外見に惑わされてはいけません
学園の長期休暇も残りわずかというタイミンで、歴史と伝統を煮つめたような重苦しい書斎に呼び出された私は、これから理不尽な叱責に耐えなければならない。
こんな父とのやり取りも、腹違いの妹が我が家に引き取られてから何回目になっただろうか? と指折り数えてみるが、その数の多さに辟易する。
「……気が重いけれど、ここで二の足を踏んでも仕方がないわよね」
肩を落としたまま深く息をつくことで気を取り直し、入室の許可を取る。一拍の後、聞きなれた威圧的な声がそれに応えた。
今回の呼び出しの要件は、学園で妹をサポートする役目を与えられておきながら、手を抜いている。とのことなのだけど……。
「お言葉ですが、お父様。学年も学科も違う私にどうしろと仰るのですか?」
苛立たしげに執務机にふんぞり返る父は、私の意見などはなから聞くつもりはない。それは分かっているけれど、ここで私の言い分もきちんと主張しておかないと、父は自分に都合の良いよう捻じ曲げて解釈してしまう。それは絶対に避けなければならない。
ごめんなさいね、お父様。あなたのお人形遊びに付き合ってあげらるほど、私は暇ではないのよ。
「口答えをするんじゃない! お前は黙って私の指示に従っていればいいんだ!」
「卒業に必須な研究発表や最終試験の為の準備を全て投げ出し、妹の傍に常に侍り手助けせよと? 私の記憶では、学園の卒業を私に厳命したのはお父様だったはずですが?」
正論を返されてぐうの音も出ないけれど、私に反論されたことが気に食わないのか、父は支離滅裂なことを捲し立て、最早会話の体を成さない。こうなってしまっては、妹を心配しすぎでは? という単純な投げかけも届くことはないわ。最近はいつもこうなるのよね……。その体力を別のことに使ったほうが、余程建設的というのもの。今の勢いのまま領地の視察にでも出かけたらよろしいのに。
父の思考を理解しようと試みるのも億劫で、只々右から左に受け流し、彼が消耗するまでひたすらに黙った。その態度に業を煮やしたのか、殊更大きな声で出ていけと言われ、私は素直に従い、そそくさと退室する。
「……あんなにバカな人だったかしら?」
先程の騒音が嘘のように静まり返った邸内を、自室へ向かって歩きながら僅かに首を捻る。でもまぁ、卒業さえしてしまえば、あの人の元から離れられることができるもの。あと一年もないのだし、気にしないことにいたしましょう。学園の寮にいる間は父と顔を合わせることもないし、卒業後にこの家がどうなろうと、私の知ったことではないものね。
数ヶ月後、無事に研究発表も最終試験もクリアした私は、学園長へ挨拶を済ませた帰りに、何故か学園の中庭に呼び出されていた。
この広い学園の中で、他学科の生徒が唯一自由に顔を合わせることが出来る中庭の中央には、この国の第一王子を筆頭にした貴族科在籍の男子生徒三名と、騎士科在籍の男子生徒一名が揃って私を待ち構えている。彼らと特に親しくしていた覚えはないのだけど……。
「お待たせしてしまったかしら? ごきげんよう、殿下」
そちらが呼びつけたというのに、私のカーテシーには礼も返さず、声をかけただけで睨みつけられてしまったわ。まぁ怖い。
「それで、ご要件はなにかしら?」
「この期に及んで白々しい! お前の化けの皮はとうの昔に剥がれているぞ!」
淑女らしく微笑みを称え、冷静に話を伺おうとしていたのだけど、それがかえって逆鱗に触れてしまったのか、とんでもない勢いで責め立てられてしまったわ。彼らの中で私という人間は一体どういうものになっているのでしょうね。もしかして、私は身に覚えのない事で殿方から糾弾される星のもとにでも生まれてしまっていたのかしら? 彼らの口に昇る様々な事柄は、身に覚えどころか、考えたことすらないことばかりだった。
曰く、授業中に妹が失敗するように仕向けたり細工したりしていること。曰く、学園で人気を集めている妹に嫉妬し、見えないところで苛烈な虐めをしていること。曰く、私が研究しているのは魔法ではなく呪いの一種で、それを妹に使用する計画を立てていること。などと、つらつらと罪状を述べられた。
妹に関することは、私を蹴落としたい人間の悪意ある噂から拡がった嘘と分かっているので、まぁ想定の範囲内ではあるのだけど、卒業の為の研究まで在らぬ疑いをかけられるとは……彼らもバカだったのかしら?
