魔女狩り a.k.a.『氷姫』
*
不潔な夢を見た――わけではない。むしろそっちの方がまだマシだったかもしれない。だって淫らな夢はきっと気持ちが良いから。不快な夢では決してないだろう。
夢に出てきたのは夜逃げする前の両親の顔。吐き気がするほどに笑顔を貼り付けただけの、どこに感情があるのか分からないお面みたいな顔だ。どういった感情で私を見ていたのか、その笑顔の裏で私のことをどのように思っていたのか。あの頃の私では分からなかった。
今の私ならわかるのだろうか。でも、もう両親がどこにいるのかすら私は知らないし……知ったところで会いたくもない。会いたくないのに夢に出る。それが非情に不愉快でムカついて、腹立たしいと同時に愛おしい。どこか後悔している、どこかで悔いている。悲しい悲しいと泣いている。
「私に……触れなかったのは本能的に危険だって思った?」
空き教室。次の授業が移動教室であった場合、幾つかの教室は空くことになる。もしくは授業や部活動によって教室を使い分けるために予め学年の教室として使わない予備教室が備わる高校もある。どこか埃っぽく、それでいて目に見える範囲での机の上にも使われた形跡がないほどに埃が積もっているため、普段使いされることもなく、また部活動でも頻繁に使われる教室じゃないみたい。そして人目に付きにくいところとなると連想できるのは屋上の一つ下――この高校の校舎は四階建てだからまさにその四階の一番奥の教室。窓から見える景色からもこの推理は間違っていない。
校長と話している間にスマホをスカートのポケットに移したのだが、それが私の好きな曲を奏でて着信を知らせる。だがこちら側から電話を掛けることは声で出来ても、着信に声だけで出ることは出来ない。だからまず着信が切れるのを待つ。それから自らの声を用いてまずは音声アシスタントを起動させ、「アミューゼに電話を掛けて」と伝えることで電話を掛けさせる。
『ミイナさん! オカルト研究会で話を聞いていたんですが』
「その情報は別にいらないかも」
『いえ、これは淫魔についての連絡ではなくて』
「じゃぁなに? 私も私で伝えたいことがあるから手短に」
『この高校に、淫魔だけじゃなくてもう一匹いるんです!』
「は?」
『だから、私たちが淫魔に捕まった場合、恐らくですがそのもう一匹に私たちが魔女の才能を持っているとバレてしまう可能性があって』
「アミューゼ」
残念だ、という意味を声音で表現する。
「捕まっちゃってるんだよね。その淫魔に」
『え……ミイナさん? 今どこに?』
「校舎の四階。そのどこかの教室。淫魔は私に手を出してない。ただ両手両足が動かない」
刻印に触れられなければ魔法は使えない。目で魔力魂を把握してはいてもそれを穿てない。なんとも歯痒い思いをしなければならない。
「一応、こっちに向かう間に教えてくれる? もう一匹いるって確証に至った理由」
『はい。あの、オカルト研究会の方々がこの学校の七不思議についてお話してくれたんですけど、どれもこれも陳腐で下らない作り話ばかりで眠くなっちゃうほどだったんですけど、一つだけおかしなものがあったんです。それが『氷姫』です。この高校には誰も名前を知らない絶世の美少女がいて、声を掛けてもなんの反応もないそうです。周りに聞いてもそんな子はいないって言われて、それでも自分の視界にはいつもその子が入るようになって、とにかく綺麗で美しいらしく、魅入られた男子生徒はなんとか気を惹こうとあれやこれやと手を打つんです。そして段々と周囲から浮くようになって最終的には誰にも構われなくなる。そして完全な孤独に陥ったとき、絶世の美少女がようやくその男子生徒と話をするそうです』
「それで? 話し続けて? 私は私で今、起こっていることを見ているから」
教室に男女が入ってくる。どちらも制服姿で、女子生徒は目がトロンとしていていかにも夢うつつといった具合だ。これはどう見てもこれからいかがわしいことが起こる雰囲気しかない。このままだと目の前でおっ始められてしまいそうだ。別に性嫌悪はしていないが他人のそれを見たいとは本当の本当に思わない。気が狂う自信がある。
