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水と油

「あの……83番、です、よね……?」

 震える声で私の手元にある番号札を確かめるように同年代の女の子が問いかけてくる。

「あ、御免なさい! そんな、睨まないでください」

 物凄く弱腰な女の子だ。私に話しかけることさえ一世一代の挑戦だったとでも言わんくらいの緊張感が表情から伝わってくる。こんな子が優れた血筋で、それでいて私のペアだなんて想像もしなかった。

「あなたは?」

「あ、す、すみません、私はアミューゼ・ドライトです。あの、日本語で伝わっているでしょうか?」

「え、あ、はい」

「良かった。父が日本人ハーフで、日本語の翻訳の仕事をしていたので私もそのときに日本語を多く学んだので……いえ、そんなことはどうでも良くて」

「私は、」

「ミイナ・サオトメさんですよね? 自己紹介を聞いていたので知っています」

「そう」

「あの、あの……! 私たち、助かるんでしょうか」

 この子はあまりにも弱々しい。立ち居振る舞いが常になにかに怯えているようで顔は常にうつむきがちで視線は泳いでいて、ちょっとした音で小さな悲鳴を上げてしまうほどだ。身に付けている衣服も派手な格好で周囲を威嚇するような血筋連中と異なって物凄く地味で、色味が薄い。

「もしかしてもう助からなくて、私たちは魔女に殺されるためだけに集められて……あぁ、もう、死んでしまうんでしょうか」

 信じるか信じないかで聞かれれば信じない。信じちゃ駄目だ。立ち居振る舞い、服装だけで相手の深層心理まで掴み切ったような感覚に陥ってはならない。常に疑り深く、常に裏切られることを念頭に置き、時には逆に裏切ることを考える。師匠にはそう教わったし、なによりも魔女は人を簡単に信じてはいけないし共感してはならない。

「アミューゼさん、深呼吸をしてください」

「え?」

「深呼吸をして、聞いてください」

「分かりました」

 私の言うことを素直に聞いて、アミューゼは深く息を吸い込み、そして吐く。これを一度、二度と続けていく。

「魔女は私たちの感情を揺さぶっているだけです。殺す気なんてないですし、この試練は感情を乱されずに突破することを想定していると思います」

「感情を揺さぶっている?」

「私たちは感情の波を魔法に変えます。それらを乱されれば詠唱しても魔法は発現しません。そうですよね?」

「はい」

「恐怖でパニックに陥らせ、各々の魔法に影響を与えた上でどのように状況を打破するのか。魔女はそれを試しているのかと。なので、感情を乱してはいけません。炎は確かに私たちに迫ってきていますがその火の回りはとても遅い。これが本当の火事、火災のレベルであればもっと火の回りは早く、私たちに猶予なんてありません」

 アミューゼは少し体の震えが収まる。

「で、では、そのことを皆さんに」

 そう言って動こうとしたアミューゼの腕を掴んで止める。

「やめてください」

「え、どうして」

「私はあなたがペアだから自分の考えを話したんです。ペアでもない人にまで推察の域を出ない内容を話してほしくはありません」

「でも」

「出し抜かれる前に出し抜かなければなりません。人としての感情は捨てましょう。他人の心配よりも自分たちの心配が先。優先するのは自分たちが生きること。違いますか?」

「…………いいえ、なに一つとして間違ってはいません」

「でしょう?」

 分かってくれたみたいだ。

「けれど、間違っていないからこそ私は正しさに抗いたいと思います」

 私の手を払いのけてアミューゼは駆け出す。


 温室育ちのお嬢様の考え方は理解不能だ。人の推察をさも自分の手柄のように他人に話し理解を得ようとする。その行動は常識から外れすぎている。


「でも、羨ましい」

 そのように他人を気遣える心の余裕を持っていることが羨ましくて仕方がない。お金に困ったことなんてないのだろう、危ない橋を渡ったこともないのだろう、命を狙われたことすらも、それどころか死を間近で体験したことすらもきっとない。憎たらしいほどに自分自身とかけ離れているが同時に自分自身が持ち合わせていない資質が憎たらしいほどに羨ましい。

 だが、その資質はこの場において邪魔になる。現にアミューゼは他のペアに話しかけこそしたが、彼女の言葉に誰一人として耳を傾けはしなかった。


 五分ほど経って己の目指した結果に辿り着けなかったことに絶望した顔で彼女は私の傍までトボトボと戻ってくる。

「どうして……」

「みんな今は心の余裕がないんです。早く行きましょう」

「行くってどこに?」

「とりあえずはあの青い炎から距離を取るんです。距離さえ取ればそれだけで時間稼ぎになります。青い炎から逃げてさえいればいずれ私たちは魔女が求めている答えに行き着くはずです」

 最後の言葉にはこれっぽっちも信憑性はない。口から出任せだ。テキトーに言葉を並び立てることでアミューゼの信用を得ようとしている。私だったらこんなことを言う輩の傍にはいたくない。

「分かりました」

 でも、アミューゼは受け入れる。言葉を信じているのか信じていないのかまでは分からないけど、少なくともこの状況においては私の言葉を信じている風に装った方がいいと判断したに違いない。

