偽りの跡に見えるもの
「これは……」
答えにくそうだ。疑いたくはない。だが。
「ゐつ、先に言っておくがな。僕を殺そうとした奴はこれまで何人もいる。この身体を見りゃ分かるとおり」
着物の襟元をがばりと開けて、傷だらけの体を見せる。怪我の痕と、手術の痕が薄く見えた。大量にある。また襟を直す。
「でも、僕を殺せた奴は1人としていない。逆に彼奴等は『自分』を消された。って、僕が消しちゃったんだけど。ゐつも、僕のことを殺すなら、そこんとこ気を付けろよ」
冷たい笑いを送る。全てを拒絶する。
なにもいらない。なにもしらない。なにもきかない。なにもみない。
「僕寝るから、ゐつ。出てってくれないか?人がいると、眠れないんだ」
「え」
「出てってくれ。今、僕はとても機嫌が悪い」
別に機嫌は悪くない。眠くもない。ただ1人になりたい。
しばらくゐつはそこにとどまっていて、ゆっくり出ていった。僕を気にしているようだった。
ゐつが出て行ってからすぐ僕は頭を働かせた。今僕が敵対している組織、人物。それから恨みを買った奴ら、またはその子。
思わず笑みがこぼれる。数え切れないほどいるではないか。
僕がゐつに「殺せない」と言ったとき、一瞬ゐつは気配を見せた。
恐怖。
怖いという感情からは何も取れないが、僕をはめようとしているのは間違いない。殺しにくるか、一生仕事をできなくするか、多分どちらかだろう。どちらにしてもやられるつもりは毛頭ないが。やられる前にやるのが僕のモットー。かと言ってゐつを締めあげても、ろくな情報は出てこないのだろう。今のところは様子を見るしかない。
布団を頭からかぶる。頭がまたぼうっとしてきた。まだ熱が下がっていないからだ。目をぎゅっとつむる。右手の甲に思い切り爪を立てる。……ダメだ。意識が離れていく。眠くなってきた。
意識が切れる寸前、さすがにきついことをゐつに言ってしまったと、後悔した。
眩しい。目が開いた。すっきりしている。昨日の熱っぽさはほとんどない。起き上がった。すこし目を回したが、だるさは消えた。
「っと」
フローリングの床に足を付ける。ゆっくり立ち上がると、ふらついた。でも、大丈夫だ。紗の布からメガネに替えて、制服に着替える。僕はブレザーを最後に着る性質だから、そこまでの準備をして下まで降りた。
「おはよ」
「!まだ寝てろ、顔色が良くないぞー」
「大丈夫。ゐつは?」
いた。おわんにご飯をよそっている。
「ゐつ」
びくっと揺れる肩。
「ごめん、昨日はひどいこと言った。ちょっと虫の居所が悪かったんだ。ホントに、ごめん」
謝る。本当に申し訳ないと思っている。
後ろを向いたまま、ゐつが言った。
「機嫌が悪かったんですよね、もう良いんですか?」
怒っているだろうと思った。
「うん、もういい。気分で当たったりなんかして、ごめん」
くるり、こちらを向いたゐつ。いきなり頭を下げた。
「あたしこそ、ごめんなさいっ!先輩が辛いのに……」
沈黙。
「と、とりあえず、仲直りってことでいいか」
「は、はい」
意外とあっけなかった。
「こんにちはー……!」
「「おう」」
入ってくるなりびっくりしたような顔で固まるゐつ。まあ、びっくりして当然か。
「先輩、女子の制服なんかあてて、何してるんですか」
僕の手には女子の服。どう考えても僕の体型では入らない服である。
「いや、誤解を招くといけないから言っておくが、僕は断じて制服フェチなんかじゃない。おとりでも使わなきゃ決定的証拠が掴めないから、僕が変装しようとしているだけ」
「でも、どう見ても入らないじゃありませんか」
そこで森羅が軽やかに三度舌打ちをする。人差し指を立てて左右に振っていた。キザッぽい格好が似合う奴だよ、全く。
「それが入るんだなー。はじめて見たときは誰だってびっくりするぞ。隼、着てこいよ」
「あい、分かった。大丈夫、変だとは思わない自信があるぞ」
僕は、奥の更衣室に入り、服を着替えた。長髪のウイッグをかぶる。メガネを替えた。
「出来たよ」
*****
入っていったのは間違いなく男の先輩だった。180センチを超えているのであろう身長に、細いが筋肉質の身体。それは見まがうことなく男だと思った。
でも、出てきたのは。
「出来たよ」
160センチくらいの身長に、しなやかな――女の身体。小さな顔に大きな目。綺麗なセミロングの髪をストレートに伸ばし、いつものメタルフレームでない女の子らしいメガネをかけている。
女の『先輩』にしか見えない。
「どう?女にしか見えないでしょ」
女の中でも高めの声。綺麗な水笛の音のようだ。くすくす笑う顔は、女のあたしでもどきっとする。妖艶、という言葉が似合うだろうか?
「どうしたの?ゐつ、ぼーっとして」
くつくつと笑っていた森羅先輩が答える。
「そりゃあ、隼は男のときも女のときも魅力的な人間だからな。ん?いや、『紫苑』か。いっとくが、紫苑。お前それは『妖艶な』であって『気弱な』とは程遠いぞ」
「そか。じゃあこんな感じで」
今までの虜にする雰囲気が消えた。
儚げだ。伏せがちの目がゐつに向いたとき、違った意味で心を奪われた。守らなければと思う優美さ。
「名前は……紫苑。女で通る名前で良かったわ」
「先輩が……おとりに?」
ふわりと笑う。その表情にも心が動く。欲しい、と思う。心からこの人が欲しい。
「臨まなければ。見えるものも見えなくなるのよ?」
「つまり?」
「得たい物があるのなら、それに立ち向かわなければいけないっていうこと」
先輩は、人差し指を口に当てて。
また妖艶に戻り、悪戯っぽくウインクをした。