魔女との遭遇
「魔女に必要なことってなんだと思う?」
バチバチと手元で稲妻を奔らせながら黒衣の女性が問いかける。
「蜘蛛の巣? トカゲの尻尾? グツグツに煮込まれた謎のポーション? 鷲鼻で年老いてケケケと笑う容姿? 蝙蝠や蛙に化けられること? 小動物を使役して人に悪戯をすること?」
黒焦げになった死体をネズミの群れが波のように押し寄せる。
「鏡に『世界で一番美しいのは誰?』と問い掛ける? 毒リンゴを持って白雪姫を誑かす?」
ネズミの群れが引くと、死体は跡形もなくなっていた。喰い散らかしたにしては気色の悪い咀嚼音も聞こえず、肉片の一つも残っていない。それどころか血の一つも地面に零れてすらいない。
「違う。そんなことは私たちなら誰だってできる」
女性がギュッと手の平を閉じると稲妻は一際強い雷轟と共に弾け飛んで消えた。稲光が消えたことで女性の表情を窺い知ることはできなくなる。
「私たちが重要視するのは最低限の素質。たとえ片手で握り潰せるほどに小さいものであっても、それは常人とは大きく掛け離れた才能よ」
目深に被ったつば広の帽子。やや左寄りの胸元に謎の刻印が目に映る。
「喜ぶべきよ? だってあなたには才能がある。魔女になるための才能が」
女性は私に手を差し伸べる。
「この手を取ればあなたは自由になれる。あなたを取り巻く一切合切を気にすることなく新しい環境であなたは生きられる。でも、一握りの才能は未だ世間を知らない種から芽吹いた存在でしかない。そこから成長して蕾を付け、開花させることができなかったなら……死んでしまうけど」
怖ろしいことを最後に付け足す。
「今さっき死にそうだったのが先延ばしになっただけと思えば大丈夫!」
その言葉に安心感はない。
「私の手を払う? それとも私の手を取る? まぁ、あなたに選択肢なんてないわよね」
つば広の帽子を少しだけ片手で持ち上げ、暗闇の中でも煌々と輝く瞳の先に、ドブやヘドロのように薄汚い黒い輝きが垣間見える。その輝きを見てしまえば、拒めないことは本能的に感じ取ることができた。
震える手で女性の手を掴む。
「あはっ♪ これからよろしく♪」
女性は心底不愉快な笑みを浮かべながら私の体を力任せではない未知の力で引き起こした。
一年後
走る、走る、ただひたすら走る。呼吸云々は考えない。立ち止まったあとにどれだけ息苦しくなろうと今はとにかく走り続ける。
《最初に比べたら随分と長く走れるようになったね。魔女はよくフィジカル不要論を提唱しているけど私はそうじゃない。いざと言うときはフィジカルの強さがものを言うと思っているよ》
「うるさいっ!」
テレパシーで脳内に直接、声を伝えてくる師匠に強い言葉をぶつける形で肺の中の全ての空気を吐き出してしまった。仕方なく立ち止まり、振り返る。
波濤。
前方一帯を覆い尽くすほどの圧倒的な波濤。ここは水平線が見えるような海辺の波打ち際かなにかだったかと目の錯覚をそのまま容認してしまいそうなほどの猛烈な水の流れが渦巻き、うねるようにしながら私へと迫ってきている。
《一度目は避けた。でも二度目は無いよ。私の感情の波は二度目を許さない。むしろ一度目で打破しなかったから厄介かもね。威力は第一波のまま》
「そんなわけない。波は遠ざければ遠ざかるほど弱くなる」
《その理屈は科学的根拠からもたらされるものでしょ? 私はこの一年、口を酸っぱくして言ってきたでしょ? 魔女の魔法と科学はイコールじゃない》
「でも、お師匠の水魔法は科学的根拠が通用する」
師匠の作り出す津波にも等しい波濤は想像の産物だ。あの人は実際に波打ち際に立ったことはないし、津波をその目で見たこともない。だからこの魔法も想像の域を出ない。
「刻印よ、震えろ」
左寄りの胸元の刻印に左手を当て、魔力を充填させてから地面を靴で叩く。地面が隆起して変形した土塊が私を覆い尽くす。
《逃げ回って最後に取るのが耐え忍ぶこと? それじゃ全方位から攻撃してくれって言っているようなものだけど》
