第8話「砦街アーデル」
「ま、街だぁ――!」
思わず声が出た。
森を彷徨うこと6日。
やっと見つけた山小屋から続く細道。
街道まで繋がっていたその道を辿ると、開けた場所から街が見えた。
――長かった。
次から次へと出会う魔物たち。
この世界から、人間が絶滅したのかとすら思った。
街へ向けて、走り出す。
そして今。
目の前には、石壁と尖塔の影をまとった街が広がっている。
人の営みの匂い。炊き出しの煙や馬の嘶きすらも新鮮である。
森の湿った空気とはまるで違い、爽やかさすら感じる。
足取りが自然と軽くなる。
街門の前では、数人の旅人たちが列を作っていた。
兵士が順に荷を改め、身分証を確認している。
俺もその列の最後尾に並んだ。
鎧の隙間から、鉄の匂いと汗の匂いが混じって漂ってくる。
俺はもうずっと風呂も入ってない。血と煙の臭いにまみれて、この中で一番臭い自信がある。
「ボロボロじゃねぇか……坊主、一人か? 身分証か通行証は?」
「一人です。そういうのは、どっちも持ってません」
「そうか、どこから来た?」
「えっと……山で、おじいちゃんと一緒に住んでました。
でも、おじいちゃんが死んだので……なんとか一人で山を降りてきました」
兵士は短く息を吐くと、視線を荷に落とした。
腰の短剣と、ボロ袋にも大した物は入っていない。
「そうか。悪いが……よそ者が街に入るには、子どもは銅貨3枚だ。あるか?」
小袋を開け、銀貨を1枚取り出して差し出す。
本当にありがとう、リリス。あのとき貰った銀貨が、今こうして役に立っている。
兵士は銀貨を確かめると、手慣れた動きで小銭を返してきた。
「よし――通っていいぞ」
「ありがとうございます。ところで、ここはキャメル国で間違いないですか?
あと、身分証や通行証ってどうやって手に入るんですか?」
「おいおい、そんなことも知らないのか。ここはキャメル国の砦街だよ。この街で税金を払っていれば身分証が貰える。よそ者なら基本は通行証だが、貴族でもあるまいし出しては貰えん。冒険者ギルドか商人ギルドの登録証があれば、通行料が免除されることが多い。……正直、お前にはどれも難しいだろう。だが、出国する分には通行料は掛からないから安心しろ」
「なるほど……ありがとうございました」
ペコリと大きく頭を下げる。とてもいい情報を聞いた。
一つは、すでにハッシュベルト国の検問を抜けて、キャメル国に入れていたこと。
もう一つは、冒険者ギルドに入れば通行税が免除になることだ。
冒険者が来れば魔物が減るし、商人がくれば街は活気づく。
下手に税を取って、行き来が減るよりも街にとっては良いのだろう。
ならば、丁度いい。
生きるためにも、強くなるためにも――冒険者になるのは、俺の最適解。
やっぱり異世界に来たからにはこうでなくちゃな!
なんだよ、初手で5年も牢屋って……冒険者になるのはマストだよ、マスト!
そんなことを考えながら、街門をくぐった瞬間、視界がぱっと開ける。
石畳の道。行き交う人々のざわめき。風に混じるパンの焼ける匂い。
そのすべてが、まるで別の世界の光を帯びていた。
「……すげぇ」
胸が一気に高鳴る。
ここから、ようやく“人としての人生”が始まるのだ。
◇◆◇
小さな屋台や軒先の看板が風に揺れている。
香ばしいパンや香辛料の匂い、焼き肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
思わず足を止め、深く息を吸い込む。
胸の奥まで、街の生き生きとした空気が染み込んでくるようだ。
歩を進めると、店のひとつひとつに目を奪われる。
まずは、木製のまな板や鉄のフライパン、磨かれた鍋が並ぶ道具屋だ。
鍋は絶対買う。となるとオタマも必要だし、革の水袋ももう一つは持っておきたい。
森では飲み水がすぐ尽きて困った。
焼きたてのパンや湯気を立てるスープ、色鮮やかな野菜と肉が盛られた料理も並び、思わず唾を飲む。
少し先には 鍛冶屋の前に光を反射する剣や斧、盾が整然と並ぶ。
リリスに貰った短剣は、すでに刃こぼれが酷い状態だ。
冒険者になるなら、剣の一本くらいは用意しておきたい。
しかし、ふと手元を見ると、財布には手持ちがないことに気づき、思わず肩を落とす。
