第17話 高校二年生 春休み3 reika
玲香 reika
お店の脇に高く積まれたコンテナの脇。
地べたに座ると、お尻がひやっとする。
背中もひやっとするが、これはすぐに慣れるもの。
かすかに触れあう右肩だけが、わずかにあったかい。
真夜中のオアシスで、私は中野さんとおしゃべりをする。
これが最後になるからか、中野さんは思わぬことを言いはじめた。
「私、中学時代に先輩とふたりで、お昼ご飯食べたことあるんですよ。覚えてますか?」
「ごめん、覚えてない」
「忘れてるなんて、薄情ですねえ」
中野さんとはふたつ違いだから、私が三年生のときか。
一年生といっしょにお昼ご飯食べたことなんてあったっけ。
「運動会」
「あ!」
中野さんのひと言で、すぐに思い出した。
私が声をあげると、中野さんがふふっと笑った。
「校庭の隅で、ひとりでお弁当を食べてたら、ビニール袋を持った変な女がやってきて、いっしょに食べようって。なんだこいつと思って唖然としてたら、ビニール袋からスーパーで買ったようなお弁当を取りだして、食べはじめて」
中野さんはそこまで言ってから、思い出し笑いを我慢できなかったのか、声をだして笑った。
中野さん視点で語られると、確かに変な女でしかないなと思って、私も笑うしかなかった。
中野さんは笑いをこらえながら続ける。
「市販のお弁当なんて持ってきていいのって思って見てたら、『食べてみる?』って言われて」
「まじまじ見てくるから、食べたいのかと思ったんだよ」
んふっと笑った中野さんが「鼻水でちゃった」と言って、鼻をすする。
にやにやしたまま、中野さんは私の奇行を話していく。
「興味本位で食べたら、まずくはないけど、まったくおいしくもなくて、コメントに困ってる私を見て、その女、私を指さして笑ったんですよ」
私はつい、思い出し笑いをしてしまった。
スーパーのお弁当を食べて、あんな困惑した顔する人、見たことなかったからね。
「私も笑っちゃって、それからふたりで打ち解けて。思い出してくれましたか」
私は当時のことを思い出しながら頷く。
「中野さんみたいなギャルじゃなくて、もっと地味な子だった気がするんだけどなあ」
「当たり前でしょ。中1からこのファッションなわけないっす」
納得して私は笑った。
確かに、中1で茶髪にピアスでお化粧してたら、もはや、不良、だよね。
「なにを話したのかも覚えてないけど、学校ではじめて心から笑えたなって。それから彼氏ができて、学校のやつらとか、どうでもよくなりましたけどね。だから、彼氏には感謝してたんですけど、浮気の件で帳消しですわ」
中野さんにとっての学校は、あんまりいい場所ではなかったのかな。
「あのとき、なんで私に話しかけてくれたんすか」
「覚えてないけど、私のことだし、中野さんがひとりだったからじゃないかな」
「自分も友だちいないから? 先輩って、いつからそんなに誰とでも雑談するようになったんすか」
「中学に入ってからかな。小学校じゃ、話し相手がいなかったからね」
「へー。私といっしょっすね」
中学になると、ほかの小学校から来た生徒ばかりになるから、小学校時代の私のことを知っている人のほうが少なくなった。
それで環境が変わったのだ。
中野さんが私のことを覚えていたということは、それって。
「もしかして、ここでバイトはじめたのって?」
「それは偶然っす」
「なんだ、びっくりしちゃった」
ストーカー的なことかと思った。
「実は、私も先輩のこと言えないんです。最初は気づかなかったくらいなんで。同じ中学の先輩っていうのは、店長から聞いてわかってましたけど、まさかあの女とは思いませんでしたから」
「あの女扱いやめてえ」
中野さんは、ははっと笑って続ける。
「なんか見覚えあるんだよなあって思って。年齢を聞いたり、先輩の奇行を目の当たりにするうちに、ある日、ふと思い当たりましたわ」
「よく気づいたね」
「見た目変わってないですからね、先輩。いまでも中学生みたいな格好してるし」
