code:27「仲間」
何も無い。
黒く塗りつぶされているとか。
真っ暗。という表現すらも。
可愛さすら感じるくらいに。
「何も無い」
弥生には、そう見えた。
いや。
弥生には。分からない。
何も。
「見えず」「感じず」「聞こえず」「嗅げず」「味わえない」
そして、弥生の今現在何も「ない」状況で。
「感じる」という表現がおかしいのは分かってはいたが。
ゆっくりと、下へ下へと落ちていくような感覚。
それ以外。
無い。
ひたすら長くにも感じるし、短くすら感じる。
考える事以外殆ど出来ない。
いや。
弥生は。
考えるのを、次第に止め始めていた。
考えるのが。
途中でめんどうになってきている。
何も見えず。何も感じず。何も聞こえない。
五感全てをやられ、時を刻む事も無く。
永遠と。堕ちて行く。
暗いくらい。闇の底へと。
抵抗しても。いくらここで考えていても。
落ちる。
変わらない。
眠るかのように。
弥生は眼を瞑った。
なすがままに身体を任せ。
堕ちて行く感覚に、心を預けて。
そこで。弥生は気づく。
この、感覚は。
弥生は、一度味わっている。
それも近い。少し前に。
「・・・・・・・」
弥生は無言のまま、再び考えるのを止めた。
今更答えが出たとしても。
遅い。
「疲れました・・・・」
いつの間にか聞こえる弥生自身の声。
「どうせ、無理だったんです」
どんなに努力しようと。
親を殺し、兄を見捨て、仲間を見限った弥生は。
「救う」なんて大層な事が出来ないと。
心のどこかで思っていた。
「負」の感情が一気に溢れ出る。
心の器であるコップが。
あまりにも多すぎた液体に耐え切れず。
溢れ出し、零してしまうように。
弥生は口から洩らしていた。
「・・・・・わたしには、むりだったんです」
次第に。弥生の意識は薄れて行き。
思考がゆるやかに溶かされていく。
弥生は抵抗もしない。
むしろ、溶かされてもいいかとすら。
思っていた。
何もかもが。嫌になる。
すると。
『弥生・・・・・!!』
佐伯の。声が聞こえた。
何も聞こえないはずなのに。
何故か、弥生には佐伯の声が聞こえたような気がする。
そして違和感を。弥生は感じた。
急に胸元辺りが温かくなって来ている。
冬時に芽生えた、筑紫のように。
ほんのりと、冷たさに負けそうだけれど。
それでも負けずにどこか、温かい。
「・・・・・・・?」
先程までに、何も感じなかった感覚が戻ってきている事に。
弥生は少し驚きながら。
胸元へと手を伸ばした。
「・・・・・金属?」
胸元から取り出したそれは。
弥生が。
よく知っていた物だ。
いや。
よく知っている。
物。
今にも消え入りそうな光を放つそれは。
兄の吾平と、弥生から貰った首飾り。
どこまでも果てしない暗い空に点々と輝き続ける。
星を模した。首飾り。
忘れられない。弥生の大切な物。
「・・・・・ッ!」
温かさと共に。流れ込んでくる。
弥生の記憶。
『俺は、弥生を。いや、誰一人として。忘れない・・・・!!』
力強かった煤野木の手。
しっかりと瞳を見詰め、確固たる意思を持って。
弥生の為についた。
たった一つの「虚言」
『・・・・・弥生。どうか。頑張って』
力足りなく。細々と言った兄である吾平の言葉。
けれど、それは優しすぎる上に甘いが故に。
何も告げず一人で立ち向かって行った兄の。
たった一つの「愛情」
『・・・・・・私は、絶対に弥生を・・・・』
今にも泣き崩れ、折れそうだった佐伯の言葉。
忘れたくないという感情と。
忘れてしまうという現実に挟まれ。
悲しさに塗りつぶされそうだったのに。
それでも、伝えようとしてくれた。
たった一つの『親友』
弥生は。
弱弱しく輝く星の首飾りを強く握り締め。
暗く寂しく何も無い場所だというのに。
努力をしようが、助かる保障がないというのに。
「生きようと」立ち上がった。
「う、うぁああああああああああああああああああああ!!」
動物の咆哮に近い、叫び声を上げ。
胸が苦しく吐き出しそうな感覚を押さえつけ。
眼を開きながら、両手を突き出し立ち上がる。
と同時に。弥生は眼が眩むような明るさを感じた。
さながらそれは、瞼の裏を直接針を刺してるかにも思える。
けれど、その痛みを無視しながら見た世界は。
元の弥生の知っている、破壊された都市。
抉る様に削るように押し込まれるようにして。
圧倒的なまでに原型の無い、風景。
「う・・・・・」
弥生の足元がふら付く。
未だ、吐き気や頭痛。殆ど感覚すら戻らず。
身体は熱っぽく、脳は完全に処理を行う事が出来ていない。
弥生はとりあえず、近くにある物に身体を持たれ掛けさせつつ。
一息つくと。
「・・・・あがあっ!!」
弥生は、思い切り前へと咳き込んだ。
そして吐き出された息と共に、出てきたのは。
赤紙を切り刻んで、ばら撒いたかのような。
血飛沫。
それも一回だけではない。
大きいのが一回。小さい堰が二、三回ほど連続して行われる。
どこから、そこまでの血が出るのかと思えるほど。
弥生は、血を吐いた。
口元からはどろどろと、紅色の血が爛れる。
「・・・・う」
弥生は反射的に右腕で口元を擦ったが。
止まらない。
もう一度弥生は、擦る。
止まらない。
むしろ。
時間が経つにつれ、余計に血が増えていた。
そして。
弥生の身体は同じように比例して。
感覚が失せていく。
このまま行けば。
再び先程のような状態になるだろうと。
弥生には、分かっていた。
だが。
「もう、あの時みたいに楽になる訳にはいかないんです・・・!