妹の嘆き悲しむ様子やそれを支えた自分たちの献身などを語り、悪は処罰されて然るべきだと主張されたけれど、それ、真実なんですの? 私は鼻じらむばかりだわ。
「殿下の仰りたいことは理解致しました。それで、妹は今どこに?」
「これ以上、彼女を傷つけられてなるものか。オリビアには予め温室で茶会を開くと使いをだしている。きっと今頃は、彼女の味方である令嬢たちと、我々の到着を待ちながら穏やかに過ごしているはずだ」
「なるほど……それは早々にカタをつけなければなりませんね。殿下のお話では私は処罰されるとの事ですけれど、どういった刑を与えられるのでしょうか?」
「エヴァリン・コールソン侯爵令嬢。其方への沙汰は、絶海の孤島にある修道院で、生涯の幽閉だ」
勝ち誇ったような表情を見せる彼らは……やはりバカなのだわ。妹の件に関しては、言わばお家騒動。父に事の次第を話し、私を早急に嫁がせるか、領地へ蟄居や謹慎とすれば済む話だ。
厳罰とも言える生涯の幽閉の理由は、卒業研究の部分にかかるのだろうけれど、将来国を治める立場になるはずの王子やその側近が、この学園の卒業研究の意味も理解していないのはどうなのかしら? 国の事情も絡むというのに……これは王家全体に対して不信感を抱いても不思議はなくてよ。
正義は己にありとした殿下の自信に溢れた様子は、時には頼もしく見えるものでしょう。でもこれはいただけないわ。彼らは誰一人として状況を冷静に俯瞰できていないもの。それに、殿下に追従するだけの令息方には、王子の側近という地位に対するプライドも垣間見える。
思い返してみれば、学園で過ごしている間も、私を目の敵にしている節があったわね。幼い頃に参加したお茶会で、殿下からの婚約を素気なくお断りしたことをまだ根に持っているとでも言うのかしら? 私からは関わらないようにしていたから忘れていたけれど、なぜ断られたのかと自身の振る舞いを省みることもしないなんて……あの頃から自分の見たいものしか見ていないのだわ。バカバカし過ぎて相手をする気力もなくしそう。
遅い遅いと社交界で話題に登ってたのは知っていたけれど、彼が今の今まで立太子されていない理由が分かったかもしれないわ。
「あ、やっと見つけました! 皆さん、ここでなにをしてるんですか?」
いつまでも付き合っていられないと、この場から逃れる方法を思案していたら、彼らの背後に現れた小柄な人影から声がかかった。その声のする先に全員が一斉に目を向ける。そこには小動物を思わせる可憐な少女がひとり立っていた。私の妹、オリビアのご登場よ。
どうやら、お茶会に招待した側が一向に表れないものだから探しに来たのね。話がややこしくなるから、今はいて欲しくないのが本音だけれど、慌てふためく殿方の姿は少し面白いわ。
「あ、お姉様もご一緒だったんですね……すみません、オリビアはまた、お姉様のお邪魔をしてしまいました……」
「オリビア、大丈夫だ。君のことを邪魔だと思うような人間はいないよ。それに、話はもう済んでいるようなものだから気にしなくてもいいんだ。待たせて悪かったね。」
口々に優しい言葉を紡ぐ殿下がた。小さな背と大きな瞳。華奢な体の線が儚げで、いかにも守りたくなるような妹の容姿。普段、彼女を持て囃している連中は、彼女の内面を少しも見ようとしていないのよ。
私を蚊帳の外に追いやったままの彼らに、今の状況を説明されているのか、オリビアは表情をくるくると変えていく。
「えぇ!? それは本当なのですか? 本当に、お姉様を……修道院に幽閉……するのですか?」
「可哀想に、彼女を前にして怯えているね。安心してほしい。君に危害を及ぼす存在は、必ず僕がこの手で全て根絶やしにすると誓うよ」
一国の王子という立場の人間が、根絶やしにすると簡単に宣うだなんて、物騒ですわねぇ。ひとりの人間の為に、強権を振りかざすことを厭わないと宣言するなんて浅慮すぎませんこと?
