ウェンディ・カーペンター
「『境界鬼』はこれまでも何度か観測している魔女狩りだ。魔がどういった感情に共感したかで強さが変わる。今回は三人分の同じ感情に共感しているから、それはもう強力な魔女狩りだろう」
ウェンディは言いながら後方に下がり、自身の刻印に触れる。
「刻印よ、荒れろ」
セルバーチカのホムンクルス――カシューと魔女狩りの間で強烈な風圧が生じ、両者を反発する磁石のように弾くように吹き飛ばす。その風圧は強く、私たちも陣形というほどではないが位置取りが乱れる。
「どうして止めさせたんですか!」
「でなければ貴様のホムンクルスが殺されるところだった」
「なにを言って、っ!」
風圧でカシューは吹き飛ばされた。しかし吹き飛ばされる前に踏み締めていた地面は今、大きく割れている。これは地面が自然的に割れたのではなく、なにか巨大な刃物によって削り取られたように見える。
「この魔女狩りは境界を作る。境界は目視不可能だ。境界に入り込んだ瞬間に魔女狩りが魔力を発すれば、境界の内と外で肉体が寸断される」
目には見えない境界線。けれどそれを越えなければ私たちは魔女狩りに近付けない。いや、魔女なんだから近付かなくていい。でも、魔法が内と外で寸断されてしまったら魔力塊が破壊されてしまう。
「打破する方法は境界に魔力を注がれる前に境界線を越え切ること。いわば簡素な結界だ。入ってしまえば境界に肉体が切られることもない」
でも、私たちが魔力を感知できるように『境界鬼』も魔力を感知できる。自身で設定した境界に魔力を注ぐタイミングなど感覚で分かるだろうし、なんなら寸断せずに境界をバリアのようにすれば私たちの魔法はそもそも届かなくなる。
「防御寄りの攻撃みたいな感じでしょうか。近付く全てを阻み、越えようものならバリアを頭上か地底から発生させてギロチンのように断ち切る」
足の太ももを何度も拳で叩いて必死に体の震えを払おうとしているエリナは彼女のホムンクルスに守られながらも弱点を探しているようだ。
「根本的なところから始めてないぞ、マスター」
間合いを見計らっている私にファルシュが気付けと言葉を投げかけてくる。言われなければ記憶の彼方から引っ張ってこれなかったけど、お礼を言う前に伝えることは伝えてしまった方がいい。
「セルバーチカ、エリナ。まずは私たちで共感しないと」
「そうだったわ。完璧に忘れてた」
彼女はカシューを呼び寄せ、エリナも駆け寄る。
「ミイナさんもセルバーチカさんも私には無い部分で共感できていらっしゃいますよね?」
「それは」
「そうだろうけど。でも、エリナと共感できないわけじゃないわ」
私とセルバーチカは強者に挑まなければならない弱者の気持ちで共感可能である。しかしこの感情だけで共感するとエリナの感情を入れることができない。三人が共感できる感情を見つけなければならない。
「さて、少しばかり時間は稼いでやろう。いや、魔女なのだから私が早く始末しろと思っているのかもしれないが」
まさにその通りだが、ウェンディが魔女狩りの注意を惹き付ける気がある内に済ませてしまおう。
「私たちの生い立ちに共通点は?」
「全く無いわね。いいえ、私とエリナは共感可能な点を見つけることができるかもしれないけど、それだとミイナと共感できない」
家柄、プライド、生き方。セルバーチカとエリナにしかない感情だ。そこに私は寄り添えない。
「魔女狩りを倒すという意思はどうでしょう?」
「本当にエリナはそう思えている? ううん、違う。私が倒せると思ってない。だからその気持ちに私は共感できない」
尋ねつつ、しかし悪いことを言ってしまったと思い、言い方を変える。
「ですよね……私もそう思います」
「だからって魔女狩りを倒せないという感情で共感したところで魔女狩りを倒せるとも思えないわ」
魔女狩りと戦う部分でのマイナス要因で共感しても、それは逆に魔女狩りの攻撃力を高めることになりかねない。だって勝てないという感情で挑んだところで勝てるはずがないのだから。
「もっと単純なところ、日常生活の一面。なにか……なにか」
アミューゼのときと同じだ。あのときも生き方や環境に囚われない部分で共感することで協力関係を構築した。つまり共感とは難しく考えないで済むところにある。逆に考えすぎるところにある共感は、戦闘に意識を持っていく状態で脳のリソースを割くことになるからベストとは言い切れない。そりゃその感情にしか共感できる部分がなければそれしかないけど。
