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第23話 高校卒業後 東京1 reika

  玲香 reika


 高校の卒業式も終わった、3月の初旬。


 東京駅。


「クリーム色のスマホケースに、赤い猫のステッカー」


 呪文のように唱えてから、私は新幹線を降りた。

 ゆいちゃんとの待ち合わせの、唯一の目印だった。


 連絡先は事前に交換しなかった。

 面倒だし、そういうのは、会ってからやればいいと思った。


 私は東京駅で会ったことのない人と待ち合わせることの難易度を、著しく過小評価していた。


 ゆいちゃんから聞いた待ち合わせ場所を見つけるのに、ひどく苦労させられた。

 改札がそんなに何箇所もあるなんて、思わなかった。

 普通、改札なんて一箇所だけでしょ。


 都会の流儀に、私は大いに困惑した。


 スマホのナビを使おうと思い、わざわざギガを買い足したのに、駅の構内は地図アプリでは全然わからないし、位置情報もなんだかふらふらしていて、自分がどこにいるのかさえ、よくわからなかった。


 待ち合わせの時間は、とっくに過ぎてしまっていた。


 ようやく、待ち合わせ場所に着いたものの、人が多すぎる。

 きょろきょろしながら、うろうろと歩き回り、それらしき人物を捜す。


 柱を背にして、姿勢よく立ち、あたりを見回している女の子がいる。


 白いブラウスに、紺青のジャンパースカートを着て、さながら、文学少女みたいな出で立ちだ。

 小さなかわいらしいショルダーバッグを肩から下げている。


 胸の前で、両手にスマホを握っている。

 クリーム色のスマホケースに、赤い猫のステッカー。


 遠目に見てわかった。

 「ゆいちゃん」だ。


 正面にその姿を見据えて、少しずつ近寄っていく。

 化粧っ気のない顔に、小洒落た眼鏡をかけている。

 長く、きれいな黒い髪。

 背丈は、私よりもひと回りほど大きかった。


 あたりをきょろきょろと、落ち着かない様子で見回している。

 正面から歩いてくる、私の存在には、まったく気づいていない。


 おもしろくなった私は、何度か目の前を素通りしてみる。

 そのうち、向こうから声をかけられるかなと思った。


 まったく、声をかけてくる気配がないので、私から声をかけることにした。


 目の前に立ち、その女の子を見上げて声を出す。


「レイくんだよ。ゆいちゃん」


 なんだこいつという顔で、私は見られた。


 ゆいちゃんが目を逸らしたので、視界に収まりにゆく。

 また目を逸らそうとするので、私は体をよじって視界に入り込む。

 背のびをして視線を外そうとするので、私は小さくジャンプをして、存在を誇示してみせる。


「ごめんなさい。人と待ち合わせしているので」


 ゆいちゃんは苦笑いしながら、言う。


「クリーム色のスマホケースに、赤い猫のステッカー」


 合言葉みたいに、私はそうつぶやいた。

 みるみるうちに、女の子の表情が変わってゆく。


 その表情を言葉にするなら、驚きというよりも、恐怖だった。


 私はなんだか、笑ってしまった。

 それを見て、ゆいちゃんの顔がほころんだ。


「三上玲香と申します。はじめまして」


 私は軽く会釈をして、そう自己紹介した。


「え、あ、は、はじめまして」


 私が急に礼儀正しくしたので、ゆいちゃんは困惑したのか、あたふたしていた。


「同じ高校三年生だけど、ちょっと遅くに入学した関係で、ゆいちゃんより、二学年上の20歳になります」


 ややこしい話は、先に終わらせておきたいし、なんとなく、この子にお姉さんぶりたい気持ちが高まって、私はそう説明した。


「ん、んん?」


 ゆいちゃんは、大いに困惑した表情を見せた。


「ちゃんと、大人だから、大丈夫だよ」


 私がにこりと微笑むと、ゆいちゃんは正気に戻ってくれた。


「神山結衣と申します」


 結衣ちゃんは、両手を前に組んで、深々とお辞儀をしてみせた。


 文学少女スタイルの、お清楚すぎる所作に、私は圧倒された。


 こんな、いたいけな女の子に、小学生みたいな下ネタとか、言えないなと思った。


「レイくんという人は、どうかしていたね」


 結衣ちゃんは、なんとも言えない含み笑いを浮かべて、私の目を、じっと見つめてきた。


 ◇


 東京駅に着いたら、ふたりでお食事してから、夕方頃に彼女のお家に向かう約束だった。

 ママさんが在宅勤務をしているから、邪魔しないであげたいという話だった。


 結衣ちゃんに導かれるまま、私は高層ビルを、エスカレーターで、上へ上へとのぼってゆく。


 やがて、ひとつのお店の前で結衣ちゃんは足を止める。

 店員さんに、予約の名前を伝えている。


 やってきたのは、全面ガラス窓の明るくて開放感のある、まるで恋人たちが語らうのにふさわしいような、そんなおしゃれなお店だった。


 テーブルについて、窓の外を眺める。

 田んぼとか、畑とか、山や森は、見当たらない。

 コンクリートジャングルと、最初に名付けた人は、天才だと思った。


 結衣ちゃんとふたりで、メニュー表を見ながら、注文を選ぶ。


「結衣ちゃんと同じでいいや。外食ほとんどしたことないから、どんな味かわかんない」


 なんか、外国の料理ということはわかるけど。