それにしても、上手く誤魔化せば良いものを、馬鹿正直にこの場でのやり取りを話して聞かせるとはね。あぁ、妹に対して見栄を張りたいのね。
殿下はもとより、全員がオリビアを囲み優しく触れる。彼らは順に、髪や手の甲、指先にささやかな口付けを落とし、膝をついては世の女性が憧れるような台詞を吐いていく。場の状況にそぐわない甘い空気に胸焼けしそうだし、それとは別の意味でも身震いしてしまうわ。
「お姉様を幽閉……」
「あぁ、これで君はなんの憂いもなく、僕らと交流できるということだ」
だからどうか、笑顔を見せてくれないか? などと囁く殿下の声に、オリビアは答えない。俯いたまま、小さく震わせていた肩を自身の手で抱き締めて何かに耐えている仕草を見せる。
「ふ、ふふ…………ふざけんじゃねーぞ! このクソゴミ虫共がぁ!!」
安堵の笑みを浮かべていると思われた妹は、顔を上げるなり吼えた。その姿を目の当たりにし、私は頭を抱える。彼女をこの場に呼ばなかったことだけは評価しようと思っていたのに、それも意味がなくなってしまったわ……。
お義母様、お許しくださいね。これは不可抗力というものよ。目の前の現実を見たくなくて、私は在りし日に思いを馳せる。
──あれは、母が亡くなった数日後のことだった。優しい母が流行病で帰らぬ人になってしまったというのに、相変わらず家を省みない父と、そんな父に従う冷たい使用人たちに囲まれて、これから待ち受ける孤独に、ひとり耐え続けなければいけないのかと絶望した私は、衝動的に家を飛び出してしまった。当然、娘に関心のない父は仕事にかまけて気づかない。
とぼとぼと市井にひとりでやってきた、見るからに貴族の幼い娘は格好の的だ。さほど荒れているわけでもない場所で、暴漢に襲われそうになってしまった。
売られるか殺されるかという絶体絶命の危機に、颯爽と現れ事態を収拾させたのは、浮浪児と思われる子供たちだった。お礼をしたいと言う私が連ていかれたのは、彼らの寝床。そこで「親分」と呼ばれる人物に出会ったのだけれど、それが自分とそう歳の変わらない可愛らしい少女だったあの衝撃は、忘れられないわ。
話してみると、親分は粗野で乱暴な言動は目立つが、世話焼きで筋の通らないことが許せない一本木な性格だと分かる。更には、自分は前世の記憶を持つと言い、子供たちだけではどうにもできないことを次々に解決しては、小銭を稼いで子供たちにご飯を食べさせているのだと教えてくれた。
「親分は立派だわ。私の方が少しお姉さんなのに、ひとりで何もできないどころか、親分よりももっと小さい子に助けてもらうなんて……」
「なぁに言ってんの。エヴァリンは貴族として教育されてんだから、アタシたちと同じことができなくて当たり前だろう? だから気にすんなって!」
私たちの交流はそれからしばらく続いた。家を抜け出しては親分に会いに行き、色々なことを話した。私の家のこと、親分のこと。市井のこと、子供たちのこと。そして……親分は近々父親の元へ行くことになっているのだと、本当に嫌そうに話してくれた。どこの誰かは知らないが、確かに血は繋がっているし、たまに顔を見せては自分を愛しているように振る舞うが、それが嘘くさくて大嫌いだと吐き捨てる。
慰める言葉を持ち合わせなかった私は、少しでも安心して欲しくて、いつか再会できたらいいと、叶うか分からない約束を交わす。親分から教わった指切りというもので、私たちは誓いを立てた。
一年後、私の母の喪が開けてから迎え入れられた後妻と共に現れたのは親分──オリビアだった。
お義母様は没落した子爵家の出身なのだけど、身寄りはなく、恋人である下級騎士が戦場から帰ってくるのを貧困に耐えながら待っていた。そこにもたらされる訃報。後を追うつもりで川に身を投げようとしていたところに父が通りかかり、憔悴してもなお美しいその容姿と境遇に同情し、支援を申し出たのだと世間的にはなっているそうよ。
命の恩人と薄幸の美女の出会いは一見美談でしょうが、現実はそんなものでは決してない。出会いは確かに偶然だったかもしれない。けれど、その後は父が権力を振りかざし、オリビアの母を素早く手篭めにしたというのが真実だ。
