憧れ
フロントに入ってまず最初に思わず鼻を指で摘まんでしまうほどの異臭が鼻を突いた。
「なにこの臭い」
「魔女が薬を使うときのそれに似ていますね」
「そうなの?」
「実家で何度か嗅いだことがあります。たまに給仕の方が何人か気を失ったりもするのですが」
だからさらりと怖いエピソードを出さないでほしい。
「なんで入ってすぐにこんな臭いがするんだろ」
「それは私も変だなと思っていて。だって薬品の臭いがするとすればそれは生成しているポーション部屋周辺に限られます。臭いが充満しているのは明らかに変です」
「この臭いはこのまま嗅いでいても人体に影響はないのか?」
「『魔女の大釜』から支給された抵抗薬を飲んでいればまず問題ありません。ただ、それは臭いの面で大丈夫というだけであって実際にポーションを口にして抵抗薬のみで影響を抑え込めるかと言えば……」
そこでアミューゼは言い出し辛そうにする。要は私たちと同じでアンテオも臭い程度では気を失うなどの症状は出ないが臭いの元であるポーションを飲まされた場合はその限りではないってことだ。
「行こう」
臭いにも慣れてきた。抵抗薬のおかげで鼻を摘まんだまま捜索に当たらなくて済むのはありがたい。シグネラと一緒にゴーレムを倒しに行ったときに指摘されていて良かった。でなきゃ私は今頃、無能のレッテルを貼られていたことだろう。
「端末の履歴を調べる」
フロントの端末をファルシュがタップしている。
「個人情報がそんな簡単に出てくると思えないけど」
「だから正規の手段ではない方法で調べるんだ」
そう答えて彼は肩から掛けていた鞄から精密機器を幾つか取り出し、そして自身の端末とホテルの端末同士を接続。その後、私にはなにをしているのかサッパリ分からない工程を経て、接続していたケーブルを抜いて自身の端末に表示された情報を私たちに見せてくる。
「407号室……男性のお名前をアンテオさんから事前に聞いていて正解でしたね」
「いつの間にこんなハッキングみたいなことを」
「みたいな、ではなくほぼハッキングだ。ただし、滅多なことではやらない。『魔女の大釜』によると後始末が大変らしい。だが、今はそうも言っていられないだろう?」
緊急性を伴っているからファルシュの判断は正しい。
「でも次からは私に了解を得てからするように」
その後始末でもし怒られることがあればそれはホムンクルスの行動を止めなかった私になる。
「分かった」
返事はいつもしっかりしているんだけど、どうにも怪しいんだよな。自己判断が多くて、あとで私が釘を刺すのが形態化しないかだろうか。それともあれかな? 私に叱られたいみたいな欲求があったりする? それはそれで迷惑なんだけど。
ファルシュの自立的行動力をどうコントロールすべきか悩みつつも慎重にホテル内を進む。407号室は四階にあるに決まっているのでまずはエレベーターか非常階段を探す。
「こういう異常事態のときにエレベーターを使うのは躊躇われますね」
「でも階段は階段で怖くない?」
体力を使う云々ではなく、精神的にどちらも使いたくないというのが本音だ。日常使いしているときはあんまり気にならないのになんでこういうときは様々な物への信用性が落ちるんだろ。ただ火災が起きているわけじゃないからエレベーターが動かなくなるってことはないだろう、さすがに。
「エレベーターを使いましょう」
映画では緊急停止しても天井から脱出したりするけど現実には天井は施錠されていて開かない。そして出たところで落下死する可能性が高まるだけというのをネットで学んだ。とはいえ、非常階段で四階まで登るのはそれはそれで骨が折れる。体力には自信があっても、不毛なところで消耗はしたくない。楽が出来るなら楽をしたい。
そういう思いか、もしくは私に思考を委ねているのかアミューゼから否定的な意見はなく、私たちは見えてきたエレベーターフロアでボタンを押す。ほどなくしてドアが開き、私たちは中に入って四階のボタンを押して閉じる。
