17.新たな世界に踏み出した
蛍のレベルが高いため、魔物など出てくるはずもなく、旅は順調に進み、やっと、あの無人の宿屋まで辿り着いた。
「ウェルウェディン。大好きだ」
蛍はそう言ってウェルウェディンに抱きつく。涙を流さんばかりに喜んでいるのは、ウェルウェディンが、結構、料理の腕が良かったが為だ。
まあ、卵料理。しかも焼くだけに限られる蛍のレパートリーに比べれば、煮る、蒸すが追加されるウェルウェディンの料理は、たいした物になるのだろう。
ウェルウェディンにしてみれば、ティムは料理など作れない齧歯類だし、自分の食べる分は自分で作るというのがすっかりと身についただけと言う事なのだが。
「とりあえず、ひっつかれていると料理が出来ん」
そう言って、蛍を引きはがす。
すると蛍は、宿の中に用意されているテーブルに行儀良く座った。
「手伝えることあったら声かけてくれ。 あ。野菜切るとか多分無理」
と、自ら戦力外を公言してはばからない蛍に、ウェルウェディンは小さく溜息を吐く。それでは出来ることと言えば、盛りつけや皿を並べる程度。
後片付けがあったかと、思いだし、最後は蛍に全て任せようと言う事で、ウェルウェディンは、一応自分を納得させることにした。
そんな蛍の横では。
「料理も作れないとかダメ勇者だな」
などと、ティムが小馬鹿にしている。
「火も使えない齧歯類に何言われても痛くも痒くもない」
蛍は、大人げなくそっぽを向く。
時折蛍とティムの精神レベルは同じになるらしく、なかなかにいい勝負をするのだ。
それを、料理をしながら、ウェルウェディンは苦笑を浮かべ聞いている。
平和すぎるその雰囲気の中、巫女だけが静かにその様子を見つめていた。
一度来たところとは言え、迷宮である。蛍が道など覚えているはずもなく、入ったは良いがどうしようかと思っていると。
「巫女さん。マップは展開出来るか?」
ウェルウェディンの問いかけに、巫女は頷くと、水晶玉のようなものを取りだし、いつもの詠唱をする。
すると、建物内の立体図が地図となって現われた。
「なっ。こんな事できたのかっ」
これがあれば色々と今までの道中楽だったはずだ。
「聞かれなかったものですから」
しれっとして相変わらずのセリフを言う巫女に、蛍は、怒るだけ無駄だと、拳を握り堪えた。
「縮尺は変えられる?」
「はい」
「じゃあ、フロア全体を」
ウェルウェディンの指示で、マップは形を変える。
「あ。後、俺たちの現在地の表示も頼む」
細かい指定全てに応えていく巫女の姿を見て、蛍は、ずいぶんと自分が損をしていたのだなと、今更ながらに実感した。
「まあ、人生そんなもんさっ」
したり顔でいうティムに。
「齧歯類に慰められたっ」
と、大仰に蛍が嘆いてみせる。
「人がたまに親切にしてやればっ」
「二人とも、遊んでないで先急ぐぞ」
ウェルウェディンが二人に声を掛けると、蛍とティムは一瞬だけ視線を交わし、ウェルウェディンを追いかけた。
どこから遊びであったのかは分からないが、とりあえず、このやりとりは遊びだったらしい。
巫女の地図があるため、迷宮攻略は、一回目の苦労がなんだったのかと問いかけたくなるほどに簡単だった。もっとも、一度攻略しているからこそではあるのだが。
「一日でここまでこれるとか」
長く複雑なものであったから、それなりの時間はかかったものの、数日掛けて攻略した蛍に比べれば、雲泥の差だ。さらに、蛍の場合は最上階付近で、金稼ぎをしていので、その分も無駄に時間はかかっている。
「これが最後の扉か」
これで、最後になる。
これが終われば、この世界ともおさらばで、自分の世界に戻れるのだ。
「よし、いくぞ」
かけ声とともに、蛍が扉を開け放った。
中は、妙にがらんとした広い場所になっていた。どことなくそれは神殿を思わせ、魔王のいる場所とは思えない雰囲気。
いや、何より、魔物の気配がしない。
いったい何が起こっているのかと、蛍は混乱しつつ、辺りを見回していると、巫女が静かに腰を折った。
「勇者をお連れいたしました。我が主」
まさかここに来て巫女が敵だったとかそう言う落ちなのかと、蛍が焦っていると、広場の奥。柱が立ち、間にカーテンのようなものがかかっている場所から、声がした。
「ご苦労であった。巫女よ」
厳かな言葉が響き、蛍はじっと目をこらした。その先にあったものは。
「なんだあの毛玉」
そうとしか言えないものが浮いていた。
真っ黒い、十五センチほどのそれは、ふわりと浮いている。つられているのだろうかとも思ったが、そんなことはない。
「毛玉ってなんですか、毛玉って。この世界を統べる神に対して毛玉って」
唐突に巫女に食ってかかられ、蛍は思わず焦る。今までこんな感情的な巫女は見たことがない。たたみかけられるように起こる色々に、蛍の処理能力はまったくもって追いついていなかった。
