code:10「困惑」
「ゴホッ。ゴホッゴホッ!」
苦しそうに咽る弥生。
弥生が寝ているベッドの隣では、木造の椅子に吾平が座っていた。
そして、頻繁に弥生の額に乗せている濡れた布を取り替えている。
弥生の瞳はとろん。と緩んでおり。どこか熱っぽい。
かなり厚い毛布を被っているのに。それすら寒いようで。
小刻みに体は震えていた。
弥生の隣で心配そうに見詰めながら佇む美代子。
大広は。吾平が布を取り替えている間に。
自身の額と、弥生の額へと手を伸ばし。熱を測った。
そして大広は少し目を細めて、額から手を離しながら言う。
「・・・・・酷い熱です。
明日。街にある病院へと連れて行きましょう。」
重々しい顔付きをして。大広は美代子の腕を掴んで部屋を出て行った。
ぱたん。と軽く扉が閉まる音が響く。
「はぁ・・・・・はぁ・・・・・」
大量の熱量を吐き出そうと。無い力を振り絞りながら呼吸する。
「弥生・・・・」
そんな弥生の様子を見ながら。吾平は悲しそうな顔をした。
最初に弥生の異変に気づいたのは。吾平だ。
ベッドを隔てて寝ている為に。朝起きてきた時に。異変を見る。
弥生が魘されながら。大量の汗をかいていて。
一定感覚に堰をしていたのだ。
大慌てで家族が集まった後。今は吾平だけが看病している。
「・・・・ごめん。僕がついていながら。気づかなくて」
濡れた布を取り替えながら。また吾平は呟く。
「・・・気にしなくていいよ・・・ゴホッゴホ!」
喋るのも辛そうに。だがそれでも喋る弥生。
「・・・・・喋らないで」
ひんやりとした布を弥生の額に乗せ、そのまま髪へと手を置く吾平。
多少撫でた所で、弥生が言った。
「・・・・・私は。昔から体質的に病弱だから・・・ね。
過度な運動じゃなければ運動も良いけど。・・・・ね。
あれ?お兄ちゃん。?あれ。うん。眠いよ」
口調が。というよりも言動が完全におかしくなっている。
呂律さえも少しおかしくなり。支離滅裂だ。
けれど、弥生はそんな状態でも。笑顔を出す。
「・・・・・寝てていいよ」
そう吾平に言われると。弥生はそのまま瞳を下ろした。
ただし咽たりするのは相変わらず止まらず。
症状がよくなったり。体調がよくなったりする事はない。
そんな状態のまま。
突然。
「大広さんッ!大広さんッ!?」
甲高い。それも裏返るくらいの声が隣の部屋から響いてきた。
「・・・・!?」
吾平は驚愕の表情をした後に、すぐ立ち上がる。
そしてそのまま扉を勢い良く開けて。部屋の外へと出た。
「・・・・・お父さん?・・・・?」
ぼんやりとした意識の中。弥生は吾平が出て行った方角を見る。
「・・・・・あ・・・う・・?うえ・・・?ああ・・・・?」
すると、急に。感覚がおかしくなった。
思考という思考全てが奪われ、体が体ではないかのように。
重い。
鉛の塊を直接くくりつけられているかのように。
弥生は重量を感じていた。
(・・・・・あれ・・・・どうしたの・・・動かない・・・)
そうかろうじて思えても、実際に声に出るのは。
「・・・・・あ・・・・ど・・・・う・・・・」
言葉が言葉として成り立たず。
言語が言語として成り立たず。
言動が言動として成り立たず。
目に見える視界はぐにゃりと歪み。感覚は薄れ。
寝ているのか座っているのか立っているのかすら分からなくなる。
深い深い意識の中に潜るかのような。
水の中にいて、深海へと、ゆっくりゆっくり。
光の見える海は遠のいていき。暗さへと誘われている。
「・・・・・・・!!・・・・・・。・・・・・!」
何かが。何かと。何かに話しかけている。
そんな感じがしたが。その違和感も泡のように消えていた。
(・・・・・苦しい。・・・・・見えない・・・・感じない・・・・)
水中にいる時特有の。息苦しさを感じはするものの。
抵抗は出来ない。
泥沼のように。嵌ったら抜け出せないかのように。
そうやって。完全に。弥生の意識は刈り取られた。
次に弥生が目を覚ましたのは。
純白のベッドの上で。パジャマ姿にされた状態で寝ていた。
「・・・・え?」
弥生の疑問の声。
先程まで弥生が居たのは。自身の家だった。
だが。今現在寝ているその場所は。
長方形の部屋で。短い方の壁には窓が開いており。
開いている窓の前には白色のカーテンが、風に身を任せていた。
弥生の寝ているその場所は。いわゆる。病院の個室部屋。
しかし、そこまでは弥生にも分かった。
「・・・・何で、ここに・・・・?」
弥生は疑問に思いながら、上半身だけを起き上がらせる。
と、同時に体にある確実な違和感を感じた。
普段だと軽快に。とまではいかないものの。
普通に使えた体が。まるで他人の物かのように重い。
「・・・・何・・・これ・・・・」
ぷるぷるぷる。と小刻みに震える両手を見詰めながら。弥生は言う。
すると、唐突に誰かから声を掛けられた。
「・・・・大広夫妻の娘さんだね?」
見れば、医者特有の白服を着た。初老の人物が。
目に付けている四角い眼鏡のレンズ越しに、こちらを見詰めていた。
「は、はい・・・・」
初対面の人物に、若干物怖じしつつ。答える弥生。
「・・・・・どうか落ち着いて聞いて欲しい」
初老の人物は、近くにあるパイプの椅子を使って座る。
そしてそのまま。悲壮的な顔をしながら。
言った。
「・・・・・君のご両親は。昨夜亡くなった」
言った。
言った。
信じられない。
言った。
「・・・・え?あの・・・何を。言ってるんですか?」
最初に出るのは。あまりにも疎い夢のような感覚。
「・・・・・・午前零時十四分。原因不明の発作と。
それによる吐血により。・・・・・・・・・・・・・・」
初老の医者が言う言葉が。弥生の耳には途中から入らなかった。
(し、死んだ?え?え?。私。でも。昨日まで。生きてたのに?
死んだ?あんなに。喋ったり。してたのに?なんで?え?
でも。死んだなんて。うそだ。・・・・そうだ。そう。
うそだ。この人は。嘘をついてるんだ。
きっと、私を驚かす為に。嘘をついてるんだ)
あまりにも現実離れした言葉を。弥生は受け入れられない。
耳を塞ぎ。目を逸らし。理解しようとしない。
「嘘、言わないで下さい・・・・・」
弥生は俯きながら、白色のシーツを力強く握り締めた。
「・・・・お父さんが。お母さんが。何で死ぬんですか・・・・」
歯軋りするように、現実を認めたくないかのように。
シーツには。何か冷たい液体が数滴。落ちていく。
初老の医者は、途中まで弥生の肩に手を伸ばしかけたが。
急に止め。
その手をゆっくりと引いた。
そのまま初老の医者は立ち上がり、パイプ椅子を片付けた後。
弥生のいる部屋を出て行った。
残るのは。弥生だけ。
弥生。一人。だけ。