手応えがあった
「催眠で人は死ぬと魔女は言っていたけれど、そんなものは脅し文句だ。彼女がこの催眠世界で人を殺していたとしても、現実で彼女の行動が原因でその人物が死ぬわけじゃない」
「その手の魔法について私は詳しくないんですが、そうも自信を持って言えることなんですか?」
アミューゼは不安そうに問いかける。
「死んだ、と思ってそのままなにもしなければ催眠から目覚められない。外部から起こしてもらうことで目覚められるけどね。起こす側にメリットがないから大抵はやりたがらないだけさ。いやなに、難しい話じゃない。そこまでして起こしたい相手か、って話さ」
「わたくしは魔女の社交界で耳にする家柄、そして名前については控えておりますので、そういった方々の催眠を解くのはメリットを感じますわ。ですが、ミイナ・サオトメのようにこれまで耳にしたこともなければ聞いたこともない名前のお相手をわざわざ起こして恩を売ったところでなにもありませんでしょう?」
自分にとって益であるかそれとも無益であるか。魔女の秤の基準は常々に自分本位である。だがこれもきっと催眠を掛けてきた魔女からの問題なのだ。水と油同士、交わらない者同士が利用し利用される形とはいえ手を組むとする。けれどその結果、最終的に催眠世界でペアを組んだ相手を現実世界で助けようとするか否か。そもそも状況の打破なんていう曖昧な言葉でこの試験を突破しろという部分にも問題があって――というかこの試験は問題しかないわけで、つまりは私が色々と考察したところで意味はないってことだ。
「そういうの、もう良いんでさっさとしてもらえますか」
「随分と上から目線ですのね」
「いつでも下から目線に言い直しますけど、その前に言うことは言わせてもらいます。さっさと青い炎を押し返して最初の場所まで戻らせてください」
「下から目線……?」
そう呟くとジルヴァラは笑う。
「あなた、面白い言葉の使い方をなさいますわね。そういうユニークなことを話せる召使いが欲しいところですわ」
「召使いにはなりませんが」
「控えてくださいませ。あなたが欲しいなどと言ったつもりはありませんわ」
ああ、私のようにユニークなことを言える召使いを欲しただけか。勘違いしたこっちのミスだ。
「申し訳ありません」
「ドライト家の面汚し? ユニークな方とペアになれたことを幸福に思いなさい。この奇特な存在のおかげであなたは助かりますわ。やはり、面汚しであってもドライト家特有の幸運性は持ち合わせているようですわね」
褒めているのか貶しているのか、そして私のことを奇特な存在とまるで珍獣みたいな扱いをするのはやめろ。その血筋持ちの裕福な奴らは下賤な私たちみたいな奴らを態度だけでなく言葉でも見下すな。ちょっとは隠せ、協力する気であるのなら。
「さて、長話をしている暇はございませんわ。青い炎がまだわたくしの炎で御せる間にキーングレントの嫡女の推理が真実であるか偽であるかを証明しなければなりませんわ」
その長話のキッカケはお前にある。
「刻印よ、叫べ」
銀色の炎が噴き出し、それを正面に指先の動き一つで操り、ただただ感情の波濤を一直線に放つ。火柱が駆け抜けて、青い炎を押し退け私たちが通る道筋を作り出す。
「まるでモーセのようだ」
モーセという神に選ばれた人物が約束の地へと向かう道中で海を割って難を逃れたという逸話がある。ジルヴァラはそれを銀の炎で成し遂げた。しかし海を割った奇跡と火を押し退けた魔法を比べてはならない。私の師匠は魔法のことを「奇跡を真似しただけのつまらないもの」と言うことすらあった。だから神話や逸話、聖書などに残る奇跡に魔法は届いてすらいないってことなんだと思う。
「わたくしの魔法でも青い炎が再び侵食してきていますわ。このテイラー家の『銀』を侵そうなど、罪深い魔法ですわね」
そのように表現するのだからテイラー家にとって銀の炎とはどんな火属性の魔法よりも高尚なもので、なによりも血筋とプライドの象徴なのだろう。アンテオは彼女がそういった銀の炎のスペシャリストだと知っていたから白羽の矢を立てたのだ。魔女の社交界なんてこれっぽっちも興味はないが、そういった経験の差が私と彼女たちで如実に表れていることだけは学んでおかなければならない。
「呆けている暇はないよ」