(大丈夫――ちゃんと魔物を狩るたびに魔石は集めといた)
気を取り直して、まずは森で集めた魔石を売りに出すことにする。
街の魔石換金所の場所を聞き、足を向ける。
換金所に入ると、きらきらとした魔石を見つめる店主と目が合い、露骨に眉をしかめられた。
(あぁ……この眼。屋敷のメイドや兵士たちも、こういう拒絶の目をしていたなぁ)
ふと、嫌な記憶がよみがえる。
「どうした坊主……ここは魔石換金所だ。子供のくる場所じゃねぇぞ」
「あっ……いえ、魔石を換金したくて来たんであってます」
「はぁ――どれ、見せてみろ」
「はい。この石、全部で…」
小袋から、大小さまざまな魔石が30個近く取り出される。
「なっ――! 坊主、この魔石をどうした? 盗んで来たんじゃねぇだろうな!?」
はぁ? んなわけねぇだろ。と、言いたいところだが、このオッサンからしたら俺は薄汚い子供だ。
そう思われても仕方ないのは分かってる。でも、面倒臭いな……。
「山で狩人をしていたおじいちゃんの魔石です。おじいちゃんが死んだので山を降りてきました。
それで、これを換金して手持ちにしろと遺言で……」
それを聞き、オッサンは小さな声で唸った。
「なるほどな。お前も苦労してるわけだ……」
それ以降は何も言わなかった。オッサンは手際よく重量を測っていく。
そして表を見せて、1gあたりの換金額を示す。
「これ全部で――しめて小金貨27枚と銀貨6枚だ。ただし、このデカい魔石3つは良質な物だから、単なる“重量換金”より個別で“鑑定換金”に出した方が高値になるぞ。どうする?」
オッサンが指した魔石は、闇梟と雷獅子、赤い翼竜から取れた物だった。
闘った時に歯ごたえがあった奴らは、やはり魔石が大きい。
換金方法にも種類があるとは知らなかった。
「その鑑定換金とやらは、ここではやってないんですか?」
「そっちの受付に出せばやってくれるさ。鑑定料がかかるが、元は取れるぜ」
「親切にありがとうございます。ではそうします」
隣の受付でその魔石を鑑定してもらったところ、確かに手取り額はぐんと増えた。
鑑定士が言うには、その3つはAランク相当の魔物の魔石だという。
知らぬ間に、俺はそんな相手と戦っていたようだ……無知って怖い。
結果的に手元には 小金貨30枚と銀貨7枚。
手からこぼれるほどの量で、ずっしりと確かな重みが手に伝わる。
たしか……パン一つに銅貨一枚、飯付きの宿に一泊するのに銀貨一枚くらいだから。
嘘だろ! これでしばらくは困らないぞ!
胸の奥から安心が湧き上がり、思わず口元が緩む。街のざわめきの中でひとり、小さくガッツポーズを作った。
買い物もしたいが、まずは服を新調して身体を綺麗にするとしよう。
やはり皆からの視線が痛いぜ……。
やりたいこと、欲しい物が次々と頭に浮かぶ。これが自由か――。
確かな、希望に胸をときめかせていた。
サンダリオン:Aランク。
雷獅子。濃い藍色のたてがみを持ち、毛並みの奥で常に電流が走っている。雷雲を呼ぶ性質があるとされているが、雷の多い場所を好んで生息しているだけで事実ではない。毛皮は王族のマントに用いられるほどの高級品だが、静電気が酷いらしい。獲得スキル『雷魔法:上級』、『雷耐性:中』
ワイバーン:Aランク。
紅翼竜。最も一般的な翼竜種。その赤鱗は魔法耐性があり、最上級の防具となる。そのブレスの熱量は圧倒的で、岩すら溶かす。火竜ほど縄張り意識が強くなく、同族と群れることもある。誇り高く、知能も高い。それは、仲間の死を弔う様子が確認されるほど――。獲得スキル『火魔法:中級』、『火耐性:大』
ノアさんの勝利インタビュー
「この2体はマジで強かった……。雷獅子の突然の放電はズルい。スキル『感覚統合・色域』の効果で、攻撃のタイミングが分かったからなんとかなったけど、なければ普通にやられてたかも……」
「この世界、翼竜とかってやっぱりいるんだね。空からの火炎ブレスはズルすぎる。翼膜を裂いて地上に撃ち落とすために、血液を相当消費した。大量に食べたあとだったから、何とかなったけど貧血になるかと思った」
ちなみに、魔石だけでなくコイツらの素材も売っていたなら、さらに小金貨30枚はくだらなかった。
貴重な素材についての知識も無く、運ぶのも困難だったので全て捨ててきている。




