それは汚れた水色
「ただいま」
「おかえりなさいですっ!……先輩?」
「あー、ひどい目にあった」
午後9時。月がもう高い位置に昇ってしまったころ。やっと僕は家に帰ることができた。
ブレザーを脱ぎ、ネクタイを緩める。
「じつはさ――」
学校が終わり、病院に向かい、診察を受けた。結構早く終わったので、本屋にでも寄っていこうと思い、商店街に足を向けると。
小さな人だかりができていた。
「おかあさぁん!どこ行ったのぉ!!」
真ん中で泣き叫んでいる小さな女の子がいた。かわいいピンクの服をぼろぼろにして、ツインテールがほどけかけている。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。ふらふらと母親を探す女の子に、人々は少しでも手助けができたらと彼女の周りに集まるが、彼女は怖がってますます泣き叫ぶ。
「どこ、行ったの!」
見て見ぬ振りをして通り過ぎ、られない。人だかりをすり抜け、女の子に視線を合わせると、僕は笑顔で優しく声を出した。
「泣かないで。きみの、なまえは?」
女の子がきょとんとした顔で泣きやむ。なぜ自分が泣きやんだのか、分からないのだろう。
「なまえ、教えて?」
「きょうこ。ふじのきょうこ」
慌てて口を押さえる女の子――きょうこちゃん。どこかで聞いた名前だ。
「きょうこちゃんか。きみのおかあさんは、どんな服をきてる?」
「……あかい、ふく。顔も、手も、足もまっかなの」
「えっ」
手足が赤い服というのは、まだあるだろう。だが、顔も赤いとは、一体。
しかし、今はそんなことより、母親を探してあげなければ。
「そっか。……きょうこちゃん、髪結びなおそうか。お母さんに会ったとき、お母さん心配しちゃうよ?転んだみたいだけど、痛いとこはない?」
「ううん、どこも痛くない」
髪を結いなおしてやり、服についたゴミも払ってやる。
(あれ)
払ったときにめくれたえりの裏。そこに小さく書いてある文字。
「――きょうこちゃん。お母さんの場所が分かったよ」
彼女の顔が、ぱっと晴れた。
「お兄ちゃん、分かるの?お母さん、どこにいるの?」
「じゃあ、行こっか」
おそらくそこに、母親はいないのだろうけど。
周りの人々に事情を説明し、僕はきょうこちゃんを連れてある場所に行った。
「……すいませーん」
「はい!何でしょうか、今大変なことがあって、あまりお構いできないんですけど」
「きょうこちゃんを連れてきました。ここの子、ですよね」
商店街の近くにある、児童養護施設。えりの裏にはそこの名前。
僕の前に姿をあらわした女性は、きょうこちゃんの姿を見ると安堵のため息をついた。
「ありがとうございます!もう、きょうこちゃん。どこにでも行っちゃあだめじゃない」
このこは、児童養護施設に預けられているのだ。
藤野杏子。藤野あやめの一人娘で、母子家庭だった。1週間前に、藤野あやめは自宅で殺害された。包丁でめった刺しだったらしい。その現場に、娘はいたのだ。
彼女が見た最後の『お母さん』は、血で真っ赤にぬれた藤野あやめだったのだろう。しかし、彼女はそれを認識するにはあまりにも幼く、状況を把握できなかったのだ。だから、母親が真っ赤な服を着ていたと勘違いした。
「母親が死んだってことを知らずに、知り合いの家に預けられてると思い込んでる。そんな杏子ちゃんは幸せなのか、不幸せなのか。考えちゃってなー」
杏子ちゃんを説得するには時間がかかった。半自己催眠をかけており、帰ってくるのだと強く思っているのだから。
最後に僕が帰るとき、杏子ちゃんは手を振ってこう言った。
『お兄ちゃん、ありがとう!またあったら、お母さんに会わせてあげる』
子供の強い思い込みは、僕には消せない。無理やり、と言えばできないわけではないが、杏子ちゃんのような事情の場合、どうしたらいいのか判断しかねる。
「……って、すまん。ゐつは」
ゐつに、親の話はするべきでなかったかもしれない。後悔する。本当に、後悔先に立たずとはよく言ったものである。
「小さい子は、知らないほうが幸せなんじゃないでしょうか。先輩は、どう思ったんですか?」
考え込んでいる。ゐつは、僕が思っていたよりもずいぶん強い人間だったらしい。
「僕は――よく分からない」
「先輩が、分からないことなんてあるんですか?」
「いや、僕の場合死んだって知らされてるようなものだったからな。それに、自分で言うのもなんだけど僕って小さい頃から結構頭切れたから、周りの大人の反応で分かったんだ。だから、遺産目当ての親戚たちに引き取られるものかと思って、この氷の刃に入った。要するに、僕は小さい子の感覚が分からないんだな」
小さいころから陰で「さめた子」と呼ばれ続けてきた。みんなで飼っていたウサギが死んだときも、ただ遠くから静かに見ているだけだった。大会に負けたときみんなが悔し涙を流す中、僕だけは何事もなかったかのように普通だった。悲しいことがあってもそう。いじめのような行為を受けてもそう。
「あ…………」
ゐつが黙った。言葉を選んでいるようだ。
別に、そんなの、必要ない。
その場を取り繕うためだけの言葉なんて。
「僕、もう寝る。お風呂、あいてるな。じゃ」
これが逃げだということは分かっている。逃げてしまう自分がどんなに弱いのかも分かっている。
わかってるから。
だからせめて。
ひとりで生きられる強さを。
なんか、もう、ごめんなさい……。
こんなに暗いキャラじゃないんですよ?隼は。
所長として言わせていただきます。
作者さん!しっかり仕事なさい!
あ、私、これだけ言いたかっただけなんです。
ではまた。次回会える……かな?