アンテオが真っ先に走り出す。別に呆けていたわけではなく、先頭を走るのを避けただけだ。こういったときの順番や並びは先頭を避け、中間を選びたくなる。前方は立ち塞がる脅威に挑まなければならないし最後尾は後方より迫る恐怖に怯えなければならない。その合間に挟まれていれば取り敢えずの応用が利く――などとは思っているが、物事は先んじて動ける者ほど恵まれる。だからアンテオのような瞬発力を私は持っておかなければならない。ならないのだが、こうして持ち合わせている者たちを前にすると動けないのだから出自の差、学びの差を実感させられる。
アミューゼと一緒にアンテオとジルヴァラのあとを追う。
「それにしてもドライト家の面汚しも魔法の一つや二つ見せてくれてもよろしいのに」
「私の魔法なんてここにいらっしゃる方々の足元にすら及びませんから」
謙遜なのか自虐なのか、判断しかねるがこれまでのアミューゼの態度を鑑みるに後者だろう。確かに私は未だにアミューゼがどんな魔法が得意でどのように感情の波を扱うのかを見ていない。見ていなければ分析ができない。分析できない相手はそれだけで脅威だ。
ひょっとすると私が一番、気を付けなければならないのはアミューゼなのかもしれない。彼女を利用しようと私は優しく接しているが、そもそもその考えこそが誘導であったなら? 虚を突かれるとすればアンテオやジルヴァラではなく、彼女だ。だから気を引き締めなければならない。この命、常に狙われていると胸に刻もう。
至る所に焼死体が転がっている。感覚が麻痺しているわけではない。見ないようにしているだけだ。見たくないものは見ないようにするだけで様々な情報をシャットアウトすることができる。私たちは正確に物体を把握する際、ちゃんと視界に収める必要がある。一、二秒程度、視界に入ったぐらいでは想像の余地で補完されるだけでそれ以上の恐怖も嫌悪も苦痛もない。しかし五秒も見てしまえば記憶に残る。特にこういった人生の岐路で起こった出来事は夢にまで見る。だから自分自身を本能だけでなく意識的に守らなければならない。それでもこの経験は未来永劫忘れることはないんだろうけど。
「どこを見ても焼けた死体ばかりだ」
「そういうこと言わないでください」
「大勢の死の上に私たちは立っています」
アンテオに文句を言ったがアミューゼまで言い出したので、この雰囲気を止めることはできなさそうだ。
「あなたたちにとって死なんて見慣れているものなんじゃないの?」
「死は間近にあって、よく起こることではありますけどこうしてハッキリと死体を見ることは稀でしてよ」
「結局、私たちの前まで死体がやってくることはないからね」
「私の人生が安定しているのは全て誰かの不幸や死があるからだと、そのように刻めと母にはよく言われていました」
なんだその私の知らない世界の話は。
「下賤な生き方をしていると思われるミイナ・サオトメは死体を見慣れていらっしゃるのでは?」
「不幸だからって死体をいくらでも見る環境下で育っていると思ったら大間違いです」
むしろ不幸とは死から最も遠いところにある。だって死んでいないから苦しくて辛い。死んでいないから不幸だと感じるのだ。幸福もまたそう言えるのだから、ひょっとすると幸せも不幸せも実は似たり寄ったりなのではないか。
もはやこれは想像の考察だ。こんなのは思春期特有のみんなが見ている世界と違う世界を見ている私に酔っていることで起こる妄想でしかないのだから。話したら鼻で笑われるから黙ったままにしておく。
「さて、そうこうしている内に目的地に着いたわけだが……どこもかしこもほぼ炭化している割に、あそこの焼死体だけはまだ原型を保っている」
これほどに辺り一面が燃えたのだから焼死体は炭化、もしくは白骨化していても不思議なのにまだ人の形をしている。
「どう思います?」
「簡単だ。立ち向かえ、打破しろと言ったんだ。つまりはこういうことだ」
ジルヴァラの問い掛けに対してアンテオは不敵な笑みを浮かべて焼死体に触れる。瞬間、私たちの前からアンテオが消失する。
「なるほど、死体に触れることでこの催眠世界から抜け出せるというわけですね」
そう言いつつジルヴァラが手を伸ばす。
「待って!」
引き止める私の声を無視して彼女の手が死体に触れた。ジルヴァラは私の言葉に反応しないまま催眠世界から消失する。
つまり、青い炎を押し退けていた銀の炎もまた消え去る。感情の波を発している根源がこの世界から消えたのだ。もはや青い炎をせき止める力は存在しない。
一気に辺り一帯を青い炎が占領し、それだけに留まらず私たちへと迫る。
