簡単な手続きじゃない
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たとえばだけれど、目を覚ました朝に両親が自分を残して夜逃げしていたらどうする?
たとえばだけれど、その翌日に誰とも知らない何者かにさらわれそうになったらどうする?
私はその両方を体験して、ここにいる。だからちょっとやそっとのことでへこたれそうになっても「ああ、あの頃の絶望感に比べたら全然マシだな」って思える。底の底を知っているから自分がまだ底の底に立っていないなと実感して、心が折れない。まぁでも、このことを自信満々に語って共感してもらいたいとか褒めてもらいたいとかは思ってなくて、でも自分は他の人よりちょっとだけ人生が波乱万丈だという特別感ぐらいは抱くくらいはいいかなって思っていたんだけど――
「私の母は十六で私をトイレで出産したそうです。父親が誰かは分からないまま私を母の母――要するに私から見て祖母に預けたまま夜の街に消えてしまって、そのまま行方知れずです」
「私を産んですぐに母は身投げしました。私はその後、しばらくは祖父母の下で育てられたのですが、二歳になった頃に児童養護施設に預けられました」
「当たり前の幸せを送っていた最中、自動車に両親は轢かれました」
養成所で軽い自己紹介が始まったんだけど、私の過去なんて目ではないほどの不幸話のオンパレードで委縮してしまっている。なんだろうこの地の底の底のようなどん底を垣間見た人たちは。こんな重たい話を聞かされると私の過去はもう少し盛った方が良いんだろうか。でも、魔女に嘘をついてなにか得するようなことなんてなさそうだし、なんなら嘘をついたことでマイナスの影響が多いような気もする。
「私の家系は北欧の名立たる伯爵だったのですが、そののち北米に移住したそうです」
「イギリスでノブレスオブリージュを学び、私がこのまま魔女となれば家で十代目となるそうです」
「出自は西洋なのですが五代目で南米で一山当てて、十五代目の私はまず魔女になるようにすすめられたのです」
「偉大なる魔女の家系に連なる一族である私が当然のごとく魔女の養成所に来るのは宿命ですわ」
壮絶な過去とは真逆の悠々自適――金持ちの道楽で魔女になりたがっているんじゃないかと勝手に思ってしまうような人たちもいる。この水と油の魔女候補生がどうやって親交を育めというんだろうか。
いや、もしかすると親交なんて不要なのかもしれない。師匠は「養成所とは名ばかりで野良魔女にならないように所属させておく場所」と言っていた。だから私たちは集いこそしているが、その観念や価値観は大きく異なっていてもおかしくない。志を同じくはしておらず、目標のバラバラ、やりたいことも統一していない。私たちは集団ではあっても個のままなのだ。確かに魔女になる過程において協力というものが不必要であれば私たちは、もしくは絶望を知った側と幸福しか知らない側は手を取り合う理由もない。それに、もし親交を深めようとしたってきっと「利用される」とか「利用してやる」とか思い込んで仲良くはなれない。でも、私は師匠以外の魔女を知らなかったからこうして間近で同年代の魔女候補生を見ることができて安心した。言うなれば妄想や幻想からの解脱である。師匠も魔法もそのどちらも私が妄想から生み出した産物でなにもかもが幻覚に過ぎなかったなんてこともあったはずだ。でもそうじゃない。私は確かに魔法を教わっており、そしてこうして魔女候補生の一員としてここにいる。
「次、ミイナ・サオトメ」
先生、もしくは教官、そして或いは先輩魔女とでも表現すればいいのだろうか。威厳の塊のようなとにかく威圧的でプライドが高そうで、それでいて少しの隙もなく、こちらの僅かな動き一つにすらも視線一つで殺意をチラつかせている。身勝手な真似をすれば容赦なく魔法で殺す。そんな意図を読む。だから向けられる殺気に対して防衛本能をくすぐられても抑えなければならない。
言うなれば羊。無抵抗なまま殺せる状態をアピールしなければならない。もしもそれを怠り、少しでも魔女に攻撃の素振りを見せれば不穏分子として処理されてしまう。そこまでは全て想像ではあっても現実離れしていない。正直なところ気にすべきところはそこじゃない。
この教室のような、それでいてどこかの集会所のような、ひょっとすると夜会の場に集う魔女候補生の視線が私に向けられている。ある者は好奇心旺盛に、ある者は明らかな敵対心を見せながら、ある者は歯牙にもかける気もないといった冷たい眼差しで、ある者は周囲の圧に耐えられず怯え竦み上がりながら、ある者は見下す侮蔑的な視線を。どれにしても、私自身に周囲の視線が一斉に向けられるという感覚はこれまで味わったことのないものなので無意識の内に委縮してしまう。
「自己紹介を」
「え、あ、はい」
促されて私は名前と共に自身の生い立ちを簡潔に話し、手短にまとめて最後に「よろしくお願いします」と足してお辞儀をして着席した。
この空間においては珍しくもない不幸話だ。強烈な印象を与えることもないつまらない話だ。とはいえ、自身が感じた絶望感がここにいる全員より劣っているなんて思っちゃいない。むしろどういうわけか無駄に自信がある。あのときに浴びた絶望は誰よりも揺るぎなく大きく深く冷たかったのだと。
