第18話 高校二年生 春休み4 reika
玲香 reika
中野さんが、ポケットからスマホを取り出して、なにかを確認する。
すぐポケットにしまったので、通知がなかったか、時間を見ただけだとわかった。
私は、この雑談の終わりが、どこにあるのかだけ気にしていた。
いつも、私は中野さんの話したいことがなくなるか、門限が来るまで雑談を続ける。
行き場をなくしたように、だらんと地面をなでていた私の右手に、中野さんの左手が触れる。
中野さんの手のひやっとした感触に、私は思わず肩をすくめる。
距離が近すぎて、ぶつかってしまったのかなと思って、私が手をどけようとすると、中野さんの左手が、私の右手を掴んで、逃さないようにした。
マウントを取ったように、右手の上に覆いかぶさる、中野さんの左手を見る。
きれいな手。
背といっしょで、私よりひと回りくらいおっきい。
捕食されたみたい。
ふざけていると思って顔を見ると、中野さんは正面を向いたまま、まじめな顔をしていた。
てっきり、笑っているかと思った。
「先輩、『ワスレナグサ』の花言葉。帰ったら調べてみてください」
「花言葉?」
訝しがる私に、中野さんがようやくこっちを見て微笑む。
「わからないでしょう?」
なにか用意してきたんだなと、私は思った。
「先輩、学校のお勉強はできるみたいだから、言葉はいろいろ知ってるけど、花言葉なら、さすがに学校では習わないから、知らないだろうと思って」
「よくわかるね」
「花、そのものに興味なさそうですもんね」
私が思わず吹き出すと、中野さんもぷっと笑った。
「草みたいな名前の花なんだね」
「どんな草にも、花はあるでしょう」
「そうなの?」
「え、知らない」
私たちは、ぽかんとした顔で見つめ合った。
「聞いたことない植物だわ」
「私も、今回のために、わざわざ調べてきました。ぶっちゃけ、実物見たことないっす」
「帰ったら調べてみるよ」
中野さんだし、名前から想像すると、ろくな内容じゃなさそうだけど。
中野さんは得意げな顔をしていた。
◇
どれだけ話したか、もうよくわからないほどだった。
もはや、眠くなってきていた。
中野さんが、ようやく私の右手を離す。
最初はひやっとしたけど、もう同じ温度になってしまっていた。
「もうこんな時間ですね」
スマホを取り出し、時間を見ながら、中野さんが言う。
「名残惜しくて。いっぱいしゃべっちゃいました」
私もスマホを取り出し、時間を確認する。
日付が変わっていた。
「門限、過ぎてるみたいだけど、帰り大丈夫?」
「彼氏、呼びます」
眠そうな目で、あくび混じりに、中野さんがスマホを操作しはじめる。
「まだ寝てないはずなんで、車、出してもらいます」
スマホでメッセージを送りあっているのか、ぽこぽこと音が鳴る。
「こんな時間に来てくれるなんて、いい彼氏だね」
「私のほうが、立場、上なんで」
私が笑っていると、中野さんはスマホをポケットにしまって、私の顔を見つめる。
「先輩は乗せませんよ。ひとりで帰ってくださいね」
「乗せてって、言ってないけど」
「いや、あるかもって表情でしたよ」
「うそだあ」
中野さんは眠そうな目をしたまま、にこにこしていた。
「彼氏、先輩のことツボみたいで、先輩の奇行とか、会話の内容を教えてあげると喜ぶんですよ。会ってみたいから、食事会でも誘えって、うるさいんですから」
「そのくらいなら、全然、行くけど」
中野さんは鼻で笑う。
「自分の彼氏に、わざわざ、ほかの女を近づけさせる人間が、どこにいるんですか」
「そういうものなんだ」
「先輩に彼氏寝取られたら、警察沙汰どころじゃ済まないんで」
気さくな言葉の応酬から、突然、物騒な方向に急ハンドルが切られて、私は苦笑いをするしかなかった。
「先輩って、見た目だけは、結構かわいいから」
「あ、声もかわいいかな」
「仕草も、まあまあ、かわいいわ。小動物みたいで」
怒涛のごとく、褒められた。
たぶん、これは中野さんが私にくれる褒め言葉の、一年分くらいありそうだなと思った。
「ただし、性格はお察しだけどね」
やっぱり、毒もセットで提供されるのだった。
「中野さんよりは、性格、自信あるよ」
「私よりやばかったら、社会で生きていけないっすよ」
「そこは自覚してるんだ。だったら、少しは直せばいいのに」
「私はいいんですよ。このほうが楽だから」
てっきり、自覚なくやっているものかと、この瞬間まで思っていた。
「こういう女でも、案外、自分の子どもだけは、深く愛せるものだって知っているから。いい男さえ見つければ、それで幸せに暮らしていけるんですよ」
自分のお母さんを想像して言っているのかなと思った。
「だから、彼氏を取られるわけにはいかないんです」
