白の先に見えるもの
血の描写がちょこっとあるので、おきをつけを。
真っ暗な視界の中で、僕は黒の着流しを着ていた。少々寒かったので羽織も着る。動きにくさはそう変わらないから、大丈夫だろう。最後に仕事道具を隠す。よし。
「紫苑、もういい?」
「R、どっちでもいいからこの目隠し外せよ。仕事に差し支える」
「いいぜー。赦してやるー」
軽い声と共にはらりと落ちた布を取り、自分でアイマスクを取る。
「うっわ、まぶし。紗の布は?」
「ここ。こっち向かないでね、組織が戦闘不能になっちゃ困るから」
ひどいな、とひとりごちながら目を隠す。さっきのアイマスクと違うのは、景色が見られること。目的は隠すためだが。
「quintは」
首を回して探せば、部屋から出てきた。セーラー服だ。だが、今の学校のものではない。前の中学のものなのだろうか。それも今は、関係ないが。
「もう行くんですね。作戦とか、何かあるんですか?」
「紫苑、説明してないのね」
所長の非難するような目を無視してquintの方を向く。
「ほとんど戦う必要はない。quintは僕の援護。僕が一番体力消耗することになるから、戦えない。でも襲ってくるのは僕限定だ。僕の身の回りの警護よろしく。Rたちと所長はいつも通り」
「はーい」
「了解」
「分かりま~した」
「え、どういうことですか」
「行けば分かる。その無駄口閉じろ」
目を見開いて、哀しそうな表情を見せるquint。隼ならば、あたふたして取り繕うところだが。
生憎、僕は紫苑だ。
「紫苑の言うことにいちいち反応してたら身が持たないわよ、quint。紫苑は隼と違って紳士じゃないのよ。慇懃無礼って言葉が一番よく似合う男」
二重人格ではないんだけどね、と言う所長。
「行くぞ。僕が持つかどうか、問題はそれだけなんだから」
僕はあくびをかみ殺し、下駄をつっかけた。
目の前の数人の男たち。媒介になってもらおう。
「お前、村木隼か」
「んー?黙ってて、おじさんたち。ついでに動くな」
男たちは、口を開けたまま動けない。隙発見。
「ココロん中のぞいてあげようか。あー、……この系譜か。この一帯に」
“動くな”
「行くぞ、quint。あと30分が限界。そんなに大きい組織じゃなくて楽だが、人数は多い」
さっさと歩き出した。
「そっか、紫苑がその能力で人を動かすんですね。でも、紫苑自身の神経をすり減らすから時間制限がある」
「やっと分かった、遅い。本当に身体能力だけなのかよ……いや、違うのか。頭はいいが、硬いんだな」
「ひどいですね、紫苑ってホントに」
「置いてくぞ」
「守りませんよ」
「僕を守らなくて催眠が解けて一気に襲い掛かられても知らない」
「……」
階段を降りる途中で止まってしまったのであろう男を脇によけ、僕はどんどん先に進む。
「早く来い。今日は機嫌がいいから5秒待ってやる」
扉の前で立ち止まり、僕はそう言った。この先の奴らには催眠が効かなかったらしい。がたがた動く音がする。音をさせずに来たquintに先行させ、僕らは、扉をけり破った。
「おはよ、みなさん。これ以上好きにはさせてあげないよ」
人数は23人。倒せない人数ではない。その中に1人、派手な格好の女。
「あ、美佳さん?覚えてる覚えてる。ダーツの上手い、僕の素性を知っちゃった人だ」
「隼くん!来てくれたのね……新しい彼女付き?」
quintを見た途端に顔をゆがませた。そりゃあ、美少女を連れてきているのだから仕方ないとは思うけれど。
「彼女じゃないよ。それに僕は紫苑。僕ら『氷の刃』に触れた罰を下しに来た。というわけで、みんな止まってくれる?」
僕とquint以外、氷のように固まった。数度僕は咳をした。
「ねえ、美佳さん。僕なんかを、手に入れるためだけに、よく、こんなことしたね」
まだ15分はあるはず、なのに。息がいつも以上に上がっている。
「紫苑、どうしたんですか。顔色悪いですよ」
quintが僕を見て心配そうに声をかけてくる。その間にも僕は膝が笑い、がくんと落ちた。胸が、苦しい。息が、肺に入らない。目が見えない。体中が、言うことを聞かない。
この部屋にかけた催眠が解ける。美佳が僕に、ピンヒールをカツカツ鳴らして近づいてくる。
「ふふっ、いろいろ調べたのよ?隼くんが私のものにならないって言ったときから。ねえ、空気中に何か混入してあるの、分かるんでしょう?隼くんは生まれつきの薬アレルギーで、通常の医薬品を入れられると拒絶反応を起こす。下手すれば」
死ぬ。
美佳は僕の耳元で囁き、僕のあごを掴んで上げる。否応なしにさらされた喉が、ごくりと鳴る。
「紫苑っ!触らないで下さい、紫苑に」
「quint、下手に動く、な」
身体が痙攣する。
催眠が、解ける。
「わあ、隼くんって本当にすごい。さすが、あの血を引いてるだけはあるのね!軽く350人くらいいる全員を催眠にかけるなんて」
口を封じられる。ただでさえ息が出来ないのに、口内を蠢くものに吐き気を覚える。やっと口を離した。むせる。
「苦しい?死にそう?楽になりたい?なら隼くん、命乞いしてよ、助けてくださいって」
この、ドSが。
外から敵が来るのが分かる。このままでは、quintもやられる。
「み、か、さん。お、ねがいです」
声を絞り出す。quintは、ゐつは。
「その、女の子は、関係ない。――帰して、やって。僕は、美佳さんのものになろう」
「紫苑」
