code:11「予兆」
「・・・・仕事。見つけたんだ」
弥生は隣に座る吾平から声を受けた。
吾平は一般の高校生というより。大学生が身に着けそうな。
最近のファッションの影響がある服装だ。
その表情には少しの疲労と、僅かながらに安堵感がある。
「・・・・・・・・」
だが、弥生は大した表情の変化を見せない。
ある一点を見詰めたまま。
「・・・・・そこで働いてみようと思ってるんだ」
吾平が苦笑いしてみせるが。
「・・・・・・・・うん」
気の抜けたような。それでいて本当に小さい返事しか出さない弥生。
その表情を見ながら。その返事を聞きながら。
吾平は膝に置いてある手を強く握り締める。
弥生達の両親が死んでから一ヶ月が経とうとしていた。
あの後吾平は高校を中退し、両親の代わりに働きに出ている。
もちろんそれは毎日の生活費と入院費為なのだが。
現実を受け入れた吾平に対して。
弥生は死んでいた。
目には精気はなく、人形というよりも。
生きているのだけれど。精気を感じないロボットのような。
まだ人形の方が生き生きしていると思えるほど。
弥生は死んでいた。
両親の死を受け入れようとしないという所までは。
まだ普通でいれたのだが。
だが。そこからだ。
現実は。刻一刻と時を刻みながら弥生を蝕んでいく。
もう死んだ。いない。日常が。消えた。
帰ってこない。声を聞く事はない。
そういった事実が嫌というほど頭の中に入ってくる。
現実と幻想との間に挟まれ、情緒不安定になっていくと。
心はゆっくりと。アイスが溶けていくかのように。
死んで行く。
「・・・・・・・・そろそろ時間だから。また来るね」
吾平は、笑顔の中に。哀愁を織り交ぜながら立ち上がる。
「・・・・・・・・」
それでも、弥生の返事はない。
目が吾平を追いかける事もなく。口が動くという事もない。
目の色は褪せて、その瞳は光を取り戻さない。
部屋に。夕焼け色の光がカーテンから差し込み、ただ熱い風が入り込む。
その光と風を受けても尚、弥生はぴくりともしなかった。
吾平は座っていた椅子は元あった場所に直して。
弥生に背を向けて歩き出し、扉を開けた。
「・・・・・・また来るね」
吾平は呟いて。扉を閉める。
一人の人間の気配が消えた後。残るのは弥生のみとなる。
生暖かい風と、冷えた体との差が。
まるで幻覚と現実との違いのようだと。弥生は思った。
夕日の光は少しずつ上へと上がって行き。
生暖かかった風は徐々に冷えていく。
ついには光が消えて。部屋の電気が付けられた。
コンコン。とノックと共に看護婦が入ってきても。
弥生は特に反応はしない。
看護婦から食事を出されても。弥生は殆ど手をつけず。
残った食事はある程度経てば片付けられた。
そうやって一日が過ぎて行き、消灯時間となった頃。
弥生は、数少ない残った思考で考える。
(・・・・・分かってる・・・・)
感情が鈍り、心が死んで。それでも尚。考えるくらいは出来た。
(・・・・・・これが甘えている。っていう事も)
親の死を受け入れず。兄に全てを任せ。自分は何もしない。
(でも・・・・・っ)
つー。と弥生の頬に涙が流れていく。
(・・・・・何で、私達なんですか)
ほろ甘い。菓子のような。いつも通りが。
簡単に崩れてしまう。そんな出来事。
(私達が何か悪い事をしたんですか・・・・)
理由なんて物はないと弥生は知りつつも。
聞かずにはいられない。
(何で。不幸が私達に降り注いでこないといけないんですかぁああ・・・・!)