「時間はもうそれほど無いぞ。段々と精度が上がっているようだからな」
ウェンディは境界を先ほどから行き来している。わざと境界へ魔力を流させることで無駄撃ちさせているのだが、一歩間違えれば自身の体が縦に両断されることを分かっているんだろうか。分かっていて反復横跳びしているんだとしたら馬鹿以外のなにものでもない。そんなことをしている暇があるのなら自身の手で『境界鬼』を倒してほしい。
不意にエリナの容姿での話題を思い出す。
「そうだ……そう。エリナの容姿で思ったことなら共感できるかも」
「庇護欲? 確かに幼さを守り通したいという気持ちを私は抱けるわ」
「すみません……私は、自分の幼さを決して守り通したいとは、思って、いなくて」
「違う、逆よ逆」
「逆?」
「……っ! なるほど!」
「え、なに?」
「セルバーチカ、あなたはずっとこのままでいたい?」
「は? そんなのノーよ。私は大人に…………ああ、そっか」
「じゃぁ、この感情で行きましょう」
「はい!」
私たちの意見は纏まる。
「私は幼さなんていりません。早く大人になりたいです」
「私だって大人になりたい。大人になれば私は家に私の力を証明する」
「大人になれば、私は自分自身の過去から解き放たれる」
大人への憧れ。夢みたいな大人への期待感。大人になることで今、自身が抱えている問題は全て解消できるみたいな滅茶苦茶な道理。そして大人になるということは守られることからの卒業を意味する。そこには魔女になることへの強い強い熱意も込められている。
「「「私たちは共感可能」」」
世界に色が付いたような広がりを感じる。それはたとえ空間超越の中でさえも見えている景色が変わったかのような高揚感があった。
「誰とでも共感できるのか、貴様は?」
ボソリと呟いたウェンディは魔女狩りから目を離していながらも、キッチリと境界による断絶を避けている。
「「「刻印よ、唸れ」」」
全員が揃って同じ感情と魔力を織り交ぜ、魔女狩りへと水流を放つ。魔法が一致したのは同じ狙いをコミュニケーションを取らずに一致したからだ。ここは山地で、『境界鬼』は異形ではあれ人間らしさに固執している。だから呼吸を奪えば討てる。奪えなくても水に流されれば体力を消耗させることができる。逆に言うと溺死以外での勝ち筋は見えない。執着はあれ、異形の皮膚はあらゆる攻撃を通さない強度を有しているからだ。切る、刺すは勿論のこと打撃で内臓を破壊することも難しい。
「狙いは正しいが、魔女狩りは境界で阻むぞ?」
水流を魔女狩りがギロチンのように展開する不可視の境界に阻まれる。ウェンディの言うように水属性はこの魔女狩りには最適だが速度が足りない。私の雷魔法なら展開前に届くが威力不足。
「境界を通すなら共感することだ」
水流を阻んだ境界は一つ、二つ、三つ、四つ、五つと前方に展開されてギロチンとして私たちの頭上から降ってくる。ギリギリで避けることはできたけど感情の波を遮られた。水流は魔女狩りに届くことなく勢いを失う。
「共感……共感って言ったって」
「カニバリズムのどこに共感したらいいって言うのよ!」
私の葛藤をそのままセルバーチカが口にする。
「刻印よ、走れ!」
けれど決してたじろがずに彼女は錆びた炎を魔女狩りへと撃ち、境界の寸断を防御に転じさせる。私とエリナが右から回って刻印に触れる。
「「刻印よ、唸れ!」」
二人合わせての水流を真横から浴びせてみるが、一つの不可視の境界がこれを拒む。『境界鬼』が吠えると一つ、二つ、三つと境界の寸断が私たちに降り注ぐ。回避に意識が向いて攻撃に転じられない。錆びた炎をものともせず魔女狩りはセルバーチカへと接近する。カシューが彼女を抱えて剛腕による打撃から守る。
「ミュイ!」
魔女狩りの頭上にライカンスロープ然とした半人半獣――エリナのホムンクルスが雄叫びを上げながら鋭利な爪を振り下ろす。見上げた魔女狩りが二つの境界を展開してミュイの爪を阻む。
「共感しないままでは魔女狩りは討てないぞ」
「分かっています、そんなことは!」
苛立ちながらウェンディに反抗する。
「私はヒントを与えている」
ミュイを押し退けた魔女狩りをファルシュが斜め下方から魔力による強化した打撃を放つも不可視の境界が阻む。
「ヒント?」
受け取った覚えはない。なにを言っているのかさっぱり分からない。だからその言葉を跳ね除ける前に、ウェンディがなにをしていたかを思い出す。