「これに一体なんの意味があるわけ? 単純な淫魔の趣味?」
この淫魔がなにに共感し、一体誰の感情が共感されてしまったのか。私はそれを知る術を今、持ち合わせていない。あそこで眠らされさえしなければ掴むことができたはずなのに。
男子生徒は女子生徒に強烈な口付けを交わしてから、続いて私の方をジッと見る。顔の形が歪んで見える。男子生徒のフリをしているだけで、この高校に通っている誰でもない。正体を現すことさえできればその制服の下に隠れている汚らしい肉体が露わになるだろう。
オァッ! オァ゛ッ! と人間の声を発しようと試みている。だが淫魔にはそれだけの知能はない。奴らは上級悪魔の夢魔と違って人の見る夢に入り込むことはできても言葉で篭絡する術を持たない。
問題はそこだ。私は自分自身で気付く。私はもしかすると夢の中で自分の都合の良い夢を見させられている可能性がある。魔女の催眠と似たようなもので、これは眠りの落とした淫魔にしか解く方法がないとするならば、アミューゼとの通話もなにもかもが夢や妄想で片付けられてしまう。
淫魔の両手の指が徐々に人間から掛け離れて長く長く伸びていく。触手のように細く伸びて、爪先が私の頬を滑る。信じられないほど鳥肌が立った。心底、気持ちが悪い。
「校舎の四階の空き教室。それは淫魔が共感したとある男子生徒にとってのトラウマの場所。その男子生徒の通う中学校にも四階に空き教室があった」
どこからともかくファルシュの声が響く。続いて問答無用で教室の扉が破壊される。
「そこで男子生徒は自身が好意を持っていた女子生徒と、自身を虐めている男子生徒との接吻を目撃した。女子生徒が自身に優しくしていたのはその男子生徒の気を惹くためだと知り、その男子生徒は嘆き悲しみ、屋上から飛び降りた。奇跡的に落ちた先は花壇の上、救命措置によって一命を取り留めるも、未だ病院のベッドから目覚めることができていない」
淫魔がファルシュへと飛び掛かるが右の拳で殴り飛ばす。
「貴様、共感するにしても気色が悪いんだよ。執着していて分かりやすい。被害者は全員が同じ中学出身だ。それも屋上から飛び降りた男子生徒と同じ中学だ。陽キャ、陰キャ。キョロ充。実はそのどれにも該当していない」
「なんで私が調べようと思ったことをファルシュが?」
「俺たちは担当魔女の思考をある程度まで共有する。マスターの身になにかが起こったとしても調べたいと思ったことは引き継いで調べる。勿論、身に危険が迫っているならそちらを優先する」
ファルシュの拳が私の両手足を拘束している不可視の拘束具を砕く。私の目で見ても魔力魂が砕けているので再生もしない。
「だが、お前は男子生徒の失恋に共感したんじゃない。ただ男子生徒が抱いていた邪な思いに共感しただけに過ぎない。俺はそこが一番、腹立たしく思う」
まるで化けの皮のように男子生徒の面影、そして制服が千切れて醜悪な化け物が現れる。
「あなたが私の夢に出てくるのは淫魔にとって都合の悪いことのはず。だからこれは夢じゃなくて現実。そうでしょ?」
「なんだ? まだ疑っていたのか……と言うよりも、マスターはブレザーの内ポケットを確認していないのか?」
言われ、私は内ポケットをまさぐる。手にした物を取り出すと、そこには魔除けのお守りが入っていた。これは持っているだけで魔が夢に侵入するのを防ぐ効果がある。だから眠らされはしたものの、淫魔は私の夢に入り込むことができなかった。そうなると私の扱いに困り、この空き教室に一時拘束したのだろう。
「先に言っておいてほしいんだけど」
「支給された持ち物ぐらい把握しているものだと思っていた」
やり取りを交わす中で私は自身の刻印に触れ、いつでも淫魔に魔法を放てる状態をキープする。今のところ淫魔はまだ攻撃性を露わにしていないし、連れ込まれた女子生徒を保護しなきゃならない。
「ミイナさん」
ファルシュが教室の扉を先に壊していたのでアミューゼにとってはそれが一番の目印であったらしく、彼女のホムンクルスであるキルトも含めて早期の合流が叶う。彼女は手元のスマホの通話を切って、淫魔を刺激しないようにゆっくりと私へと近寄る。
