銀の炎
「ああ、良かった。断られたらどうしようかと思ったものだ」
大げさな物言いで演技の安堵をついた。別にこの人は私たちと手を組まなくていい。なのにどうして手を組みたいのか。もしかして催眠を解く条件になにかしら関わってくる? 誰かを犠牲にしなきゃ解けないとか?
「怪しむのは構わないが、そろそろ走るとしよう」
青い炎が見える。やはり延焼の速度が上がっている。早い内に動いた私たちですら追い付かれそうなのだから私たちよりも遅く動いた人たちは焼け死んでいるんじゃないか。良くない想像だ。どんなに他人のことなんてどうでもいいと思っていても、他人が大勢死ぬことを望んでいるわけじゃない。
「ミイナ・サオトメ。君は少し魔女らしくない」
「なんですか?」
青い炎から逃げる最中、無愛想に返す。名前を覚えられていたことへの驚きは隠す。なにか、そう、彼女にとって私の名前が心に引っ掛かっただけでそれ以上の感情はないだろうから。
「君に師匠は魔女の基本すら教えてくれなかったのかい? 魔女は共感したら、」
「負ける」
「……その通りだ。だったら私の言いたいことも分かっただろう」
同情と共感は同等だ。大多数が苦しんで死ぬことに同情すれば、それは境遇への共感になり得る。アンテオはそれをやめろと言っている。そんなことをしても自身を弱くさせるだけだと彼女は思っているからだ。けれどそれは魔女が敗北を避けるためでしかない。なにも人間性まで捨てろとまで言われてない。
「人を蹴落とすことしかやってこなかったから分からないんでしょう?」
「ははっ、いや、その通りだ。蹴落としてきたから人の気持ちへの理解は欠けた。まぁそこをどうこう思われたくはないし、別にそれで共感を得たいわけじゃない。そんな不意討ちに意味があるとは思えないからね」
「だったらなんで言ったの?」
「さぁ? 私にも分からない」
だったら聞かないでほしい。今は無駄な脳のリソースを避けたいのだ。
「あなたは」
「アンテオだ」
「……アンテオさんはこの状況を打破する方法を知っていますか?」
「催眠を解く方法ではなく?」
「私が聞いているのは打破する方法です」
彼女はあくまでも私の聞いている内容が間違っていないかといった雰囲気を見せている。
「あの、魔女の方は私たちに逃げろとは言っていなかったですし、催眠を解けとも仰っていません。あくまで状況を打破しろと」
アミューゼは私の質問を補足してアンテオに投げかける。すると求めていた対応が返ってきたことへの喜びを表すように笑う。
「私は幼い頃よりドライト家の長女は能無しと聞かされてきたのだが、なかなかどうして噂通りではない」
「会ったばかりで人を見下すのは、」
「良いんです良いんです。私も母によく言われていることなので」
……それは遠慮すべきところだろうか。他人に言われるより肉親に言われる方がダメージは大きいし、本人が否定しない限りずっと言われ続けると分かっているんだろうか。
「それよりもアンテオさんは策を持っているのかどうかです」
「策……はは、そうだな。策を持っているか否かで言えばあるにはある。しかしながら、どうにも及ばなかった」
「なんですかその含みを持たせた言い方は」
協力関係を強いてきたのなら協力する態度を少しは見せてほしい。だが、この欲求はアンテオが私たちから引き出したものだ。つまりは求められれば応じるが、同列で尋ねられても答えかねる。そういう心境、心の持ちようだ。立場が上なら答えられるとか、どれほどに感性がひん曲がっているんだろう。
「実は一度試してみたんだが、その試行においてペアが死んでしまった」
疑問しかない。
「敵わないのなら挑みはしない。私から言わせてみればペアが早計だった。この一言に尽きるのだが、煽ったのは私だ」
「遠回しな言い方はやめてください。もっとストレートに言ってください」
「ジルヴァラ・テイラー」
銀の炎が前方を遮る。
「せっかく、あなたのペアを綺麗な銀装飾で仕立てて差し上げたのに見捨てるなんて酷い話ですわ」
いや、銀の炎が遮ったんじゃない。銀の炎で包み込まれた人間を私たちの正面に投げ落としたのだ。
