code:15「覚悟」
「・・・・・・吾平さんが。行方不明となってしまいました」
眉間に皺を寄せ、目を瞑り口惜しそうな表情をする外蔵。
そしてその表情と同じように。
本来ならば弥生も。悲観的で絶望的な表情をするべきなのだろう。
だが。弥生の表情に曇りや雨がなかった。
いつもと。いやそれ以上に明るい笑みを浮かべながら弥生は答える。
「はい」
その様子に。外蔵は怪訝な顔をした後に。発した。
「・・・・・悲しくは、ないんですか?」
理解できないような外蔵の表情に。弥生は笑みを零しながら。
「悲しいです。泣きたいくらいに悲しいです」
まるで今何となく頭に浮かんだ単語を並べて言ったような。
意味を理解しておらず。ただ文にして喋ったかのようなそれに。
外蔵は追求する。
「・・・・・なぜ、泣かないんですか?」
一呼吸。そう。一呼吸置いて弥生は答えた。
「もう、分かっていた事なので。覚悟ぐらいは出来てました」
妙に鬼気迫るというか。今まで弥生に欠けていた覇気と精気が。
弥生の表情と仕草にありありと溢れ出ている。
「・・・・・あと、外蔵さん」
その調子のまま、今度は弥生が外蔵の方を向いて。
弥生と外蔵の目が直線状で出会う。
(・・・・・・はい。分かっています)
弥生はそんな事を考えながら、声を発した。
「もう・・・・・いいですよ。その口調も。態度も」
ガチン。と前の時の弥生のように固まった外蔵。
だがそれも数秒で解れ、外蔵は自身のポケットへと手を突っ込み。
タバコとライターを取り出し。火をつけた。
それを口元へと突っ込んだ後に。灰色の煙と共に吐く。
「・・・・あぁ、そうか」
丁寧な口調でも優しい口調でもなく。素の喋り方。
外蔵の何者すら受け付けられるような仮面は失せてしまい。
泥にまみれた。それこそ弥生が最初に感じた。
あの感情のままの表情が曝け出されている。
「で、それでどうするんだ?」
外蔵は喋りながら、再び口にタバコを持って行き。
物を燃やした時特有の灰色の煙を吐き出した。
部屋の中で、有害な煙が充満し始める。
外蔵は気だるそうに立ち上がって、部屋の窓を開けた。
途端にカーテンが風に棚引きながらゆらゆらと揺れる。
「いいえ。外蔵さん達がやりたい事をやってくれていいです」
弥生は瞼を閉じながら。口元を柔らかくした。
さながらその姿は。死期を迎える人が浮かべる。安寧。
その弥生を見ていた外蔵は。少し眉を釣り上げ。
返答する。
「・・・・・・何故。そこまで協力するんだ?」
外蔵はそう言って、ポケットから携帯灰皿を取り出す。
そしてそこに煙草を押し付けるようにして火を消した。
「新薬を作るのでしょう?」
弥生が目をゆっくりと開きながら答える。
「・・・・・・・・・・」
対して外蔵は答えない。
無言のまま弥生の瞳を見つめるのだが。
「・・・・・・・・ふふふ」
弥生は春のような生暖かい雰囲気を醸し出して。
答えない。
「分かっているのか?」
詰め寄るような。堅い外蔵の声色。
さながらそれは冷たい。真冬の厳しさを与えるかのようだ。
それでも、弥生は相変わらず笑顔のまま。
「はい」
とだけ答えた。
そのたった二言。たった二言なのだが。
弥生は、全ての意味を込めていた。
「・・・・・・・そうか」
外蔵も同じように。大した量ではない返事をする。
だが横から見える表情は、先ほどとは違っていた。
外蔵は椅子から立ち上がり。出入り口から出て行く。
残ったのは弥生一人。
この光景は前にも見たことがある光景だったが。
弥生は。自身の首にかけてある首飾りを掌へと乗せる。
(・・・・・お兄ちゃん)
弥生は本当は抜け出したかった。怖かった。泣きたかった。
だが。弥生はそうはしない。
(・・・・泣くのは。お兄ちゃんがいる時だけです)
半分に割れた星の首飾り。
もう片割れはどこにあるかは弥生は知らない。
ここに来る前である最初の頃は、弥生は一部の世界に甘えていたが。
様々な思想、色々な感情が入り組む世界に放り込まれ。
全てを見失ってしまった弥生。
だが。兄の吾平という存在が全てを見出してくれた。
そしてその強烈な出来事は。弥生という人格を色濃くさせる。
『救う』
吾平に打ち解ける前までは別の意味で使っていたこの言葉が。
今の弥生の全てだった。
そして吾平が行方不明になって数日が経ったある日。
真っ白な。それも本当に汚れの一つすら見つからない。
長方形の形をした、妙に綺麗過ぎる部屋に弥生が一人いた。
弥生は仰向けのまま、白い土台に固定するように拘束されている。
着ている服は水色の手術用被服で、上下セット。
そんな弥生の周りには医療器具や、何か液体の入った点滴。
はてはメスや薬品などと本当に色々なものが置いてあった。
静寂が支配していたが、ふと弥生の瞳が見開かれる。
(・・・・・頭が。まわらない・・・・うぁ?あ?)
