9.知略と姑息は別のもの
道を通り抜ければ次のエリアに入る。
途端、魔物との戦闘になり、蛍は慌てて剣を抜いた。
既に魔物との戦闘は慣れたものだ。まして、前のエリアで上げられるだけレベルを上げているのだから、エリア変え初戦だとしても苦戦などしない。
しないんだが。
「初っぱなからエリアのボスが出てくるとかないだろっ」
そう言って蛍は短い悲鳴を上げた。
前のエリアではボス戦もなくクリアしてしまったため、確かに体力的には余力がある。レベル的に、このエリアのボスを相手にして一撃でお陀仏になることはないが、はっきり言って、ギリギリ勝てるというレベルだ。
「ここですぐに叩いてしまえば、簡単ですよ。なのに何故、皆それをしないのでしょうねぇ」
クスクスと楽しそうに笑う魔物は、鼠を弄ぶライオンのようなつもりなのだろう。多少なり手を抜いて遊んでいるというのが分かる。
もっとも、レベル的には互角であろうと踏んでいる蛍に取ってみれば、この余裕を見せた態度は、好機だ。
このままいい気分で、ご退場願おうと、思っていたのだが。
ギンっと重苦しい刃物のこすれ合う音がして、蛍は内心冷や汗をかく。
音が濁っているという事は、剣の耐久度がそろそろ限界に達してきているという事だ。
「くっそっ」
代えの剣など常備してるはずがない。そんなものを用意するくらいなら貯蓄する。と言う、徹底した倹約生活が完全に裏目に出た。
さすがに刃物に対して素手で向かえるほど蛍も肝は据わっていない。
始めの頃は剣を振るのさえ、へっぴり腰だったのだから、むしろこの上達ぶりを持って讃えろと言いたい。
「どうした。もう余裕がないのか?」
ケラケラと、耳障りな声に、蛍は舌打ちした。
余裕がないのは武器であるが、そんなことを言ったところで、意味はない。剣が砕ければ、一気に形勢は不利になるのだ。なんとか、剣が持つ間に決着を付けたいとは思うが、力が互角程度であるのだから、どうしたって戦闘は長引く。
「持つか?」
二回の重い打ち合いで、確実に砕けそうな気がする。
これに関しては、逆に倹約生活のお陰で身についたものだ。
お陰で何度か命辛々逃げてきたという事態に陥ったことがあった。街で買い求めた防具や剣の耐久度は低く、勇者装束がどれほど優れたものであったのかということを思い知らされる。お陰で、何となく、直せる機会があったら直したいなと、重くて邪魔になるだけなのだが、勇者装束を持ち歩いていた。
「くくくくっ。もう打つ手なしかな?」
陰険なその声に、蛍はまったく耳を貸していなかった。
言葉が理解出来ても無意味なのだと言う事が、一番最初の戦闘で分かったことだ。ならば、こんな無意味な言葉など、聞くだけ無駄だ。
なんとか、直接打ち合わないように、薙いでいなしていたが、とうとう、重い一撃を剣で受けてしまう。
「やっぱ無理か」
一回の打ち合いで、一気に剣にヒビが入った。次は、もたない。受けるなどもってのほかだ。
こうなってしまえば後はもう最終手段しかない。
いったん、吹き飛ばされたふりをして、巫女の所まで後退をすると、その耳元で、そっと囁いた。
「武器がダメ。逃げる」
それだけで巫女は了解したと、小さく頷いた。
姿勢を低くしたまま、蛍は一気に間合いを狭め、その足元に一閃。
剣が砕けるのが相手も分かっていたらしく、脛当てでそのまま受けた。
しかし、蛍にしてみれば、それが狙いだ。
砕けた剣を自分が傷付くのを覚悟で、蹴り上げれば、即席の目つぶしだ。
殺傷能力も負荷されているとなれば、相手はいったん引かざるを得ない。
「くっ」
とっさに目を庇い、自身で視界を覆う。
それを見て、今度は一気に蛍は飛び退くと。
「頼む」
短く巫女に向けてそう言った。
こくりと一つ巫女は頷くと、巫女は短い詠唱を唱えた。
それと同時に蛍の視界が歪む。慣れたその感覚に、やっと蛍は溜息を一つ吐いたのだった。