私は納得して頷いた。
「私、先輩みたいに彼氏いらないとか、スカしたこと言ってる女、大嫌いなんで。そんなのに、彼氏寝取られたら、最悪。親兄弟まで殺しに行くわ」
中野さんの毒ガスは、漏れちゃうものじゃなくて、ばら撒くものなんだ。
好奇心を抑えられない性格が、災いしているのかなと思った。
「あ、先輩だけは特別に好きですけどね」
もはや、そのフォローに意味があるのか、私には疑問だった。
「嫌ってくれていいよ」
「決めるのは私なんで」
ほんとうに、彼氏のことが好きなんだなと、私は理解した。
店長は中学生に手を出すやべーやつって揶揄してたけど。
私は気になって訊ねた。
「ねえ、最後だから、ひとつ聞いていい?」
「え、超うれしい。なんですか?」
眠そうな目をしていた中野さんは、急に目が覚めたような顔で訊ねてきた。
たいした話じゃないのに悪いなと思いつつ、私は訊ねる。
「彼氏のどこがそんなに好きなの?」
中野さんは、天を仰ぎながら答える。
「お金と、社会的地位と、あとは、顔?」
「富・名声・力じゃん。この世のすべてを欲してるんだ」
疑問形だった中野さんの顔が、笑いに染まっていく。
「先輩って、やっぱおもろいわ。まあ、でも、彼氏の存在は私のすべてではあるかな」
「いい人に出会えたんだね」
「先輩らしい言い方ですね。たぶん、ファザコンなだけっす。自覚あるんで」
髪をいじりながら、中野さんはそう話す。
親子ほど歳が離れていることに、触れていいのかは、私にはわからなかった。
「はじめて、私という人間の本質に興味を示してくれて、うれしかったです。もっと、そういうの欲しかったですよ」
「なんか、人に興味が持てなくて」
油断して言わなくてもいいことを口にしたら、案の定、中野さんはむっとした。
「あのね、正直だからいいってわけじゃないんですよ。これ、私が生涯、100万回は言われた台詞です」
「はい」
「わかったら、もっと嘘ついてくださいね」
言い負かされたまま終わるのは、なんかフェアじゃない気がして、私は言い返そうとした。
「それこそ嘘でしょ、100万回なんて、絶対いってない」
「そんなことないですよ」
中野さんはひょうひょうと否定してみせる。
「私は死ぬまで、このスタイルを続けるつもりなんで、100歳くらいで死ぬときには、真実になってますから」
「じゃあ、年に1万回は言われないとね。1日30回くらい必要なペースだ。1時間に1回でも足りない」
「さすが、リケジョですね。でも、計算合ってるんですか、それ」
「合ってなかったら、嘘になるだけなんだから、いいでしょ」
「うける」
うけたみたいなので、私は満足した。
雑談というのは、うけたら成功のコミュニケーションなのだ。
「いつか死ぬ時に、生涯いちばんおもしろかった女の顔を思い浮かべたら、たぶん、先輩が出てきますわ」
それはいいことなのか。
いや、いいことかな。
「奇行が目立つので」
それはよくないな。
「私もひとつ聞いていいですか」
「なに?」
「『ゆいちゃん』のどこがそんなにいいんすか」
「え、ああ」
ゆいちゃんのいいところか。
いろいろある気がするのだが、私はことのほか悩んだ。
そのいちばん手をピックアップして提示すべきと、勝手に思い込んだから。
中野さんは、じっと待っていた。
漠然としたイメージの中で、その輪郭がはっきりしていくのを感じて、私はやがてそれを掴み取って披露した。
「心がきれい」
中野さんは、あひゃあひゃと下品に笑いながら、
「ネカマのおっさんっすよ」
と、私に言い放ってきた。
「やば」
たぶん、高校生ではあると反論しようとしたら、中野さんが立ちあがった。
反射的に、私も立ちあがる。
「彼氏の車だ。もう帰って」
私は慌てて、自転車に駆け寄る。
空のポケットに手を入れて、さっき鍵を開けたことをようやく思い出す。
駐車場に入ってきた車を見ないようにして、逃げるように自転車を漕ぎだす。
「せんぱーい!」
中野さんの大きな声が聞こえて、急ブレーキをかける。
中野さんにいただいたケーキが、かごの中で傾いたのがわかった。
私はケーキをあきらめて振り返る。
「大学受験がんばれー!」
中野さんは、大きな身振りで手を振っていた。
私は、両中指を天高く衝き上げて、別れの挨拶にかえてみせる。
中野さんの下品な笑い声が、真夜中の静まり返った田舎町に響き渡る。
空に跳ね返ってこだまするそれをBGMに、私は自転車を漕いだ。
家に帰った私は、『ワスレナグサ』の花言葉の意味を、スマホに問いかけてみる。
たとえ、そばを離れても、あなたのことを忘れずに想っていますという意味だと教えてくれた。
私はスマホを握りしめたまま、布団の上に倒れ込むようにして眠ってしまった。