「まったく催眠だなんて困ったものです。身に付けていた物は全て手元にありますが、このようにスマホは一向に動く気配がありません」
焼死体にアミューゼと共に息を呑んでいるのも束の間、その炎の自らの片手一本で払い切った女がスマホの画面をこちらに見せてから銀の炎に包み込んで遠くに放り投げた。
「これではじいやと連絡を取ることができませんし、なにより依頼品を届けることも仕立てることもできません。魔女養成所というものは簡単な手続きで済むとお祖父様から聞いていましたのに……なかなか面倒ですわね」
「人を一人殺しておいてよくもまぁそんな態度を」
「あら? 世に伝え聞くキーングレントのご息女とあろうものがなにを仰っているんですの? あなたが、そのペアを不要だからとわたくしに寄越しただけでございませんか。それとも、自身に非はないと仰るおつもりで?」
マズいな。このジルヴァラとかいう女の子は関わっちゃいけない。いや、魔女が徒党を組むみたいな勢いで関わること自体がそもそも間違っているんだけど、この子とは目線を合わせることも言葉を交わしちゃいけないタイプだ。まず自分の人生の中で接触しない人物。視界に収めることもなく、どちらが優れているとか劣っているとかそういう思考すらも起こさずに互いに無関心を貫いていつもの間にか傍にいたとしても遠くにいる。そういう存在だ。
「ドライト家の能無し長女に……誰、ですの? わたくし、失礼ながら物覚えが良い方ではありませんの。特に、自身の人生で絡むことがない負け犬の臭いしか発していない醜い女など。ああ、容姿のことではありませんわ。醜いと言いましたのは精神の話ですわ」
ギラギラとした銀色の瞳、色素を抜いたのではと思うほどの白肌に銀というよりはもはや白くて長い髪――驚くのはその白さがあまりにも綺麗で、際立っていて、艶やかで滑らかであること。この催眠世界の光源を浴びれば驚くほどに白髪が反射して眩しさすらある。大体、こういった子は細身で筋力不足で腕や足が細かったりするものだが、どうやらそれはフィクションの世界だけの話らしい。どれほどに白い肌を持っていて儚げな印象があったとしても、この子の腕や足は私たちと変わらないし、変わっているのはゴシックな衣装を普段着として身に纏っていることぐらいだろう。
いや、普段着なのか? わざとそういう格好をしているんじゃないか?
「ミイナ・サオトメさんだ。聞いたことぐらいはあるだろう?」
「ありませんわ」
即答し、血かと疑うほどの赤さが目立つアイシャドウと銀の瞳が私を刺す。実際には軽く目をやったぐらいなんだろうけど、赤と白と銀の組み合わせは睨んできたかのような錯覚すらあった。
「ああ、私もさっき名前を覚えたばかりだ」
だろうなと心の中で思う。アンテオはジルヴァラを試しただけに過ぎない。
「それで、わたくしに牙を剥いたことについてなにか謝罪は?」
「謝罪? 私はペアと共に君に協力を求めただけだが」
「しゃ! ざ! い!」
強く地面を踏み締めて、強くアンテオに求めてくる。
「わたくしの貴重な時間を奪っておいてなんですの、その仕草、その態度は。キーングレント家で一番の才女という噂は嘘でしたの? わたくしは申しましたよね? 人にものを頼む場合は頭を下げて頼むこと、と」
「私のペアは頭を下げたが?」
「角度が足りてませんでしたわ。なにより、どうしてわたくしと同じ高さで、同じ位置で頭を下げたんですの? 違うでしょう? ここは日本ですわ。日本には日本の最上位の頼み方があるでしょう?」
土下座のことを言っているんだろうか。あれを強要すると日本じゃ強要罪にもなりかねないんだけど、この子は多分そのことを知らない。
「悪いけれど私の育ったところはヨーロッパの方でね」
「言い訳するんですの?」
銀の炎――ジルヴァラの感所の波が揺らめく。
「わたくし、全てのご依頼主に予め忠告しておくんです。どのような依頼も受けますし、修正も承りますわ。でも決して『言い訳はするな』と。仕立て直して、やっぱり前の方が良かったなんて口走ることなんてしないでくださいと。わたくしは芸術品を仕立てておりますの。その芸術に難癖付けて、わざわざ歪ませなければならないわたくしの苦痛を知っていまして?」