なにかしらの攻撃があるものだという前提で身構えていたが四階までエレベーターが昇ってドアが開いても一切の攻撃はない。ファルシュに偵察に出てもらい、私たちはエレベーターから降りてフロアでやや待つ。ファルシュが帰ってきて特に魔に遭遇しなかったことを伝えられ、私たちは本当にこのホテルでなにが起こっているのか分析できないまま407号室の扉の前に着く。
「鍵は……開いてる」
『キーングレントは私になにを与えてくれた? なんにも与えてはくれなかった! なのに教えだけは私に押し付けてきた! あんなプライドの塊みたいな教えは懲り懲り!』
『それはあなたのことをキーングレント家が受け入れるために必要なことで』
『受け入れるために必要なこと? 必要なことだったら嫁入りしたばかりの私を指導と言って魔法で切り裂いていいの? 毎日毎日毎日毎日、これがキーングレント流だ、みたいな雰囲気を出してひたすらに私は痛め付けられた。夫は味方してくれなかった。私が馴染むのをただ待ち、眺めているだけだった。そんな異常な状態に馴染むのを、ただ待っていただけなのよ!』
『それはあなたほどの才覚を持っていれば必ずキーングレントの教えに馴染むと思ってのことで』
『あなたは良いわよね! 直系血統で才能もあれば品もあって、見た目だって良い。個を持っていて、やりたいことや目指すことをしっかりと見据えることができている。傍系血統で入ることになった私はあなたとは真逆! 直系でもないのにキーングレントの教えを叩き込まれる日々! 人の顔色を窺って生き抜くしかなかった人生。でも、あなたは違う。あなたの将来は明るくて、未来に満ちている。でも私にはそんなものはもう来ない。そういう時期はもう過ぎている。私には、あなたの頃のような未来への希望や共に凌ぎを削ってくれる人もいない』
『私は』
『これ以上、惨めにさせないで。フィルス』
『違う、私はアンテオ・キーングレントだ』
『馬鹿言わないで。さすがの私でも目だけは腐ってない。あなたはフィルス・キーングレント。傷付いた私にいつも駆け寄って気に掛けてくれた子。少なくとも、人間の心なんて微塵も感じられないアンテオ・キーングレントであるわけがない』
『待ってください』
『待たない。私は私が最良だと思う道だけを望む!』
室内での大声でのやり取りののち、感情の波が激突している。魔法の行使によって風切り音が何度も響き渡り、室内の様々な物が落ちたり割れたりする音が何度も何度も聞こえる。
さすがにこのままずっと外で聞いているままではいられない。私は意を決して扉を開く。
「アンテオさん!」
「ミイナ嬢とアミューゼ嬢。遅かったじゃないか」
「ホテル内部に浸透している魔力に驚いてしまって慎重にならざるを得ませんでした」
聞いた話についてアミューゼはアンテオに何一つとして尋ねることなく遅れた理由を喋る。慎重になったのは事実だし、嘘ではない。
「悪いけど、もう大体は片付いているよ」
そう言ってアンテオが視線で促す。一人の女性が血だらけで倒れている。
「あの出血ならもう助からない」
「そ、うですか」
冷たく淡々とアンテオは言う。けれど扉越しで聞いたとき、彼女はもっと感情を前面に押し出していた。少なくともこんな冷たいことを言うような素振りは全くなかった。むしろあの女性をどうにか引き止められないかと苦心していたようにも感じられた。
それに、本当にあの出血で助からないだろうか? 私にはまだ助かる余地が残されているように見える。
「あなたは、私の味方だと思っていたのに……」
「私はキーングレントの人間です」
「じゃぁ傷付いた私を必死に介抱してくれたのは、気に掛けてくれていたわけじゃなくそうするように言われていたから?」
「いえ、それは」
「なぁんだ…………やっぱり、あそこに私の居場所はどこにもなかったってことか。ふふっ、だったらもう迷う必要もなんにもないじゃない」
「あの、」
「私の感情を食べなさい、魔女狩り。あなたの感情には共感できなかったけれど、あなたの餌にはなってあげるわ」
血だらけの女性の足元の影が大きく大きく広がる。まるで落とし穴に落ちるかのように、続いて影が縦に伸びて作り上げた牙だらけの大きな口へと女性は落ちて、バクンッと勢いよく閉じた。
