第19話 高校二年生 春休み5 yui
結衣 yui
春休みも終わりを迎えようとしていた日。
私はリビングに寝転び、座卓の上にノートパソコンを広げて在宅勤務をしているママの後ろ姿を、ぼんやりと眺めていた。
画面を見ながら、ママがパソコンでなにをやっているのか、さっぱりわからないなあと思いつつ、いつものようにレイくんのことを思い出していた。
妹の部屋から、ばたばたと音がする。
いつもの「闘争」が、ヒートアップしているのかと思った。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
「ん?」
ママが廊下の向こうに、ちらっと目をやる。
ママの仕事の迷惑でしょうがと思いながら、私は身体を起こす。
妹を注意しに行くつもりで、彼女の部屋に向かう。
妹は部屋から半身になって、手招きしていた。
部屋に入るなり、妹が言う。
「レイくんがオンラインになった!」
私は妹を押しのけて、ゲーミングチェアを奪い取る。
画面を覗き込むと、直前まで妹が見ていたらしい、ディスコのウィンドウが開かれていた。
『ゆいちゃん、いる?』
『います』
『ちょっとまっててください』
私が、一方的に送っていたメッセージの最後に、そのやりとりが連なっていた。
いきなり話しかけられて、妹が代わりに返したものと理解した。
私は部屋の真ん中で、ぽつんと立っている妹の頭を、わっしゃわしゃになでまわして、彼女を部屋から追い出す。
「えぇ」
困惑する妹を無視して、ドアを閉め切る。
誰にも邪魔されず、ふたりきりで話したかった。
ヘッドセットをして、レイくんに音声通話を申し込む。
レイくんはすぐに出てくれた。
「レイくん?」
震える声で、その名を呼んでみた。
「あ、ゆいちゃんだ」
聞き覚えのある声に、涙がぽろぽろ出てきて、私は机の上のティッシュ箱に手を伸ばす。
「非常識なことをしてしまって、申し訳ありませんでした」
「ん?」
いきなり、そんなふうに謝られるとは思っていなくて、私は呆気にとられて、涙は引っ込んでいった。
◇
レイくんは、あの日、急遽、呼び出される形でバイトに向かったらしい。
遊ぶ約束を破ってしまったことで、私を深く傷つけてしまったと思ったレイくんは、同じことがまたあったら申し訳がないから、もう連絡するのはやめようと考えたのだとか。
バイト先の女の子が、それは非常識だと教えてくれたから、連絡してくれたのだという。
誰なの、その女。
どういう関係。
途中まで、うふうふしながら話を聞いていた私は、急にざわざわした気持ちになった。
「そんなわけなんだけど、もうゆいちゃんとゲームできないんだ」
「え?」
私は大きな声を出した。
口を開けたまま、その理由を考える。
『彼女さんきびしー』
妹の声が脳内にリフレインしてくる。
ネガティブなイメージに、また涙が出そうになる。
「明日から4月でしょ。4月からは受験生だから」
「はいはいはいはい」
私は大きく頷きながら、涙を引っ込めて応じる。
「ずっとやってたバイトも、昨日で辞めたんだ。今までバイトばっかりしてきたから、これから挽回しないと。受験戦争は厳しいんだよ」
「わかる」
正直、夏休みくらいから、塾とか行けばいいのかな、くらいに考えていた。
レイくんがどこの大学を受験しようと考えているのかはわからないけれど、意識の高さに私は圧倒されていた。
「ゆいちゃんも同級生だもんね」
「うん」
「ゆいちゃんも、大学目指すの?」
「大学行く予定だよ。志望校とかまだ決まってないけど」
というか、なにも考えていなかった。
学内で200番中100番くらいの私は、そんなにいい大学には行けないかなと、漠然と思っていた。
ほんとうは、実家のすぐそばにある、国立の女子大に行けたらよかった。
妹はその附属の中高一貫の女子校に通っている。
中学受験で、私が不合格になった学校でもある。
大学のほうも、自分の学力では無理かなと思っていた。
大学について思い入れがあるとすれば、それだけだ。
「実家から通える大学を、どこか選ぶんだと思う」
「受かるといいね」
「ありがとう」