もし、境界を反復横跳びしていたあの行為に意味があったのなら――
「下!」
簡潔に二人に伝える。
「魔女狩りは五面しか展開できてない!」
不可視の境界による寸断。ギロチンのように頭上から落とすだけでなく防御にも回す便利な力だ。けれどそれらは決して地面から突き出しているわけではない。そして地面を果てしなく寸断するわけでもない。ウェンディが避けていた境界の痕跡のどこの地面も割れてはいるが、その断裂は地下深くまで及んでいるわけじゃない。つまり、地面を通してなら水流は届く。
「刻印よ、轟け」
セルバーチカが地面に手を当て詠唱すると地面が凄まじい勢いで掘削されていき、大きな穴を作り出す。
「空けるには空けるけど追い込まないと無理!」
地面を通って地上に至る二つの穴に水流を送り込めば境界に阻まれることなく魔女狩りに届く。しかしその穴は掘ることはできても移動させられない。魔女狩りを穴の地点まで追い込むか誘き寄せるしかない。だが、『境界鬼』も馬鹿ではない。地面に穴があればその意図に気付く。だから誘き寄せるのはきっと出来ない。だから追い込むことが私たちの勝機だ。
「カニバリズムへの共感……共感は、共感できる部分は……」
人肉を食べることに共感はできない。肉を食べる興奮はどうだろうか? それとも人体を分解することか? いや、どれもこれも共感に至らない。そこに非人道的な行為がある限り、魔女でありながらも道徳を捨て切れておらず人のタブーを犯せない私たちでは共感なんてできるわけがない。
「私はヒントを与えているぞ?」
「…………力を貸してください、ウェンディさん」
出現するであろう魔女狩りに対し、最も適した魔女が『魔女の大釜』から派遣される。ウェンディはホムンクルスに特効を持つ魔女狩りに対してのカウンターとして派遣されたと思っていた。でももし、二匹の出現予測の立っている魔女狩りに彼女が派遣されていたとするならば、私たちはウェンディの助力を受けることで打破することができるのではないか。そう考えた。
「そうだ。ちゃんと布陣を見ろ。私は貴様たちに戦ってもらうと言ったが、戦わないわけではない。頼るなとは言ったが、頼らなければならなければ頼ってみろ。魔女は気分屋だ。言葉遊びをされたなら言葉遊びで動かせ」
ウェンディは言いながら頬にある刻印に触れる。
「刻印よ、眠れ」
私を眩暈が襲う。
「な、に……? なん、で?」
エリナがふらつきながら呟く。セルバーチカも同じように今にも倒れてしまいそうだ。
「私の得意魔法は催眠。魔女狩りに効果があれば眠らせることすら容易い。しかし、結局は眠らせるだけで魔力魂にまで届かせられない。催眠世界へ誘ったところで魔女狩りの現実の魔力魂を打ち砕けなければ意味がない。だからこそ私の催眠は貴様たちに掛けることで意味を成す。聞くだけならば強烈なデバフだ。しかし、使い方によっては強烈なバフに転じる」
眠りに落ちそうで眠りに落ちない。そんなギリギリのところで感覚がぼやけ始める。
「暗示を知っているはずだ。苦手な食べ物を持つ者に対し、暗示を掛けることで食べられるようになる。私の催眠は対象が持つ能力を底上げさせるためにある。刻印よ、笑え」
眠気が一気に晴れる。同時に抑え切れないほどの胸の鼓動によって感情の波を強制的に引き起こされる。
「『境界鬼』よ。貴様はカニバリズムに共感した異形の存在。だが、異形でありながら喰った人間の存在に固執し続けている」
語りかけながらウェンディは『境界鬼』の前に出る。境界の寸断が彼女へと迫る。
「食べたいほどに、美しい」
そう呟いた彼女に落ちる境界が可視化されてガラスのように砕け散る。身を抱き締め、指先は強く強く衣服を掻きむしる。
「その身を纏う衣服を剥ぎ取り、その全てを眺め、全てを抱き締め、その全てを愛したい」
境界は何度も何度もウェンディを切断しようとするがどれもこれも粉々に砕け散っていく。
「人間の神秘に触れてみたい。その血を飲みたい、その肉を噛み千切りたい。だってこんなにも美しい体の持ち主なのだから」
魔女狩りが連なる言葉に怯え出して後退し始める。
「私は貴様に共感可能だ、『境界鬼』」
「え」
魔女狩りの血が固まったような暗い赤色の皮膚がみるみると黄土色へと変色していく。
「共感できないのに、共感できてる」
「私の催眠は貴様たちに共感を与える」
もしかしてウェンディが共感しているからその魔法を受けている私たちもその影響を受けることができているってこと?
