5.魔物と魔王と人との違い
蛍が、ボス戦を忌避している理由は実に簡単なものだった。
自分でも、今更。いや、今頃とも思わなくもなかったが、回避出来ない状況にまで追い込まれてやっと、蛍はそのことを考えたのだ。
「そうなんだよな」
魔王の手下。蛍の言うところの最初のボスの話は、南に近付けば近付くほどに、明確な形となって、蛍の耳に入ってきた。
武を持って制圧するその姿は、とても人に酷似していた。
「いや、魔物なんだけどな」
重い息を吐いて、蛍は巫女と二人草原を歩く。
目指すは、その魔物が住むという渓谷。
そこを通らなければ、次のステージに進めないという、実にゲーム臭い作りにもなっている。
蛍にとってみれば慣れ親しんだお馴染みの展開ではあるのだが、さすがに、虚構と現実では重みが違う。
これまで小銭稼ぎにいくつもの魔物を倒してきた。
けれども、魔物の本質は力である。倒せば霧散し、金品のみを残して消えていくのが常だった。
何故金が落ちるのかを聞いたところ、元々、この世界にある金属は、魔器なのだそうだ。
その中でも、人の欲望のまとわりつきやすい金という金属は、魔物を作るのに適しているとのこと。
そのため、強い魔物になればそれだけの魔器を蓄えているという事になり、必然、魔王クラスを倒せばじゃらじゃらと儲かるという仕組みになるわけだ。
それならば、もっとシンプルに、ただ、力だけに特化していけばいいものをと、蛍は思う。
けれども、自分の世界の事を思い起こせば、何となく現状も納得出来てしまうのだ。
曰く。
時を経た器物は、神に転じる。
いわゆる九十九神だ。
九十九神を知っている蛍に取っては、魔物が時を経て力を得て、人に似てくるという事実は、何となく理解出来る。
それだけに、剣先も気持ちも鈍りまくりであった。
「魔物は魔物です。言葉を交わせようとも」
こちらはこちらで実にシンプルな物の考え方をする巫女。
それはそれでしかなくそれ以上でも以下でもないという。
確かにそう言う考え方も有りだろう。いや、実際そうなのだろうとは思うが。
「四つ足の魔物を倒すのは、最初は怖かったけど、罪悪感みたいなのは、数をこなせば消えてった。なんたってあいつらは、メシの種みたいなもんだし。言い換えれば、ご飯を食べるために殺してるようなもんだしな」
生き物を殺すのは、人として避けられないことである。喰うために殺す。実にシンプルな図式だ。蛍にとって魔物退治は、何となくこの図式に当てはまっていた。
だから、倒して金を得ると言う事にだんだんと抵抗はなくなっていったのだ。
「もしもさ。俺たちが食ってる肉の元になってる家畜がだ。雄弁に語ってきて、それを俺たちは理解出来てしまったとしたら、はたして殺すことにためらいはないだろうかって言う話なんだよな」
「それでも殺さなければ生きていけないのなら、避難をされても私は、殺しますが」
さらりと凄いことを巫女は言ってのける。
「いや、ここの巫女さん殺生OKだったのか? 今まで一度たりとも倒したとこ見たことなかったけど」
巫女はあくまで同行者であって、戦闘要員ではない。自分の身くらいは守れるので気にするなと言われて、本当かなと様子を見ていたが、魔物は巫女をまるで見えていないかのように避けていた。
その後、何がどうしてそうなっているのかと問い質したところ。
いつものあの満面の笑みでもって、「神のご加護です」と、宣った。
実際、傷つけられないのだから、神のご加護を疑うことも出来ず、今日までズルズルと来てしまったが、もしかして、巫女は魔物を倒せたのではないかと、ふっと思う。
そんな蛍の言葉に、巫女はあっさりと、かつ絶望的な言葉を投げかけてくれた。
「魔物を斬り倒し、元の金属に戻すことが出来るのは、勇者だけです」
「それって」
「魔物を斬ることは誰にでも出来ます。けれど、斬って二度と再生をさせないように金属に戻すことが出来るのは、勇者だけです」
斬って、金を得ることが出来るのは、蛍しかいないと言うことは、ある意味ボロ儲けではある。
そうなると、魔王を倒したところでこの世界大丈夫なのかという話になるのだが。
