第81話 「帰省」
ローゼリアとニコラが激突した日。
――それよりも少しだけ、時間は遡る。
雪と鉱山の国――ハッシュベルト。
その首都アストリアへ向け、馬車は進んでいた。
最短を目指すのであれば、ジパーン国から北に真っ直ぐ進めば着く。
とはいえ、魔物が犇めく大森林を進み、危険極まりない雷獣山脈を越すのは骨だ。
無論、馬車が通れる道などなく、徒歩での移動を強いられる。
遠回りにはなるが、安全で安楽な幌馬車の旅を選んだ。
力強く馬車を引く、二匹の愛馬たちも置いて行きたくなかったのだ。
キャメル国方面――西側に一旦戻り、北上してハッシュベルト国へと入国する。
揺れる荷台の座席では、ジークハルトが相変わらず上機嫌な笑みでこちらを見ている。
「主、そしてクロエさんも素晴らしい成長です!
もはや、静かな血は完璧と言えるでしょう」
ジークハルトに頼んだ仕事は、すべて成し遂げてくれた。
ニコラに勘付かれたとのことだったので、もう単騎で潜入させる必要はない。
今は、俺たちの先生として血の扱いを徹底指導してもらっていた。
「じゃあ、いよいよ?」
「えぇ――次は、動の血を教えましょう」
先日見た、ゴードンを一撃で沈めたあの技。
吸血鬼の始祖を倒すために、必要となる力。
残り少ない期間で、それを身に着けるのだ。
「頑張りましょう。ノアさん!」
「うん。俺たちは、まだまだ強くなれる」
クロエと頷き合うと、再び極限の集中へと戻っていった。
◇◆◇
順調だった旅路は、思わぬ所で行く手を塞がれる。
川にそって北上し、入国のための関所を訪れた時のことだった。
「聖銀旅団団長――ゾルデ・グリムアント殿!?」
関所内が何やら慌ただしい。
同乗している俺たちの身分も次々と調べられ、俺がAランク冒険者のギルドカードを差し出す。
「……ノア? まさか、コイツは!!」
「――ゾルデ殿。このノアという青年は、まさかヴェルナー・ノイマン卿の?」
兵士たちが、驚愕の表情を向ける。
ゾルデは否定したが、それを容易く信じてくれる訳もない。
「面倒なことになったな。
どうやら、この関所の連中は、ヴェルナー卿の息がかかった奴らのようだ」
小声で伝えてくる。
ヴェルナー・ノイマン卿。
つまり、俺の実父。
俺の中に混ざった吸血鬼の血が許せず、恐れ、殺そうとしていた男。
元々は、ゾルデはヴェルナーに依頼された狩人だ。
それを一方的に、途中で依頼を破棄した。
その後、ヴェルナーがどのように行動しているのかは知らない。
諦めたか、他の刺客を用意したのかも、何も知らないのだ。
「ど、どうするんですか?」
クロエが不安げに尋ねる。
「ハッシュベルト国の西側を仕切る辺境伯。それがノアの親父だ。
身体も成長しているし、冒険者としての身分証で誤魔化せると思ったが、甘かったようだな」
ゾルデは、兵士たちの動きを観察しながら言う。
「甘すぎだよ! 秒でバレちゃったじゃん!」
「そもそも、お前が逃亡したのに偽名も使わず過ごして居る方が悪い」
それを言われたら、ぐうの音も出ない。
「困りましたな。ここで足止めされる訳には行かないでしょう。
押し通りますか?」
フレイヤは、首を傾げながら物騒な事を言い出す。
新しく手に入れた大剣を振りたくて仕方ないのだ。
《蛇王剣バジリスク》の持つ猛毒こそ使わないだろうが、鞘越しでも十分な殺傷力を秘めている。
道中でも、出くわした魔物たちを片っ端から斬りつけ、肉をすべて毒でダメにしてしまった。
俺しか食べられない肉を量産して、クロエに怒られていたのを忘れてしまったのだろうか。
「馬鹿言え……それこそ面倒ごとになるぞ。
キャメル国の令嬢たるお前がそれをやったら、戦争にもなりかねん」
ゾルデの厳しい叱咤に、フレイヤは残念そうに大剣の柄を離した。
脳裏に浮かぶのは、あの屋敷の離れにあった牢屋。
寒くて暗い孤独な世界。
(――リリスは元気かなぁ)
俺の恩人。
たった一人だけ、味方してくれたメイド。
言葉を教え、大切にしてくれた唯一の人。
