憂い
ルカニード王国から帰国したセシルは、数日の休養を経て、魔法兵団を統率するアイリーン・テイラー大佐に呼び出されていた。
「よく来たな、セシル・ローリエ。体の調子はどうだ?」
「はい、おかげさまで腕の方はもう動かしてもほとんど支障ありません。ただ……魔力の方は、まだ本調子には程遠いです」
アイリーンの声は落ち着いているのに、圧があった。
セシルはその威圧感に飲まれそうになりながらも、しっかりとした口調で答える。
「そうか。今は焦らずに治せばいい。それより、今日お前を呼んだのは私ではない」
アイリーンが奥に視線を送り、軽く顎をしゃくる。
次の瞬間、奥の扉から一人の男が姿を現した。
現れたのは三十代前半の男。
「やあ、セシル少尉。まだ本調子じゃないと聞いたよ。大切な体なんだから、無理はしない方がいい」
茶色の巻き毛を弄びながら、氷のような青い瞳でセシルを見つめている。
「……フィリップ中佐」
セシルは思わず眉をひそめる。
「さて、セシル少尉。近くルカニード王国で行われる“新世紀二百周年記念式典”のことは知っているね?その式典にルーシェル元帥が出席される。君には、私と共に護衛任務に就いてもらう」
「……申し訳ありませんが中佐。ご存じの通り、私はまだ魔力の回復が遅れております。私などより、他の方のほうが適任かと」
言葉は丁寧だったが、声音には明らかな拒絶があった。
「はっはっは。魔力なんてどうでもいいさ」
フィリップは口元にいやらしい笑みを浮かべ、指先で髪を弾いた。
「護衛なんて建前だよ。各国の要人が集まるあの場で、君は私の隣に立っていればいい。紹介してやる。君の顔を売る絶好の機会だ」
ぞわりと背筋を走る悪寒。セシルはその不快感を押し殺し、毅然とした声で返した。
「そのような場に新米将校の私が立つのは、セントラルボーデンの品位にも関わります。やはり私は――」
「セシル」
尚も拒絶しようとするセシルを遮るようにアイリーンの声が、冷たく部屋を貫いた。
「これは命令だ。ルーシェル元帥の護衛として、フィリップ中佐と共に出席せよ。向こうでどう振る舞おうと自由だが、式典への同行は任務とする。……いいな?」
「……はっ、了解しました!」
セシルはすぐに背筋を伸ばし、力強く敬礼する。
「良し、いい子だ。セシル、これから私と――」
「失礼します!訓練がありますので!」
フィリップの言葉を遮るように、セシルは踵を返して部屋を出た。
「おい、どこへ行くんだセシル?」
「ルーシェル元帥の初の大舞台です。護衛の任を全うするため、一秒も無駄にできません。……演習場で鍛えてまいります!」
ドアが勢いよく閉まる。
室内には、フィリップの乾いた笑い声が残った。
「ふっふっふ。あれは中々気の強い娘だな」
「その美貌に、あの強情さ。……教えてやらなければなりませんね」
フィリップは薄ら笑いを浮かべた。
「自分がどれほど“抗えない流れ”の中にいるかを」
――
「くそっ……くそっ!」
演習場に入るなり、セシルは剣を抜き、無造作に振り回した。
「死ねぇぇ!『切り裂く風!」
「消えろっ!『風の切り裂き魔!」
次々と魔法を放ち、木々が切り裂かれていく。
だがすぐに足がもつれ、膝をついた。
「はぁ、はぁ……なんで……。なんでこんな初級魔法で膝をついてるのよ……!」
拳を握り、再び立ち上がる。
「まだ……終わらない!」
腕を振り上げると、小さな竜巻が巻き起こり、標的の木々をまとめて飲み込んだ。
続けて銃を抜き、幾度も引き金を引く。弾倉が空になるまで撃ち尽くした。
「何が“良い子”よ……! 誰に言ってんのよ、あんな奴……っ!!」
再び弾を装填し、怒鳴りながら乱射する。
銃声とセシルの叫びが演習場に響き渡り、周囲の者たちは息を潜めた。
「はぁ、はぁ……駄目。全然スッキリしない……」
ふらつきながら銃を下ろし、額の汗をぬぐう。
「目眩までしてきた……。……もう帰ってシャワー浴びよう」
ふらつく足取りで演習場を後にするセシル。
彼女の背を見送りながら、周囲の兵士たちはようやく安堵の息をついた。
――
シャワーを浴び終えたセシルは、髪も乾かさずにベッドに腰を下ろした。
濡れた髪が肩に張り付き、静かな部屋に水滴の音だけが響く。
飲まなきゃやってられない――。
そう思いながら冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。
プシュ、と小気味よい音が響いた。
アデルかジョシュアを誘おうかと思ったけど……今日は迷惑かけそうだしな――。
そんなことを思いながら、缶を傾ける。
冷たい炭酸が喉を通り抜け、セシルの表情がわずかにほころんだ。
ルカニードか。そういえばあの人も軍関係者よね。ザクス・グルーバー大尉、あの人も参加するのかな――?
一人そんな事を考えながらセシルはふっと鼻で笑った。
「まぁ関係ないか」
静かな部屋にセシルの明るい声が響く。




