第9話「冒険者ギルド」
何と言うか――“買う”という行為が、これほどまでに快楽だとは思わなかった。
今の俺は、小金貨30枚、銀貨9枚、銅貨7枚を持つささやかな小金持ちだ。
買い物という名の、選ぶ自由を与えられたのだ。
まずは服を新調しに、冒険者向けの服屋へと向かった。
選んだのは、冒険者らしい軽戦装備風スタイルだ。
黒のインナーシャツに、コゲ茶のベスト。動きやすく、伸縮性のあるスリムなズボン。
そこに深緑のロングマントを羽織る。
もちろん内側には小さな収納ポケットがいくつも縫い込まれている。
俺の成長が早いのを見越して、だいぶ大き目のサイズを選ぶ。
黒革のブーツもオシャレなのがあったのだが、リリスがせっかくくれた靴をもう少し履くことにした。
俺のために選んでくれた物なのだ。出来る限り大切にしたい。
あとは下着類を数点買い揃えた。
それらの新品を抱え、次に向かったのは下町向けの共同湯屋。
街はずれの井戸のそばに建つ、木の香り漂う大桶湯だ。
利用料は銅貨2枚と、思ったより安い。
湯に浸かる前に、全身の垢と汚れをこれでもかと擦り落とす。
擦れば擦るほど肌が明るくなり、それはもう消しゴムかというほど垢が出てきて面白かった。
そのあとは、お待ちかね。新品の服に袖を通す。
俺はついに小綺麗な身なりの少年へと生まれ変わったのである。
続いて向かったのが冒険者ギルド――《灰狼の牙》。
ギルドの建物は、街の中央広場から少し外れたところにあった。
二階建ての石造りで、扉の上には狼の意匠を象った大きな紋章が掲げられている。
近づくにつれて、鉄と汗の匂いが鼻を突いた。
武器の擦れる音、高らかな笑い声、昼間から酒の匂い。
扉を開けた瞬間、そこはまるで狩人たちの巣穴のようだった。
木製の床が軋み、鎧を纏った冒険者たちがテーブルを囲んで談笑している。
獲物を誇らしげに自慢する声。依頼書を睨みつける若者。
一方で、カウンターには旅帰りのパーティーが、報酬を受け取って安堵の笑みを浮かべていた。
(これが、冒険者の世界か。いいじゃん、いいじゃん……!)
カウンターに歩み寄ると、受付に立っていたのは――
栗色の髪を肩で切りそろえた、明るい笑顔の女性だった。
笑うたびにまつ毛の影がふわりと揺れて、非常に可愛らしい。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「えっと、冒険者登録をしたくて……」
「まぁ……まだ随分とお若いようですけど。登録料は銀貨3枚が必要になりますが、よろしいですか?」
「あります。大丈夫です」
彼女はペンを持ったまま、俺をしばらく見つめていた。
心配そうな、でも決して見下していない眼差し。
「分かりました。では、登録手続きを始めますね。でも、いいですか?
命懸けの依頼も数多くあります。決して無理はしないように」
「はい。絶対、無理はしません」
その返事を聞くと、彼女は小さく息をつき、微笑んだ。
どこか“弟を見る姉”のような優しさがあった。
まっさらなカードを取り出すと、俺の名前を聞き、続いて指先を差し出すよう指示した。
「では、ノアさん。少しだけ痛みますよ」
――チクリ。
細い針が指先を刺し、血を一滴絞り出される。
先ほどのカードに埋め込まれていた石へと、その血を付着させた。
石が淡く光り、わずかに脈打つ。
「続いて、魔力の波長を覚えさせます。カードを持って魔力を注いで下さい」
言われるがままに魔力を流すと、カードの縁に紋様が浮かび上がる。
「……はい、認証完了です。あとはこちらで登録をしますね」
そういって受付嬢は、奥の大きな機械へとカードを差し込んで操作している。
戻って来た彼女から、登録完了と言いながらカードを渡されたが、見た目に変化は見られない。
「ふふっ、では魔力を流してみて下さい」
もう一度魔力を注ぐと、光が広がり、文字が浮き出る。
そこには、俺の名前、個人識別番号、ギルドポイント、そしてランクである“E”の文字。
「おぉ~! 凄いですね!」
「はい、これがあなたの《ギルドカード》です。大切なものだから、失くさないで下さいね?」
彼女――メリアと名乗るその受付嬢は、俺を子ども扱いしなかった。
依頼の受け方や、昇格についての説明などを丁寧にしてくれる。
まさに受付嬢の鏡、プロフェッショナルである。
ひとしきりの説明が終わり、メリアさんは胸の前で手を合わせた。
「では、改めまして――ようこそ、新人冒険者さん。
あなたの名が、いつかこの街に広がる日を楽しみにしていますよ」
その言葉が、なぜだか胸の奥に強く響いた。
“ようこそ”――その一言が、まるで新しい人生の扉を開く合図のようだった。
このギルドカード登録システムは『魔導印証型』と呼ばれている。
血液認証と魔力波長の記憶機能を持つ魔導式個人識別システムだ。
個人情報・依頼実績・ランク管理を一元化する、冒険者ギルド必須の基幹装置。
かつては紙による名簿登録が主流だったが、これが導入されたのは革命といえる。
表面には以下の情報が記載される。
1.冒険者の名前
2.冒険者ナンバー(個人識別番号)
3.ギルドポイント(依頼実績による加算値)
4.ランク(E→D→C→B→A→S)
(白→鉄→銅→銀→金→白金)
ランクに応じてカード全体の色が変化するため、一目で実力が判別できる。
文字は魔力を流すことで浮き出る仕組みのため、完全個人用であり悪用は出来ない。
血液に含まれる個人魔素と、生まれ持った魔力波長を魔石が記憶しているため、その有効性は生涯にわたって不変である。
余談となるが。
登録料は銀貨3枚と定められているが、この高性能なギルドカード自体は金貨1枚相当の価値がある。
にもかかわらず、安価で登録できるかというと、冒険者育成の推進のためである。
街の税金から補助されているのだ。
冒険者になるための敷居が高くなると、成り手が減り、魔物が増えることに繋がる。
つまり、街の防衛政策の一環でもあるのだ。
再登録料は金貨1枚と一気に高くなるのは、補助が適用されないため。
同時に「失くしたとことにして再発行を繰り返す悪用防止策」でもある。