そこで、会話が途切れた。
レイくんと会話が途切れるのは珍しいから、私はなにを話そうか考えてしまった。
レイくんが先に切り出した。
「じゃあ、これで」
「うおおおい」
私はガタっと身を乗り出して、情けない声をあげた。
「ん?」
レイくんは、まだなにかあるのって調子だった。
あまりにも、さっぱりしすぎている。
久しぶりにお話できた余韻がもっと欲しい。
いま、この人の手を離したら、ここでお別れになりそうだと思って、私は焦った。
どうやったら、レイくんとの関係を継続できるか頭を回す。
「明日から、いっしょに勉強しようよ」
だから、私はそう提案した。
「え、どっかに集まってってこと?」
「ちがうちがう」
いや、まあ、それでもいいんだけど。
さすがに気持ち悪いと思われるかなと思って、私はすぐに否定した。
お互いどこに住んでいるのかも知らない間柄だが、レイくんは以前、ふとしたときに自分の暮らしている町を田舎だと言っていた。
確か、街づくりをやってたときかな。
いや、農場を経営してたときかも。
そうなると、都内ではないはずだから、集まれる距離ではないはずだ。
「ボイチャ繋いで、励ましあったり、たまにわからないところを教えあったりとかしてさ」
私はレイくんの説得を試みようとする。
「うーん」
レイくんはピンときていない。
まずい。
私は焦ってくる。
「結局、自習だからさ。励ますと言っても、野次みたいになっちゃうし」
「わかるわかる。確かにそうだよね」
「教えあうと言っても、苦手なの英語とか古典とかだから、答え見て覚えるしかどうしようもないのかなって」
「うーん。確かに」
説得の方法を間違えていると、私は思いはじめた。
自分の都合を押しつけるんじゃなくて、もっとレイくんのことを考えないと。
私はレイくんとのこれまでの付き合いを振り返り、彼がどういう申し出なら受け入れてくれるのかに頭を回した。
だから、こう提案した。
「私が勉強をサボらないように、見守っててほしいの」
レイくんは黙った。
もうひと押しなのかなと思った。
「見守るって言っても、見ている必要はなくて、おしゃべりする必要もなくて、ただボイチャ繋いでるだけでいいから」
私は大幅に譲歩した。
ほんとうは、おしゃべりしまくりたかった。
それを言ったら、勉強したいレイくんには、さすがに迷惑だし、断られると思った。
「いいよ」
レイくんは短く、そう了承してくれた。
私はうれしくて、家の中を駆け回りたい気持ちだった。
「だけど、俺さ」
「うん」
「たぶん、明日から家にいるときは、ずっと勉強してるよ」
レイくんのやる気に、めまいがしそうな気分になった。
自分から申し出た以上、付き合わずに、ひとりだけ席を離れるわけにはいかない。
「ゆいちゃん」
「うん」
「俺についてこれるかな」
いつものレイくんが戻ってきて、私の不安はどこかへ消えていった。
◇
その夜。
パパは私に、使っていないノートパソコンを借してくれた。
ゲームをするわけではなく、音声通話をするだけだったら、これでも足りるよとパパは教えてくれた。
パパとママは、友だちと通話しながら受験勉強を頑張ると言ったら、ものすごく喜んでくれた。
今朝まで抜け殻状態だった私が、急に元気になったので、どうしたどうしたと盛り上がってくれた。
私は、自分の部屋にレイくんと通話できる環境を整え、うきうきしながら眠りについた。
翌朝。
いつものように、みんなで食卓を囲み、朝食をいただく。
食べ終えて、レイくんを待っていようと思ってノートパソコンを起動する。
ディスコを見ると、レイくんはもうオンラインになっていた。
「ごめん。もうはじめてた?」
「遅いぞ、ゆい」
思わず、きゅんとしてしまう。
妹のヘッドセットより、著しく音質が悪い気がするけど、なんか、それもまた、いい。
逆にリアリティがある。
「すぐはじめる」
「家にいるときはずっとだ。俺が見守っていると思って、しっかり勉強するんだぞ」
なんか、はじまってる。
「はい」
長身のイケメンが後ろで見てくれている妄想に浸りながら、私はノートを開いた。




