仕事の奥に見えるもの
そして。買い物当日。
「せ、先輩、それで行くんですか」
「?何か変か?とった服、間違えたかな」
服の手触りを確認する。間違いない。僕が着ようと思っていた服だ。裏表に着てもいないし、どこも変なところはないはずだが。
「いや、その目。見えないですよね」
ゐつが指で示す気配がある。アイマスクの上に包帯をして、失明した人のような状態になっている僕のことを言っているに違いない。
「ああ、大丈夫。気配とか音とかを感じ取って動くから。目隠しされてもいつもと同じように動けるように訓練されてきたんだ」
「へー。そんなことができるんですね!」
素直に感心しているらしい。そんなゐつはというと。
「ゐつ、あなた制服で行くつもりなの?ダメじゃない。ねえ隼、服貸してあげてよ」
「制服だったのか……。ちょっと待ってろ。サイズはSでいいのか?」
「いえ、Mでお願いします。先輩の、服ですか?」
「そーだけど、どっかおかしいか?」
変装用の服を大量に持っているため、貸すことなんてどうとも思わない。あとで何がおかしいのか森羅に聞いたら、「男が女の服持ってるのはおかしいぜ、普通」だそうだ。
「ほら、こんな感じが似合うだろ。着替えてみな。おかしかったらまた違うの持ってくるから」
想像で選んだものだ。うまくいっているといいのだが。
着替えてきたらしく、ちさ姉がため息をついた。
「似合ってるじゃない。とっても可愛い、ゐつ。隼、見られなくて残念ね。見てたら、さすがのあなたでも見とれたでしょうに」
「おーい、そろそろ行こーぜ、っ」
森羅だ。途中で不自然に止まる。
「隼、お前それで服見れんのかよ。あと、その可愛い御嬢さん、誰?」
「せんぱーいっ!はやくはやく!」
「急がなくても服は逃げてかねーって。森羅のことも考えろよ。なあ?」
「そう、思うんなら、荷物、一個ぐらい、持てよ。買って、やったの、お前じゃねえか」
「悪りい悪りい。半分持つから」
「いや、この、一個でいい、って」
「どんだけ息切れてんだよ。これだからお坊ちゃまは」
息を切らしながら話している森羅から、荷物の半分を(ほぼ強引に)受け取り、僕は笑った。荷物が減って楽になったのか、息を整えた森羅が反論する。
「お坊ちゃま呼ばわりすんなよ。それが嫌で公立通ってんのに」
「いいじゃん、文部科学大臣の孫。今度は総理を狙ってるんだって?」
「そ、もう隠居すりゃいいのに、まだ頑張るみてえ」
僕らがゆったり歩きながらゐつの後を追いかけると、正午を告げる音楽が鳴った。
一直線に、ゐつが戻ってくる。
「ど、どーしたゐつちゃん」
「ゐつ、そんなスピードで戻ってくると転ぶぞ」
「……」
くうぅっ きゅるる
「……もしかしてお腹空いた?」
僕がおそるおそる聞いてみると、うなずく気配。僕は、笑ってはいけないと分かっていても笑ってしまった。ゐつの体内時計は驚くほど正確らしい。
「どっかで何か食べるか。つってもお昼時はどこも込むからな~」
「今は軽く食べといて、あとでご飯でもいいか?ゐつ」
「はい、ありがとうございます!」
行ったのは、大手ドーナツチェーンだ。一番空いていた。
「また食べるってこと考えて頼めよ、ゐつ。森羅、あとで一口かじらせて」
多分、今森羅が取ったのは丸い球がつながった形のドーナツ。
「お前、あんま食べる気ないだろ。いいけどさ」
横でゐつが悩んでいる。
「先輩っ、アップルパイとえびグラタンパイ、どっちがいいんでしょう」
「僕はシナモンの香りが嫌いなんだ。つーか、どんだけ食べるつもりだ」
「じゃあ、えびグラタンパイにします。よく食べるほうなんで」
会計は僕。適当な飲み物をあわせて頼むと。
「お会計、2260円になります」
今日はドーナツ全品100円セールだったはずなのに。当の本人たちは幸せそうな雰囲気でドーナツをかじっている。ま、幸せそうならいいか。
