第二章プロローグ ザクス・グルーバー③
第二章プロローグ ザクス・グルーバー③
リオが指さす方に視線を向けると、数人の男が一人の女性にしつこく声をかけていた。
女性は美しいブロンドの髪を左手で払い、眉をひそめて不快そうに首を振っている。右腕は包帯で吊られており、動かすのも辛そうだ。
「助けてあげたらどうです?」
リオの低い声に、ザクスは少しだけ戸惑ったが、すぐに立ち上がった。
「女性を誘うなら、もう少しスマートにした方がいいんじゃないか?」
「あ?なんだてめぇ!」
男達は殺気立ち振り向いたが、軍服に身を包んだザクスとリオを見た途端、顔色を変えて立ち去った。
「くだらない連中ね……」
リオが小さく吐き捨てると、女性が椅子を引いて立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「いや、気にしないでください」
そう言って去ろうとしたザクスの前に、リオがすっと割って入る。
「旅行者の方ですか?またああいうのに絡まれたら厄介です。……大尉、送って差し上げたら?」
「えっ?い、いえ、大丈夫です」
女性が慌てて首を振るが、リオはすでに踵を返して出口へ向かっていた。
「大尉、その方、右手を怪我されてるようですよ。ちゃんと送ってあげてくださいね」
リオは振り向きもせずに言い残し、そのまま店を後にした。
「まったく、あいつは……」
ザクスはため息をつき、残された女性の方を向いた。
「あの、なんかすみません……」
申し訳なさそうに頭を下げる女性に、ザクスは慌てて手を振る。
「いえいえ、こちらこそ。あの流れじゃ断れませんしね。荷物、持ちましょうか?」
「ありがとうございます……」
二人は並んで夜の通りを歩き出した。
横を歩く小柄な女性の横顔を、ザクスはちらりと見る。
その視線に気づいたのか、女性が照れたように笑った。
「改めて、ありがとうございました。女性の方とご一緒だったのに、大丈夫ですか?」
「え?ああ、心配しなくていいですよ。彼女は秘書官なんです。まぁ……掴みどころのない奴ですが」
ザクスが苦笑すると、女性は一瞬驚いたように目を見開き、それから穏やかな笑みを返した。
「秘書官……軍の方なんですね?」
「ええ。技術士官をやってます。ザクス・グルーバー大尉です」
「……そうですか。私はセシル・ローリエ。セントラルボーデンからちょっとした用事でルカニードに寄ってたんです。最近、嫌なことが続いてて……気晴らしのつもりだったんですけど、変な連中に絡まれちゃって」
セシルは苦笑しながら肩をすくめる。
ザクスもつられて笑みを浮かべた。
「せっかくルカニードに来てくれたのに、嫌な思いをさせたみたいで申し訳ないな」
「ふふ、貴方のせいじゃないでしょう?」
そんな他愛もない会話を交わしながら、二人は夜風の中を歩いていく。
やがて、セシルが足を止めた。
「あ、私このホテルに泊まってるんです。ここで大丈夫です」
彼女が指差したのは、街の明かりを背にした高層ホテルだった。
ザクスは軽く会釈して別れを告げる。
「それじゃあ、気をつけて」
「はい。本当にありがとうございました」
セシルは笑顔を見せてホテルに消えていった。
部屋に戻ると、靴を脱いでそのままベッドに倒れ込む。
白い天井を見上げながら、セシルは小さく呟いた。
「……良い人だったけど……中立国とはいえ、軍関係者はさすがにまずいよね」
その声が次第に霞んでいき、やがて静かな寝息に変わった。
――
翌朝。
ザクスが窓際の椅子に腰をかけ、ぼんやりと朝靄の街並みを眺めていると、扉をノックする音がした。
扉を開けると、リオがいつものように微笑みながら入ってくる。
「あら、いつも通り早いですね。昨日は……何もなかったんですか?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべるリオに、ザクスは呆れたようにため息をついた。
「何かあるわけないだろ。普通に送って、普通に帰ってきた」
「もったいないですね。あんな綺麗な子、滅多にいないのに。相手は怪我してたんですから、無理やりにでも――」
「おい、俺を犯罪者みたいに言うな」
リオの軽口を遮り、ザクスが低く睨むと、彼女は愉快そうに肩をすくめた。
「では、真面目な話でもしましょうか。式典の出席、了承されたそうですね。……いいんですか?あの連中、きっとここぞとばかりに貴方を――」
「仕方ないさ。殺されるわけでもないし……全部、自分の責任だ。我慢するしかない」
その言葉に、リオの笑みがわずかに揺らいだ。
「……そうですか。なら、私はもう何も言いません」
リオは静かに頭を下げ、踵を返して部屋を出ていく。
廊下に出て扉を閉めた瞬間、彼女の背から力が抜けた。
扉にもたれ、俯きながら、かすれた声で呟く。
「……我慢ですか。……私も、まだ我慢しなきゃいけませんか……少佐」
黒く艶やかな髪をかき上げ、リオはかすかな笑みを浮かべた。
それは諦めにも似た、静かな痛みをはらんだ笑みだった。