鮮血が撒き散らされ、噛み切られたものの口の中へと入らなかった女性の腕や足といった部位が室内に転がる。アミューゼが思わず悲鳴を上げ、私は凄惨な光景に言葉を失う。
「私は…………私は、こんな形での別れを望んでいたわけじゃないのに……!」
アンテオが握り拳を作り、体を震わせる。怒りか、悲しみか、そのどちらもなのか。感情の波が揺れているのは分かっても、その感情の答えまでは私には見出せない。
「……っ! 私は! あなたが挫けずに頑張っていた姿に! 憧れたのに!! それを伝えたかったのに! 見逃そうとさえ考えたのに……! なのにどうして魔を飼うなんて馬鹿なことを……!」
私は彼女のことを冷たいだとか、笑っている顔の裏でなにを考えているか分からないとか、そういう感じで気味悪がっていたけれど。
今、この瞬間だけは彼女の無念が、声に出して伝えることのできなかった苦しみが分かる。義務や誇りなど放り出して、先ほどの魔女をなんとか救い出そうとしていたのだ。
するとやはり、男への行動の全ては演技であったのだ。なんとしてでも自身が魔女に接近する。その強い意志しかなかった。誰よりも早く魔女に接触し、誰よりも早く諭し、逃がす。それが彼女の感情の全てだった。ただし、魔を飼っていたことだけが懸念点だったのだろう。
「ミイナとアミューゼ、手を貸してくれ。私の尻拭いになる。だが、魔女を喰らった魔女狩りは看過できない。キーングレントの誇りに懸けて、あの魔女狩りを討つ」
「私は大丈夫だけどアミューゼは」
「出来ます!」
悲鳴ののち、溢れ出た涙を拭いながらアミューゼが決意の眼差しを向ける。
「私だって魔女です。悲鳴は上げても、戦えない無能にはなりません!」
「やはり試験のときに君たちに声を掛けた私の勘は正しかった。あの魔女狩りは件の男の感情と共感している」
「男は?」
「魔女狩りが共感した時点で始末された。元々、それだけの存在だったんだろう。いや、私の顔を見て男を早々に用済みとしたのさ。追い詰められた魔女にとって一般人の協力者は邪魔になるだけだからね」
「ならこの魔力で満たされたホテル内部は、魔女が魔女狩りを飼っていることを外部に知られないようにするためのものってことか。私たちは自分から空間超越に入り込んだのと同じってわけね」
「君、私に敬語を使わなくなったな」
「え……あっ!」
状況が状況だから素を出してしまっていた。キーングレントはどうやら凄まじい血統らしいから、これは一旦マズいか。
「気にしなくていい。この場において妙な気遣いは不要だ。好きなように話せ。その方が私も君たちに共感できる」
「キルトへ通達。対象を魔女狩りと断定。以降魔女狩りをa.k.a『継ぎ接ぎの王』と呼称する」
ファルシュがホムンクルス間での連絡を行い、拳に魔力を宿す。
影のように地面を駆け抜けて、魔女狩りはその姿を全て晒す前に猛スピードで室内から廊下へと飛び出した。
「逃げる気?!」
「いや、それは不可能だ。死んでもまだ魔女の結界は生きている。それが解けるまでは外には出られない」
「では追いましょう。誘い込まれている可能性もありますが、隠れられてしまえば時間を浪費してしまいます」
魔女狩りからしてみれば結界が解けるまで隠れ続けるだけでいい。解けたら逃げれば当分は討たれずに済む。でも、逃げたのは怖いからとか時間稼ぎをしたいからってわけじゃないような気もする。なんだろうな、なにか……なにか、気掛かりだ。
「残滓を追うのは得意だ。任せてほしい」
アンテオが言って先んじて廊下に出る。私たちは彼女のあとに続く。ホテルはそこまで複雑な構造をしていない。宿泊施設は分かりやすい形であるからこそ親しまれ、複雑であればあるほど気軽には使い辛くなる。少なくともビジネスホテルは前者であった方が客回りがいい。だから魔女狩りが逃げられる場所など限られている。そりゃ部屋は沢山あるけどアンテオが残滓を追えるなら虱潰しに調べることにもならない。
「ここだ」
そう言ってアンテオは迷わず扉の鍵を魔力で破壊して室内へと入る。私たちはそれに続き、ユニットバスに続く扉や収納棚などを開ける。
「なんですか……これ」