掠れるような。弥生の心の悲鳴。
ぽろぽろと弥生の涙とともに流れるのは。数々の思い出。
少し体が弱いだけの弥生。
生まれた時から両親に愛され。兄に愛され。
家族というぬくもりの中で生きてきた。
神様に誓った事もあった。両親も兄にもあったはずだ。
だが。神に祈っても。最後には。これだ。
「うぅううぅうぅぅぅぅう・・・・・・」
更に感情が高ぶっていく弥生。
これらの不幸は。まだ小さい少女である弥生には。
まだ。早かった。
そう。早かったのだ。
これだけならまだ。弥生にも救いがあった。
今は受け入れられなくても。時間が弥生を癒しただろう。
だが。更に追撃するかのように。
悪夢が襲い掛かる。
こんこん。と軽いノック音が部屋に響く。
「・・・・・・・・誰。ですか」
弥生は。滴り落ちる涙を擦って拭きながら。言った。
ゆっくりとその悪夢は扉から顔を出した。
弥生の視界に入ったのは。灰色の一直線に整えられた髪の男性。
白服には所々皺が刻まれており、長年使われてるのが伺える。
少し濃ゆめの眉毛に。細い唇。
更に男性からは俗に言う大人の雰囲気が出ていて。
研究服のようなその服さえなければモテるだろう。
その。男性の唇が。ゆっくりと動き。
「初めまして」
男性が。声を発した時。弥生は。見た。
見た。確かに見た。
男性の瞳の奥底から垣間見えたドロドロとした。
液状にも思える粘着したドス黒い感情を。
他者をゴミ程度にしか思わず。また利用価値があれば利用し。
自分だけ上り詰めるような。悪意。
それは弥生の崩れ散った心を再構築させ。
本能的に脅威と認識させる。
「ひっ!・・・・・」
弥生は思わず。軽く悲鳴を上げてしまった。
それを見ていた男性は。苦笑いをしながら。
「これは失礼。こんなに可愛い子だとは思わず。
つい上がってしまったかな。悪気はないんだ」
口調は優しい。態度も柔らかい。
だが。弥生は。内心震えていた。
(・・・・この人・・・・。怖い。怖い・・・・怖い)
男が弥生へと近づいて来る。
それに比例するように弥生の中にある恐怖が倍増していく。
最大限にまで達しそうになった時。男性が。
「さっきまでお兄さんと話していたれど。中々良さそうな人だね」
お兄さん。という単語を発した。
「・・・・お兄ちゃんをどうするつもりですか!?」
敵意をむき出しにしながら。弥生は問い詰める。
ただし、男性は頭に疑問のマークを出しているのだが。
暫く男性は考え。急に納得したように手を叩いて。
また喋った。
「あぁ。そうか。悪いね。初見の人に急に話し掛けられたら。
それは驚くだろうし、怒りもするね」
男の出した結論は。
弥生の想像とは違い、拍子抜けさせる物だった。
男は近くにある椅子を弥生のベッド隣まで持ってきて腰掛ける。
そして続けて喋っていく。
「それなら、自己紹介から行こうか。
私は外蔵。外見の通り研究員をやっている」
外蔵は若干真面目な顔をした。
先程とのギャップが激しい。
そして弥生は何故か外蔵に対する猜疑心も。
いつの間にか薄らいで来ている。
だが。心の中にある決定的な疑問は抜けない。
(・・・・さっき垣間見えたのは・・・?)
弥生は考えてみるも。そもそもが外蔵という人物自体を。
よく知らないので。ここは答える事にした。
「・・・・・・・・・・弥生です」
すると、外蔵は満足気になりながら言う。
「うん。それなら。弥生ちゃんかな?話をしようか」
気を取り直すというより、話の主題を戻すように。
嬉々としながら言った外蔵。
「話・・・・・?」
両親に対しての話は全部あの初老の人物から聞いていた。
まるで弥生には見当が付かず、ただ思った事だけが声として出る。
そんな弥生に対して。外蔵は神妙な顔付きになりながら。
「君の病気についてさ」
言った。