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10・夕餉

 翌日、Dの予想通り静は現れた。

 放課後、一目散にアリアのマンションへ直行して来たのだ。

「ソウイチさん、迷惑だったかしら?」

 口では気弱なことを言っているが、静は夕食の材料が入った袋をしっかりと抱え込み、押しかけ女房宜しく、部屋に上がりこんだのだった。

 静は自前の真新しいレースのついたエプロンをして、キッチンへ立った。

「彼女必死ね。Dがあんなことを言うから、逆に対抗意識に火がついたのかしら」

 アリアの側でそう耳打ちした柚子は、面白がりながらも妙に感心している。しかし、アリアはそう楽観できなかった。一途な静の気持ちを弄んでいるようで、後ろめたく感じていたのだ。

「収拾がつかない」

「このまま進むしかないじゃない、誕生日までは。その後は消えるしかないわね」

 柚子の口ぶりが妙に冷たい。静の何かが気に障ったのだろうか。アリアは柚子の顔をこっそりうかがいながらそう思った。

「彼女の気持ちはどうなる?」

「そのうち冷めるわよ」

 二人が居間のソファに座ってひそひそ話しをしていると、キッチンから小さい悲鳴が聞こえた。

「どうしたの?」

 アリアが静の側に飛んで行くと、静は血が滲んでいる人差し指を押さえて「失敗しちゃった」と、眉をひそめて苦笑した。

「大丈夫? 指を見せて」

 アリアが静の手をとり指先の切り傷を見ると、そう深くはないが血がまだじわじわと止まりきっていなかった。

 アリアは静の腕を掴んで、勢いよく水を出して流水で血を流してから、軽く水気をふき取ると、居間に連れて行って絆創膏を貼った。

「無理しなくていいから」

 アリアは彼女を傷つけないように、極力優しく言った。

「そうよ、私が作るから。付け焼き刃じゃ無理よ」

「でも、私も手伝いたい」

「いいけど、普段やってないんでしょ、できるの?」

 確かに柚子から見れば何もできない静はまどろっこしいのだろう。柚子の口調がかなり刺々しかった。

 世間の荒波にもまれたことなく、苦労を知らない静が、恋だの愛だのと一喜一憂している姿は、柚子にとっておままごとに見えてしまい、共感できずに、ただ苛々してしまうのだろうか。

「柚子、色々教えてあげたら?」

 アリアの言葉に逆らいはしなかったが、柚子は面白くなさそうに「はいはい、どうぞ」と言いながら立ち上がった。静もそれについていった。

 柚子は手際よく材料の下ごしらえにかかり、静にもできそうなことをてきぱきと指図するが、必要最小限の会話しか交わさないので、怒っているように見えた。

「矢萩さんて、凄いのね」

 静は恐る恐る声をかけた。

「当たり前のことをしているだけ」

 柚子はザルに入っている白滝の水を少し乱暴に切りながら、「もう結婚できる歳なんだから」と呟いた。

「……矢萩さん、ここにお兄さんと住んでいるの? 親は?」

「死んじゃったの」

「……無神経でごめんなさい。矢萩さんっていつも元気でそんな風には全然見えないから」

「親がいないからって、いつまでも暗くなっていちゃ生きていけないわ」

 静の言葉が、柚子の心をまた逆なでしたようで、不機嫌に答えた。

「強いのね」

「強くなんかないわ。ただ、普通に生きているだけ。静と同じよ」

「でも、こんな優しいお兄さんがいていいわね」

「私とソウイチ兄さんは、本当の兄妹じゃないかもしれないの」

「そうなの?」

 肉じゃがの味見をしていた手を止め、静はかなり驚いた。

「そんなの珍しくもないじゃない、これだけ離婚率が高いんだもの。自分だけが大変だって思わないでね。静だって人が羨む裕福な家に優しい家族、傍から見れば恵まれているように見えるけれど、実は悩みがあるでしょう? みんな同じよ」

 柚子の声が大きく、居間にいるアリアにまで聞こえてきた。

 まだ刺々しい口調の柚子に、アリアは「お茶がほしいんだけれど」

 と、キッチンへ行って口を挟み、余計なことは言うなと目で合図した。

 柚子はまだ言い足りなさそうだったが、そのまま口を噤んだ。

出来上がった夕餉は、肉じゃがに豆腐の味噌汁、胡瓜と白菜のお浸しと、いたってオーソドックスな和食だった。

 多分、静は何かの雑誌で男性はお袋の味が云々などと書かれた記事でも見たのかもしれない。

 食卓テーブルが二人掛けのため、三人は居間のテーブルを囲んで座った。

 アリアは肉じゃがを口にした。柚子と静が注目する中、アリアはのどを詰まらせそうになったが、「美味しいよ」と笑顔で言った。

「そりゃそうでしょ」

 と、当然のように胸を張って柚子は言い、一方、「そう? 良かった」と素直に顔をほころばせる静が対照的だった。

 家事全般を難なくこなせる柚子は、他の同年代の娘とはかなり違う生き方を強いられてきたのだろう。

アリアは今更ながらそう実感し、そんな柚子がいじらしくて、いとおしく感じた。

 何にしてもこれで義務は果たしたと思うと、アリアは気が抜けた。実のところ二人に挟まれながら機嫌を取るのに精一杯で、味はよく分からなかったのだ。


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