code:8「希望」
男達から解放されたのは、おそらく丸一日経ってからだった。
おそらく。という理由は。
時計がないのと、ここにいれば時間の感覚がおかしくなっているのが分かるからだ。
そして解放される前に、生活する上で最低限の事をした後。
最初の佐伯がいた部屋に戻ってきた。
佐伯は体育座りをしながら、背を壁に凭れさせ天井を見ている。
特に変化のない天井を見つめながら佐伯は。
(・・・・ここは、静かでいいな)
ふと、軽く笑いながら佐伯は自分の身体を見た。
全体的に痣や怪我。男達の吐き気のする匂い。べたつく身体。
ここにやってくる前の佐伯の身体とは、大分違っていた。
(・・・・あれだけ洗っても落ちないんだ)
どんなに擦っても、綺麗な身体になっても。
何故か、この汚れは取れなかった。
そして、佐伯はつい意味の分からない事を考えてしまう。
(・・・・・いつまで私は、これに耐え切れるのかな)
一瞬考えてはいけない事を考えてしまい、佐伯は頭を大きく振る。
(・・・・・駄目だよ、こんなんじゃ持たない!)
大きく自分自身という人格が、今にも崩れそうなのが分かる。
佐伯は、今にも崩れ落ちそうな自分を必死に支え。
震える足腰や、零れそうな涙を堪える。
ふと脳裏に思い出すのは、いつもの日常。
変わるのは唐突で、あれが幸せだったんだなと。改めて佐伯は噛み締める。
(・・・・・でも、私がいてもいなくても。あの日常は変わりがないんだろうな)
佐伯は虚ろな眼をしながら天井をまた見つめた。
相変わらず天井は黒く、若干汚れている。
「あー・・・・」
とりあえず何か言葉を出して紛らわしたい。
佐伯は、そんな気分だった。
「・・・・う、うっうっ。うぅううう」
なのに、出てくる言葉は次第に嗚咽となり、涙が出て来る。
佐伯は顔を両腕の間にうつ伏せ、静かに泣いた。
しかし間の悪い事に、鉄の扉がノックされる。
「・・・・ご飯の時間だよ」
入ってきたのは男。
(・・・・また、連れてかれるんだ)
無言のまま佐伯は男を無視すると、男は佐伯に近づく。
すると、男はうつ伏せになっている佐伯の様子に気づいた後。
男は佐伯に更に近づき、足を折って小さな声で。
「・・・・大丈夫?」
と佐伯に囁いた。
佐伯が顔を上げると、そこには高校生ぐらいの青年。
「・・・・・誰?昨日はいなかったよね」
佐伯は充血した目で青年を見つめるが、やはり身に覚えがない。
「あぁ・・・、僕はあくまで女の子達の世話役だから」
ぽりぽりと頬を掻く青年は、どこか明るいはずなのに暗い印象を受けた。
「・・・・ご飯」
佐伯はずっとここに閉じ込められていたので気にしなかったが。
(・・・・大分お腹がすいてきているよ)
ぐぅ。と鳴らすお腹に対して、青年は軽く微笑んだ後に。
「・・・・大丈夫。ただご飯食べるだけだから」
佐伯を見つめた後、そこから立ち上がる。
「・・・・そろそろ、いこうか」
「・・・・・」
そう言って外へ歩く青年に、佐伯は無言で立ち上がり付いて行った。
それが、佐伯とこの青年との初めての出会い。
青年と次に会ったのは同じく食事や風呂。つまりは生活役。
時間になると決まってやって来てる。
その度に青年は幾度となく優しくしてくれて、支えてくれた。
青年は優しかったから。
ある日、そんな青年が感傷的になっていたのか、ふと呟いた。
「・・・・僕には妹がいてね。その子が。病気なんだ」
佐伯の隣で、右足を伸ばし左足を立てて背を壁に凭れさせている青年。
青年は涙目になりながら、どこか壁に視線を泳がす。
「病気?」
佐伯は青年の顔を覗きながら、疑問を投げる。
「そう。特別な病気。・・・・遺伝的な物じゃないらしいから。治せるらしいけどね」
佐伯はその話を聞きながら、こう考えていた。
(・・・・治せるけど治さない。いや、治せない・・・)
その疑問は見事的中する。
「・・・・治療費がないから、こういう事をしているんだ。
ごめんね、僕の事軽蔑・・・するしかないよね・・・」
「・・・・・・・」
佐伯はしばらく無言だったが、少しして口を動かす。
「・・・・なんで、悪くない人も不幸にならないといけないんだろう。
その人が悪いことしてなくても、悪いことしている人より不幸にならないといけないの・・・。
神様がそんな事しているなら、酷いよ・・・・」
佐伯の視界が、少しずつ滑らかに歪んでいく。
それを見ていた青年は、微笑みながら。
「・・・君は、僕の妹と似ているね」
静かに、佐伯の頭を撫でた。