「刻印よ、悔やめ」
真っ暗な土塊の中、ある一点に狙いを定めて左手に充填させた魔力を電撃に変えて土塊を貫かせて奔らせる。当然、内部に水が流れ込んでくるが私の狙い通りなら十秒も経たない内にこの水は鎮まるはず。
《へぇ? 師匠の魔力魂を的確に撃ち抜いた。そんなに分かりやすかった?》
「一年間殺す気で私に魔法を使い続けているんですから嫌でも分かります」
土塊内部に浸水した水で溺れかける寸前に波は鎮まり、追撃の波濤が訪れる様子はない。私を飲み込もうとした水は徐々に引いていき、備えた土塊は崩れ、周囲を満たしていた水流は今や足元に水溜まりを残すだけになった。そうなってようやく私は安堵を得て、体中から力を抜いてその場にへたり込む。
《度胸はあるのに緊張感から解き放たれたあとのそのやる気の無さはどうにかならない? 緊張の糸は常に張っておきなさい。これは私の鍛錬だから魔法一つだけで済んでいるけど、実践だと畳みかけられるから気を休める暇なんてないよ》
「分かってますけど……」
《才能の芽は育んであげた》
稲光と雷轟と共に師匠が前方に現れる。
「あとは付いた蕾が花を咲かせられるかどうか」
空間に腕を突っ込んで取り出した封筒を蝙蝠が掴み、私の元へと届けられる。
「魔女養成所に行きなさい」
「……なんですか、それ? そんなところがあるんですか?」
「まぁ一応はね、人材育成に魔女たちは力を入れているらしいから。でも、養成所なんて名ばかりなところだけど。単にこれから花を咲かせる魔女を管理できる状態に置いておきたいってだけ」
「それ、行く意味あるんですか?」
「無いけど有る」
「どっちなんですか?」
「まず養成所で魔女申請しておかないといざというときに協力を仰げない。あと野良魔女はあんまり良い印象を抱かれないから問題を一つでも起こしたらその罰が苛烈なものになってしまう」
「たとえば?」
「舌を引っこ抜くだとか焼き印を押されるとか」
背筋が凍るようなことを言われ、その恐怖はそのまま鳥肌となって現れる。
「だから嫌でも渋々行くしかないの。それに悪いことばかりじゃないはず。魔法の基礎知識を学ばせてくれるし、同年代の魔女とも友好を育むことができる」
「……お師匠様の友達をこの一年に一度も見たことがないんですけど」
師匠は視線を逸らす。
「いたもん、友達いたもん!」
「そんなト〇ロみたいな」
「まぁまぁまぁまぁ、言われたところで私は許すよ。だって私は一匹狼って気付いたから」
嫌な気付き方だし、そもそも言っていることに信憑性の欠片もない。
「分かりやすい嘘をつくのはやめてください」
「まぁまぁまぁ! とにかく、あなたは養成所に行った方がいい。あなたの感情が周囲の影響を受けて育つように魔法も同じように成長する。このまま私の鍛錬ばかり受けていたらあなたは悪い魔女になっちゃうから」
「悪い魔女になるような鍛錬を?」
「……ま、ぁ、真っ当な魔女の育て方ではないかなぁ」
また視線を逸らし、悪びれているようなしかし本当に悪びれているのかも分からない声音で答える。
「さっきも言ったように養成所とは名ばかりだから。血の気の多い魔女候補が蹴落とし蹴落とされながら凌ぎを削り合うの。全然これっぽっちも身の安全を保障してはくれないけれど」
「……殺し合い、ですか?」
「場合によっては殺人も選択として入るわ。プライドや家柄だけお高い古臭い連中が未だ蔓延る世界だから。そういう連中はプライドや家柄を傷付けられるくらいなら死んでやるって勢いだから、ある程度は覚悟しておいて」
「だったら野良魔女で問題を起こさずに品行方正に生活すればいいんじゃ……?」
「う~ん、得策じゃないかなぁ」
師匠はそう言って私に目線を戻し、虚しそうに呟く。
「たまーにね、いるのよ。自分の失敗を野良魔女に押し付ける輩が」
「あぁ……そう」