オリビアは養子ということになっているのだけど、オリビアも言っていた通り、確かに父の子供だとお義母様からも聞いたのよ。かつての恋人とは、そういった行為に及んでいなかったそうだから。
私とオリビアの年齢差を考えれば、父は初めからお義母様に手をつけるつもりでいたのでしょうね。母の死も……本当に病なのか疑ってしまうわ。
出産により、丈夫ではなかった体を崩しがちになったお義母様は、父からの援助を受け取り続けるしかなく、その葛藤は娘への執着に変化していった。恋人を失った彼女にとって、生きがいとなった娘は大事にされた。されすぎた。
一方でオリビアはといえば、自分を産んだことで弱っていく母を直視できず、また過剰な愛が息苦しく、母の寝ている隙をついては逃げ出すように外に出て、スラムで浮浪児達と交流するようになったのだと教えてくれた。子供たちとの出会いは偶然だったが、前世の記憶から上手くまとめあげ、治安維持にひと役買うまでに成長したのだと、子供たちのことを誇らしげに語る。
前世などというものがあるとは俄には信じ難いと、普通なら思ってしまうのでしょう。でも、私が幼い頃から見てきた親分という人は、確かに子供らしくない知識と度胸を兼ね備えていたのだもの。私には、信じる以外の選択肢はなかったわ。
「オリビアは、レディースという組織のトップにいたのね?」
「組織っても、そんな大したもんじゃないよ。親や教師に不満があったり、大人を信じられない子たちが自然と集まってできたグループって感じかな」
侯爵家に迎えられてから暫く、私たちは秘密のお茶会を重ねていた。
市井で見た親分の姿と、令嬢として貴族教育をこなす姿があまりにも違いすぎて、彼女の心が折れてしまうのではないかと心配になった私が、息抜きになればいいと誘ったのがはじまりだ。そこでオリビアが教えてくれる前世の武勇伝は、それはもうハラハラする内容だったけれど、周囲から与えられる杓子定規な教育や自由のない生活の中で、オリビアの話は適度なスリルを与えてくれていた。あの時間はとても楽しかったわ。
何年かそんな状態を続けていると、オリビアの頑張りにより、令嬢として人前に出せるレベルに到達することができた。しかし、気を抜くと、粗野で乱暴な一面がうっかり出てしまう。こればかりは仕方ないのではないかしら? だって、豪放磊落なのが彼女の本質なのだもの。そう簡単に変わるものではないわよ。
それでも、悪戦苦闘しながら、オリビアは猫を被り続けた。何故そこまで? と疑問に思っていたのだけど……私のため、なんですって。オリビアの存在が私の足を引っ張らないように、そして、私が軽んじられたりしないように、と。
オリビアにとって、私も守るべき仲間、家族という枠の中にとっくの昔から数えられていると聞いて……感動して思わず泣いてしまったわ。
そうこうしているうちに、お義母様は私の母と同じ流行病で息を引き取る。父はお義母様に瓜二つなオリビアに執着するようになり、その溺愛は私たちどころか、使用人でさえ危機感を持つほどだった。姉妹揃って全寮制の学園に入学したのは、父の魔の手から妹を守る為でもあったのよ。
「いつまでお花畑にいやがんだよ! 一発ぶん殴れば目も冷めんだろ。そこから動くなよ? 歯ぁ食いしばれ……って、ちょ、離せよクソが!」
およそ可憐な見た目からは想像できないオリビアの罵倒が耳に届き、私はハッと意識を現在に戻す。本当に口が悪いったらないわ。
今にも殿下に殴り掛かりそうになる妹を羽交い締めにして止めているのは、騎士科の青年ただ一人。あとの三人は唖然として彼女の変容を眺めている。よく見ると、殿下は腰を抜かしてるのではないかしら。
あの子の本気の剣幕って、驚くほど威圧感があるのよねぇ。昔も今も、あんなに小さな身体で、鍛えられた騎士を圧倒することもあるんだから本当に尊敬するわ。
我が家に来てから貴族令嬢の型に徐々に嵌められていく彼女を見るのは辛かった。もっと自由でいいのよ? と何度声をかけたか分からない。その度に困ったように笑ってぎこちない対応をされるのだもの、彼女の良さがどんどん失われていくようで、とても……とても寂しかった。でも根っこの部分は決して変わらなかった。私の大好きな親分のままでいてくれて、嬉しいわ。頑張って被っていた猫がどこかにお散歩へ出かけてしまったけれど、まぁ、もう頑張らなくても良いものね。