「……俺、あの家に顔を出したいな」
ポツリと漏れた言葉。
「お前の親父は、お前を心底憎んでる。
悪いことは言わないから、あそこには近づくな。
ここは俺が何とかする」
ゾルデは、僅かな憐れみを持って俺を見た。
親の愛を知らぬ子は不幸だ。
まして、血の繋がった親に殺意を向けられるなんて、あってはならない。
「ありがとう、ゾルデ。
……でも、どうしても会いたい人がいるんだ」
リリスには、言葉に出来ない程の借りがある。
旅立ちの日にくれた銀貨三枚も、この首に下げた慎ましく光るお守りも――。
直接会って礼を述べたい。恩返しがしたい。
今は、とても手に余る大金を手に入れた。
利子をたんまりと付けて返したい。
何より、今の元気な姿を見せたいのだ。
一度溢れ出した感情は止まらない。
「――分かった。お前の意見を尊重しよう」
ゾルデは頷く。
「だが、一つ約束してくれ。
ヴェルナー卿に復讐するなど考えるなよ。
お前が酷い仕打ちを受けていたのは知っている。俺も知っていてお前を殺そうとした。
酷な事を言っているのは分かっている。それでも、手を出さないと誓ってくれ」
いつになく真剣な表情。
事情はどうあれ、俺が人間に手を出す意味。
ゾルデは吸血鬼狩人であり、俺は半人半魔の吸血鬼なのだ。
その関係は、どこまで言っても変わらない。
「分かった、誓うよ。
復讐なんてしないし、誰にも手を上げない。
リリスというメイドに会ったら、すぐに立つよ」
ゾルデは僅かに微笑むと、俺の背中をバシっと叩いた。
そこからは酷いもんだった。
ゾルデと兵士が交渉をするも、聞く耳は持たれない。
引き返すことも許されず、俺は犯罪者として拘束された。
顔に布袋を被され、後ろ手に拘束される。
それも、魔力を封じる上質な魔封具で、だ。
首に鎖を繋がれ、兵士たちに引き立てられる。
「ノアに危険性はないことは、聖銀旅団元団長の俺が保証する!
手荒な真似をするようなら、同じ冒険者パーティーの仲間として黙っちゃいないぞ!」
ゾルデの魔力が迸り、半ば脅すような声が聞こえる。
この国で知らぬ者はいない最年少Sランク冒険者のゾルデが凄めば、誰しもがたじろぐ。
「とにかく、ノイマン卿の元まで連行します。
心配なら、貴方方も付いてくるのが宜しいでしょう」
そういったやり取りが、後方で聞こえてくる。
さすがに身の危険を感じたのか、兵士もあまり強くは出れない様子だ。
彼らの護送用の馬車へと、俺一人が移され運ばれる。
ヴェルナー・ノイマン卿の屋敷へと運ばれる。
その後ろを、ゾルデたちの馬車が付いて行く。
俺は、雑な扱いにも一言も発せず、ただ黙って従った。
(絶対に、手を上げない)
朧気な記憶の中に残る、ぼんやりとした父の姿。
いかにも貴族然とした男。
見下し、蔑む様な冷たい眼だけが印象的だった。
僅かな水だけを与えられたまま二日間、馬車に揺られ続けた。
◇◆◇
「――着いたぞ!」
短いやり取りののち、再び首輪の鎖が引かれ、俺は馬車から降ろされた。
布袋のせいで、前は何も見えない。
それでも、大勢の人の気配が感じ取れる。
ガチャリ、と鎧の擦れる音。
兵士たちが警戒態勢を敷いているのだろう。
やがて、背後からゾルデの声が聞こえた。
「ノア――無事か!?」
馬車の中で、何かされていないか心配してくれていたのだろう。
俺は何も言わず、大きく頷いた。
しばらく歩き、階段を昇る。
足元に絨毯のような柔らかな感触を覚えた、その瞬間――
そこに跪かされた。
ようやく布袋を外され、不意の光に目が焼ける。
光に慣れてきた時、目の前には白髪の男が、怯えきった表情でこちらを見ていた。
回りには、数十人の兵士が、槍や剣を構えて警戒している。
「――これが、本当にノアなのか!?」
ヴェルナーとおぼしき人物が、声を発する。
声色には、半信半疑の色。
最後に見たのは、もっと幼い少年の姿だったのだ。
それが、もはや青年とも大人ともいえる姿になっている。
「ゾルデ殿。これはどういうことだね?
