code:21「存知」
未来だった。
未来は洗濯室の出入り口に佇んでおり、こちらを見据えている。
彼女は高校生の女子が着る黒色一色の上着に。
赤と黒の入り混じったスカートを身に着けていて。
そこまで届いているのは、黒と緑の中間とでも言うべき深緑の髪を棚引かせ。
髪の色と同じように空ろに輝く深緑の瞳は何を捉えているのか。
煤野木には分からないが。
ただ一つ。煤野木には分かった事がある。
「・・・・・何が。あった?」
未来をそこまで苦しむ事になった要因が。起こったという事だ。
何度だって見た事のある。いや、煤野木自身が味わってきた。
虚空を見るかのような、絶望に染まった眼。
たった小さな希望すらも破壊され、奪われ、消され。
その度に自身を責め、否定し、謝罪をする。
そうして何度も何度も繰り返す内に、疲れきってしまう。
未来の眼は、その時の眼だ。
深緑の瞳のはずなのに、中心に真っ黒な穴を携えながら。
未来はぽつりと言う。
「弥生さんが、倒れました・・・・・」
「まさか・・・?」
煤野木の返事に、未来は顔をゆっくりと左右に振り。
顔を少しだけ伏せた後に言う。
「身体に異常はなかったので・・・・大丈夫なはずです・・・・」
未来自身も弥生の事は分かっていない為か。
「はずです」という不確定な言葉を使ってきた。
そして、前後で言葉として矛盾しているが。
それすら考えられないほど、未来は情緒不安定になっているのだと。
煤野木は大体把握する。
「弥生さんはその時、風呂場で風呂に浸かってたんです・・・・。
私と佐伯さんも・・・・近くにいたんですが・・・。
弥生さんが。倒れるまで全然・・・・気づけなくて・・・・」
未来は左手の掌を見つめがら。呟く。
その左手は、やけにわなわなと震えていた。
だが。震えているのは左手だけではない。
未来の声すらも、同じように小さく震えている。
「耳を劈く様な悲鳴が聞こえたんですよ・・・・・。
それでやっと気づいて・・・。慌てて佐伯さんと駆け寄ったら・・・」
当時の情景を思い出してか、未来の眼が大きく見開かれ。
「弥生さんが・・・・。目の前で。意識を失ったんですよ・・・・!」
ぽとり。ぽとりと。冷たいアスファルトの上に未来の涙が落ちる。
ただそれは数滴ではなく、何滴も何滴も滴り落ちた。
そして、未来は投げやるように続けていく。
「弥生さんに声を掛けても、体を軽く叩いても返事はしなくて・・・。
弥生さんの体に何かがあったんじゃないかって・・・・!!」
過去の自分を責め。「あの時ああすればよかった」と嘆く。
その未来の姿を見た煤野木は。
気づく。
まるでその姿は。
(俺・・・・)
興味本位から始め、知ってしまった不条理。
そして、失敗してしまった未来をやり直す為に。
こうして一回り前の未来へと戻ってきて。
カミカゼの操縦者達が不幸で終わらず、幸せで終わらそうと。
今尚もがき続ける。煤野木の姿。
煤野木には未来の姿と煤野木自身の姿が、多重って見えた。
だが。そんな煤野木の意識は。次の一言によって断ち切られる。
「私の知ってる未来と違う・・・・・」
頭を抱えながらその場で力抜けるように、へたれ込む未来。
対して煤野木は。
(・・・・・・知っている、未来だと?)
確かに。弥生が原因不明の事で倒れるのはまずないだろう。
当然未来は焦るし、対応しようにも原因が分からないので出来ず。
ただ自分を責める事しか出来ない。という事は分かる。
だが、未来は今なんと言った。
「・・・・悪いが。一つ聞きたい事がある」
煤野木は、精気の感じられない未来へと話しかける。
(・・・・・もしかしたら、立ち直れなくなるかもしれないな)
だが煤野木は止めようとは思わない。
この「地獄」を壊せるような鍵があるとするのなら。
搭乗者すら、親友すら、守りたい女性すら。
例え傷つける事になろうとしても。
そして因果的に、自分を憎むことになろうとしても。
容赦はしない。
煤野木は。覚悟出来ていた。
全ては。「悪夢」を終わらせる為に。
煤野木の問いに、未来は顔を上げる事なく軽く無言で頷いた。
煤野木は続けていく。
「・・・・・未来。お前が今言った。知っている事って何だ?」
直後。
ビクッッッ!と未来の体が大きく弾き跳んだ。
そして、あれほど精気のなかった眼が。
何もかもを混ぜ繰られ、練りこまれ刷り込まれたような色を帯びた。
対して、煤野木は冷静に分析する。
(・・・・そこまで、の事なのか)
「知っている事」が余程重要なのかは煤野木には分からないが。
未来に聞いた直後にこの反応。
(何を・・・・知っている?)