オリビアの豹変に驚愕や戸惑いを抱く周囲に構うことなく、私は彼女を窘める。あなたが悪になる必要はなくってよ。
「怒りで素が出ていましてよ、オリビア」
「はっ! ごめんなさいお姉様! でもお姉様を悪し様に言われるのは我慢がならないわ。これでも限界まで大人しくしていたのよ?」
「そうね、あなたにしては、よく耐えているものだと感心していてよ」
キャッキャウフフと微笑みあう私たちを眺めていた殿下が、自体を飲み込めていないままに、口を開く。
「オリビア……き、君は姉に貶められているのではなかったのか?」
今まで蝶よ花よと可愛がっていたオリビアからは鋭い眼光と辛辣な言葉が返ってくる。あらあら、「いつもベタベタしてきやがって、気持ち悪いんだよ!」と悪態までつくしまつ。もう困った子ね。
私が宥めることで彼女の興奮が幾分か抑えられたところで、私は王子殿下、並びに令息方に向けて指摘する。それは周囲の人間全てに当てはまる言葉だ。
「なにをそんなに驚いていらっしゃるのです? 私をはじめ、彼女が心を開いた相手はこの姿を存じております。外見しか見ず、勝手に人の性格を決めつけて、独りよがりなお節介を焼くのは、褒められたものではございませんわ」
オリビアは更に、私に対しての評価も同じだと告げる。他人からもたらされた流言蜚語を鵜呑みにし、勝手に評価してそれを思い込む。「それが人の上に立つ人間の考え方なら終わってんな」ですって。
「それとね、殿下。私、本日を持って早期卒業となりましたわ。さきほど仰っていた怪しい研究とやらの成果が、国に大きく貢献すると認められましたの」
淑女として恥ずかしくない範囲で最大限の笑顔を作る。学園生活の中であなたたちから特に何かされたことはないけれど、どこかの誰かに簡単に踊らさるようなおバカさんでも分かるように、完全敗北を突きつけないといけないわ。
「同時に、隣国へ輿入れが決まっております。私、以前出席いたしました夜会で、宗主国の王太子から求婚されておりましたの。お相手がお相手ですし、お返事はお待ちいただいていたのですけれど、あなたのお父上である陛下から婚姻を結ぶよう、この度、勅命をいただきましたわ。ご存知ありませんでしたか? それはまぁ……お気の毒なことですわね。王太子妃となりますと、将来は殿下より上の立場になりますわ。知らなかったとは言え、私に冤罪をかけたのですもの、あの方がどう思うか……無事王位を継げるといいですわねぇ」
そう言って再び笑顔を見せれば、殿下をはじめとして、いつの間にか集まっていた生徒の顔色が一部を除いてサッと変わる。政治的な思惑か個人的な感情かはさておき、今の私の話を聞いて、祝福や好意的な驚き以外の感情を抱いたのは、私の悪評を流した方か、面白おかしく流布していた方なのは間違いないでしょう。私、記憶力はとても良いの。だから頭の中で、調査、又は排除候補リストを作成するのもお手の物でしてよ。
「そうそう、妹も卒業を待たずに一緒に参りますの。あちらでは、女性騎士の活躍が目覚しく、あの方がオリビアの才能を買ってくださったおかげで、姉妹仲良く移住できることになりましたわ。数年後になるでしょうが、今から交流試合が楽しみですわね」
誰も彼もが茫然自失といった空気の中、私を笑顔で見送る数人とだけ挨拶を交し、オリビアと共にその場をあとにする。去り際に、揃って膝をつき現実を受け入れられない様子の殿下たちを、騎士科の彼が助け起こす姿を見た。
「オリビア、あの騎士科の方のお名前は知っていて?」
「あぁ、アイツはオリバー・ブライスだよ。ブライス伯爵家の三男。騎士科でも群を抜いて優秀で、こっそりアタシと手合わせしてくれてた良い奴」
「ブライス様ね、ありがとう。……それより、口調が親分に戻ってしまっていてよ?」
「えぇ? ちょっとくらいいいじゃんか。さっきエヴァリンがぶっちゃけたから、もう令嬢らしくしても意味ないし」