 私たちは水と油だ。決して交わらないし、決して分かり合えない。なのにアミューゼはズルい。この子となら分かり合うことができるんじゃないかと錯覚してしまう。いや、これはただの欲望だ。私は単純にアミューゼを支配しやすいと思ったに過ぎない。この助教で都合のいい存在が向こうからやってきた。だからそのことに気を良くして、ありもしない感情を並び立てて自身を正当化しようとしている。冷静にならなければならない。決して相手に気を許してはならない。

「でもどうして私たちがこんな目に」

「そんなことは知りません。嘆く前に状況の打破を考えます」

 これが魔女養成所に入るための試験であるのなら、催眠を解く方法は必ず催眠世界に存在しているはず。もし試験でもなんでもないのなら詰みだけど、まだ望みを捨てるべきときじゃない。悲観して、悲嘆に暮れる前に動ける元気がある内に試せることは試しておくべきだ。


 青い炎の延焼は続いてはいても私たちの走る速度に追いつくことはなく緩慢だ。ただ、いつ延焼が加速するかも分からない中で安堵なんてできない。逃げ続けるだけで助かれば御の字だけど魔女は私たちに「逃げろ」ではなく「打破しろ」と言った。つまり、今は逃げているだけでいいかもしれないけど決してそれは魔女が求めている答えではない。


「さて、人生で人を蹴落としてきたことはあれど」

 見えてきた十字路をそのまま真っ直ぐ駆け抜けようとアミューゼに目配せをしてから正面に顔を向き直すと、その横道から女性が姿を現す。とおせんぼをするかのように出てきたので自然と私たちは足を止める。

「協力などしたことがないので、どのように頼めばいいのかはさっぱりだが」

 汗ばむ私たちを冷ややかに見やり、女性は明らかな上から目線でほくそ笑む。

「君たち、この私と手を組む気はあるかい?」

 男性的な言葉遣い。そこに連なるように立ち居振る舞いもどこか男らしい。けれど声色は女性的で腹立たしいほどに体型も女性のそれが強調されている。なんだこの二律背反みたいな女性は。

「ありませんが」

 なので即行で拒否する。こういう人とは関わったって良いことがない。師匠が足繁く通っていたホストと同じ雰囲気がある。女性の場合はどう表現するんだろう、キャバ嬢? でもキャバ嬢ほど女々しさが感じられないからやっぱりホストっぽいな。

「誰だって最初はそう言う」

「だったら協力なんて求めないでください。あなたのペアと協力してください」


「ついさっき死んでしまってね」


 緊張が走る。その死んだというのは果たして青い炎に焼かれたことを指すのかそれともこの女性が殺したことを指すのか。自身の手で殺していてもこういったタイプの人間は自分から「殺した」なんて言わないんだ。あくまで自然に、自らが手を下したわけではなく運命的にそうなってしまったかのように「死んでしまった」と言う。

「キーングレントのご息女です」

 アミューゼが私にボソリと言う。

「最初に催眠だと気付いた人?」

「はい。確か名前は、」

「アンテオ、そう呼んでくれて構わない」

「え……?」

 その返答にアミューゼは疑問の声を零し、更に首をやや横に傾げた。恐らく自身が記憶している名前と女性が発した名前が一致していない。だがそこを指摘した場合、私たちに降りかかる火の粉は青い炎の比ではないことだけは分かる。


 風を切る音色――アンテオ・キーングレントからは明らかな感情の波を向けられている。あとは刻印に命じるだけで私たちの体は引き裂かれるに違いない。だが同時に彼女が得意とする属性も風だと分かった。だから脳内シミュでは対処法は導き出される。問題はそれを現実にできるかどうかだが……お手上げだ。私では対処方法通りに実現するのは不可能だ。それほどの実力の差を感じている。


「どうだい? 考え方は変わったかい?」

「……これは、一応の確認なんですけど」

「ふむ」

「もし断ったらどうなりますか?」

「ははははは、どうもならないさ。そう、どうもならない。ただ」

「ただ?」

「君たちが魔女の出した課題をクリアするのが遠のくだけさ」

 答えを知っているが教えないという意味か、それともとことん邪魔をして私たちが試験を突破しないようにするという意味? これをそのままぶつけてもいいけど、返事がどちらも怖い。前者ならアンテオに人を助ける気持ちが最初からないってことだし、後者なら最初の言葉通り人を蹴落とすことに躊躇いがないってことだ。


 私は馬鹿か? 魔女はそういうものだって自分で言い聞かせてきたじゃないか。なのに非情であり非常識であることを怖がってどうするんだ。大切なことはそこじゃない。彼女の存在が私にとってプラスになるかどうかだ。たとえ利用されることになったって現状を打破できるのであれば受け入れるべきだ。


「分かりました。手を組みましょう。アミューゼもそれでいい?」

「はい」

 別にアミューゼに確認を取らなくてもいいんだけど、取った方が協力している感は出る。それにきっとノーとは答えない。彼女だって、らしくはないが魔女候補生なのだ。アンテオの実力を読み解けないわけがない。歯向かうことが破滅だと判断できるはずだ。


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