「そう怒るな。私の姿が見え、私の声が聞こえるという事は、勇者の最後の試練が終わったと言うことだ」
その声はいささか嬉しそうだ。
「ウェルウェディン。ご苦労だった。して、契約はいかようになっている?」
神と言われた黒い毛玉は、ウェルウェディンに問いかけた。
「魔王を倒すまで付き合って欲しいと言われた。蛍も一緒に戦うそうだ」
「限定はなしか」
「なしだな」
巫女もウェルウェディンも、こうなると言うことが分かっていたような話しぶりだ。
いや、正しく言うなら、分かっていないのは蛍だけらしい。
「何がどうなってるんだ?」
その蛍の言葉に、巫女が恭しく頭を下げると、静かに告げる。
「資格があると、そう申し上げたことがあったのを覚えていらっしゃいますか?」
力などだけではなく、重要な何かがあるのだと言うようなことを、確かに巫女は言ったことがあった。その時蛍はなんと言うことなく流したが、それがここに来て、聞いてくる伏線だったとは露とも思わなかった。
「なんかものすごくさらっと言ったのを聞いた記憶はある」
蛍の言葉に、巫女は柔らかな笑みを浮かべる。
「神の姿と声が聞こえること。それが勇者としての最後に問われる資質です」
「神って言っても毛玉だし」
すぐさま蛍が突っ込むと、毛玉こと神が笑った。
「それはお前が神に対しての形を持っていないからだ。だから、とりあえずの形を捕らえているに過ぎない」
神の言葉に、蛍は妙に納得する。蛍は、神という存在を信じていないわけではない。信じているかと問われると、返答に困るのだが。神が存在するということを否定するつもりはないのだ。
だから、外形的な神というものの形は蛍の中にはない。そのため、良く分からない黒い毛玉として認識しているという事になる。
「神の姿が見えなければ、神の力を受け取ることも出来ません。勇者様。いえ、蛍様」
はじめて、巫女が蛍の名を呼んだ。それは、勇者はウェルウェディンと二人いるからと言うこともあるのだろう。けれど、何となく、認められたという感じがして、悪い気はしない。
「まあ、そう言うわけで、現実世界の方での召喚に移行することになる」
さらっと軽く神はそう言った。
「え?」
散々苦労してここまで来て、ウェルウェディンを雇ったこの旅の意味はいったい何だったのかと、蛍が呆けていると、神はそのまま言葉を続ける。
「今までの旅は、蛍の世界の言葉で言うところのチュートリアル。いや、むしろ取扱説明書か。そんな感じのものだ。勇者というものがどういうものかを理解して貰った」
ついでに、勇者としての資質を図っていたという事になる。
「ちょっと待て、じゃあ、今まで来たかも知れない勇者候補って」
「この世界での死は、元の世界での帰還だ。何より、ここでの時間は、お前達、召喚勇者にとっては、瞬き一つの瞬間に過ぎない」
神から知らされた衝撃の事実に、蛍は驚きを隠せない。
「もしかしてうっかり死んでれば元に戻れたってことかっ」
「そう言うことになるな」
頑張らない方がむしろ帰還の近道だったというなんとも情けない事態に、蛍は、ガックリと項垂れた。何度も資格がどうした資質がなんだと言われ続けていたが、なんのことはない、墓穴を掘っていたに過ぎなかったという事だ。
「俺の今までって」
そんな蛍の心中をまったくもって慮ることなく、神は告げる。
「それでは、魔王を倒してきてくれ」
長々としたゲームの説明書を実行させられ、どうやらここからが本番らしい。
「くそうっ。こうなったら意地だっ。絶対に魔王を倒して戻ってやるっ」
何となく、ここまで来たら、魔王を倒す前に倒れるのも癪である。倒せばただ単に、神の思い通りなだけではあるのだが、簡単に死ぬのも納得がいかないと、蛍は、握り拳を作り、そう叫ぶ。
「その方がよいな。魔王のせいで私の力の及ばぬ場所もある。死すれば元の世界に戻れることは保証するが、死の衝撃を弱められる保証はないからな」
「アフターケアなしかっ」
さらっと恐ろしいことを言われて、蛍が突っ込むと。
「がんばれ。蛍様」
ウキウキと巫女がそう言う。
「俺も手伝うし、大丈夫だ」
ウェルウェディンはそう言って蛍を慰める。
「死んだって本当に死ぬわけじゃないんだから、気楽にやれよ」
ケラケラと笑って言ったのは、ティム。
問答無用でティムを叩き落とし、蛍は、溜息を吐く。
「それじゃあまあ、気はものすごく進まないけど、本番行くか」
神が示す扉に向かい、蛍は、自分と一緒に行くメンバーを見た。最初は誰も信じられなくて、やることなすこと気に入らないことの連続だったが、それでも、一人でなかったという事は、良かったと、今なら思える。一人ではなかったから、ウェルウェディンを雇うことも出来たのだろう。
神の作った箱庭から、神の管理する本当の世界に。
一歩、足を踏み出した。