私の自己紹介が終わって次の人の自己紹介が始まる。ようやっと緊張から解放されて私は一息つき、尚も続く不幸話と幸福話を聞き流す。これはよくあることだと思うけど緊張の場においては自分の番は「来るな」とずっと唱え続けるのにいざ自分の番が来てそれが過ぎるとあとは「早く終わんないかな」と考え方が一気に変わる。これが中学や高校みたいなクラスメイトと仲良くしなければならない空間であれば気の合う相手を自己紹介や身振り素振り、そして空気感から読み解こうと頑張るのだが、きっとそうはならないのでさほどの興味も抱けない。私は人間性が出来ていないのだ。詰まるところ、自分にとって有害か無害か、或いは有益か否かという物差しでしか人を見ることができない。世の中の人はもっと義理や人情を大事にしていると聞く。けれど私はその世の中に飛び出すことができないまま摘み取られそうだった芽でしかなかった。考え方が偏ってしまうのは仕方がない。矯正もしたいとは思っている。でも機会に恵まれないことを理由にして知らんぷりを続けている。だってその方が生き方が楽だから。
一通りの自己紹介が終わったらしく魔女が手を叩いて注目するように促す。
「それではこれよりこちらが予め決めたくじ引きの通りにペアを組んでもらいます」
候補生の間でざわめきが起こる。
「心配はいりません。ちょっとした試験のための一時的なペアです。魔女を志す皆さんであればなにも問題なく私たちが提示した試練を突破できると信じています」
声に感情が乗っていない。口から出任せとは言わないが本心で思っちゃいない。恐らくそのことを私以外も見抜いているはず。だが、そういった者たちの一切の声を耳にすることなく魔女は指先一つで大量の蝙蝠を飛ばし、私たちの肩に止まると紙片となって手元に落ちる。そこには番号が書かれており、それを読み解いた瞬間に辺りの景色が一変する。教室は展開図のように壁と天井が開かれて、夕暮れの街並みに放り出される。
「催眠だ」
ある者が言う。
「きっと番号を認識した瞬間に私たちは催眠に掛けられた」
《お見事です。さすがはキーングレント家の嫡女。魔を解き明かす目は健在のようです》
脳内に声が響く。これは師匠がやっていた念話に分類されるテレパシーだ。
《ですが催眠を解く方法は催眠を掛けた者が提示した方法しかありません。世に知れ渡っている催眠解除など所詮は児戯。真なる催眠は掛けられた側ではどう足掻いても解けないものです》
確かに既に何人か、いや何十人かは催眠を解こうと様々な方法を試しているが誰一人としてこの空間から脱出できている様子はない。
《私たちが提示する解除方法は一つ。ペアとなった者とどんな手段でも構いませんからその催眠内で起こる事象を打破することです》
「事象……?」
なにを言っているのか理解が及ばない。
《人は思い込みによって病を治すこともあれば、思い込みによって自らの命が尽きることさえある繊細な生き物。たとえ催眠を掛けられているからといって死なないわけではないとだけお伝えしておきます。これよりあなたたちが放たれたその空間を徐々に燃やしていきます。あなたたちは己を燃やそうとする炎を打破してください。魔女狩りは火刑を好んで行います。催眠可において炎の恐怖に立ち向かうことを学ばなければ現実でも魔女狩りと戦えるようにはなり得ません》
「とはいえ、只の魔法の炎でしょう? 私たち候補生にとってこんなもの」
チリチリと小さなボヤ程度の火に何の気なしに一人が触れる。その炎が青く発光すると一気にその人物の服に燃え移る。
「刻印よ、悲しめ! こ、刻印よ!」
慌てて水魔法で消火を試みようとするが、そもそも水魔法が発現しない。
《『焦熱耐久試験』。ここでは火属性の反転属性である水魔法は使用不能です。迫りくる炎に耐える、逃げる、立ち向かう。そのどれかでもって私たちの示した通りの答えを見せた者を私たちが現実で催眠を解きます。彼女のように小さなボヤだと鼻で笑えば、焼け死ぬこととなります》
魔女の声の通り、服に青い炎が燃え移った者は周囲に助けを求めるものの誰一人として救える者はおらず、やがて炎に全身が包まれて焼かれ切ってしまった。
最悪だ。初めて自分の前で人が焼け死んだ様を見てしまった。焦げた肉の臭いを嗅いでしまった鼻をもいでしまいたい。それぐらいの嫌悪感が全身を駆け巡った。悲鳴の一つも私が発さなかったのは代わりに周囲で悲鳴が何重にもなって響き渡ったからだ。私が叫ぶよりも先に叫んだ者たちのパニックを見て、逆に思考が冷静になっていく。
《どうした? まさか人が焼け死ぬ様を見るのは初めてか? これから先、魔女となればいくらでも見る。死の瞬間、そして死の臭いは鼻にこびり付き、永劫に消えることはない。戯れていないで状況を打破せよ。それとも血筋へのプライドも、不幸が取り柄の一握りの才能も、只の恐怖の前では役立たずでしかないのか?》
冷静であるからこそ魔女が私たちになにを求めているのかが分かる。この人は私たちに恐怖を与え、死を味わわせて殺したいわけではない。でも、だからって口にせずに察するように促しているのは性格が悪いとしか言いようがない。
「103番です! 103番の人はいませんか!?」「こっちは45番!」「私は3番です! お願いします!」
番号で割り振られたペアを作ろうとする動きが見られる。確かに一人ではなく二人でなら恐怖に立ち向かうこともできるし、このパニックの中から脱却することができる。
だが、その組み合わせも性格が悪い。片方は魔女の血筋、もう一方は不幸ゆえの才能。つまりは水と油でペアになるように仕組まれている。不幸同士やプライド同士であれば手を取り合うことは難しいとは思わないけど、互いに互いのことを嫌悪している関係性で手を取り合うのは不可能とさえ思う。私だって、私の不幸の対極で生きてきた連中と組みたくなんてない。