「私のものに、なってくれるの!」
ぴょんぴょん跳びはね、子供のように喜ぶ美佳。スイッチを、切った。笑いがこぼれる。
「R、所長、僕もう限界。ちょっと休憩させてくれない?」
美佳が、異変に気づく。
「隼くん、何したの」
「何も?」
息が吸えるようになってきた。だが、もう動けはしないだろう。
「うわ~、紫苑。またしばらく寝込んでてよ~?」
「紫苑、油断大敵ー。quint、紫苑を守ってくれる」
勢いよく扉が開かれ、入ってきたのは……3人。
来た。
僕はR(涼と陸のこと)と所長にこう頼んでおいた。
『動けない奴を片っ端からやっつけといて』
こうなることは分かっていた。そして。
「あーあ、つまんない。ゐつ、隼くん殺して」
ゐつが、美佳の手先であることも。
僕の首に、ゐつの手がかかる。
迷っている。
隙が、ある。
「quint、自分のしたいようにすればいい。美佳さんのとこの、一生自由じゃない、夢も見られない、でも楽な生活をするか。僕らと一緒に、辛いけどつまらなくはない生活を送るか。どちらにも囚われず、自分で生きるか」
僕の言葉は拘束力を持つ。僕がしたいようにすればいいと言えば、quintは何者にも囚われることはなくなる。こういうときにのみ、ありがたい能力だと思う。
そんなときに、美佳の邪魔が入った。
「ゐつ、村木隼の言葉に耳を傾けたら終わりよ。だってそいつは」
止めろ。言いたいのに、もうその力がない。
「傾城の血を引き継いでるんだから」
――――傾城。よく遊女のことを指すが、本来は漢書の光武李夫人の『北方有佳人、絶世而独立、一顧傾人城、再顧傾人国』から出た語だ。その色香におぼれて、城や国を傾け滅ぼすほどの美人のことを指す。日本にも歴史の表舞台には出ずとも、いた。中には男の傾城もいて、傾城同士で子を成すこともあったという。
僕は、その傾城の子孫らしい。その言い伝えは小さい頃一度だけ聞かされた。
「村木隼は、傾城なのよ。先代も傾城だった。傾城同士で結婚して、またそれを産んだの」
「黙りなさい、佐々木美佳。quint、あなたは隼を殺せるっていうの?あんなに殺すのをためらったあなたが」
なるほど、所長も気づいていたらしい。さすがだ。拍手を送ってやりたいところだが、そんなことができる状態ではない。quintに身体の自由を奪われ、首に手をかけられているのだから。話したくても声は掠れていてろくに出ないし。
「こ、殺せますよ、っ!こんな優男1人、なんだっていうんですか」
手に力がこもる。しかし、そこまできつくない。まだ、quintの中に迷いがある。
「殺すなら、殺せ。中途半端に絞められてるこっちの身にもなってみろ」
空気が漏れ出したような音しか出なかったが、quintには充分伝わった。手が緩む。
「でも、でも、あたし、お家が」
「家は、僕等ん家じゃ嫌か?」
彼女には守るべき人はいないはずだ。前に話を聞いた時、親は自分のことを看てくれなかったと言っていたのを覚えている。
「でも、あたし、裏切った」
先輩たちを。
何も見えないから分からない。それでも分かる。quint――ゐつが泣いている。しゃくりあげながら、子供のように嗚咽を漏らして。
「な、泣くなよ、困るだろうが。どっちなんだよ、決めろ」
相変わらず僕の声は掠れていて、空気が漏れたような音だったけれども。
やはり、ゐつには伝わったらしい。
「紫苑ですか?先輩ですか?優しいからきっと先輩ですね」
「紫苑で悪かったな」
「びっくりです」
泣きながら笑っていた。首から手が離れる。
「あたし、『氷の刃』に、いたい」
小さな声で、ゐつは。
「それじゃあ、おいで」
所長が、通る声で。
「「おいでー」」
Rが、のんびり。
「quint、落とし前は自分できっちりつけろよ。僕はもう疲れた……」
「じゃ、quintちゃん、がんばって~」
それから。
乱闘騒ぎはものの5分も立たずに終了し。
その乱闘騒ぎは書いてしまうと残酷な描写有りになってしまうので。
省くことにして。
「終わりましたっ!紫苑」
「ごくろー、さま」
僕はへろへろだった。医薬品アレルギー。この弱点さえなければと思うのだが、治しようがないのではしょうがない。なにしろ前例をみないのだ。
視力は回復していた。だから、それも見えた。
ナイフの切っ先がきらりと光り、こちらに飛んでくるのも。
ゐつの身体を思い切り引っ張る。右手でナイフを弾き落とす、つもりが逸れた。
僕自身の、肩をかすった。相当切れ味がよかったらしく、しばらくしてから大量の血があふれ出す。投げたのは、あの女だ。ナイフの飛んだ軌跡に見覚えがある。
「美佳さん、ナイフ投げ上手いじゃないですか。さすが、ダーツ場で出会っただけはある」
「お褒めの言葉ありがとう、隼くん」
「ご褒美あげますよ」
紗の布を外す。
彼女の瞳を、真正面に見る。
「僕らと関わったこと、全部忘れて」
ゆっくり、彼女の目から光がなくなる。一時的なものだが、警察はこれで、気が触れたのだと勘違いするだろう。もともといろいろヤバイものに手を出していたようだし。
「Good night! I wish you will have a nice dream……」
仕事は終わった。緊張が抜ける。疲労が重くのしかかる。我慢していたアレルギーの症状が出始めた。呼吸困難、発熱、他に、何だっけ。
もう、分からない。
何も、分からない。