それは甘い紅色
えっと、残酷な描写ありです。僕が書いてきた中でも結構残酷だし、狂ってる?ので、お気をつけください。
直接的には描写をしていませんが、一応言っておきます。
――15年前。
村木隼は2歳。普通なら何も覚えていない年頃だが、当時から彼には記憶があった。それも鮮明な。
「行くよ、隼」
「……うん」
両親に呼ばれて隼は彼らに駆け寄った。彼の姿に見合った礼服に、合わない帽子を目深にかぶっている。その奥にある瞳は、しっかりと紗の布で隠されていた。
「どうした?元気がないな」
「……今日のお仕事、抜けられないの?」
「ごめんな。僕たちが抜けたら仕事が成り立たないんだ」
隼は予感を感じていた。
「今日のお仕事は、ダメだよ」
「どうして?」
「だって、何かあるもん。お父さんとお母さんに、危険なことが起こる」
「仕事だから。大丈夫、何も起こらないと思うよ。長年エージェントをやってる父さんの勘だ」
彼は最近までずっと寝込んでいて、2人は遊んでもやれなかったのでむくれているのかと思ったらしい、彼の母親――名前を沙織という――が隼の頭を撫でながらあやすように言った。
「何かあったらすぐに言うのよ。ごめんね、お母さんたちの仕事につき合わせて」
「いいよ。……だってお仕事でしょ」
いくら現在が氷の刃のエージェントだからと言っても、子供のころは彼も普通の幼児だった。傾城であること、身体が弱いこと、ずば抜けて頭が良いことを除けば。
「さあて、一仕事するか」
隼を抱きかかえ、彼の父親――名前を一也という――は優しげな顔でそういった。
「隼、ほら、ドーナツ。お母さんには内緒だぞ。沙織はお前が3歳になるまで、砂糖を使ったお菓子を食べさせない方針みたいだから」
「うん」
隼の小さな手に、普通の大きさのドーナツが乗る。幼い子供だ。その穴を覗きたくなる。そっと、彼は穴を目の高さまで持っていった。
「!」
そのとき一瞬見えた光景は何だっただろうか。
「あ、一也さん!ダメじゃない、まだ隼にドーナツは早いです」
「おやまあ、見つかっちゃったな」
彼の手から、ドーナツが取られた。
「ねえ……」
「なに?」
笑顔で聞いてくれる両親に、彼は、何も言えなかった。穴から覗いた向こう側には。
――この会場が血に染まり、倒れ伏す人の中に両親がいた、などと。
「あなた、隼が」
「隼?」
一也は周りに注意を配りながら隼に目を向けた。母親に抱かれた隼はうとうとしている。眠いのだろうか。それも当然だろう。もう夜も遅く、子連れの客はほとんど帰っていた。しかしそれ以上に。
「……熱い」
頬が真っ赤になっている。うとうとしているように思ったが、そうではないかもしれない。
「熱があるのか。困ったな、仕事はまだ終わらないし、ひとりが抜けてというわけにもいかない」
2人が守るよう命令された要人はまだ帰る様子を見せない。逆に悪酔いしたのかひどく感情的になっている。そんなときほど何かあることを経験で知っていた。
「しばらく隼には我慢してもらうしかないな……」
2人の意識が、ほんの一瞬だけ隼に向いた。
その一瞬で何があったろう?
