第89話 「血の魔神 その②」
「させるかよ!――《絶対魅了》!」
魔神の双眸が妖しく光を帯びた、その刹那。
俺は同時に動いていた。
最初から警戒していた。相手は吸血鬼の始祖。
この手の精神干渉は、いつでも出来るはず。
もっとも狡猾で、残忍で、絶対的な技。
まともに受ければ、抗う術など存在しない。
だからこそ――俺は返しの《絶対魅了》を準備していた。
「――何だと!?」
魔神の視線が、俺へと突き刺さる。
「からのぉ――!」
両腕を突き出し、周囲に漂う深紅の液体へとかざす。
空間に浮かぶ魔神の血。
それが、目に見えて揺らいだ。
グンッ――と、引き寄せられる。
その事実に、さらなる驚愕を浮かべながら、魔神は抵抗を示した。
「馬鹿な……俺の血を操ろうなどと!」
当然、支配権は向こうにある。
だが、一瞬でも意識が逸れれば、一つくらい奪える確信が俺にはあった。
「今だ――!」
再び三人が、間髪入れずに畳みかける。
血の蒸気を噴き上げた魔神は、もはや別次元の存在だった。
速度、膂力、体力、魔力――そのすべてが規格外。
ローゼリアを凌駕する、血液魔法。
クロードを超える、魅了能力。
ゴードン以上の、身体能力。
ニコラすら霞む、闇と影魔法。
そこに加えて、無尽蔵ともいえる血液貯蔵量。
真正面からの勝ち筋など存在しない。
ならば――全員で隙を作り、削り、あわよくば血を“奪う”。
それが最善手であり、事前の作戦だった。
「ここが天王山か! あとのことは頼んだぞ、お前ら!」
ゾルデは、覚悟を決める。
次の瞬間。さらなる蒼白い雷光が全身を駆け巡った。
「――《神雷冥装・神殺し》!」
寿命すら削りかねない禁術を発動。
数十秒しか持たない、命がけの技。
全身に、痣のような雷痕が浮かび上がる。
魔神の動きすらも上回る速度。
周囲から殺到する血刃を、紙一重で躱しながら突き進む。
もはや人間の動きではなかった。
――グンッ
ゾルデは、確かに魔神から余裕を奪った。
漂う血の一つが、明確に軌道を変える。
「よし――これで!」
ついに魔神の血の支配を奪った。
ゾルデが無理矢理こじ開けた、絶好の好機。
「あとは――信じてるからね、ジークハルト!!」
その血液を、迷いなくジークハルトへと受け渡す。
「王よ――我らの道は分かたれました。
これより刃を向けることを……どうか、お許しください」
それは懺悔であり、決別の言葉。
いまだ色褪せぬ思い出を振り切り、彼はその血を口にした――。
◇◆◇
――魔神の血。
それは渦巻くような暴力的な魔力。
理性を焼き尽くしかねない、激情を秘めていた。
あまりに、危険な賭け。
ジークハルトですら、無事では済まないかもしれない。
それでも、俺たちは疑わなかった。
この最高の変態ならば、きっと耐える。
ろくに血を吸わずに最強だった男。
彼ならば、きっと力を手に入れる。
そう信じ――願った。
「――ゾルデさん!」
禁術の反動が、ついにゾルデを襲う。
膝から崩れ落ちそうになるのを、クロエはすかさず抱きかかえ離脱。
フレイヤも、その二人を援護しながら退く。
人間の身でありながら、一時とはいえ完全に抑え込んだ男。
「あとは、俺たちに任せろ!」
俺は左腕に付けた《血命の輪》を掲げた。
この世界で戦った、無数の命。
奪い、背負ってきたすべての命の欠片。
「……ありがとう。これまでの命に――感謝を」
大切に集め、蓄えてきた力たち。
――それを今、解き放つ。
それは紅ではない。
命そのものが持つような、黄金の輝き。
内側から湧き出る力。感覚が研ぎ澄まされていく。
身体から、重さがなくなったかのように軽い。
まるでスローモーションのように、世界が遅くなる。
その隣に並び立つ、もう一人の男。
「……主よ。なんと美しい。貴方に従えて良かった」
ジークハルトは、優しく微笑んだ。
いつも紅のオーラを纏わせていなかった彼が、迸るほどのオーラを纏わせている。
赤い髪が逆立つようになびき、赤く美しい瞳が爛々と輝いている。
「ふふっ……ジークハルトも……。いや、ジークも負けてないよ」
「では、参りましょうか」
驚くほど、互いの気持ちが通じ合う。
言葉にしなくても、互いの血から感情が伝わってくる。
俺たちは、拳をトンっと合わせると、即座に姿を消した。
間違いなく、その世界最強となった三人の吸血鬼。
で、あるならば――勝者はすでに決まっていた。
魔神は、一人奪うことを選んだ。
そして、俺たちは分け合い。共にいることを選んだ。
常人では、捉えることのできない程の戦闘。
だが、クロエだけは確かに視ていた。
ノアの魔剣《黒崩》から、《暴食・神威薙》が乱舞され。
ジークハルトの拳が、肉と骨を砕いていく。
攻撃を重ねるごとに、傷を負い、回復も追いつかない魔神。
その表情は苦痛に歪み、死の恐怖が滲んでいる。
「や、やめろおおぉぉ!!」
黄金と深紅。
二つのオーラが激突するたび、魔神はボロボロに削られて行く。
「……だってよ、ジーク!」
「申し訳ありませんが……お断りします!」
二人は、見計らったかのように距離を取った。
すでに魔神の血鎧は砕け散り、辛うじて立っているだけの状態。
まるで、世界が停止したかのような静寂だった。
『――《静動反転・流転》!!』
完全に重なった声。
魔神の心臓を、前後から挟み込むような二つの拳。
――バクン!
逃げ場のない衝撃が、何重にも体内を駆け巡る。
細胞の一つ一つまでを蹂躙し――
魔神の心臓が、破裂した。
「がっ……はっ……!」
大量の血を、口から噴き出す。
音もなく地面へと染み込む、命の終わり。
「安心しろ――お前の血も、連れて行ってやる」
ノアのかざした手に、血液が収束する。
魔神の身体が急速に干からびていく。
残されたのは、握りこぶしほどの紅玉。
宝石のような深紅の結晶。
長き支配の、最後の残滓。
下剋上でもない。
新たな王の誕生でもない。
本当の終焉。
二千年に及ぶ、血の時代は――
こうして、静かに幕を閉じた。
次回――最終話
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