「刻印よ、走れ!」
セルバーチカの錆びた炎を身に浴びて『境界鬼』が悶え苦しむ。
「効いてる。だったら私の炎は銀にだって届く!」
炎から逃れるように魔女狩りが動く。
「刻印よ、悔やめ」
私は魔女狩りが逃げる先に魔法を置く。雷撃を浴びて更に逃げる。
「人魚の肉を喰らった祖先を持つ貴様は私の催眠下なら最もこの魔女狩りに通用するだろうな」
錆びた炎と雷撃を何度も何度も浴びて遂に穴の傍に至る。
「刻印よ、唸れ」
水流がエリナの足元の穴を通って『境界鬼』の足元の穴から放出される。境界を足元に展開しているがやはりガラスのように打ち砕く。
「分かっているな?」
ウェンディの呟きの通り、私たちはファルシュとカシュー、ミュイと協力して魔女狩りの前後左右の四面に移る。
「刻印よ、悔やめ」
前方からの私の雷撃、三人のホムンクルスによる打撃を防ぐために境界を展開する。それを見届けてから寸前で雷撃の軌道を逸らす。三人の打撃もフェイントであり、境界の展開を見てすぐに後退する。
「自ら作り上げた水牢に沈みなさい」
前後左右の四面に境界を張らせ、地面は魔女狩りには干渉不可で、残るは上部。けれど境界は魔女狩り自身が作り出しているものだから境界内に水が満ちる前に解かれるのは時間の問題だ。
「催眠は強烈なデバフだと言ったはずだ。刻印よ、忘れろ」
『境界鬼』は自身が張った境界を解くことができず、両の拳で打ち砕かんと暴れている。
「無駄だ。貴様は私の催眠で魔法を解く術を忘れている。魔力を無意識で流しながら、な」
ウェンディの暗示によって魔女狩りは敷いた境界の壁を解けず、水かさは増して首元まで至る。だが、まだ足掻いている。水牢の上面は閉じていない。だから水かさが増せば上面から脱出できてしまう。
「安心して、カニバリズムに共感した異形。あなたはキッチリ溺れ死にさせてあげるから」
木の枝の上にカシューの手を借りて登ったセルバーチカが絶望を与えるべく刻印に触れる。
「刻印よ、怖れろ」
土塊が上面の蓋となる。
「エリナ・トキダ。これがサポートだけしかできない私の戦い方だ。こんなピーキーな戦い方ではなく、今回のように魔女狩りを仕留める一撃を秘めながら立ち回る方法を探せ」
「は、はい」
溺れる魔女狩りを背にウェンディは頬の刻印に触れる。手元に集まった魔力を放ち、空間の収縮が始まる。遥か彼方まで伸びていた空も地面も一気に縮んでいき、暗くなっていた空からの太陽光が差し込む。元の景色の中で、元凶は水牢の中で空気の全てを消費し尽くし、あれほどまでに暴れ狂っていたのが嘘のように静かに溺死した。