そして、煤野木が次の言葉を紡ごうとすると。
「・・・・やめて下さいよ」
ぽつり。と未来が呟く。
非常に小さかったので。煤野木には聞き取れなかった。
「何を言っ・・・・。ッッ!?」
「・・・・・やめてくださいよ!!」
「煤野木!?」
それは唐突。
未来に、煤野木は後ろへと突き飛ばされた。
突然の出来事だったので、煤野木はバランスを取れずに。
背中から地面に叩きつけられる。
「ぐっ」
もちろん、煤野木は自身の背筋に軽い衝撃が走った。
煤野木が急いで体を上半身起こそうとすると。
未来が煤野木を見下ろす形で、立っている。
更にその後ろではいつの間にか小さくなったβが空中で浮いていた。
未来は吐き出すように叫ぶ。
「貴方が!貴方が・・・・!!」
未来は顔を真っ赤にし、瞼には大粒の涙を蓄え。
口を忙しく動かしていたのだが。
「・・・・・・・」
しかし、未来の次の言葉は出ない。
悲しそうに。歯を食い縛るばかりで、未来は言って来ない。
熱い吐息を吐き出すだけで、口を動かそうとはしなかった。
「何で・・・・何も、言ってこない・・・」
未だ痛む背筋を無視しながら。煤野木は言う。
だが。それでも未来は喋らない。
「辛いのなら・・・・言えばいいだろう・・・・」
「・・・・・・・・」
未来は黙り続ける。
そして、煤野木のどうしようもない気持ちは募っていき。
ついには噴出すように出てしまった。
「頼れよ・・・・!」
歯軋りから声へと変わる。
煤野木の心に溜まり続けた物が。溢れ出た。
「頼れよ畜生・・・・!辛いなら吐き出せばいい!
苦しいなら声に出せばいい!!
何も見えないなら、手を差し出して貰えばいいだろうが!!!」
上半身を起こしながら、煤野木は未来を見続ける。
その間にも、煤野木の頭は冷静に当初の目的を思い出していた。
「・・・・すまん」
一言だけ未来に謝って。
「・・・・・俺じゃなくても、隊長さん達でもいい」
煤野木の勢いは弱まり、先ほどの強さはない。
このまま未来が全てを言ってくれれば。と煤野木は思っていたが。
予想は違う。
いや、煤野木の考える事実は違う。
「・・・・・何度も、何度も言いましたよ」
返って来た言葉は。煤野木には理解できなかった。
(何度も・・・・だと?)
疑問が疑問を生み、答えがあやふやになる。
「いいんですよ・・・・。すいません。取り乱してしまって」
未来は流れていた涙を右腕でごしごしと拭き、歩き出す。
向かう先は洗濯室の出入り口。
先程の騒音が嘘かのように、静かに未来は部屋を出て行った。
呆気ない。
ただのその一文に限る。
そして煤野木は未来が出て行った出入り口を見ながら考えた。
(・・・・何だ、今の泣いてからの立ち戻りの速さは・・・・)
煤野木の疑問は直ぐに答えが出る。
「・・・・まさか、何度も・・・」
事実には分かる物の。あまりの突拍子に。
煤野木の頭は酷く困惑していて。
「どうなってるんだ・・・・この世界は・・・」
そう呟くしか出来なかった。
隣では、顔を相変わらず伏せているβ。
そして伏せている顔から、小さな声が漏れた。
その声は、あまりにも小さすぎた為。煤野木には聞こえない。
「・・・・・未来お姉ちゃん」