夜の先に見えるもの
「先生、男の僕を抱こうとした罰ということで、ちょっと殴らせてください」
「ちょっ、隼、止めろって!な、」
「森羅は黙ってろ。僕は十分なセクハラを受けた」
「お前が証人なんだから!とりあえず落ち着け!やるっていったのは隼だろ」
「確かに僕はこれ以上、この先もやったことあるが」
僕は最上級の笑顔で指を鳴らした。森羅が逃げる。
「僕の生涯の汚点だ。こんな馬鹿で、能無しの、脳がスポンジみたくカスカスな教師に抱かれるなんて」
ここで、わざとらしい咳払いが聞こえた。せっかくいいシーンなのに。
「村木君、気持ちは分かるが落ち着きたまえ。いつもの君らしくない」
校長だ。さすがにやばいかもしれない。拳を緩め、校長の前に向き直る。
「では、僕たちの仕事はここまでですから。ああ、あと、見ていただけましたよね?写真。実に悪趣味な……」
苦々しげに笑う校長。
「あの女生徒らしき姿と石山先生が写っている写真かね?あれを見せるだけでもPTAには十分だったんだ、わざわざこんな劇をしなくても」
「いいえ。する必要はありました。完全に陥れるのが、依頼ですから」
僕が悪そうに笑えば、石山は顔を真っ赤にして自分を弁護しはじめた。
「そ、その写真っていうのは、合成じゃないのか。今だって、む、村木が自分から誘ってきたんじゃないか!」
「写真は先生のパソコンから盗ってきたので、間違いありませんね。専門家にでも頼みますか?それに、映像からも分かるとおり、僕は先生を一度も誘ったりなんかしていない。貴方が勝手に僕を――いや、村木紫苑という女生徒を襲ったんだ。ちなみに言っときますけど、僕は男に抱かれる趣味なんかありませんよ」
あざ笑う。
「しゃ、写真を盗ってきた!?ふん、じゃあ証拠能力はないじゃないか」
「今からパソコン見せてください。やましいところがないなら、見せられますよね?なかったら僕、なんでもしますよ」
一瞬、にたりと石山が笑った気がしたが……。
「……おい、隼。見つかんねーぞ。ごみ箱もさらったのに」
「ウソつけ。探し方が下手なんだよ。そんな証拠、消したに決まってるだろ?変われ」
にたにた笑う石山を横目に、パソコンを自分の方に向け、内容を漁る。
「ほら、削除の跡がある」
石山の顔から笑みが消えた。
「これを見つけられたら、っと」
ここから先は、学校では少しヤバイ。
「校長、目ェつぶっててくださいね」
返事を聞く前に手が動き出す。キーの音。パソコンに写った、どこの言葉とも思えない言語。あと2分。慣れた作業だ。
フォルダが、現れた。石山の顔色が変わる。フォルダ名は『資料』とそれらしく書いてあるが、中身は分かっている。
「はい、一仕事終わり」
開こうとすると。
ピピーッ
「おいおい、パスワードもかけてんのか。たかが資料にご苦労なことで、石山先生?」
たかがパスワードごとき。
「さて、本領発揮と行きますか」
簡単だ。
「えっと、……うわ、ひどいパス。もうちょっと考えてつければいいのに。校長、目開けていいですよ。見たくなければそれでもいいですけど」
写真を選ぶ。生徒の顔が映っている写真はダメだ。盗撮ものは顔まで撮らないから……バレない、かな。
「……ですね。もう一つ、仕事終わった。これで、言い訳できますか」
石山がうつむく。言い訳など、言えるはずがない。ここで言ったら、相当の馬鹿だ。
「お、おれは!別に……」
相当の馬鹿だったらしい。自分もまだまだだと思う。
「てめえ、この期に及んでまだ弁解するって言うのか?教師の風上にも置けねえ」
森羅が暴言を吐く。いつもなら僕が止めに入るところだが。
僕自身、キレていた。
笑った。数多の人を誘惑してきた笑みで。石山も、幸せそうに笑ったところで。
僕は、使ってしまった。
石山が恐怖の表情を見せる。目を伏せ、何も言わない校長たちに頭を下げる。
「じゃあ、報告書書いておくので。僕帰ります」
森羅とゐつの首根っこを引っつかんで、職員室からさっさと逃げだした。僕らが消えた職員室に、重い重い空気がのしかかった。
*****
部室まで逃げ帰ると、先輩は肩で息をして崩れるように座った。息が荒い。
「先輩?」
「ちょっと黙ってな、ゐつちゃん。隼に近づくのはいいが、目は見るな」
目を、見るな。どういう意味なのかまったく分からない。そもそも先輩は手で目を覆い隠しているのだ。見えようがない。
すると森羅先輩は立ち上がり、お湯を沸かし始めた。
「紅茶淹れるけど。隼、お前、砂糖入れる?それとも、ミルクにしとくか?」
いつものように。すると、か細い声が聞こえる。
「コーヒー……ブラックがいい」
「お前、コーヒー牛乳は好きだけどコーヒー嫌いじゃん」
「いいから」
しょうがないという風に肩をすくめ、森羅先輩は紅茶ではなくコーヒーを淹れだした。静かな部室に、香ばしいコーヒーの匂いが広がった。優雅な動作でカップにコーヒーを注ぐと、先輩の前に置く森羅先輩。
「はいよ、熱いぞ。ミルクほしかったらあとで自分で入れろよ」
顔を上げた先輩。……目をつぶっていた。見えていないはずのカップを手に取り、後ろを向く。
「――苦いな。頭すっきりする」
「頭すっきりして、胸もすいたか?俺はすっきりしないが」
「僕もだ。いつもはこんなことでイライラしないのに、鬱憤が溜まってたのかな」
「そうなんじゃ?俺もたまにあるぜ。そんなときはどっかで悪さしてたチンピラども殴りに行って、すっきりするけど」
「僕は森羅みたいに時間かけないんだぞ。殴ってもすっきりしない」
「今さらっと自分の方が強いって言ったよな、絶対!」
「そんなことないさ。あ~、はい、森羅モ強イヨ」
「すっげー棒読み。……もう大丈夫か?」
切れ目のないラリーのような会話が終わる。それと同時に先輩は目を開けた。
身がすくむ。空気が凍ってしまったかのように、動こうとすると痛い。
「まだダメだな。俺は慣れてるけど、ゐつちゃん固まってる」
先輩は再び目を閉じた。
緊張が解ける。春の空気が戻ってきた。
「ゐつ……怖かったか」
正直に言えば、そうだ。先輩が時折表す負の感情は、驚くほど暗い。
「べ、別に!そんなことありません」
「はは、ウソ下手」
にっこり先輩が笑い、そろそろと目を開けた。
冬の冷たい靄が晴れて、春の暖かい風が吹いた気がした。