code:14「吾平」
吾平。弥生の兄である吾平。
頼りになる。優しくて逞しい弥生の兄。
その吾平が目の前に居る。
「・・・・・・それでね」
吾平は軽く苦笑いしながら、話をしていた。
三週間。あの感情を剥き出しにしてしまった日から。
三週間が丁度経つこの日。
今日もいつも通りに吾平はやってきていて。他愛のない話を続ける。
たった一時間程度しか面会は許されないのだが。
それでも弥生にとってはこの一時間が何よりも楽しみだった。
ふと急に吾平が話を止める。
それに対して、呼吸補助器がいらないくらいにまで回復した弥生が。
ベッドで上半身だけ起こしたまま、聞いた。
「・・・・・・どうしたの?」
すると、吾平が答える。
「・・・・ええっと、プレゼントを持って来たから」
若干何かに照れながら、自身の座る椅子の近くに置いてある。
茶色の紙袋を手にし、吾平へと差し出す。
弥生は中へと手を突っ込み。ガサガサゴソ。と紙袋独特の高い音が響いた後に。
中身を取り出してみれば。深い蒼色の小さな四角い箱が出てきた。
(・・・・・・・プレゼント?)
弥生は疑問に思いつつ、四角い箱を二つに割る隙間から開いてみると。
弥生の視界に入ってきたのは赤い保護に守られた、星型の首飾り。
砂金のように、濃い黄色の首飾りは。本来の星型を二重にしたような物を。
真ん中を中心に二つに分けたような形をしており。
その片方だけがぽつんと残っていて。裏にある小さなリングに赤い紐が結ばれている。
「・・・・・・可愛いのじゃなくて、ごめんね」
申し訳なさそうに。若干萎れながら言う吾平。
その吾平の様子に弥生は。くすり。と笑いながら答える。
「・・・・可愛くなくて、いいよ」
弥生にとって、可愛いか。というのはどうでもよかった。
ただ。
「・・・・・ありがとう」
プレゼントが貰えた。という事だけが弥生にとって意味がある。
その答えに。吾平は嬉しそうに微笑む。
「付けていい?」
弥生が吾平に尋ねると、吾平はこくりと頷く。
片方を手に取り、弥生自身の頭から被る様に身に着けた。
綺麗に光る首飾りは、透き通るような肌に吸い付いている。
「うん。似合う」
本当に。心の底から嬉しそうな顔をして。吾平は弥生を見つめていた。
だが。嬉しそうな顔をしながら見つめていたのだが。
吾平が突然、苦渋の表情をしながら。
言葉を出す。
「・・・・・・弥生」
吐き出すように。躊躇うかのように。噛み締めるように。
ゆっくりと一言一句を吾平は喋る。
そしてその台詞を。ついに出した。
「・・・・・・病気は、大丈夫?」
直後。
弥生の体は、人形ように、氷のように。固まった。
先ほどまで動いていた体はぴくりともしない。
ただ、顔だけは先ほどとは違い。恐怖感が目に見えて分かる。
至極その理由は簡単。
弥生が、一人で、守ってきた。秘密を。
知られてはいけない。知ってほしくない人物に。
知られている。知られていた。から。
弥生は。動けずにいる。
「・・・・・弥生」
だが。吾平の言葉によって。弥生は現実に戻ったかのように。
体を大きく跳ねさせつつ。元に戻らせた。
そして、恐る恐る。本当に怖がりながら。聞く。
「・・・・・・・・・いつから。私の病気の事を知ってるの?」
弥生は自身の下半身を覆う純白のシーツを力強く握り締めながら。
今か今かと。兄の憎悪を向けられるのではないかと。
耐える準備をしているのだが。
その指先は。震えていた。
呼応するかのように、声すらも震え始める。
「・・・・・・いつから?」
両親殺しである弥生は、確実に吾平に憎まれるだろうと。
そのことばかりが。弥生の頭を占めた。
その質問に、吾平は変わらぬ表情で答える。
「最初から・・・・だよ」