「その点はご安心ください。魔物には親がおります。その親となる物を倒せば、全ての金属は、地に還るのです」
「凄まじく損した気がする」
現在借金苦のようなものを味わっている蛍にしてみれば、実にジレンマであった。
そんなバカな話をしながら、ずいぶんとゆっくりと、件の渓谷までやってきた。カラカラに乾いているはずのそこは、何故かひんやりとする。
何となく、これが魔の気配なのだろうなと、蛍はぼんやりと考えていた。
いや、何となく、目の前にある現実を直視したくなかったのもあるのだけれど。
「ずいぶんと遊んでいたようだな。勇者」
それは実に人間くさく、蛍に話しかける。
「遊んでたわけじゃないんだけどな」
出来れば、近場でなんとか小銭を稼ぎ続けて、時間がかかっても、ウェルウェディンを雇えるだけの金を稼ぎたかったのだが、現実はあまりにも無情すぎた。
「まさか、収支が拮抗するなんて、予定外だった」
何故か、稼いでも稼いでも、手持ちがほとんど増えない。最初は巫女が使い込みをしていたりどこかに隠しているのではと、疑ったこともあったのだが、まったくもってそんな事実はなく、ただ単に、魔物を倒して、回復薬を買って、宿屋に泊まって、食事をすると、何となくなけなし上積みが出来るかな程度にしか儲からないという、まさに自転車操業状態だった。
「何をぶつくさ言っている。勇者であるなら、我らを倒す者であろう」
正論だ。
あまりに正論だ。
けれども、今ここに来ても蛍は迷っていた。
「なあ、言葉が通じて、意思の疎通が図れんなら、話し合いでなんとかなんないわけ?」
ずっと疑問に思っていたことを、蛍はとうとう口にする。
それが意味のないことと分かってはいるけれど、それでも、人の形をして言葉が通じる何かを斬るのは、蛍はイヤだと思ってしまう。
けれど、そんな蛍の言葉を聞いても、巫女は顔色一つ変えなかった。
ただ、脇に控え、その姿を見ている。
「面白いことを言う。言葉が通じる。言っている意味も理解する。けれど、それを持って意思の疎通が図れると思うとは、実に勇者とはめでたいものだな」
クツクツと魔物は笑った。
「ああ、そうか」
やっと、蛍は納得する。
魔物と人間は、相容れない。それは、赤を赤と認識しても、その赤が同じ意味ではないからだ。
同じ言語を使い、同じように言葉を繰り、話していることが分かったとしても、その根底は同じではないから。
だから。
「魔物なんだな」
力でしかないもの。これは、魔王に類するもの。魔王を倒せば地に帰すもの。
「でも、やっぱり、罪悪感は消えないよな」
ぼそりと呟く蛍に、魔物はまた笑う。
「力の差か?」
魔物に言わせれば遊びすぎた蛍は、無駄にレベルが上がっている状態だ。はっきりと言って、簡単に倒せるのが分かってしまっていた。
だからこそ余計に罪悪感が募る。
「それもあるけどな。 巫女さんも言ってたし。俺も根性入れるとするか」
食べなければ死ぬなら、どんなに非難を受けようと殺す。蛍にとって魔物と魔王はそう言うものなのだ。倒さなければ、元の世界に帰れない。だから倒す。
ためらいも単純なことなら、行動原理も単純だ。
「さあこい。勇者」
かかと笑って魔物がこちらに向かってくる。
それを一薙ぎ。
たったそれだけで終わってしまった。
そして、ちゃりちゃりと金属が零れて落ちていく。
「やっぱり魔物なんだな」
罪悪感を感じつつも、それでも、それは生きているように見えて生きていないのだと分かると、ほんの少しほっとした。
もっとも、何をして生きているというのかというのもまた、問題ではあるが。とりあえず、蛍にとって金属は生きていない。
だから、魔物も生きていない。
「て、ことにしておこう」
自分の心の安寧のために。
「これでほんの少しだけど、ウェルウェディンを雇うのに近づいたなっ」
さっぱりとした顔をして、蛍は巫女の方を向くとそう言った。
「こんな所までもゲームと一緒かーっっ」
空に向かって雄叫びを上げる蛍。
エリアが変われば、質も良くなり、物価も上がる。
かくて、借金苦からは、どうやらまだまだ逃れられないらしい。