オーダーメイドこそが仕立て屋の仕事だろう。体型に合わない服を体型に合うように修正するのも仕立て屋の仕事だ。それを自身が芸術家だと語って『言い訳無用』と言い出したら、それはもう本当に服飾芸術へ向かった方がいい。
「だから言ったじゃないか。君は仕立て屋よりもアーティストになるべきだと。ああいや、これを言ったところでどうにもならないか。だって君は、そっちの世界からノーを突き付けられて『言い訳するな』と言われた側の人間だし」
感情の波が完全に銀の炎へと変換されて、ジルヴァラを包み込む。
「なんで煽っているんですか!」
私はたまらずアンテオに怒鳴る。
「この状況を打破する方法を知りたいんだろう? だから今、見せている」
「そんなことより早く謝ってください!」
「もう遅い!」
アミューゼがアンテオへ求めて返事をするまでもなくジルヴァラの声が炎に乗って木霊する。
「ジルヴァラの炎は青い炎に対抗し得ると私は考えている」
「は!?」
「魔女は言っただろう? 立ち向かえと。つまり、私たちは炎に耐え凌ぐのではなく炎に立ち向かわなければならない。火は水や土で抑え込める。でも試したところ水の魔法はここじゃ使えないし、土の魔法じゃこちらを覆い、囲ってくる青い炎を消せない。だからって周囲を土で固めても私たちは蒸し焼きにされるだけだ。だから単純な話、とても単純な話だよ。青い炎に対して火属性の魔法で立ち向かう」
「そんなの」
「私たちじゃ無理だろう。でもジルヴァラの銀の炎ならそれができる。そして向かうは私たちが最初にいた場所だ。私は疑っているんだよ。あのパニックは偶然に引き起こしたのではなく必然として引き起こし、私たちを外へと逃げるように誘導したのではないか、と」
一理はあるし推理としても肯きたくなる。説得力というか、確信めいたものを抱いているようにすら思える。
「じゃぁ私たちは逃げずにあの場所に留まっておくべきだったんですか?」
「いいや、青い炎を私たちではどうしようもない。留まろうとしても結局は焼け死ぬだろう。つまりこの試験は」
「炎から一度離れ、改めて挑む準備を整えて炎に立ち向かい、押し退けることが催眠を解く条件だと?」
「ミイナ・サオトメが言ってくれた。私はあの場で最も動じない者を利用したかった。君に目が留まったのは必然だったな」
そのせいで私とアミューゼは今、青い炎ではなく銀の炎に焼き尽くされそうになっているんだけど。
「あなたが喧嘩を売ったのならあなたが責任を取ればいいじゃないですか」
「手を組むことに同意したのは君だろう?」
「事情を知っていれば断っていました」
「知らないからこそ提案しただけに過ぎない」
私は頭を振って、押し問答にも近いワケの分からない理屈で私を丸め込もうとしているアンテオに苛立つ。ジルヴァラのせいで霞んでしまっていたが元々、この女性も私の人生で関わってはいけないタイプの人間だった。黒はなんでも塗り潰すが、その黒という色の下には幾つもの色が隠れ潜んでいる。アンテオは上手い具合に私に勘付かせないままジルヴァラとの再接触に成功したのだ。
「刻印よ、叫べ」
ジルヴァラを包み込んでいた銀の炎が弾け、空から火球のように降り注ぐ。
「こちらの手の内を探ろうとしても無駄だ。刻印よ、笑え」
アンテオは手首の刻印に触れながら詠唱し、私とアミューゼを避けるように引き起こされた旋風が全ての火球を薙ぎ払い、寄せ付けない。
「もっとわたくしを妬みなさい! もっとわたくしを恨みなさい! その怨嗟が! その叫びが! わたくしの叫びを強くする!」
右手の人差し指にある刻印に触れて、ジルヴァラは感情を弾けさせるようにそう叫ぶと薙ぎ払われた火球の全てが一点に収束し、大火球となってこちらへと再射出される。
「あなたの風ごときで! わたくしの感情は飛ばせない!」
「参ったな」
