第6話 高校一年生 夏休み3 yui
結衣 yui
レイくんという男の子が、私の脳内を完全に支配していた。
家族と見知った顔の女しか周囲にいない環境で過ごしていた私の前に、颯爽と現れたパパ以外の男性。
顔がいい長身のイケメン。
そんなの、ときめかないわけなかった。
夏休みの間、私はほとんど外にも出ずに、画面の前にかじりついて、レイくんだけを見つめていた。
ゲームにログインできない夜も、レイくんのことだけを考えていた。
土日は家族や学校の友だちと出かけたり、予定がなくても、パパがパソコンを占有していたりして、レイくんとは遊べない。
それを苦々しく思うようになってきて、いよいよ、私は危ない領域に達しているのかもしれないと、自覚しはじめていた。
あまりにも、レイくんのことを好きになりすぎてしまった。
レイくんはやさしい。
ゲームの基本操作すらおぼつかない私を、甲斐甲斐しく面倒見てくれる。
上手にできなくて落ち込んでいると、必ず励ましてくれようとする。
普段はだいたい、ふざけているけれど、ここぞというときには、かっこいい背中を見せてくれる。
『やめなよ。俺のゆいが嫌がってるだろ。セクハラはみっともないぜ』
いやらしい目で見てくるプレイヤーには、そうきっぱりと言ってのけるし、
『ゆいが恥ずかしいってんなら、俺がこのパンツをはいてやる。しっかり見ていろ』
クエストの目的を達成するために、変なパンツをはかされそうになったときは、自ら身代わりとなって、情けない姿を披露してくれた。
『二時間に一回のそれは、俺のためにとっておいて。いいって言うまで、そのボタン。絶対、押しちゃだめだぞ。押したらお仕置き。なにされるかはわかってるよね』
ときに、小悪魔だったり、
『見て。俺のヒットポイント。いっぱい回復してるね。すっごいゲージあがってく。こんなにいっぱい。すっごい。ね、すっごいって言ってごらん、ゆいちゃん』
なんか、えっちな空気をまとってくるときもあるのだった。
レイくんは、王子様でしかなかった。
普段はゆいちゃん呼びなのに、イケメンスイッチが入ると、私を呼び捨てにしてくる。
その温度差に、私はきゅんきゅんさせられてしまった。
友だちと恋人の間を反復横跳びするレイくんの姿に、私の心はかき乱された。
◇
夏休みも残すところ、一週間を切っていた。
いつものように朝からゲームにログインすると、レイくんはまだいなかった。
レイくんのいないこのゲームでは、もはや、なにをしていいのかもわからない。
特にやりたいこともない。
私は、レイくんと遊ぶためだけに、このゲームにログインしていたのだ。
ゲーム内の自室に佇む、自分の分身をぼんやりと眺めながら、レイくんのログインを心待ちにする。
お昼になっても、レイくんは現れなかった。
私はいったんあきらめて、ログイン状態で放置したまま、パパの部屋を出てリビングに向かう。
妹を呼び、ふたりで座卓を囲み、お昼ご飯をいただく。
妹は私に、推しの話を延々と聞かせてくる。
私も推しの話を聞かせる。
もちろん、レイくんのことだ。
妹は呆れた顔をしながら、相槌を交えつつ、私の話を遮らずに聞く。
推し語りをするとき、決して話を遮ってはならないというのが、私たち姉妹のルールなのだ。
『ゆいちゃん、おはよう』
食事を終え、パパの部屋に戻ると、レイくんからチャットが入っていた。
私はうれしくなってキーボードを叩く。
『今日はなにして遊ぶの?』
なにをするのかは、レイくんが決めることが多い。
私はこのゲームの内容には、あまり興味がなかった。
レイくんといっしょに過ごせるなら、なんだって楽しかった。
『今日は遊びにきたんじゃない』
またレイくんが変なことを言い出したぞ。
いつものおふざけがはじまる合図かと思った。
『俺たちがはじめて出会った場所。そこで待ってる』
なにやらロマンチックなことを言う。
胸をときめかせながら、ふたりの思い出の場所へと向かう。
砂地で覆われた、だだっ広い荒野の中央にそびえ立つ岩山の上。
思い出の場所に着くと、なぜか初期装備のレイくんがそこにいた。
あの日と同じ姿だった。
レイくんが、いきなりアイテムのトレードを申し込んでくる。
受け入れると、お互いの持ち物を交換するためのウィンドウが開く。
レイくんは、たまに自作したアイテムを私にプレゼントしてくれる。
今回もそういうアレかと思ったが、レイくんが並べはじめたアイテムを見て、私は異変に気がついた。
滅多に出現しない魔物を、ふたりで何日も張り込んで、ようやく手に入れた髪飾り。
いっしょにお金を貯めて、やっとこさ買えたばかりの魔法の杖。
ふたりでレベル上げをしていたら、鉱山の中で偶然にして発見した希少な宝石。
そして、全財産らしい中途半端な額のお金。
そのどれもが、私たちの大切な思い出だった。
私はキャンセルボタンを押す。
レイくんがまたトレードを申請する。
アイテムが置かれるのを見て、キャンセルボタンを押す。