思わず、自分の姿を確認してみる。
中学時代から愛用している服を着ていた。
「中学で身長止まったからさあ」
私が言い訳すると、中野さんは「それにしたってねえ」と言って、私の姿を舐め回すように見てきた。
私だって、ほんとうは中野さんみたいに、かわいい格好とかしたいけど、お金がないからしょうがないのだ。
中野さんとの縁を改めて不思議に思っていると、中野さんは「最後だから言いますけど」と前置きして、また思ってもみないことを言いだした。
「私、先輩のこと好きだった時期あるんですよ」
「え、中学の頃ってこと?」
「いや、そんなわけないでしょ。ただの変な女っすよ、中学時代の先輩なんて」
過去の自分に毒ガスを撒かれた気持ちになっていると、中野さんがむっとした顔で私を見つめてきた。
「やっぱり、気づいてくれてなかったんですね」
「え、ほんとにわかんない」
中野さんとの付き合いなんて、毒を盛られてた覚えしかないんだよね。
「彼氏以外、誰とも仲良くなれなかった私が、はじめていけるかもと思った相手が先輩です。女と仲良くなるなんて、私には無理なんだと、ずっと思ってた。男は性欲を向けてくる分、仲良くなるハードル低いけど、女はそうはいかないから。特に同年代の女は」
「深い話だね」
「そうですかね。普通のことっすよ」
「この深さ、普通なんだ」
「むしろ、激浅っす」
私たちは同時に笑い声をあげた。
「人って、だいたい、冷たいじゃないですか」
私はなにも言わずに頷いてみせる。
「無視したり、目を合わそうともしなかったり、人が傷つくことをわざとしてみたり、仲間はずれにしたり、いじめたり、なんか、そういうの、うんざりなんですよね」
中野さんの場合、あれだけの毒を撒き散らすなら、ある程度は受け入れざるを得ないのではと、思わなくもない。
それでも、人に意地悪をされた経験は、私にもあるから、わからなくはない。
「先輩って、私と無限におしゃべりしてくれるし。私がなにを言っても、やさしいし。怒りだしたり、泣きだしたりしないし。ふざけてるから笑えるし。生き様も、まあまあおもろいし」
褒められているのか、けなされているのか、わからない話だなと思いながら、私は聞いていた。
「だから、好きになったんですけど、途中でこの人とは仲良くなれないんだと気づいて、冷めちゃいました」
「私、なにかやらかした?」
訊ねる私に、中野さんは正面を向いたまま、変わらない調子で続ける。
「わかりませんか。自覚ないんですね」
そう話す中野さんの横顔は、がっかりしているというより、傷ついたと言っているように見えた。
「傷つけるようなことをしてたなら、最後にお詫びしたい」
中野さんは大きく口を開けて、ははっと笑った。
私は少し、ほっとした。
「かわいいっすね、先輩って。傷物にはなってないから大丈夫ですよ。ただ、さみしかっただけで」
私には、中野さんの言うさみしさがわからなかった。
「先輩って、私がお客さんから怒られたりすると、絶対、帰り際にふざけて笑わせてくれようとするじゃないですか。まあ、すべり散らかしてるときもありますけど」
「すべったことは、お詫びしないからね」
ははっと笑って、中野さんが天を仰いだ。
「ほんと、そういうとこ好きだったんですよねえ」
「ただ、ふざけてただけかもよ?」
「あり得るのがむかつく。常にふざけてるから、先輩って」
私が笑うと、中野さんも笑った。
「でも、なんていうか、私の感情には、気持ち悪いくらい配慮してくれるくせに、自分の感情は、それこそ、気持ち悪いくらいに、ひた隠しにする人だなって、あるとき、ふいにわかっちゃったんですよ」
「え、それは、なんの感情も持っていないだけだと思うんだけど」
「嘘」
私の答えを、中野さんは強く否定してきた。
なにも言い返せなかった。
「いっしょにおしゃべりして、笑いあったりはできるのに、それ以外はなにも共有できないし、させてくれない。好きも嫌いも、私には教えてくれないし。まるで、私が心に入り込むのを拒んでいるみたい。だから、あきらめたんです。これは無理だなって。先輩には、好きになってはもらえないんだなって」
