当てであんたに近づいた。俺は柚子の兄でもなんでもないちょっとした知り合いで、ただのごろつきさ」
「でも……私、本気でソウイチさんのこと」
「それは光栄だね。じゃあついでにここで静も貰ってしまおうか?」
そういってシートを倒し、乱暴にドレスのファスナーを下ろした。
「やめて!」
静が悲鳴に近いかすれた叫び声をあげ、アリアは直ぐに手を止め、静から離れた。
「……もっと自分に正直になりなさい。ソウイチなんて男は初めからいない。それは君に都合の良いように作られた架空の人物だ。……君には、いつも側で見守ってくれている男がいるだろう。自分でも気づいているんじゃないのか?」
「亮介のこと? あの子は義弟なのよ! ……だって、仕方ないじゃない! 父が早く恋人を連れて来いって言っていたのは、きっとそんな私の態度を勘ぐっていたのよ。義弟が好きだなんて、そんなこと言ったら家族が滅茶苦茶になってしまうし、それに亮介は男の人の方が好きみたいだし……私なんか亮介の眼中にはない。恋愛対象ではない、ただの姉という立場なのよ」
静は胸にしまいこんでいた思いをすっかり吐き出した。目隠しをしている布が涙で濡れていた。
アリアは車の近くで様子を聞いていた亮介に目配せをして、入れ変わると、亮介はそっと静を抱きしめた。
「ソウイチさん? 違う……亮介なの?」
亮介は目隠しと体を縛っていた紐を解いた。
「俺、今まで酷いことを……静が嬉しそうに男を連れて来る度に、嫉妬でおかしくなりそうだった。でも、初めのうちは静のことを大事にしてくれる奴だったら良いと思って、試す為に近づいた。そしたら、あいつら簡単に誘いに乗ってきて、静のこと本気で思っている奴なんかいなくて。……誰にも取られたくないと思った」
うなだれている亮介の髪を、静は優しく撫ぜた。
「許してくれるの?」
「私が馬鹿だったの。私が周りの目を気にして自分の気持ちに嘘をついていたからこんなことに……」
「静が頬にキスしてくれた時のことを覚えている? あの時、静に触れたら自分が抑えられないと思った。だからずっと近づかないようにしていたけれど、やっぱり静のことが好きなのは変わらない。始めて会ったときからずっと」
二人は唇を重ねた。