参るな。たった二手で詰まれたら私たちは死ぬしかないだろ。だが実際、正攻法であの銀の大火球を止めるのは相当の手練れではないと不可能なのも確かだ。
「本気を出しなさい、キーングレントの嫡女! この程度の魔法に屈するあなたではないでしょう!?」
ジルヴァラが挑発してもアンテオは動く素振りを見せない。
「逃げましょう、アミューゼ」
私はアミューゼの手を握って踵を返す。しかし逃げるにしたってジルヴァラとは逆方向となるが、そっちは青い炎へと立ち向かう形になる。
この試験は逃げる選択を取るのではなく、立ち向かう選択を取らなければならない。
アンテオの言葉を簡潔に纏めた言葉が、さながら師匠の言葉のように脳内に響く。
「最悪」
握っていたアミューゼの手を放す。
「ミイナさん?」
「前方に銀、後方に青。そしてどっちに転んでも焼け死ぬだけ」
なら、まだ突破口のある方を選ぶべきだ。
「刻印よ、悔やめ」
胸元の刻印に触れ、左手を前方へと滑らせる。ジルヴァラの火にもアンテオの風にも及ばない弱々しい雷鳴を響かせ、指先に電気が迸る。
「みすぼらしい雷ですわね」
「どんなに小さな雷も、放たれれば光速のエネルギーです」
「だから?」
「あなたの火球の落下速度よりも速く貫ける」
感情の波を一塊にして放たれるのであれば、私の感情の波は一点に集中して針や槍のように貫くだけだ。その形のイメージに最も適しているのが私の場合は雷の魔法ってだけで、人によっては形態が異なるだろう。
弱々しくても私の手から放ったのは人の命を軽々しく奪う光速のエネルギーだ。貫き方がどれほどにみすぼらしくても、棘を刺せればそれでいい。
それだけで大抵の感情の波は解れてしまうのだから。
「わたくしの、銀の大火球が……?」
私の雷で貫かれた銀の大火球は割れて崩壊し、火の雨として降るものの身を焼き尽くすほどの熱を帯びてはいない。
「魔力魂を貫かれてしまったようだね」
「馬鹿なことを仰らないでくださいませ」
「そうですよ! 魔力魂を意図して貫ける人なんてこの世のどこにもいないんですから」
「え?」
「え?」
アミューゼの発言に疑問符を付けただけの声を発すると彼女もまた疑問符を付けただけの声で返してくる。
「けれど、魔力魂を貫かれなければあんな魔法の魔の字にも至っていないみすぼらしい雷魔法が君の銀の炎を打ち破れるわけがない」
ギロリと銀の眼差しが私を貫く。
「……認めはしましょう。けれど、あなたからのわたくしへの謝罪がなければ」
「それはすまなかったと思っているよ」
「はぁっ?!」
軽々しい謝罪にジルヴァラが素っ頓狂な声を上げる。
「納得できませんわ!」
「謝罪は謝罪だ」
「納得できませんわ!」
「君は頼み込む際に頭を下げる角度をどうこうと言っていたが謝罪に関してはどうこう言っていなかったからね。今更どうこう言ったってどうこうできないよ」
一度の発言にどれだけ『どうこう』を放り込む気なんだろうな、アンテオは。でもジルヴァラを手玉に取るような物言いは私もアミューゼもできないから、さっさと話と折り合いを付けて銀の炎を手中に収めてしまってほしい。
「ああもう、ままなりませんわ!」
言いながらジルヴァラは再度、私を睨む。
「あなた、お名前は?」
「ミイナ・サオトメ」
「勘違いなさらないでくださいませ、ミイナ・サオトメ。わたくしは負けたわけではありませんわ。そして、殺したくて殺したわけでもありませんわ。そこのキーングレントが寄越してきたのが全てですわ」
「そうは言うが君だってペアの子が見当たらないじゃないか」
「わたくしはそもそもペアを組んでいませんわ」
なにを言っているのかしばらく分からなかったが、物言いを一から考察するならばジルヴァラはペアを見つけての行動を取っていないんだろうと分かる。その答えに辿り着くまでに一分弱掛かったのでもう少し具体的に言ってほしい。どちらにしたってジルヴァラと組めなかったペアの相手は見捨てられて青い炎で焼け死んでいるとしか思えないが。その場合、ジルヴァラは既に二人もその手で殺しているとも言える。私は人殺しと手を組まなければならないのか。