「え、私もこういうとこ、あんまり来ないから。レイく、玲香さんは、苦手なものとか」


 さすがにレイくんと呼ぶのは、抵抗があるみたいだった。


 地下世界の王、sadnessrayこと、レイ様は、地上世界では、みだりに口にしていい名前でもないのだ。


「玲香でいいよ」


 結衣ちゃんの声で、玲香さんとか言われると、なんだかこそばゆい。


「玲香は、苦手な食べ物とかある?」

「わかんない。いつも同じようなものしか食べてないから」


 結衣ちゃんは困り顔でメニュー表を見つめ、呼び出しボタンを押して店員さんを呼ぶと、これとこれって言って、二種類ほど頼んでいた。


「食べられなかったら交換しよ」

「はい」


 結衣ちゃんって、機転が利いて、生活力があるなと思った。


 ◇


 はじめて会った気は、まったくしなかった。


 4月から、もう丸一年くらい、ほぼ毎日、通話しているのだから、当たり前と言えば、当たり前だ。


 最初こそ、少しよそよそしさもあったけれど、食べ終わる頃には、すっかり、私たちは普段の調子でおしゃべりするようになっていた。


 結衣ちゃんは、ナイフとフォークを上手に操り、とてもきれいに食べ進めるので、私はおしゃべりよりも、彼女の所作に意識を持っていかれてしまった。


 すっかり打ち解けた様子の結衣ちゃんは、にこにことよく笑って、とても親しみやすい女の子だなと、改めて思った。


「レイくんの声って、どうやって出していたの」


 まじめな顔で、結衣ちゃんが訊ねてくる。


 私は、店長に教えてもらった、ボイスチェンジャーの仕組みを説明してあげる。


「相手のスピーカー越しに聴こえる、自分の声が苦手で」

「玲香の声、かわいいと思うよ」


 だいたい、そう言われるって言ったら、自慢みたいになるなと思って、それは言えなかった。

 そういう問題でもないのだ。


「女だと思われると、チヤホヤされるのはいいとしても、からかわれたり、目の敵にされたり、嫌がらせとか、セクハラとかされるの嫌でさ。ゲームしたいだけだから」


 結衣ちゃんは、ふふっと笑った。


「うちの妹は、そういう相手に怒鳴りながらやってるよ」


 げらげらと、私は笑った。

 結衣ちゃんのイメージからは、ずいぶん、かけ離れた妹だと思った。


「なんか、人に怒ったりするの苦手で」

「私もそうかも」

「イケメンのロールプレイするの、自分じゃなくなったみたいで楽しくて。もうネット上では、これで生きていこうって」


 結衣ちゃんは、声を出して笑った。


「えー。そういう理由。すっかり騙されたなあ。普通に男の子だと思ってた」


 結衣ちゃんって、純粋すぎるのではないかと、私はむしろ心配になった。

 あんな、えっち漫画に出てくるイケメンみたいな男、現実には、いるわきゃない。


「私も、結衣ちゃんのこと、長い間、ネカマのおじさんだと思ってた」

「え?」


 結衣ちゃんが、目をまんまるくして、今日いちのおっきな声を出したので、隣のテーブルのお姉さんが、こっちを振り返った。

 私は抑えめの声で、結衣ちゃんに解説する。


「だいたいね、結衣ちゃん。本名のアバター作って遊ぶ人いないよ。絶対ネカマだと思うじゃんねえ。あえて実名系の地雷っぽい名前つけてる、いい年のおじさんと遊んでると思ってたもん」

「え、嘘でしょ」


 結衣ちゃんは、恥ずかしそうに頬を赤らめて言う。


「でも、待って」


 急に真顔になって続ける。


「じゃあ、玲香は、毎日のように、おじさんと遊ぶ趣味があったってこと?」


 聞き捨てならないと、私は思った。

 これは、この小娘を、わからせる必要があるなと、そう思った。


「あのね、結衣ちゃん。無粋だよ。あなた、粋ってもんがわかってないでしょ」

「んん?」


 結衣ちゃんは半笑いで疑問を呈する。


「ネットのかわいい女子高生が、実はくたびれたおじさんだったと知って、得をする人なんて、この世にいないんだよ? 損しかないわけ」

「でしょうねえ」

「おじさんだって、まじめに女子高生やってるんだから」

「あ、おじさん側なんだ、玲香としては」

「青春の1ページなんだから」

「ああ、はあい」


 結衣ちゃんは納得してくれたみたいだった。


「ところで、結衣ちゃんさ。え、つまりは結衣ちゃんって、男の子と同居するつもりだったってこと?」


 結衣ちゃんは、私のことを薄っすら、あるいは確実に、女だとわかった上で、空想上のレイくんという存在に、付き合ってくれているのかなと解釈していた。


 私が結衣ちゃんに対して、そんな認識だったから、彼女もそうだと思い込んでいた。


 結衣ちゃんは、顔を真っ赤にして、私を睨みつけた。


「それ、絶対に、パパとママには内緒だからね」


 私は釘を刺された。

 しかし、頼まれなくても、そんなこと、とても言えないのだった。


 私はもし、結衣ちゃんが男の子だと思っていたら、さすがに、ルームシェアの相手としては、選ばなかった。

 いくらお金を節約するためとはいえ、初対面の男性と同居したいとは思わない。


 ほんとうは、ひとり暮らしのほうが望ましく思うけど、背に腹はかえられないから、女の子ならいいかなって、思ったに過ぎないのだ。

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