「そこは、あきらめないところでしょうよ」
「否定しないんですね。正直者の先輩らしい」
中野さんの目は笑っていなかった。
「そう言うなら、人の忍耐には限界があるって、覚えといてくださいね」
「はい」
「聞き分けめっちゃいいっすね」
私が即答したので、中野さんが驚きの声をあげた。
そのまま、私の顔を覗き込んで言う。
「だから、連絡先すら知らないままだけど、友だちじゃないし、私たちの関係はこんなもんで終わっていいかって思いました。先輩が、私との関係を続けるの、望んでくれていないから」
中野さんが、私になにを望んでいるのか。
考えるほど、頭にもやがかかっていくみたいだった。
なにも言えないでいると、中野さんはあきらめたように顔を背け、前を向いて唇を尖らせた。
「『ゆいちゃん』とかいう、ネカマのおっさんとは友だちのくせに」
「なんで知ってるの!?」
驚いて大きな声を出してしまった。
名前を教えてしまったのは私の落ち度だけど、詳細をバラしたのが、店長のせいだということは、すぐに理解できた。
私とゆいちゃんの関係について、中野さんはどこまで知っているのだろうと思った。
「ほんと、むかつきますわ」
そう言いながら、中野さんは、にやにやしながら私の顔を覗き込んでくる。
私は観念して、少しだけ話してやることにする。
もうお別れなんだし、恨みごとのひとつでも言ってやろう。
「中野さんがシフトぶっちしたせいで、遊ぶ約束をすっぽかすことになっちゃって、それからずっと連絡してないんだよ」
「は?」
は、じゃないんだよと私は中野さんを睨む。
目を丸くして、中野さんは言う。
「だいぶ前ですよね、あれ。修羅になった日だから、はっきり覚えてるけど、クリスマスイブじゃないですか。ネカマのおっさんとイブを過ごす約束してるの、うける」
中野さんは、手を叩きながら、げらげらに笑いはじめた。
私は納得いかない顔で、中野さんを睨む。
「やっぱ、おもろすぎますわ。先輩って。別れるの惜しすぎる」
「いや、笑いごとじゃないんだよ。だいたい、中野さんのせいなんだし」
「それはごめんて」
反省しているなら、水に流すこともやぶさかでないのかと、私は悩んだ。
「先輩ってこわいわ。そんなつまらない理由で、ぱったり連絡、途絶えたりする人なんですね」
「そう?」
「いや、ほんとそうですよ。それ、普通に傷つく。いや、だいぶ傷つく。自覚なかったなら、それは異常だから、連絡くらいしたほうがいいですよ」
中野さんはよく、私の異常性を指摘してくれる。
私も、中野さんは私より、常識に詳しいなと思ってはいる。
「わかった?」
「はい」
中野さんは「いや、こわいわあ」とまた言いながら、急に思い出したように口を開いた。
「そういえば、クリスマスイブのあとのことって覚えてますか」
私はなんのことか思い当たらない。
「先輩、あの日『エゴ』って言葉を調べてみろって言ったじゃないですか。調べて意味がわかったとき、うれしかったんですよ。意地悪に意地悪で返してきたってわかったから」
意味がわからなくて、私は訊ねる。
「それの、なにがうれしいわけ」
中野さんは、照れくさそうな顔をして言う。
「先輩って、私にはなんの感情も見せてくれない人だと思ってたから。たとえ、それが小さな怒りでも、わたしにはうれしかったんです」
中野さんって、変わってるなと改めて思った。
こんなことを言う人、いままで出会ったことがなかったから。
「先輩と過ごした時間で、それがいちばんの思い出かな」
「もっといいのあるでしょ」
「こんなにいいのは、ほかになかったですよ。自惚れすぎです、さすがに」
それからしばらく、中野さんは黙ってしまった。
ついに自分の毒が、自分にまわりはじめたのでなければいいなと思って、私は中野さんが口を開くのを、黙って待ってみることにした。