「くっ!」
私はアミューゼの手を取り、思い切り死体の方へと力強く放り出した。
一瞬の判断に従ってしまう。仕方がない。最後の最後で人間性が出てしまった。別に優しいと思われたいとか、親切だとか自己犠牲の精神に駆られたわけじゃない。
これは本質。生まれ持ってしまった人それぞれが持つ個性とも言うべきもの。極限状態において人を救いたいと思うか否か。自分優先か、それとも他人優先であるか。
保身にだって走れる。むしろそれが正解だ。助かるためなら他人を犠牲にしたって構わない。目の前で列車に向かって飛び降りた人を救おうとして一緒に轢かれるくらいならその人だけが轢かれればいい。だって死にたくないから。別に助けたくないから動けないんじゃない。死にたくないから助けないのだ。大多数はそう。なにも間違ってない。でも私はどちらかと言えば少数派。それを師匠に見抜かれて「捨てなさい」と言われていたのに捨て切れなかった。
皮肉にもその人間性は魔女を目指す私には不必要なもので、しかしながらアミューゼを助けるためには必要なものだった。
「馬鹿だな、私は」
迫る青い炎の勢いに呑まれ、その火は体に引火する。
でも、諦めてはいない。死んだと思えば死んだことになるのが催眠世界。アンテオの言っていたことを私はそう解釈した。だったら死んだと思わなければいい。奇しくも私は、燃える肉体に対して抗う術を知っている。
魔法という奇跡の足元にも及ばない人智の力を、知っている。
*
「不真面目な者ほど蔓延りやすいのが世の中だが、魔女の世界はそうもいかない。今までその生き方でどうにかなっていたとしても、どこかで必ず歪みを正さなければならないときが来る。それが魔女であったなら人々の日常を脅かすほどの災害にすらなり得る。だからここで折らなければならない。自らの生き方がいかに甘えに満ちていたかを実感し、魔女など目指したことを後悔するほどの絶望を」
数百人規模の催眠状態を引き起こした魔女は冷徹に言葉を並べる。
「水と油。出自も歩んできた人生も真逆。だが、ゆえに手を取り合えないのであれば魔女の世界では不要だ。幸福と不幸は別に魔女の優劣に関わらない。なのにいらないプライドと無駄なコンプレックスをぶつけ合って共倒れするのならこっちからそんな才能は願い下げだ」
一人、二人と目を覚まし始める。
「耐え切れず不幸を殺したか、それともコンプレックスを拭い切れずに幸福を潰したか。どうせ目覚めてもペアのどちらか一方しか生き残らないのが関の山だ。見たところテイラー家もキーングレント家も目覚めたところでそこのところは変わりない」
くだらない、と魔女は一蹴する。
「柔軟性が足りないのだ。彼女らは自らの才覚で危機を突破したと思っているだろうが、そうではない。私が課した催眠は、彼女らにとって決して難しいものではない。むしろ軽々と突破してくれなければ話にならない。ペアと共に目覚めていれば多少は評価も上がったのだが」
ドライト家の長女が目覚めたところを魔女は目撃する。
「結局、ドライト家もなにも変わってなど、」
「どうすれば催眠は解けますか?!」
分析している魔女に駆け寄り、ドライト家の長女が叫ぶ。
「早く教えてください! 外側からなら干渉可能ですよね!? 催眠を解くための鍵は?! 触れ方は!?」
「それは――」
彼女の圧に押されて魔女は催眠の解き方を伝える。ドライト家の長女――アミューゼは未だ催眠状態にある一人の魔女候補生に近寄り、魔女が説明した通りの触れ方で催眠の鍵を一つ一つ丁寧に解いていく。
「催眠は他人が掛けた者をまた別の他人が解くことの方がずっとずっと危険なのだが」
「ドライト家の面汚しにしては一手一手が驚くほどに丁寧ですわね。本当に面汚し? 他人の催眠をここまで丁寧に扱えるなら掛ける相手の精神状態に左右されやすい治療魔法ならば、もしかすると」
アミューゼに催眠を解かれた魔女候補生が目覚め、上体を起こす。
「確か、ミイナ・サオトメ……だったか?」
遠目からそれを確認し、魔女は呟く。上体を起こしたミイナはキョロキョロと周りを見て、自身が催眠から解放されたことを確かめると立ち上がる。そしてジルヴァラへと真っ先に向かい、その胸倉を掴む。勢いで彼女が前方へと傾いだことを知った上でミイナはその額に頭突きを喰らわせる。
「私たちを殺す気か!? ジルヴァラ・テイラー!!」
「な、な、なっ!? なんなんですの?!」
