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第85話 「始祖」


作戦の決定と同時に、俺たちは誰よりも早く目的地へ向かった。


ジークハルトが事前に調査したルートは、驚くほど緻密だった。

魔物の縄張りを縫うように進み、接触はほぼ皆無。

不気味なほど順調な侵攻だった。


そして二日目。

俺たちは目的地である巨大山脈の麓へと辿り着いた。


にもかかわらず、吸血鬼に遭遇する気配もなければ、見張りもいない。


(――いくらなんでも、静か過ぎる)


違和感が、じわりと胸の奥に滲む。

そもそも、人間側から攻め込まれるなど想定していないだけなのか。

何か別の理由があるのか。


「……にしても、不気味だな」


ゾルデも周囲を見渡し、低く呟いた。

この場の異様さを、誰もが肌で感じ取っていた。


鬱蒼とした森は、それほどまでに沈黙していた。

風に揺れる枝葉の擦れる音さえ、どこか遠い。

あらゆる生き物たちが、息を潜めているかのようだった。


「――ですね。もうここは、忘却の都への目と鼻の先」


ジークハルトの声も自然と硬くなる。


「見えますか? あそこが山の中への入り口です。

あそこから先は一直線。しばらく進めば、巨大な大空洞へと抜けます」


姿勢を低くしたまま指し示す先。

確かに、小さな洞穴がぽっかりと口を開けていた。


特に隠されている訳でもなく、拍子抜けするほど、ただの洞穴にしか見えなかった。

まさかそこが、吸血鬼の国へと通じているとは誰も思うまい。


「あそこが……では、参りましょう!」


フレイヤだけは緊張とは無縁で、露骨に高揚していた。

兎に角はやく戦いたいようで、ウズウズしているのが伝わってくる。


まぁ、ここまで来て様子見をする理由もない。

俺たちの進軍速度が速すぎて、他の部隊が到着するにはまだ時間が掛かる。


それに一番槍の役目は、大変栄誉なことだ。

譲るつもりはなかった。


……しかし。


数歩踏み出した、その瞬間だった。


「――っ!」


思わず足が止まった。


洞穴の奥から漂ってくる匂い。

鼻腔を絡みつく、粘りつくような血の臭気。


濃い。

あまりにも濃厚な血の匂いだった。


「これは、まさか……嫌な予感がしますね」


ジークハルトの額にも、珍しく汗が浮かんでいた。


「……ん? どうしたのですか?」


フレイヤだけが、首を傾げている。


この異様な臭気は、俺たち吸血鬼の血を持つ者や、鼻の利くゾルデでないと感じ取れない。

だがしかし、進むことを本能が拒むほどの悍ましい香りだった。


今だけは、何も感じない彼女が羨ましい。


「……いや、何でもないよ。行こうか」


そう言って、俺たちは洞穴へ足を踏み入れた。




◇◆◇




洞窟内部は、いよいよ血の匂いで満ちていた。


「中で一体何が……」


クロエの声がわずかに震える。


一歩、一歩と進むたびに、匂いは濃さを増していく。

まるで、重く纏わりついて来るようだ。

それを引きずるようにして、俺たちは奥へと進む。


やがて、視界が大きく開けた。


情報通りの巨大な大空間。


天井を支えるように、巨大な支柱が林立している。

二千年の歴史があるとは思えないほど、保存状態の良い建造物が並ぶ街。

壁面も、天井も、建造物さえも淡く光を帯びていた。


まるで星屑を散りばめたような、幻想的な空間。

よく見ると、それは僅かに発光する苔だった。

この濃密な魔素を吸収し、淡く輝いているのだ。


「おいおい――誰もいねぇぞ?」


ゾルデが周囲を見渡す。


その手には、双剣《雷哭》が固く握られていた。

全員が、出会い頭での即戦闘を想定していた。

仲間に知られる前に、即座に殺す腹積もりでいたせいで、拍子が抜ける。


異様なまでの無人。


「そんな……有り得ない。まさか、王は……!」


ジークハルトだけは何かを察し、表情が驚愕に歪む。


「これは、不味いかもしれません。

一旦退却して、作戦の練り直しを――」


その言葉を言い切るより早く。

ジークハルトの視線が、遥か先。上空へと跳ね上がった。


「――警戒!!! 来ますよ!!!!」


次の瞬間。

ジークハルトが凄まじい力で地面を蹴り、視界から消えた。


――ドガガッ!


何かと何かがぶつかり合う。

衝撃音が空間を震わせた。


だが、それはあまりにも一瞬だった。


――ヒュン。


黒い塊が猛烈な勢いで吹き飛び、建造物へと叩きつけられた。


ガラガラと崩れ落ちる瓦礫。

そこに倒れた黒い影。


「なっ……ジークハルト!!!」


あまりの展開の早さに、思考が追いつかない。


「ゴホッ……お気になさらずに……今は、集中を……」


瓦礫に半身埋もれながらも、ジークハルトの視線は敵から一瞬たりとも逸れていなかった。

その目は、ただ一点。


空中に佇む存在を射抜いていた。




◇◆◇




白銀の髪が、光を溶かしたように揺れていた。

想像とかけ離れた、二十代ほどの若い男。

生気を漲らせた、張りのある肌。信じ難いほど整った顔立ち。

ルビーを思わせる深紅の眼は感情を映さず、ただ世界を見下ろしている。


「――あれが、吸血鬼の始祖」


説明など不要だった。

ただ頂点に立つ者だけが持つ、圧倒的な存在感がそれを証明していた。


「王よ、ご壮健そうで何より――と、言いたいところですが……」


ジークハルトの声音には、押し殺した感情が滲んでいた。


「その御姿。随分と若き日に戻りましたご様子。

いったい、どれほどの同族の血を吸われたのですか?」


悲しみを湛えた瞳で、かつて主だった男を見つめる。


おびただしい血の匂いと、無人の国。

答えはすでに出ていた。


「……誰かと思ったら、お前か」


始祖は、ようやく思い出したかのように呟いた。


静まり返った空間に落ちる声。

不気味なほど穏やかで、底知れぬ力を孕んでいる。

しかし、不思議と耳に残る声だった。


かすのように薄まっていて分からなかった。

俺の器たり得る才を持ちながら……嘆かわしいを通り越して、怒りも湧かん」


もはや、興味も失せたのだろう。

心底どうでもよさそうな、冷たい声だった。


磨き上げられた刃のような視線が突き刺さる。


「……忘れておいでですか?

人間の血を吸わないという誓い。交わしたのは、王自らだったではありませんか」


在りし日の記憶を辿る瞳。

そこに宿るのは怒りではない。


どうしようもなく、深い哀しみだった。


「……下らんな」


吐き捨てるような答え。


「お前はこの肉体……エルノワールとの思い出を語っているのだろうが、すでに自我は溶け失せた。

まさか、二千年も待たされるとは思わなかったがな……忌々しい」


沸々と湧き出るような、昏い怒気。

言葉そのものが圧力を帯びていく。


「では――エルノワール様でなければ、貴方は誰だと?」


ジークハルトは、震える声を振り絞った。


「我が血を分け与えられながら、それすらも知らぬとは……」


世界が凍り付いたかのような、一瞬の静寂。


そいつの口元が、歪む。

嘲笑とも、嫌悪ともつかぬ笑みを浮かべた。


「俺の名は《グロア=ザナト》。

かつて人間だった頃のエルノワールと――契約を交わした存在」


深紅の眼が、妖しく輝いた。


「すなわち――《血の魔神》だ」


誰も知らぬ吸血鬼の起源。

禁忌の歴史が、いま静かに口を開いた。



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