なんとなく理解する。要は魔女界隈も社会となんら変わらない。世の中を牛耳っている連中が自らの失敗を無かったことにするために何人かの人生が犠牲となる。社会では職を失う程度で済むのかもしれないが、魔女たちの間では命が犠牲になりやすいのだろう。
「だから無理やりにでもどこかには属していた方がいいの。一匹狼な私からの助言だよ」
「お師匠様の助言って微妙に役に立たないことばかりだからあんまり真に受けたことないんですけど」
「なにぉう!」
「だってこの前の『感情』の話も最初は良い話だったのに、コンビニの店長が初恋だったとか話が飛躍した途端に陳腐化したじゃないですか」
「あーあーやな弟子だなー。陳腐化なんて難しいワードセンスを身に付けちゃって!」
さほどの難しさもないはずなのに難しいとか言い出す師匠の精神年齢を疑う。どこからどう見ても成人女性で、ダサい黒服とつば広の帽子さえ被らず、相応の化粧をすれば美人だというのに本人の美的センスが終わっているせいで素材を活かせていない。そのせいで年齢不相応に幼さを感じてしまうのだろう。
「ちなみになんですけど、魔女養成所の日本支部……ダサい名前じゃないですよね」
「なんで? かっこよくない? 魔女狩り撲滅委員会――通称、MGBI」
目が虚ろになっている辺り、本気でかっこいいなんて思っちゃいないんだろうな。
「魔女狩り撲滅委員会ってところがダサいんですけど。しかもなんでローマ字表記での略称なんですか」
「そりゃ日本は横文字とローマ字が大好きなところだから」
「横文字は理解できますけどローマ字好きはないと思いますけど」
「そう? 私は日本に来て至る所にローマ字を採用した弊害が出ているなって思うけど」
「そうですか?」
住んでいる側からしてみればそんな感覚は薄い。
「なんならあなたが偉大な魔女になって日本の価値観を変えてしまえば、」
「顰蹙を買いそうな野望は抱いてません」
そっかぁ、と師匠は溜め息をつく。変なところに期待はしないでほしい。むしろもっと別の方面で期待を抱いてほしいのだが、この師匠にそういったことを直接的に伝えると「まーたこの弟子は師匠を誑かそうとして可愛い子ぶっちゃってるよ」と言って溶けた顔しながら頭を撫で回してくるのでやめておく。
「それにしても、魔女って西洋のイメージですけど」
「そだよ。本場は西洋」
「じゃ、なんでお師匠様は日本に?」
「西洋生まれの日本育ち」
「ああ、だから初恋の相手がコンビニの店長とか」
「ちょちょちょっと! いくら弟子でも私の秘密をそんな誰にでも聞かれそうなところで言っちゃうのは駄目だって」
本当に駄目とは思ってないな。むしろ自身の初恋の話題を出されたことにちょっぴり嬉しそうだから。初恋ってイジられるとムカつくものなんじゃないんだろうか。
パトカーのけたたましい音色が遠くから聞こえる。
「最近はどこで鍛錬してても嗅ぎつけてくるなぁ……ここ、昼間だとほとんど人の気配なんてない裏路地なのに。警察に飼われている輩がいそう」
「どうします?」
「ん~証拠なんて微塵も残さないし壊した建物も元には戻すけど、残滓を辿られるの面倒臭いから幾つかフェイクを織り交ぜる。あ、弟子はこのまま養成所に向かっちゃって」
「え、でも昼を回っちゃってますよ?」
「あのねぇ……魔女が朝型の生活サイクルを送ってると思う? 魔女養成所が朝から学校みたいに生徒の登校を見守ってくれてると思う? 私たちは夜に生きる者たちだよ。夜の魔を切り裂くためだけの存在なんだから」
師匠が刻印に手を当て、こちらを指差す。体の中心に渦巻く風の塊が発生し、半ば――いや完全強制的に遥か彼方へと吹き飛ばされる。
《その風があなたを養成所の近くまで連れて行ってくれるから。養成所にも話を通してあるから気にしないで》
滅茶苦茶である。心の準備なんてまるでできていない。そもそも今日から向かう体で話をしていなかったのであまりにも唐突すぎて思考が追い付かない。
《頑張れ、ミイナ・サオトメ》