「あなたが先に催眠を解いたら! 青い炎をせき止めていた銀の炎だって消えるでしょうが! あなたは最後に死体に触れなきゃならなかった!!」
「あ、あ……あ~! ごめんあそばせ? 下々のことなど考えてなどおりませんでしたわ」
「くそくそくそくそ!! やっぱりお前らみたいな連中となんて組むんじゃなかった!」
「だがドライト家の長女と出会わなければ君は助からなかった。まぁ催眠が解かれるまでの間、業火に焼かれながら死んだことを否定し続けるという地獄を味わいはしただろうが」
「うるさい! そういうところが鬱陶しい! 自分は悪くないと我先に主張し始めるだけじゃなく、『~がいなかったら』とか『~じゃなかったら』とか言い出すその態度が鬱陶しい! あと人のことは名前で呼べ! あなたが名前で呼ぶことを強制してきたくせに他人にはしないのはおかしいでしょうが!!」
魔女はその様子を見て、感情がひり付く。ここ十数年、全くもって動くことのなかった感情に潤いが満ちる。
「面白い」
自然とそう発していた。自己犠牲の果てに相容れない相手に救われた魔女候補生を心の底から歓迎していた。
「ミイナ・サオトメを寄越したのは…………黒雷の魔女、か。『私は常に全盛期』と言ってはばからなかったあの女が弟子を取っただと?」
「どうしますか? 黒雷と言えば夜会ではなく例の『百日魔宴』に参加した疑惑を持つ一人ですが。彼女の弟子を受け入れたとなると顰蹙を買いかねません」
「まだ静観しておこう。それにあの女も弟子をこちら側に預けたなら少なくとも敵意を持ってはいない。なにか起こしたとしても弟子を人質にしてしまえばいい。ここはそういうところだ」
将来有望な才能、或いは敵意を持っている可能性を持つ魔女の弟子を一ヶ所に集める。それは将来の魔女を一網打尽にするチャンスであるが、同時に多数の人質を手にしていることを意味する。
「それに、今年は出るやもしれん。魔女狩りを終焉にもたらす者が」
希望を伝えると溜め息をつかれる。
「毎年仰っていますよ。もう聞き飽きました。そしてこのあと、試験を突破した者たちに伝える言葉も知っています。『魔女に共感するな、でも魔女狩りには共感しろ』」
今年までは感情を乗せていない言葉であることを魔女は弟子に伝えない。期待など語れば共感されかねない。たとえ弟子に対してでも共感などさせてはならないと魔女は知っているからだ。だがその全ては魔女狩りに対しては覆ることを魔女候補生には伝えなければならない。その部分だけは毎年のことながら譲らない。
弟子と話している内に少数ではあれ催眠から目覚める者たちがいる。死体に触れることが催眠を解くトリガーであるが、それは方法の一つに過ぎない。だが、打破できずに催眠世界で死亡して覚めない夢に苦しんでいる者の姿も見える。彼女たちはこののち魔女の手で催眠を解き、帰ってもらう。不平不満は命拾いしたことで帳消しになる。毎年、そうしてきた。
「いい加減、傾向と対策を取ってもいいと思うものだ」
「魔女がそんな大学入試の勉強みたいなことするわけないじゃないですか。それが出来たらこっちの世界になんて来ませんよ。それに催眠内容は師匠がいつも変えていらっしゃるんですから対策の取りようもありませんよ」
「違いない」
一通り目覚めたのを確認して魔女は手を叩き、注目を集める。
「ようこそ、二度と戻れぬ『魔女の大釜』へ。私たちは君たちを歓迎する。形だけではあるがね」
「え?」
ミイナが目をパチクリとさせる。
「魔女狩り撲滅委員会――通称、『MGBI』なんじゃ?」
「……あなたがなにを言っているのか理解できない。そんな名称はこれまでもそしてこれからも使われてこなかったが」
魔女は本当に理解が伴っておらず、そのようにしか返答できない。
「なんで弟子を騙してんのよ、あの師匠は!!」
ワナワナと手を動かし、魔女から離れてからミイナは怒りの声が上げ、強く辺りへ木霊する。
「どこかで見ていらっしゃるんでしょうか」
「ここまで入念に仕込んでいるんだ、完全にやってる。ゲラゲラ笑っていることだろう。さすがの私も破天荒が過ぎてドン引きだな」
「師匠にそこまで言わせるのですから、私は絶対に会いたくありませんね」
弟子は呆れ顔で溜め息をついてはいるがミイナの反応の良さに「分からなくもないですが」と付け足し、魔女から預かった複数の書類を手にして霧のように消えていなくなった。