ベッドの方で声がしたので私は急いでアミューゼたちのいるところへ向かう。
壁一面に私たちの写真のみならずコンカフェで働いていた女性従業員の写真が貼られている。それだけでも気持ち悪いのに画角があまりにも下側からだ。どれもこれも盗撮といって差し支えないレベルで下着が写り込んでいる。
「気持ち悪い」
その一言と共に私は総毛だった。意味不明な吐き気に見舞われ、なんならここで嘔吐したいぐらいに気分が悪くなる。
「私やアミューゼはレギンスやタイツで対策を取っているが…………だからと言って撮られていいわけではない。いや、レギンスを履いている私でこれだけの嫌悪感を抱くのだ。タイツで防いでいようとなにも変わらないか」
私と同じようにアミューゼもあまりの気持ち悪さにその場にうずくまっている。
「……でもこれ、私が履いているものと違う」
顔を上げて、でもその首の動きだけで眩暈を覚えてしまうが自身が映っている写真を見て違和感をアンテオに伝える。
「これは魔女狩りが共感した男の欲望が生み出したものだ。現実に盗撮したわけではないが、そういう目で私たちを見て描いていた妄想が形になっているだけだ。なっていても、気味が悪いのだが……刻印よ、笑え」
アンテオが生み出した風魔法が写真の全てを切り刻む。
「すまないな。私が無茶な作戦を取ったせいで気分を害するものを見ることになってしまった」
「笑わせないで。あなたが謝ってどうするのよ。こんな気持ちの悪い男に共感した魔女狩りが全て悪いでしょうが」
「そうだな。ああ、そうだ」
私は立ち上がり、アミューゼを見る。彼女もなんとか自身を奮い立たせて、立ち上がる。
「残滓はここに続いていた。ここにいないわけがない。四方八方の全てを切り刻めば出てくるか?」
「私たちはまだ共感してない。共感しなきゃあなたの魔法で切り裂かれちゃう」
「早い内に共感を済ませてしまいましょう。その間に逃がしても、魔女の結界が解けるまでに見つけて倒せばいいだけです」
むしろこの場面で共感しておかないと魔女狩りと相対したときに共感しなきゃならない。それは敵前で無防備になるにも等しく、得策じゃない。
「私たちにおける共通点はなんだ?」
提案に乗り、アンテオが感情を抑えながら尋ねてくる。
「男の危ない妄想に対する激しい怒り」
「それで共感した場合、感情の波をコントロールするのが難しくなりませんか?」
「ああ。怒りの感情を一つだけで操りたくはない。出来れば二つ、三つで冷静さを補いたい」
「生まれに共通点はない」
「ミイナさんとは以前と同様の感情で共感可能ですが」
「私を省けば万事解決か?」
「そんなわけないでしょ。あなたとアミューゼには血統という共通点がある。でも、私とアンテオに共通点はある?」
「同じ魔女を目指す同胞というのはどうだ?」
「感情が薄いです。初遭遇した時点でミイナさんとアンテオさんの間には溝がありますから、共感してもバランスが悪くなります」
私とアンテオ、アンテオとアミューゼ、アミューゼと私。その三者で共通すること。一方通行ではなく、全員で共感できることを探す。
「……駄目だ、思い浮かばない」
悩んでいる内にアンテオは私たちより先に降参しそうになる。
「そんなのでキーングレントのプライドが保てるの?」
「キーングレントは誰かと協力することを重要視していないんだ」
「もっと根本的なところを探るのはどうでしょうか?」
声のした方向を見るとキルトが立っている。
「集中していたところを申し訳ありません。しかし声を掛けるタイミングを窺っていてはアドバイスを差し上げることもできませんから」
キルトは丁寧にお辞儀をしてから一呼吸置く。
「マスターの感情を読んだ上でお伝えします。皆様方には今回に限っては最も適切な感情がございます」
「それはなに?」
「ご自身でお気付きになられなければ共感したとは言い切れません」
この件に関してはファルシュもキルトに同意であるらしく私が視線を送ってもなにも言ってこない。
根本的なところってなんだ? 私たちに共通している根本的な部分。それってアンテオが言っていた魔女を目指す同胞って部分? いやでも、今回に限っての適切な感情?
