8.暴かれたものはあっけなく
ノックを一つ、する間もなく、戸が開いた。
「どうぞ」
大歓迎されるのがとても辛い。いや、辛いのはその後に何が待っているかが分かっているからだが。
「これから南に出発されるんですね」
断定であった。疑問の押し挾む余地などないほどに断定であった。
「ここが一番南端の街だろうがっ」
これ以上南に行ったところで何もない。山の中でうろついたりしたところで消耗するだけで益などないに等しい。
山の中に、魔物のボスが隠れているとでも言うのなら別だが。
「そうなんですか」
途端に面白くなさそうな声を出し、巫女は視線を下に向けた。
「南には行かないけど、南に抜ける努力はしてる。で、だ。確認。ここに魔物の気配はないんだよな」
「はい。ほとんど」
巫女はきっぱりとした声でそう言う。
けれど、まったくいないとは巫女は言わなかった。
「ほとんど?」
「どうしても魔物はそこかしこにいるものですので、街中であっても、全くなくなるという事はありません。魔物になる前の魔器も気配はありますので」
要は、外でかっ歩しているような気配はないけれど、常に気配はあったという事らしい。
「分かった。次。ここに人の気配はあるのか?」
そう問いかけた瞬間、巫女はにんまりと笑った。
「いいえ」
南に向かえとあれだけ言って、この仕打ちである。
本当に、魔王を倒して欲しいのが実に疑問だと、再度、蛍は思う。
「なら、ここが敵の本拠地だろうが」
言うまでもなく、問うまでもなく、人がいない無人の街というのであれば、ここは紛れもなく敵の本拠地だ。
「けれど、魔物の気配はしませんが」
「薄められない訳じゃないんだろ。多分」
ボスクラスともなれば、並の気配でないことは、蛍もよく知っている。けれど、それを隠す術がないとも思えない。
「こんな無人の街もどきを作ってなにやってんだ?」
首をひねって、蛍は考える。
人の目を誤魔化すため。人を無用に安心させるため。
そこまで考えれば後は簡単だ。
「ここを拠点に、人間を一掃する腹づもりか」
街が丸ごと消えれば不審がられる。けれど、そこに人がいれば、不審がられることもない。
じわじわと人が居なくなっていけば、ある程度間引いたところで、一気に反転することが出来るだろう。
「えげつない」
既に街一つ丸ごと消えているのかもしれないという事も、蛍にとっては、ぞっとしない考えだった。
「まったく、街一つ作ってみせるとは暇な魔物もいたものですね」
溜息とともに吐き出された巫女の言葉に、蛍の動きが止まる。
「え?」
「ここに街などありませんでしたから」
更に続いた巫女の言葉に、蛍はそのまま膝から崩れ落ちた。
「なんだこの茶番劇」
辛すぎて涙が出てくると、ひっそりと蛍は思う。
もっとも、そのことを最初に聞いたところで、この結末には導けはしなかったのは、分かってはいる。
今ここで聞いたから、直結出来ただけだ。そう分かっていても、簡単に納得出来るものではない。
「あああ。ストレスだけがたまる」
捌け口などないわけだから、鬱積していくだけだ。
このいかんともしがたい怒りは一体どこに向ければいいのかと、蛍は考える。
唯一八つ当たり出来る対象は魔物しかいない。そうなれば。
「見付けてタコ殴りにしてやる」
ふっふっふっと壊れたように蛍は一人笑い続けていた。
「とは言ったものの」
ここが魔物の作り出した虚構の街だと言うことは分かった。
けれども、どうすれば、この虚構を崩せるのかはさっぱりだ。
「そう言えば、この世界って、魔法はあるのか?」
「魔法。ですか?」
蛍の問いに、珍しく巫女は言い淀む。
魔法という概念がないのだろうかと考えていると。
「魔力は魔器に宿ります。金属を使えば、魔法を行使することは可能とは思いますが、魔器は、魔力を溜めすぎれば、簡単に魔物に転じるため、好んで魔法を使うものはおりません。
ゆえに、魔法は使えたとしても、使わないというのが、普通でしょうか」
すらすらと、巫女はそう説明をした。
あると言えばあるが使えない魔法はないと同義かも知れないという事で、どうやら巫女は言い淀んだらしい。
「そうなんだ」
別に自分が魔法を行使したいわけでもないため、そうそう食いつくつもりもなかったのだが、巫女は更に言葉を続ける。
「ちなみに、勇者様は、魔法の一切は使えません。魔器を金属に戻すことが出来るためですが」
浄化をしていると考えれば、妥当な結論である。
「まあ、あったって使うのは身体強化系とかの補助魔法だろうしな」
戦闘中に魔法まで織り交ぜて作戦を組むなど無理だ。魔法に詠唱時間などあるのだとすれば更に。
息が上がったり、発音悪くて不発などという事になったら、攻撃を考えていた分だけ、ロスが出て、隙になる。
基本肉体派だと思っている蛍は、むしろ使えないと分かってほっとした。
これで魔法が使えるなどという事になったら、巫女からそれを聞き出すのに、また苦労をしそうだからだ。
「そう言えば、巫女さんの使ってる地図とかは魔法じゃないのか?」
「私が使っているものは、神力ですので」
本当に神のご威光があったのだということを今はじめて知った蛍であった。
ふっと、その神力とやらは使えそうな気がしたが、さしあたって必要とも思えず、そのまま放置することにしたのだが、後に蛍はそれをひどく悔やむことになる。
もっとも、現時点では、まったくもって必要ではなかったのだから、いいと言えばいいのだろうか。
「なあ。巫女さん。魔物の気配の発生源とかって分かんないのか?」
それが分かるのであれば、そこに向かえばいいのではないかと思ったのだが、さすがにここまで情報が入ってこなかったとまで言ったほどである。
「残念ながら、ここまで薄くなってしまうと、私には流れを追うことは出来ません」
「じゃあ、怪しいところを片っ端からやってくか」
既に作戦などではない。というか、考えるということをまるっと放棄した。
面倒くさいから、人間の街じゃないし、全部壊して更地にしたところで誰も困らないし良いよなと言う、正しく、面倒くさがりの論理である。
だが、ここに、それを止めてもう少し考えた方がいいのではなどと諫める者は居なかった。
「おおざっぱにも程があるだろう」
街のあらかたを壊したところで、このエリアのボスが現われた。
神経質そうなその雰囲気に、蛍は、苦手なタイプだとそう思う。
いや、まともに相手をすると疲れるので、斜に構えると楽しいタイプだろうなと言うのが正しい感想ではあるのだが。
「とりあえず、魔物は出てきたし、良いんじゃないかって思うんだ。俺は」
投げやりに蛍が言うと。
「はい。世の中結果が全てかと」
終わりよければ全て良し。正しく巫女の座右の銘であろう。
そんな二人の態度に、何事かを言いたそうにするが。
「まあいい。ばれてしまっては、計画は終りだ。ここは好きにするといい。思いつきの戯れだしな」
そう言って魔物は笑うと、一瞬にしてその姿を消した。
それと同時に、街にいた人々もなにもかもが消えていくと、山に向かっての一本の道が現われた。
「あっけなかった」
戦闘の一つもなく、暴いただけで終わる。
「楽で良かったけど、この手合いって、絶対、最後にまた出てくるよな」
更に面倒くささをパワーアップして、再戦するのが目に見えて、一人蛍は重い息を吐いた。その隣では、実に嬉しそうに旅支度をしている巫女がいるのだった。