隣を歩きながら口を尖らせて文句を言うオリビアの頭を優しく撫でる。彼女の言う通り、今後は女性騎士として活躍する未来を約束されているオリビアに、令嬢としての振る舞いは必要ない。ちょっと意地悪を言ってみただけよと微笑めば、オリビアも笑顔を返してくれた。やっとありのままで居られるわね。おかえりなさい、親分。
数日後、私たちは盛大なパレードで見送られ、隣国に旅立った。私の卒業を待ちきれなかったあの人が、婚姻の返事を受け取ってすぐに迎えに来ていたのよね。私はどこにも逃げませんのに。
本来であれば、輿入れの準備には相応の時間がかかるものだけれど、宗主国側の顔色を伺う立場の陛下は、超特急で式典の準備を整えてしまい、あれよあれよという間に、国を上げてのお祭り騒ぎとなってしまった。
生花で彩られた馬車に乗った私のすぐ後ろには、凛々しい騎士の姿で軍馬を乗りこなすオリビアと、あの時の騎士科の青年、オリバー様の姿があった。彼は殿下の護衛騎士筆頭候補だったのだけれど、思い切って一緒に移住しないかと打診してみたの。二つ返事で了承の旨が届いた時はオリビアと二人で笑ってしまったわ。
華やかな式典のその裏で、冤罪の件は当然陛下の耳に入る。あの人の機嫌取りの為に殿下は継承権の剥奪の決定がなされ、第二王子を王太子に据えると発表された。そもそも彼は第一王子でありながら、為政者には向いてなさそうでしたもの、陛下は機をうかがっていたのかもしれませんわね。
私とオリビアの二人を同時に失った父がどうなったか、私は聞かなかった。後妻を迎える際に一族との縁は切れている。私の母の生家の方が身分は上でしたものね。どれだけ美談とされた出会いを演出しても、オリビアの存在が父の不貞を如実に物語っているのだもの、類が及ぶのを恐れた家から早々に離れていった。後継者を養子として一族から迎え入れられないとなれば、あとはなるようにしかならないわ。
祖国の事情など、国を出た私には最早関係のないこと。それはオリビアとて同じ。新しい日常は想像よりもずっと早く、瞬く間に過ぎていく。
「まぁ! オリバー様ったら、またオリビアを甘やかして! あの子が怪我をしたら、また結婚式が延期になってしまいますわ! あなた達は何度延期したら気が済むのですか」
「す、すまない。彼女が結婚式の前に、どうしてもダンジョン産の宝石で揃いのアクセサリーを作りたいと言うものだから、俺も欲しいと思ってしまって……」
泥だらけで地面に座り、見るからに気落ちしているオリバー様は、私の説教を甘んじて受け入れる。悪戯が見つかった子供のようだわ。
「庇いだては不要です! 私が怒るのを分かっているから、コソコソと庭の端を通って帰ってくるなんて……さては証拠隠滅を図ろうとなさいましたわね? あの子の入れ知恵でしょう! まったく、オリビアはどこです!」
辺りを見回してもオリビアの姿はない。オリバー様が落ち着いているから、大怪我などは負っていないはずね。本当にもう、どれだけ心配させれば気が済むのかしら! 二人とも並んで正座させたいわ!
「エヴァ! ここに居たのか……っと、オリバーとオリビア嬢は相変わらずみたいだな。その姿も見慣れたものだ」
声の主を仰ぎ見れば、愛おしい旦那様であるアレクが面白そうにこちらを見ている。このやり取りも何度目かしら。最初こそ、この体勢にはなんの意味があるのか? と疑問に思っていたアレクだったけれど、反省を促すポーズだとオリビアが教えてからは、何かやらかしたんだな? と、分かりやすくていいと受け入れてくれた。
「とりあえず、オリバーは風呂にでも入ってこい。これ以上そのままの状態で、エヴァの近くにいられるのは俺が耐えられん。それに、オリビア嬢が向こうで待っていたからな、話は二人揃って身綺麗にしてからだ。分かったらさっさと行け。……エヴァもあまり怒っていては、お腹の子に障るぞ?」
オリバー様はアレクの気遣いに短く返事をし、痺れているであろう足をものともせず去っていく。アレクは軽い足取りで私の傍までやってくると、そっと私の膨らみ始めたお腹に手をあて、愛情を滲ませた目をすっと細める。お手をどうぞと甘く囁き、危なげなくエスコートされては先程までの怒りは霧散してしまうというもの。確かに、いつまでも外に留まっていては、体が冷えて良くないわ。