「ほら、どんだけ食べる?取ってやるから」
「ん、じゃあ玉二個分で」
渡されたドーナツを口に入れる。もちもちした食感と甘みが好きなのだ。
「ごちそうさまでした」
「へんはい、ほんほい……ん。先輩、ホントに少食ですね」
「ゐつはマジでよく食べるんだな。いい食べっぷり」
僕は心からびっくりした。あの小さな体のどこに、これだけの食料が入るんだ。そう言えば、ウシ科の動物の中にも、小さいヤツがいたよな。反芻するのが目に見えて分かる……僕は何を考えているんだ。ゐつが反芻する様子を本気で想像してしまうなんて。
ちょっと、試してみるか。
「知ってるか、ゐつ」
「はい?」
「ドーナツとか、穴が開いてるもの。その穴から見える景色って、今よりほんの少し未来なんだそうだ」
「ほ、ホントか!」
身を乗り出して食いつく森羅に苦笑する。
「ゐつが食いつくと思ったのに。何で森羅がそんなに食いつくんだよ」
「そんなのウソでしょう、先輩」
何でも信じてしまうような見かけによらず、ゐつがさめた声で言う。笑った顔で、静かに。
「本当。穴をのぞいて見えるのは、時として未来だ。僕自身が経験したんだから、間違いない」
そうだ、あの時、僕は知っていて。
「夢あんじゃん。俺、そーゆーの好き」
森羅が実際に穴をのぞいて僕にウインクする。
「先輩、次はどこに行くんですか?」
「そうだなあ、とりあえず1回荷物を家に持って帰ろう」
「持って帰ろ。俺これ持ったまま午後も、ってのは無理」
ずっと荷物係をさせられていた森羅が安堵のため息をついた。
一度荷物を置いていき、再び店に向かったとき。
「おい、隼。左斜め前10m先にいるやつら、お前がこてんぱんにしたバカだ」
「人数は大体十人くらいです」
「あのなあ、ここは公衆の面前だから。そう簡単に手を出せない」
気づかれずに通り過ぎようと思っていたのだが、そううまくはいかないらしい。目ざとく見つけられ、近づいてくる。
「森羅、ゐつ、今から言うとおりにやれよ」
あと2mほど。
――ゐつ、あっちにぶつかれ。
軽く肩が触れる程度で、ゐつが奴らにぶつかった。それで充分だ。
「お、かわいー子。オレらと一緒に遊ばない?」
僕らを気にしている。見える感情は。
劣等感。
まあ、当たり前か。
――森羅、行け。
「おいおい、この子は今俺らと遊んでんの。邪魔しないでくれる?」
森羅がゐつの肩を抱く。
「は?彼女、オレらの方が絶対いいって」
「そんな、目が見えてない男はお坊ちゃんに任せて」
男とは僕のことなのだろう。お坊ちゃんは森羅。
――ゐつ、反論。逆上させろ。
「嫌です。先輩といる方がずっといいわ。あなたたちみたいな弱虫よりも、ね」
演技をする気配はない。そのわりにすごく感じが出ている。素で言ってるのか?
「あん?弱虫ぃ?何言ってんだ」
――ゐつ、森羅、倒すなよ。されるがままにしとけ。
「ちょっ、やめて!いやっ」
「おい!お前ら、っ」
森羅の腹を殴ろうとする。それは困る。相手の拳を片手で止めて、僕はにっこり笑った。
「やめようか。トモヤ?」
名前を当てられたのがそれほどびっくりしたのだろうか。手が緩まる。その手を、後ろにひねり上げた。後ろからもう1人近づいてくる。右手でひねり上げたまま左手で突き出された手首を掴み、思い切り回す。1回転して落ちた。また1人。右手に持った男をそのまま突き出す。2人とも倒れこむ。
「君たちは、僕に散々やられたことを忘れたんだな。全く、学習能力が皆無とは、猿と比べるのも猿がかわいそうなほどだ。それとも、僕すら忘れたか?」
森羅とゐつも、動き出した。一斉に襲いかかってきた奴らを投げ飛ばしている。
「はい。ひと仕事終わり。行くぞ、正当防衛が過剰防衛になっちまう」
2人がいるであろう方を向き、僕は優しく笑った。ゐつと森羅の足音が、こちらに近づくのが分かったら。