それは大きな緑色
「村木くん」
「何?矢部さん」
放課後、目の前の女の子に呼び出しをくらった。誰もいない、たった2人だけの密室。面倒くさい展開だ。
「えっとね、わたし、村木くんのことが、ずっと好きなの……っ。つ、付き合ってくれませんか!」
今どき、こんな女の子も珍しい。20世紀末の遺物か。夕方、人気のない教室に呼び出して、直接相手に告白。まあ、誰にもアドレス教えてないから、僕に告白してくる子はほとんどそんなものだが。
なるべくなら、彼女を傷つけずに断りたい。
森羅やちさ姉たちは、そんな僕を甘いというかもしれないが。
「あのね、矢部さ――」
「ごめんね、いきなり言われても戸惑うよね。返事は今すぐじゃなくていいよ。だから……考えておいて」
僕の言葉をさえぎり彼女は早口でそう言うと、風のようなスピードで走っていった。もしかしたらゐつよりも速いかもしれない。
とりあえず、帰ろう。
生徒玄関に足を向ける。靴を履き替え、校門を出ようとしたら。
「君、村木紫苑って知ってる?」
低い男の声。聞いたことが――
あ、る。
「え?知ってはいますけど、見たことはありませんよ?」
矢部さんの、声?
「そうか。じゃあこの学校にすごくカッコいい生徒はいないかな?私は芸能プロダクションの者でね。村木紫苑という人はこの世にないほど綺麗な人だと聞いたから来たんだけれど」
嘘だ。そいつは芸能プロダクションの人間じゃない。
「ああ、それなら」
そいつに、何も教えるな。
「矢部さーん」
「!どうしたの」
「ハンカチ落としてったよ。はい」
「あ、ありがとう。あ、おじさん、この人カッコいいでしょう!」
「そうだね。君、ちょっとお話できないかな」
僕の情報を喋られたら、終わりだ。せっかく築き上げた平穏な生活も、人との関係も。
「え?はい、いいですよ」
こいつについていくしかない。僕にとっては、それが最善の選択だ。
近くの喫茶店に連れ込まれた。
「はじめまして、えっと、お名前は?」
男が笑顔で僕に聞く。白々しい。
「ヤマノユウキです。あなたは?」
同じクラスになったばかりの女子の名前を使う。
「私は○○プロダクションの水川。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「やあ、ひさしぶり。mortalis puer(死にぞこないの子供)」
いきなり、水川と名乗ったそいつは声を潜めていった。にこやかな笑顔は、そのままで。
やはり。
「……よく僕のことなんか覚えてましたね。水川、さん」
平静を装う。運ばれてきたグラスに口をつけ、軽く唇をなめてから彼が話し出した言語――彼の話し方はドイツ訛りがあったが、流暢なラテン語だ――で話した。
「いやあ、君みたいな子はちゃぁんと覚えているものだよ。人間を、しかも子供だった君を殺し損ねたなんて、私の半生で最大の汚点だから。ねえ?村木紫苑くん」
殺気。殺すのに慣れた目だ。この目を、僕は知っている。
「いいんですか?僕の前に現れちゃって。その名前を知ってるってことは、僕がどの組織にいるのか分かってるんでしょう」
この目を、僕は見たのだ。
「氷の刃かい?あの組織は君の先代がくたばってから弱体の一途をたどっているじゃないか。そんなところより、私たちのところにおいでよ。昔のことは水に流して、さ」
15年前に。
「誰が、行くと思ってんだ。おちょくるのもいい加減にしろよ。今ごろ現れたとはどういう料簡だ。ふざけやがって」
「まあまあ。声を荒げないで。不審がられるよ?いつも冷静であるはずの、君らしくない」
「は……」
調子が狂う。彼が僕自身のトラウマになっていることは間違いないし、彼に対して多少なりとも恐怖を感じているのも分かる。しかし、それだけではこんなに焦らないはずだ。こんな、よく分からない感情にはならないはずだ。
なんだ、この感情は。
悟られぬよう、ただ押し黙る。僕の行動をどう受け取ったのか、彼はまた話し出した。
「私だって、君みたいな汚点を傍に置きたくはないさ。しかし、君にはそれ以上の利点がある。親から受け継いだ、傾城の血。それを使えば私たちも危険を冒して人間を殺さなくても済むしね。ああ、私がほしいんじゃないよ。今の雇い主が、君をほしがってる」
「……」
「ま、すぐにとは言わないさ。返事はまた今度聞く。よく考えな。その異常に賢い頭で。ちなみに、もし万が一断ったら、私が今度こそ君を殺すことになるから」
「殺すとかどうとか、高校生にする話じゃありませんね。いいですよ、また今度。水川さんといると胸が悪くなってくる。お勘定は僕でしますから、出てってください。言っておきますが、ここは僕らの縄張りですよ」
領収書を奪い取り、片手でひらひらと手を振る。その気になれば相手を殺せるのは、僕のほうだ。
「――じゃ、コーヒーごちそうさま」
「隼、すごい顔してるわよ。せっかくの美人が台無し」
「美人なんていわれてもうれしくない」
「先輩、なにかあったんですか?すっごく嫌そうな顔してる」
「別に、なんでもない」
「じゅーん、何でしけた面してるの~。珍しくあほに見える」
「阿呆で結構」
あの男が言ったことがぐるぐる頭を回っている。いらいらする。身体がふらふらする。って、なんだ。僕は韻を踏みたかったわけじゃない。
「……頭痛い……寝よ」
忘れたい。忘れる。忘れろ。そう大脳新皮質に命じる。よくある自己催眠だ。何故か自分自身には傾城の力が効かないから、言い聞かせるしかない。
「………人の人生めちゃくちゃにしたくせに」
微かに声が漏れる。本当に小さな声だったのに、ほとんど何もないがらんどうの部屋に、よく響いた。