私はレイくんに、首を横に振るエモートを送った。
現実世界の私も首を横に振る。
『やだ』
『いらないよ』
『受け取って』
『どうして』
『今日で引退するから』
私は大いに困惑した。
引退という言葉が、このゲームを辞めるという意味なのはわかっている。
トレードが申し込まれる。
キャンセルボタンを押す。
『やだ』
『いかないで』
ログウィンドウに並ぶ文字列を見ていると、駄々っ子みたいだと思った。
レイくんが、しくしく泣くエモートを送ってくる。
それはアイテムを受け取ってもらえないことに対してなのか、私とお別れすることに対してなのか、わからなかった。
『ずっといっしょがいい』
いつもなら、怒涛のようにチャット送ってくるレイくんは、棒立ちのままだった。
もうお別れなのかなと思うと、涙が出てきてしまう。
『ほんとは俺も』
『ずっといっしょがいい』
どばあって涙が出た。
「うええん」
赤子みたいな泣き声が漏れて、鼻水が垂れてきた。
私は慌ててパパの部屋を飛び出し、ティッシュの箱を探しに行く。
「え」
妹が困惑した表情で、私の泣き顔を見ていた。
冷蔵庫の前で、牛乳パックを持ったまま、固まっている。
リビングで鼻をかむ。
妹は置いていく。
ティッシュ箱を持って、パパの部屋に戻ってくると、レイくんからたくさんチャットが届いていた。
レイくん自身は、私のまわりをぐるぐるしていた。
『夏休み終わっちゃったから』
『もう平日の昼間にゲームとかできないんだ』
『地下世界の王は』
『リアルでは高校生なんだよ』
地下世界の王というのは、レイくんがゲーム内で自称している職業だ。
地上世界に悲しみを見つけると、そっと明かりを照らしてあげる。
そんな、やさしい王様。
かっこいい。
発想がとてもかっこいい。
レイくんらしい。
彼はどこまでも、人を思いやれる人だから。
ぐるぐるしてチャットを促すレイくんに、私は答える。
『わたしも』
◇
レイくんの通う学校は、今日が始業式だったらしい。
明日から通常授業になるから、もう昼間にログインできないのだとか。
夏休みの長さが、学校によって違うというのは、はじめて知った。
お互い高校一年生だとわかった。
私は正直、レイくんは年上だと思っていた。
平日の昼間に毎日ゲームをしてるから、どんな人なんだろうと気になってはいた。
「ニートじゃない?」
妹はそう言っていたけれど、私は自分といっしょで学生なんだろうなと思っていた。
「大学生のお兄さんかな? 長身のイケメンなのは間違いないとして」
私が力説すると、
「イケメンがやるゲームではなくない?」
とか、意味のわからない理論を振りかざしてくるので、妹の意見はシャットアウトすることにしていた。
年上だと思ったのには、きちんとした理由がある。
おふざけしているときは、くそガキみたいと思うけど、真面目にしているときは、達観していて、落ち着き払っているし、包容力みたいなものを感じていた。
同級生だったレイくんは、学校に通いながら、夜はアルバイトをしているらしい。
このゲームのような時間泥棒なゲームは、遊ぶ時間を確保できないから、続けていくのは無理なのだという。
『ほかのゲームなら?』
私はそう提案した。
他にどんなゲームがあるのかは、よく知らなかった。
この際、妹みたいに「闘争」に目覚めるのも、やむなしという覚悟ではあった。
レイくんと、ここでお別れなど、したくなかったから。
『ゆいちゃん』
『ディスコやってる?』
私はパパの部屋を飛び出して、妹の部屋に押し入った。
ゲーミングチェアの上で胡座をかいて座り、ベッドセットをして、イケメンバーチャルライバーの配信画面を、うふうふしながら眺めている、妹の首根っこを掴んで、私は訊ねた。
「ディスコって知ってる?」
妹はぽかんとしていた。
ベッドセットをもぎ取って、また訊ねる。
「ディスコやってるかって、聞かれたんだけど」
妹はイケメンの視聴を邪魔されて不愉快だという顔をしながら、渋々という調子で教えてくれた。
ディスコというのは、ゲーマーたちがこぞって利用するLIMEみたいなものらしい。
妹に礼を言い、私は私のイケメンのところへ戻ってゆく。
私のイケメンは、ゲーム世界にぽつんと放置された私の分身のまわりを、ぐるぐる回っていた。
『あとでアカ作るから』
『レイくんの教えて』
チャットウィンドウに私の入力したメッセージが流れると、レイくんは足を止めた。
妹の言うとおりにしただけだから、伝わるのか心配だった。
『あい』
「教えてくれるって!」
私は妹に向かって叫んだ。
返事はなかった。
◇
妹の部屋から、彼女の機材を借りて、ディスコを繋ぐ。
ヘッドセットをして、耳を澄ます。
「ゆいちゃん?」
とんでもねえイケボで名前を呼ばれた私は思わず、
「しぬ!」
と、言い残して悶絶した。
耳が幸せすぎて、呼吸ができなくなるかと思った。
汚物を見るような目で、ベッドの上の妹が私を見つめていた。