「……挫けない心、とかでしょうか?」
「いや、それは私がキーングレントの掟に向き合い続けるあの人に抱いていたもので…………ああ、そうだ。そうかそうか、そういうことか!」
アンテオはなにかに気付いたらしく段々と興奮を高めていく。
「憧れだ! 私たちは目指すだとか目標だとか、家の掟だからとか血統だからじゃなく、その人そのものに憧れた」
「そう、です! そうです。私も母から命じられただけで魔女を志したわけではありません。私にも憧れる魔女は未だ心の中にあります」
「……私も」
師匠に救われたときは魔女を目指す以外の選択肢がなかった。けれど師匠と過ごす内に、こんなにも凄い人と同じようになりたいと願った。言動全てが滅茶苦茶だけど、沢山の失敗談や経験談を語って私を呆れさせるけど、凄い人で憧れであることは変わらない。幻滅したりもするけど、私を救ってくれたときに見せたあの佇まいは今も脳裏に焼き付いて離れない。
「魔女になりたいという憧れ。誰かのためじゃない。自分の心に刻み付けられている、あの人になりたいという想い」
「たまたま、魔女が憧れの人だった。魔女になるなと家に命じられていたとしても、憧れだけは変えられない」
「職業に憧れたんじゃありません。私たちは特定の人物の人柄に、その強さに、その生き方に、憧れたんです」
「「「私たちの憧れは、共感できること」」」
魔女の結界内は全体的に薄暗く、同時に妙な臭いが充満していたがそれら一切が取り除かれたかのように明るくなり、また臭いも感じなくなる。
「刻印よ、笑え」
アンテオが唱えた風魔法が室内にある全ての有象無象を切り払う。私たちは風に撫でられるだけで露出している肌のどこも切り刻まれることはない。
「ホムンクルスたちに聞くが、影に隠れるのがあの魔女狩りの特性か?」
しかし部屋のどこにも魔女狩りの姿が見えなかったためアンテオがファルシュとキルトに問い掛ける。
「『継ぎ接ぎの王』は名前の通り、継ぎ接ぎすることで自在に姿を変えることができます」
「有機物無機物を問わない。自らの肉体として取り入れることでなんにでもなれる。だが、なんにでもなり切れない。共感について話し合いをしている最中に魔力の動きは感じなかった」
ファルシュは言いながら壊れてほとんど形を保てていないベッドの下を覗く。
「共感した感情のせいだろうな。こいつは、どこまでも下劣な行動しか取らない」
なにかを確信し、ベッドに向かって拳を叩き付ける。爆ぜるように砕け散り、そして黒い影みたいなものが飛び出す。
「ずっとベッドの下にいたってこと?!」
気持ち悪い。総毛立つ体に命じて黒い影から距離を置く。しかしゴキブリのように床を這い回って、黒い影は室内から出て行く。
「戦いたがらないな」
「どうして逃げるのでしょう?」
五人と戦いたくないから? でも、だったら魔女を食べるんじゃなくて素直に逃走を選択するはず。あのとき、魔女狩りには確かに攻撃の意思があった。それは魔女が食べろと言ったからか? もしそうなのだとしたら、命じられなければ行動に移せないってことになるけどさすがにそこまで依存はしていないはず。依存していたら食べろと言われても食べないだろうし。
その後もアンテオが魔力の残滓を追いかけ、魔女狩りと遭遇して逃走され、また追いかけては逃げられを繰り返す。四階から三階まではずっとこの調子で三階も結局、逃げられてしまう。部屋に入るのはアンテオと私かアミューゼ、残りは部屋の前で待機していても黒い影はやはりゴキブリのように素早く逃げる。そして魔法が黒い影に命中しても全くダメージを受けているようには感じられない。そりゃ魔女狩りに共感してないからってのもあるけど、それにしては攻撃に対して防御しない。ひたすらに逃げることに全振りだ。