「淫魔は被害の内容が最悪ではありますが、攻撃能力はほとんど持たないと言われています。私やミイナさんでも制圧可能でしょう」
「それは私も思う。だけど、そうなってくると」
「はい。私たちはあの淫魔に共感しなければなりません。正確には淫魔が共感した男子生徒の感情に。ファルシュさんの話はスマホから聞こえていたので大体を把握していますが」
「失恋したことある?」
「ないです。なんなら初恋も」
「私も……いや初恋ぐらいあるでしょ?」
無いことある? 無いでしょ。
「え、あ、すいません。思わず嘘をついてしまいました」
良かった。ちゃんと人間らしく強がっていただけだった。
「ミイナさんは、えっと、その、ふしだらな感情を抱いたことは?」
「特定の個人に執着する感情は分からない」
「私もです」
共感可能な面が見当たらない。
「これは魔女狩りと戦う前のデモンストレーションと捉えるべきでしょう」
キルトが眼鏡の位置を整えつつ言う。
「魔女間における争いで共感は敗北。ですが魔女対魔女狩りであれば共感は必須となります。私たちホムンクルスは造り物であるがゆえ、どのような感情にも共感できますが、それは偽りの感情。決して魔を打ち砕く決定打を与えられるわけではありません。魔を砕くは魔女のみ。ご主人様とミイナ・サオトメ様の手で討つほかありません」
それは事前に聞いている。魔女と戦うとき、相手に共感してしまうと魔法の威力が落ちるだけでなく場合によっては通用しなくなる。でも魔女狩りに対しては共感することで魔法の通りが良くなるだけでなくその命を奪う一撃を可能とする。
「同時に、共闘における共感関係の構築を学ぶべきだ」
ファルシュが付け加えてくる。私とアミューゼは同じ敵を前にしている。そして争う状況にない。このとき、私たちは逆に共闘する相手と共感することが求められる。
いわゆるフレンドリーファイア――共感していれば味方の魔女の魔法に巻き込まれてもほぼ無傷になる。これは師匠に教わったことだけど、灼熱の炎も45℃前後のお湯と同等の熱さになり、絶対零度も体感温度で言うならば-10℃の寒さに抑えられるそうだ。通常であれば焼け死んだり凍え死ぬことがなくなり、お互いを傷付け合うことなく魔法の乱発ができるようになる。問題は、それを教えてくれた師匠が一度だって魔女と共闘する場面を見せてくれなかったことぐらいだろうか。
「お互いに共感可能な部分は?」
淫魔の動向から目を離さないままやり取りを続ける。
「私とミイナさんに共通点は少なく、また共感できるような部分は見当たらないと言いますか」
「それは私も同じ。だけど、二つはあるじゃん」
「ですね。まず一つ、制服が似合っているとお互いに褒め合った点」
「そしてもう一つは」
アミューゼが右手の甲にある刻印に触れる。
「「あの淫魔だけは絶対に許さないという正義感」」
淫魔が魔力を感知して生存本能に従い、両手の指を槍のように私たちへと伸ばし突き刺そうとする。
「「刻印よ、怒れ」」
詠唱によって生じた私とアミューゼの二人分の炎が淫魔の身を焼く。その間にファルシュとキルトが動く。キルトがまず私たちの炎から女子生徒を身を挺して守り、ファルシュがその女子生徒を抱えて空いていた窓から身投げするかのように地上へと落ちていく。
「大丈夫ですか?」
「うん、熱いお湯ぐらいかな」
「私もです」
このぐらいの共感であれば一時的であれ、私たちは互いの魔法で巻き込むことを気にしなくて済むようだ。
けれど問題は、私とアミューゼは共感できても淫魔にはまだ共感できていないことだ。
「なにをそんなに悩む? あるだろう、一つ。マスターには、男子生徒と共感可能な点が」
女子生徒と一緒に落ちたはずなのにファルシュはもう壁を登って戻ってきていた。この感じだと保護した女子生徒はもう安全なところまで運び切ったのだろう。
炎に焼かれた淫魔はようやく己が戦わなければならないことをハッキリと自覚し、十本の指を断続的に槍のように伸ばして私たちを貫こうとする。師匠の魔法に比べればこんなのはなんてことはない。アミューゼも魔女になるために相応の訓練はしているようで、私よりも軽やかに鮮やかに刺突を避ける。