「反則すぎだろっ」
宿を取ると、部屋に入り、蛍はベッドにぐでんと寝そべった。
セオリー通りに進みすぎていて、こう言う反則技で来るとは欠片も考えていなかったのだが、もしも自分だったら、真っ先にやるだろうなと思う。
だいたい、蛍にしてみれば、どうして魔王はわざわざ勇者が成長するまで待っているのかという話である。
そうしなければならない理由はないはずだ。
勇者など召喚された端から倒していってしまえばいい。
「まあ、お約束っちゃ、お約束か」
そんな芽を摘むような、せせこましい魔王は、何となくイヤだとも思う。
「問題は、次のエリアでは、もしかしてまったく稼げないってことか」
あんな所にエリアのボスが鎮座しているのでは、中に入れない。
まで考えて。
「いや、相手が反則技を使ってるのに、こっちが正攻法もおかしいだろ」
蛍は一気に、今までの作戦を放棄した。
あの入り口を通らずとも、あのエリアに入れないことはないはずだ。
さすがに、通り越してその次のエリアまでは行けないかも知れないが、ここであれば十分。
「まあ、裏口から攻略もありか」
何となく、今まで正攻法で来ていたが、別段それを強要されていたわけではない。何となく、セオリー通りにしていただけのこと。
「いや、初っぱなからまったくセオリー通りじゃなかったけどな」
勇者様御一行としては、まったくもってセオリー通りではないのは確かだ。
だいたい着の身着のままで放ろうとするとかどういう了見なのかとも思うのだが、ここに来てからずっとつきまとう妙な違和感。
「試されてるってのは何となく分かるんだけどな」
何を試されているのかはさっぱりである。何より巫女の言動は怪しいし。何かを考えているのだと言う事だけは分かるが、ことごとく、蛍の足を引っ張るだけであったりもする。
「いや、予測を立てて戦略練るなんて俺には無理だしな」
元々が、行き当たりばったりの性格なのだ。緻密な計算の元、何かをするなんて事はまずない。勇者を自分で雇えばいいと言うのだって、その場の思いつきだ。
その、思いつきのせいで、現在、借金苦の状態なのだが。
「まあ、これでも4分の1以上は貯まったし。もう少し頑張るしかないよな」
魔王を倒さなければ還さない。とは言っていたが、還せないという事もあり得る。
楽観は出来ない。還るための必須条件が魔王討伐なのか。それとも、本当にただ魔王を倒せば還れるのか。
考えたところで答えはない。早々に蛍は、思考を放棄すると、食事のために部屋を出た。
食堂は、ちらほらと見かけた顔もいる。しかしその誰とも、蛍は親しく話をしたことはない。宿屋の主人とかとは、まあ、少々話をしないでもないが。
極力会話をしないのは、情を移したくないというのと、なによりも、これ以上の面倒ごとはゴメンだという、究極の面倒くさがりだからである。
もっとも、現状を見れば、まったくもって、面倒くさがっているようには思えないのだが。
それは。
「ちょっとだけ、勇者ってのに興味はあるんだよな」
ギルドで、一、二の腕を持つと言われる、ウェルウェディン。自分が勇者になるのはまっぴらゴメンであるが、英雄譚などを聞くのは楽しそうである。
この不毛な旅の目的は、あくまで、ウェルウェディンに会うためのものでしかなかった。
まあ、それで、このような状態になっているのだから、やはり、本末転倒ではあるのだろう。
「勇者様。これからどうされますか?」
食事を頼み、しばらくすると、巫女がやってきて、向かいに座る。
「まあ、こっちも少しばかり卑怯にやろうかなってな」
そう言うと、蛍は今まで考えていたことを巫女に話して聞かせた。出来るかどうかは、何とも言えないが、相手に出来て自分に出来ないという事はないだろう。
かくて、知略戦は苦手だと言いながら、相手の裏をかく姑息な手に出たのだった。