「ここまで戦いたがらないのは時間稼ぎにしても異常じゃないでしょうか? 私たちは追い込んでいるようで実は罠に掛けられようとしているのでは?」
エレベーターで三階から二階に降りて、アミューゼが呟く。
「だが、奴はわざわざ四階から三階まで全室を巡っていたぞ?」
ただ逃げ回るだけならわざわざ全ての部屋に隠れる必要はない。と言うか、どこに逃げたかすぐに推測できてしまう逃げ方はおかしい。隠れるのも含めるならもっと不規則に階や部屋を選ぶだろう。私だったらそうする。
「ファルシュ、『継ぎ接ぎの王』について他になにか情報は?」
今回の魔女狩りは下劣な男の欲望に魔が共感したことで発生している。私たちが戦った淫魔レベルに姑息な手段を取っているわけだが、魔女狩りは淫魔としての特性は持っていない。妄想の写真はあっても、あれで魔が満足することはないのだ。
「魔女狩りは共感した感情によって形を変える。だから過去に好戦的な『継ぎ接ぎの王』がいたとしても、それは共感した感情が攻撃的なものであったからだ」
「即ち、共感した感情的に皆様方と戦うことを避けていると考えられます」
ファルシュの答えにキルトがそう付け加える。
「逃げている理由に行き着けば、奴は逃げる理由を失うだろう」
共感することもだけど魔女狩りとの戦いは常に気付きが求められる。前回の『境界鬼』でもウェンディからヒントを貰って私たちは立ち向かうことができた。これは魔女や魔女狩り、そして一般人でもそうだけど気付かれることは同時に不利になることでもある。逃げる理由に気付けばそこから共感に繋げられる。そうなるとさすがに『継ぎ接ぎの王』も逃げ回ることをやめるはずだ。
逃げ回る?
私は魔女狩りに対して抱いていた感情に疑問を抱く。
「ともかく残滓を追おう」
「待って」
アンテオを私は止める。
「どうしたんだい?」
「……無視、してみよう」
「無視? 看過できないと私は言ったはずだ」
「私だってそうだよ。だからこそ、無視を試してみたい」
「……私からもお願いします」
アミューゼは私の顔を見てからアンテオへと頼み込む。
「ミイナさんにも考えがあるはずです。このまま逃げる魔女狩りを追い続ける現状に、なにか変化を与える要素になるはずです」
「はぁ……君たちがそこまで言うのなら仕方がないな。けれど、もしもそれで魔女狩りを取り零すようなことがあれば、私はキーングレントとして君たちを許すことは難しくなる。分かるかい? 私の希望や願望など一切聞く耳を持たず、キーングレントは君たちを存在ごと潰す」
「良いよ」
「覚悟を試したわけではないけれど強い言葉を向けて申し訳ない。ただ、もしそうなったとしても私自身はどんなことがあろうとも君たちを逃がす努力はするつもりさ」
飴と鞭みたいなことを言う。それで自分自身の印象を悪く受け取らせないようにしているだけだ。要は言い訳。すまないと思いつつ本気で悪いとは思っていなくて、罪悪感から逃れるための免罪符としての態度を示しているだけ。
それでも、私の要求を聞き入れてくれるのならまだマシか。ジルヴァラは絶対に聞いてくれないだろうし。
「よろしいのですか?」
「ミイナさんが決めたことですから」
キルトがアミューゼに確認を取り、しかし意思が変わらないことを察するとそのまま黙る。ファルシュも私を見つめはするものの止めはしない。
「フロントに戻ろう」
そう切り出して私はみんなを連れてエレベーターに乗り、一階に降りる。