「言われたこと、分かりますか?」
「……ええ、とっても分かる。とっても共感できるところがあった」
ありがとう。
別にファルシュに言われなくたって気付けたとは思うけど、やや思考する暇のないこの場面では彼の助言がなければもっと時間を要していたかもしれないから心の中で一応は感謝しておく。
「飛び降りるほどの絶望感。私はこの淫魔が共感した男子生徒の感情に共感可能よ」
瞬間、私の目では淫魔の赤黒い肌が一気に青白い色へと変貌したように見えた。きっとこれは共感できた者にしか見えない変化でアミューゼには未だ淫魔が赤黒く映っていることだろう。
「アシストします」
「家柄からしてアミューゼがトドメを刺さないといけないんじゃ」
「共感不可能な私では失敗します。それに、討たなければならない相手を前にしてトドメどうこうを言い合うことを私はミイナさんとしたくはありません」
淫魔の尚も続く刺突を避けながら彼女は答える。
「あのお二人だったなら、話も違ってくるでしょうけど」
半分冗談の半分本気。アンテオとジルヴァラはトドメに固執しそうなのは分かる。これもまた共感できる点とも言える。
なんだ、意外と魔女と共感することって難しくないことじゃん。
「刻印よ、悲しめ」
アミューゼの魔法が淫魔に水を浴びせ、その足元に水溜まりを作る。
「刻印よ、悔やめ」
そこに私は手の平に集めた雷を放つ。魔法において属性の相関関係は自然現象以上に強烈だ。だから純水でない限り、水は電気を通しやすいという法則がこの場合はより一層の威力へと変わる。ただ雷に貫かれるだけに留まらず、淫魔は自らの身から離れることのないエネルギーによって感電し続けて、汚いだみ声を発しながら黒焦げになり、倒れ伏した。私の雷魔法がここまでの威力に変わったのは絶望感に共感できたからだ。この出力を普段から出そうとするとほぼ魔力全てを使い切るレベルになる。
「やりました?」
「まだ。魔力魂が砕けてない」
私の言葉にアミューゼは首を傾げる。私の言っていることってそんなにおかしいことなのかな。
「次の魔法で魔力魂を貫く。もし淫魔が動くようだったらそれを妨げて」
「はい」
多分、もうほとんど動けないだろうけど念には念を入れておきたい。
「刻印よ、」
「ワタシのペットになにをするの?」
詠唱を中断してアミューゼと背中合わせになり、ファルシュとキルトが私たちを守るように前に出る。空き教室の天井と壁が一気に延長し、だだっ広い空間に変わる。
「催眠?」
「違います、これは空間超越。特定の魔しか使用不可能な捕縛領域です」
そう言ったキルトに寒風が纏わり付き、瞬く間に彼女の両足を凍て付かせる。そのまま体へと及びそうな凍結を彼女は迷うことなく両足の凍結部位をを拳で叩き折ることで脱する。
「キルト!」
「問題ありません。私たちは再生できますので」
「『魔女の大釜』へ通達。ミイナ・サオトメ及びアミューゼ・ドライトの任務にて想定外の魔の接触有り。応援求む」
ファルシュが声に魔力を乗せて外への干渉を試みている。
「空間超越で外部と断ち切ることができても、魔力は貫通します。私もファルシュ様の連絡をアシストします」
「醜い醜いワタシのペット。ああ、なんて醜いペットなんでしょう。ああ、なんて……なんて男の欲望とは、こんなにも醜いのかしら」
もはや動くことのできない淫魔が寒風によって凍結する。
「接触対象を魔女狩りと認定。以後、対象のa.k.aを『氷姫』とする」
「男が喋るな!!」
ファルシュが顔を上げた瞬間、その肉体のほとんどが巨大で鋭い氷柱に貫かれて半壊する。
「っ!」
声を上げることもできず、しかしなにか声を出さないといけないと思いながら私は肉体のほとんどを失ったファルシュに駆け寄る。
「応援到着まで逃げるんだ、マスター」
「でも!」
「ホムンクルスは代えが利く。だが、マスターに代替はない」
「ファルシュ!!」
私の声にもうファルシュは反応しない。
髪の毛を掻き乱しながら私は冷静さを必死に取り繕う。
考えなければならない。この状況を打破する方法を。