「軽く聞いてきたが、オリビア嬢に怪我はないそうだよ。今回は延期しなくて済みそうだ」
「……本当に、あの二人はどうしてこうも落ち着きがないのかしら。馬が合うのは良かったけれど、オリバー様はオリビアに甘すぎるのよね」
ため息混じりに心配を口に出せば、アレクの優しいキスが頬に落ちる。なぁに? と目線で問いかければ、困ったような笑みが返ってきた。
「オリビア嬢はね、産まれてくる俺たちの子に、贈り物を用意したかったそうだよ」
「贈り物? でもなんでダンジョンなんて……あ、ダンジョンでしか採れない……祝福石?」
「お伽噺だと何度も釘を刺していたんだが……どうやら、本当に見つけてしまったらしい」
オリバー様の泥だらけの姿を思い出す。いつもより派手な汚れ具合に眉をひそめたが、オリビアから聞かされた前世の武勇伝と同じような、聞いてるだけでハラハラする冒険を、今度はオリバー様と二人で繰り広げてきたに違いない。前世で家族同然の大事な仲間の為に渡った危ない橋を、今度は私の為に渡ってくれたのだと気づく。
「あとでオリビア嬢の様子を見に行こうか。……それまでにその涙は引っ込めておかないと、さっきみたいな小言は言えないぞ?」
両手で顔を覆い、頷くことしかできない私をアレクが優しく抱きしめる。子供をあやすように背中を撫で、彼女に愛されているなと小さく呟いた。
あぁ、オリビア。いえ、親分。親分は迷子の私を助けてくれたあの時から、本当になにひとつ変わっていないのね。ニカっと歯を見せて豪快に笑い、親が子に見せる慈愛で包み込んでくれる。母であり妹であり、親友でもあるオリビア。私が今、この場所で愛する人に囲まれて幸福を感じることが出来ているのは、あなたのおかげなのだと心から感謝するわ。笑顔で顔を上げれば、目尻に残った涙をアレクが指で拭ってくれた。
「結婚式の時に、俺たちからも何か特別な物を贈ろう。エヴァはなにか思いつく?」
「そう、ね。……物よりも、喜ぶことを知っているわ。でも……他国への内政干渉になるかもしれないけれど、いいかしら?」
何度か目を瞬かせてから、アレクはフハッと思わず笑う。まずは話を聞いてみるよと私の手を取りアレクの執務室へと促された。
祖国のスラムをなくそう。あの場所は、私と親分の思い出の地だけれど、それと同時に、本来あってはならないものでもあるのだもの。
身寄りのない子供たちだけで協力して生きられたのは、親分という存在があったからこそ可能だった。知恵や技術を授けた親分は、貴族になってからも、慈善事業だと言ってスラム近くの教会へ寄付をしていた。あの教会は、よくスラムの人たちへ向けて炊き出しを行っていたから、間接的にでもかつての仲間たちへ食べ物を分けてあげたかったのだと親分は教えてくれた。
輿入れのパレードの時、私は成長した子供たちを群衆の中に見つけていた。晴れやかな顔で手を振り見送ってくれた彼らへ、少しでも何か出来ることがないかと、ずっと考えていた。彼らの過去を変えることはできない。けれど、彼らと同じ思いをする子供は減らすことが出来るかもしれない。色んな事情があって流れ着くんだと当時の親分は語っていた。ならば流れ着いた先で苦労しないようにしたい。今なら実行出来る権力があるのだもの。親分が一番喜んでくれて、私の願いも叶う。一石二鳥よ!
「なるほどね。悪くない提案だと思うよ」
「でも、国としては何の利もないわ。それに内政干渉だと批難されるのじゃないかしら?」
「そこは俺が上手くやるよ。オリビア嬢に負けてられないからな。……俺だって奥さんに良いとこ見せたいし?」
揶揄うようにパチリと片目を瞑るアレクのお茶目さに、ふふっと笑いが漏れる。まずはスラムをなくすための計画と祖国への通達。ことを荒立てる訳にはいかないけれど、きっと第二王子殿下なら聞き届けてくれるでしょう。それと、オリビアとオリバー様に説教の続きをしないとね。そして感謝と愛をこめて、親分を抱きしめるわ。私はあなたのおかげでこんなにも幸せなのだと、改めて告げましょう。「恥ずいってば!」なんて言いながらも、きっと抱き締め返してくれる。あなたに出会えて本当に良かった。