ホテルの出入り口へとゆっくり、歩くというよりは一歩を踏み締めては周囲に警戒を張りながら、かなり慎重に進む。そうして自動ドアまであと数歩というところで黒い影が天井を破壊して降ってくる。
「どヴ、じで……どう゛じで……! どう゛じでどう゛じでどう゛じでどう゛じでどう゛じでどう゛じでどう゛じで!!」
「やっぱり」
降ってきた衝撃に耐えながら距離を取る。黒い影は徐々に形を成していき、人間から掛け離れた体躯に天井の瓦礫や観葉植物、このフロントにあるその他諸々の一切を体中にくっ付けて、激しく激しく荒い声を轟かせる。
「どういうことか説明できるかい?」
「こいつは逃げていたんじゃない。私たちと遊んでいるつもりだっただけ」
「では逃げ回っていたのではなく見つかりたいがための逃走だったんですか?」
「こいつは下劣な男に共感した。顔立ちは決して悪いわけじゃないのにお金を払うことでしか女性と話すことのできない男にね。男にとってそれがコミュニケーションで、男にとってお金を支払うことが女性と言葉を交わして遊ぶことだったのよ。だからこの魔女狩りも私たちから本気で逃げているんじゃなく、かくれんぼや鬼ごっこみたいに遊んでいただけ。それも私たちが探そうとしなければ成立しないこと。究極の異性への交流に対する受け身の拗らせ方をしている」
だからランダムな逃げ方じゃなく規則性のある逃げ方を続けていた。分かりやすいくらいに残滓を追わせて、いつもいつも見つかっては逃げ回っていたんだ。
「だから構わなければいい。無視してやればいい。自分からアクションを起こせないこいつはまた探しに来てくれると思って隠れていたんだろうけど、遂には無視して外に出ようとする私たちに我慢できずに姿を現した」
男にとってそれが遊ぶこと。だから魔女狩りも遊ぶことを真似た。共感した感情がそうだから。
「ならばあの人を喰ったのも遊び感覚というわけか。私たちから注目を浴びて追いかけてもらいたいがための、単なる余興だったわけだ。飼い慣らせていたわけではなく、飼われているフリをしていたのだとすれば……決して許すわけにはいかない」
「そうね、私も許せな……」
私の腹部を魔女狩りの指先から伸びた爪が貫通している。一瞬、なにが起こったのか分からなかったしまだ上機嫌に喋っている最中だったから警戒を薄れさせていたこともあって、現実を受け入れるのに時間が掛かった。
爪は引き抜かれる。私は込み上げてきたものを抑え切れずに吐き出すと、それは大量の血だった。穴の空いた腹部からは大量の血液が流れている。痛いとか痛くないとかはまだ実感がなくて、それよりも一気に血液が流出したことで思考が回らないどころか体中から力が抜けて、立っていられずに倒れてしまう。
「ミイナさん!」
「落ち着けアミューゼ、ミイナに治療魔法を唱えられるかい?」
「はい……! でも、私の魔法では完全な治療までは」
「不完全でもやるんだ。そのまま放っておいたらミイナは死んでしまう」
「はい!」
「魔女狩りは私が止める。共感しなければ倒せないが、私もそう容易く殺されはしない。ミイナの治療が終わったら援護してくれ」
「はい!」
ボヤける視界の中でアンテオが果敢に魔女狩りへと攻め立てていくのが見える。
「俺も手伝う」
「私もマスターの魔力を安定させます。マスターは感情の波を安定して流し続けてください」
「刻印よ、微笑め」
ようやく感じ始めた痛みだったが、呻き声を上げる直前ぐらいからゆっくりとその痛みが抜け始める。ボヤけていた視界も一応は維持されている。どうやら気絶してはいないみたいだ。