お父さんや、お母さんが倒れた時みたいに。
私は病気だからといって、立ち上がらなかった。
知らないから。辛かったから。なんて理由なんかじゃない。
私は・・・・、私は・・・・。
最後の最後にお兄ちゃんに頼った!!」
そうだ。
弥生の先程感じていた。「一度味わった事のある感覚」は。
弥生が「発症」した時と。状況が近似していた。
ただ、違う事といえば。
「兄」がいない事と。代わりに。
「・・・・私は、佐伯達を、守りたい・・・・!!!」
直後。
違和感と共に。
弥生の身体は前へと大きく崩れ。
視界は、またしても切り替わった。
(ま・・・・た・・・・!!)
弥生は、歯に力を込めながら。
先程と対して変わらない、暗闇の景色を睨み付ける。
そこで更に大きな違和感。
(あ・・・・・・?)
おかしい。
弥生は声として発したはずなのに。
声が一切出ていない。
ぜんまい仕掛けの人形かのように。
弥生の思っている事が。実行しようとしている事が。
出来ていない。いや、「出来ない」
(意識と肉体が。・・・・はなれて。いる?)
再び弥生が、動かそうとしても。
一切として。身体はぴくりともしない。
そして。
弥生は。もう一つ気づいてしまった。
嫌が応でも気づかされた。
いつのまにか弥生の視界に。靄がかかっている。
(見えない・・・・!)
弥生はもがこうとするが。身体は反応しない。
そうしている内に。
靄はさらに濃くなっていき。
徐々に。弥生の瞼が落ちていく。
(みえ・・・・な・・。い・・・)
言葉が途切れ途切れになり。
ただ起き続ける気だるさだけが、弥生に残る。
それでも。
弥生は。瞼を閉じようとはしなかった。
(まだ・・・・たお れるわけ・・・に。・・は)
その決意も空しく。
弥生の意識は、少しずつ暗闇に喰われている。
『弥生・・・・。起きてよ・・・・!!』
突如。
汚れていた脳に。爽やかで明るい声が響いた。
それははっきりと。雲に光が射すかのように。
一文字も漏らさずに。
弥生には聞き取れた。
(さえ・・・き・・・・?なんで、また・・・・きこえる・・・の?)
弥生のそんな心の声を無視しながら。
佐伯の声は続けられる。
『あの首飾り、貸してるだけだから・・・・。
ちゃんと、返さないと駄目だよ・・・・・!!』
弥生は最初気づかなかったが。
佐伯の声は。
どこか、震えている。
途中途中に、何かを啜る様な音を混ぜて。
佐伯の声は続いた。
『お願い・・・返さないと、駄目だから・・・。
起きて・・・・弥生ぃ・・・・。
お願い、お願い・・・・お願い・・・・お願い・・・!!』
ぷつん。と電線が切れるような音と共に。
そこまで言って。
佐伯の声は。もう聞こえなくなってしまう。
けれど。
弥生は。笑っていた。
「私が、いないと駄目ですね・・・・」
そう洩らすと。
顎を地面につけたまま。
弥生はうつ伏せで地面に倒れている景色へと。
いつの間にか、戻っている。
見れば、弥生の視線の先には。
黒色で液状の敵が。
気味の悪い液体を撒き散らして。動かなくなっていた。
「あ・・・・はは・・・・・」
弥生は苦笑いをする。
「・・・・勝った・・・・んですか・・・ね・・・」
いつのまにか終わってしまった戦いに。
戸惑いを感じつつ、弥生はある物を見てしまった。
「・・・・あ・・・・」
弥生から数歩離れた場所に。
星の首飾りが投げるように落ちている。
「・・・・とど・・・・いて・・・・」
弥生が震える右手で、首飾りに手を伸ばす。
だが。
届かない。
表面が少しだけ汚れた首飾りに。
弥生の手は届かない。
「・・・・届かない・・・・んだ」
弥生は。理解した。
もう、あそこには弥生は届かない。
けれど。
「・・・・佐伯」
弥生は、心の底から涙を流す。
ぽろぽろと、地面へと滴っていき。
「・・・・また遊」
弥生の身体は。空気へと溶けた。
少しずつ消えるのではなく、一瞬で「何も無かったように」
弥生の姿は完全に無くなる。
そして、綺麗だった星の首飾りの、丁度半分が。
割れるように。消えていた。