それは焦点が合っておらず、きょろきょろと意味もなく縦横に移動していた。
一通り動いた後は、ゆっくりと遅くなっていき。
真正面へとピントがあって。
(あ・・・・来る・・・・ぅううううああああああああああああああああ!)
そう弥生の意識が飛ぶと同時に。弥生の体が激しく痙攣し始めた。
体が空中に浮いているとしか思えないぐらいに飛び上がっている。
だが、弥生の手首足首に付けられた拘束具がそれを抑えていた。
上下に呼応するその様子は、まるで心臓のようだ。
「あぁああああああぁあああああぁあああああああああ!!!」
だらしなく開いていた口が、大きく広げられ。
半分咆哮。半分狂気を混ぜながら、部屋の中で叫ぶ弥生。
そして、弥生のいる部屋は良く見れば薄いガラスが何枚かあり。
窓越しで他の部屋から見えていた。
そんな異常な状態の弥生を窓越しで見詰める大人が数人。
いずれも白色の科学服に身を任せている。
だが。その中でも一際目立ちながら佇む外蔵がいる。
弥生の様子を見ていた外蔵は、顔を顰めた後に喋った。
「拒絶反応が激しい。・・・・止めろ」
重々しいが。どこか軽いその言葉に。
「はい」という返事と共に数名の大人が機械を弄り始める。
機械の操作を大人が止めると、弥生の呼応もぴたりと止まった。
「薬物に含まれるこの物質が作用したのだと思われますが・・・」
一人の女性が、外蔵に数枚の紙を手渡す。
それをパラパラと軽く捲った外蔵は、弥生をもう一度見て。
少し、瞼を下ろしながら。
「・・・・ふむ。まぁ。あまり無理をさせるな。
彼女はいずれ金の元となるのだから。壊れてしまっては意味がない」
一言言って、紙の束を女性へと返した。
「・・・ですが。あちら。はもう待てないと言っているのですが」
渡された女性は、少し最後を言いづらそうに言うと。外蔵は軽く笑いながら。
「・・・・・もしも。期日を過ぎたら武力行使・・・か。
だが、こんな危険な物を奪取しに来るほど馬鹿な連中じゃあるまい。
取り扱いを知っているのは、今の所私達だけなのだからな」
外蔵は科学服のポッケからタバコの箱を取り出し。
一本だけ右手でつかみ取った後に、ライターで火をつけた。
そして口元に移動しながら、吸う。
「・・・・・今日はここまでにしておけ」
外蔵は大人達にそう言って。機械に塗れていた部屋を後にした。
それに続いて数人の大人達も付いていく。
残ったのは弥生や、機械のみ。
弥生の開いた口から少し涎がただれる。
「・・・・ぁあ・・・・。あぁあ・・・・」
未だ続く激痛の後遺症。
(・・・・・口が。中々閉まらないです・・・・ね)
前までとは違った露骨な実験。弥生に対する配慮もなくなっている。
だがそれでも、弥生の眼の奥底は。死んでいない。
時間を経てようやく自由を取り戻せてきた弥生は。
少しずつ目を閉じながら。誰にも聞こえない程度に呟いた。
「・・・・・・・お兄ちゃん。私は。人を救うの・・・・」
被服から少し見えた、彼女の胸には半分に欠けた星型の首飾り。
それが弥生の原動力となり、力を与えていく。
例えそれが他人にとっては絶望であっても。
弥生にとっては希望なのだから。
「・・・・・外蔵さん。大丈夫でしょうか」
合間合間にある休みで、外蔵が話に来る。
だがそれは本来弥生が心配されるべきなのだが。
弥生は、逆に外蔵が心配だった。
すると弥生の考えていた事が、何の拍子だか通じて。
手術室の出入り口のような扉から入ってくるような音が響く。
そしてそのままこつこつ。という事務的な音が暫く響いた後に。
外蔵の顔が弥生の視界へと入る。
外蔵の表情は。いつも以上に堅い。
その重々しい顔つきから。何かを喋ろうとしているのも。
弥生は同時に分かった。
「・・・・・どうしましたか?」
弥生が。先に尋ねると。外蔵は弥生の固定器具を外しつつ。
弥生の瞳を見据えた後に答える。
「・・・・・・話がある」
そして話は元の場所へ。