その言葉に。弥生は。驚く。
最初から兄である吾平は。全てを知っていた。
隠す必要など最初から必要などなかったのだ。
「怒って・・・・ないの?恨んだりして・・・・ないの?」
両手でシーツを更に力強く握り締める。
恐怖感を上回る。兄に助けを求めようとする弥生の心。
(・・・・・駄目です。駄目なんです・・・・。現実を見ないと)
必死に。自分の弱さを否定しながら。堪えるが。
けれども、それら以上に。
兄に。助けを求める心が強くなっていく。
それに対して。吾平は普段とは違った雰囲気を纏い。
弥生を抱き寄せながら、耳元で言った。
「・・・・・・怒るわけ。なんか。ない。
例えそれが僕達の両親を死なせた。いや殺した人だとしても。
絶対に弥生の敵になんて。なる訳がない。それに。
弥生は。僕の妹で。守るべき。妹なんだから・・・・!」
久しぶりに見せた。兄の吾平の激情。
暫くの間。弥生は固まっていたのだが。
次第に安堵感と共に体が解されて行く。
「・・・・・うん。うん・・・・・・」
瞳を閉じながら。噛み締めるように。弥生は一言返事をする。
最初から心配する必要なんてなかった。
疑問を抱く必要なんてなかった。恐れを抱く必要なんてなかった。
弥生の兄は。いや、吾平は。優しいのだから。
たった一歩。たった一歩だけ。勇気を振り絞って。
告げる。それだけが必要だったのだ。
「・・・・・おいで。弥生」
その一言で。
弥生の瞳から。ぽろぽろと涙が出てくる。
「う、うぅ。わぁああああああああああああん!!」
そしてそのまま吾平の胸元へと顔を埋め、思い切り泣いた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!」
前回の涙は。少しの安心感だったのだが。
けれども。今の弥生は。頼れる兄に全てを打ち明けれた。
あまりにも小さい肩にあった重荷は。空気に溶けるように消える。
「私。私。ほんとうは。ほんとうはっ!」
呼吸が困難になるぐらいに、弥生は激しく泣き崩れた。
「お兄ちゃんが。お兄ちゃんが。言ったら。許してくれないかと。
思って。そしたら。どうしても。言えなくて!」
吾平の未だ着ているカッターシャツを濡らしながら。
弥生は今まで胸に閉じ込めていた。辛苦を洩らす。
「お父さんと、お母さんもいない。だって。当然だもん。
私が。殺したようなもんだから。だから。誰にも。言えなくて・・・」
途中から勢いが弱くなっていき、縋るように弥生は吾平へと体重をかける。
「だから・・・・だから・・・・」
弥生は、ぐじゃぐじゃになった自身の顔をゆっくりと上げながら。
吾平の顔を見つめる。
それは、悪いことをした時に。許してくれる顔。
それは、悲しくなった時に。手助けしてくれる顔。
それは、居心地が悪くなった時に。取り持ってくれる顔。
それは、拗ねたときに。笑顔で戻してくれる顔。
それは、たった一人の妹を。守る兄の顔だった。
そして吾平は。呟く。
「頑張ったね」
再び。弥生の瞳には大粒の涙が溜まる。
時間いっぱいまで、弥生は吾平の胸元で泣き続けた。
本当に。泣き続けた。
吾平が弥生の頭を髪の毛に沿うように撫でながら。こう呟く。
「・・・・人は誰も悪くない。善悪なんてないんだよ。
たった一つの出来事が。全てを区別する。
もしも道を違えてしまったのなら。その時は救えばいいんだ。
それが。人の素晴らしい所だと思う」
そうやって。また無言で吾平は頭を撫で続けた。
時間の最後に。吾平は出て行きながら呟く。
「・・・・・弥生。どうか。頑張って」
それは本当に聞こえるか聞こえないか。ぐらい小さい物で。
儚い物だった。
そしてその日に。吾平は行方不明となる。