そう、ほんの一瞬だったのだ。
つんざくような轟音と、むせかえるほどの火薬と、煙と、そして、生臭い錆びた鉄のような血の臭い。その奥には、甘美で官能的で、蠱惑的な――死の香りがしていた。
「――隼、沙織、2人とも大丈夫か」
一也は2人が無事であるのを確認し、隼が火薬に反応して咳の発作が起きないよう、彼の口にハンカチを当てた。そして。
「……あなた?」
ふ、と。
まるで一也の魂を風がさらっていったかのように。
「うそ、こんなときに、冗談やめて」
隼の父親、村木一也は亡くなった。その背中には、何十もの銃創が穿たれていた。
「……ぁれ~、まだ生きてる人いますよ、●●」
さっと沙織は隼と共に身を隠す。本当は夫の元にいたかったに違いない。しかし、彼女は自分と、他ならぬ息子の命を優先させた。
「生きるの、生きなきゃいけないの」
彼女はただ、それだけを口にしていた。
それでも。
2人は、見つかった。
「みーつけた。鬼ごっこは終わりですよ、『赤月』」
赤月――それは彼女の暗号名。
「『蒼月』はもう死んでましたね。パートナーを失ってさぞや悲しいことでしょう。あ、そちらがあなたの息子さん?『災厄の子』、生まれてこられるはずのなかった子供。異様なほどの知性と才能。『天才』というより『怪物』じみてますね」
と、追跡者は手袋をした手――華の刺繍がしてある――で隼をやすやすと捕まえ。
「『怪物』はどう殺せばいいんですっけ?まあいいや。とりあえずなぶり殺しにしておけば」
すぐに、焼けるような痛みが隼を襲った。右肩から、左の腰に向かって、一直線に。母親の悲鳴が聞こえる。隼は叫ぶこともできずにただ浅い呼吸を繰り返した。自分がされたことの、理解ができない。
「おや、この程度では叫びもしませんか。やはりあれですかねえ。楽に逝かせてやるべきなんでしょうか。まあ、まだ子供ですしね。仕方ありません。次で終わらせてあげます」
追跡者は大きく振りかぶって、背中を傷付けたナイフで。
「……さすがの傾城も、息子の危機とあっては自分の能力を使う前に身を使いますか。せいぜい命が尽きるまで守ってあげてくださいね」
自らの身をもって隼を守った、沙織の体を、何度も、何度も。
「目隠し、外していいわ、だから、」
「立ち止まらずに、いきなさい」
そう言って彼女は。
隼の目隠しをするりと解いて。
一也と同じところへ行った。
「ねー、子供、生きてる?」
「ええ、生きてます。しぶとく、ね」
逃げなければ。
逃げなければ、生きられない。
母親の骸から這い出す。
灼熱に燃える体を引きずって逃げる。
後ろから追跡者が追ってくる。
立ち止まり、振り向く。
追跡者の瞳をしかと見据える。
恐怖が身体中を駆け巡る。
哀しみが心を痛めつける。
痛む体を固定する。
今までとは一転して、深く深呼吸する。
追跡者の中に、隙を見つけ出す。
そして、命令を"植えつける"。
たった今死んだ、2人から教わったことを、今、実践する。
下手をすれば、自分の命はない。
手を硬く握りしめる。
努めて冷静に、命令を下す。
「『来るな』」
追跡者の足が、ぴたりと止まる。
相手が動揺する。
隙が増える。
「『そのまま動くな。万が一動いたら、』」
身体から力が抜ける。
失血性の貧血。
そのままくずおれる。
「あれ、死んじゃった?」
「……」
自分に余裕がなくなれば、命令を下すこともできない。ただ隼は繰り返し続けた。
(来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな)
それこそ、狂うほどに。
「死んだんでしょう。催眠まがいも解けてる。まあ、もし生きていたとしてもろくに生きられはしませんし」
そうして、追跡者は去っていった。
「それからどれだけたったかな、ちさ姉がおかしいと思って様子を見に行ったら、会場は血の海。死体の山。赤月と蒼月――村木隼の母親と父親もその一部になってた。隼――僕だけが、瀕死の状態でそこから発見されて、生き残ったんだ」
今になって思い出した。あの事件の、あの追跡者の名は。
『ぁれ~、まだ生きてる人いますよ、彼岸』
僕に伸ばされた手の、手袋には、曼珠沙華、彼岸花が刺繍されていた。ヒガンバナ科多年草。全草にリコリンなどのアルカロイドを含み、有毒である花。別名は、『死人花』。
「あの死神には、お似合いの花、か」