討伐依頼を断る手紙が届いたと思ったら、あの吸血鬼を恨んで止まない貴方が仲間として共にしているとは!」
憎々し気に、ゾルデを睨む。
「その件に関しては、謝罪しかありません」
ゾルデが深く頭を下げる。
「ですが、理由があります。ノアは高潔な精神を持っております。
吸血鬼の血が混ざっているのは事実。それでもなお人間の血を吸わずに生きている。
そればかりでなく、彼は私とともに吸血鬼狩りを行っている!」
ゾルデは必死に、身振りを交えて言葉を重ねる。
「西のキャメル国での交易都市ベイルハートでの大規模吸血鬼被害を食い止めた。
首都でも吸血鬼被害の元凶共を共に討伐した。
南のジパーン国での、魔物被害でもそうです。
すでにノアは、最上位吸血鬼を二体と、数えきれない程の吸血鬼を屠っている!」
それを聞いて、周囲がざわめく。
「私が聖銀旅団を脱退したことは知っておいででしょう。
その後、監視も兼ねて同じ冒険者パーティー《サンライズ》を名乗り行動を共にしました。
ノアは傑物です。今、吸血鬼の始祖を討伐するため、この国に入った次第」
ヴェルナーが、よろよろと倒れ込みそうになる。
「始祖討伐の作戦は……確かに耳に入っている。
サンライズというパーティーが、多くの吸血鬼被害を鎮めていることも、な」
怯える視線が、ノアへと向けられる。
(……これが、本当に俺の父親なのか?)
殆どが白髪へと変わり、びくびくと震えるような様子すらある。
大貴族としての威厳あった姿は何処にもない。
血の感情が伝わってくる。
俺のことが怖くて、怖くて仕方ないのだ。
哀れになるほど、血が震えていた。
「俺が、そんなに怖いのか……」
その言葉を聞いて、眼を見開くヴェルナー。
「な、何だと!」
貴族としてのプライドか、父親としてのプライドか。
それとも、図星を突かれたことによる苛立ちか。
憎しみと怒りの感情が、顔を出す。
「復讐されるのが怖いんだろ。
だろうな……こんな拘束をしたって、兵士を搔き集めたって無駄だ。
俺がその気になれば……どうとでもなる」
感情の籠らない、静かな声。
「――ひっ」
ヴェルナーは冷や汗を滲ませ、膝が震えだす。
「そんなに疲れた顔をして、白髪頭になるほど怖かったか。
でも、安心しろよ。俺はお前に興味なんてない。
そもそも、関所で捕まるまで思い出しもしなかったんだ。
もちろん復讐なんて考えてない」
次の瞬間。ゆっくりとした動作で拘束を引きちぎり、俺は立ち上がった。
「仲間に誓おう。俺はお前に関与しない。
だから、お前も俺に関与するな。
恨んじゃいないさ。むしろ、産んでくれたことに感謝してる」
――それは、偽りのない本心だった。
おかげで、俺はこの仲間たちに会えた。
ヴァルナーも、周囲の兵士たちも恐怖で動き出せずにいた。
「用が済んだら、すぐに旅立つ。――それで良いな?」
ついにはへたり込んでしまったヴェルナーは、呆然としたまま、ただ頷いた。




