第78話 「飢えた怪物 その②」
「手を緩めるなよ――!!」
双剣《雷哭》を握り、ゾルデが叫ぶ。
ゴードンは、すでに死んでもおかしくない致命傷を負っている。
それでもなお、誰一人として油断などしていなかった。
「これじゃあ、弱い者いじめだろうがっ!」
軽口を叩きながらも、マグナは大太刀《無銘》を抜き、懐へ潜り込もうとする。
冗談めかした声音とは裏腹に、その踏み込みに一切の緩みはない。
「「――雷葬・無明!」」
師弟は二方向から、同時に奥義を放った。
地を蹴る足元から紫電が爆ぜ、地面が焦土へと変える。
残像すら置き去りにする速度。
紫の電光を曳いた刀身が、光の一閃を描いた。
だが――それよりも早く、ゴードンは動いた。
逃げられないと悟るや否や、両腕で頭を包み込み、脚を畳んでダンゴムシのように丸まった。
一メートル半はあろうかという、異様な岩塊のよう。
筋肉を限界まで圧縮した、無抵抗の防御形態。
――ザシュ!
刃は通る。
しかし、圧縮された筋肉の壁は、あまりに分厚い。
「――ハアッ!!」
フレイヤが、その剛腕でもって大剣を叩きつける。
クロエは関節や筋肉の隙間――わずかな弱点を狙って突き続ける。
これでは、本当に弱い者いじめだ。
斬られ、砕かれ、穿たれる。
ゴードンは唸り声一つ上げず、丸まったまま微動だにしない。
圧倒的優勢。
いや、勝勢のはずだった。
それでも、不安だけが膨れ上がっていく。
「おいおい……なんで死なねぇ!?」
「――なんかマズいぞ! ここで決めきれ!」
歴戦の猛者ほど、異常に気付くのが早い。
全身の細胞が、警報を打ち鳴らし続けていた。
「――雷葬・断罪の舞!」
轟音。
落雷のような斬撃が連なり、猛る嵐の如き雷網を空間に刻みつけた。
マグナも呼応するように、攻撃を叩き込む。
まさに血達磨。
肉が削がれ、削がれ――身体が小さくなっていくよう。
いや――。
本当に身体が縮んでいた。
突如、肉塊と化していたゴードンは、天高く跳ね上がった。
血の雨が降り注ぐ。
そして――ゴードンは降り立った。
燃える闘技場の中央。
赤い炎に照らされるその姿は、血に塗れ、血の蒸気を立ち昇らせている。
かつての、筋肉に覆われた巨体は見る影もない。
ひょろりと長い身長。
細く萎んだ筋肉が貼り付くだけの身体。
ノアが刻んだ袈裟懸けの致命傷は、確かに塞がっていた。
食事がとれないゴードンは、自分の細胞を喰らって回復したのだ。
最終手段の自食作用に違いない。
だが、もう回復の余地はない。
その身体にエネルギーが残されていないのは、誰の目にも明らかだった。
持久戦は、確かに功を奏した。
――それでも。
落ちくぼんだ眼窩の奥では、殺意に満ちた双眸が睨んでいる。
心臓を掴まれたような圧迫感。自然と足が竦む。
「やああああっ!!」
フレイヤが、気合と共に突撃する。
頭上より、大剣を振り下ろす。
もはや動くこともままならず、立ちつくすゴードン。
避ける動きはない。
頭をかち割られる寸前、何事もないように左手で受け止めていた。
――ヤバい。
思考が追いつく前に、フレイヤの鳩尾へと蹴りがめり込んでいた。
十メートル。
いや、二十メートル近く吹き飛ばされたフレイヤは、地面に転がり動かない。
「フレイヤぁぁ!!」
クロエが駆け寄る。
ゴードンは大剣を地面に放り投げ、一踏みで粉砕してみせた。
戦慄。
痩せ細ってなお、その力は微塵も衰えていない。
ゾルデが身体強化魔法《怒りの神雷》を発動。
青白い雷光と化す。
ガガガガガガガガッ!!
一秒間に数発の攻撃。
その全てを、ゴードンは血を纏った手刀だけで受けている。
凄まじい衝撃音が――
突如、ピタリと止んだ。
ゴードンは、ゾルデの双剣を握り潰すように掴んでいた。
眼を見開くゾルデ。
即座に、武器を手放しバックステップで距離を取る。
だが、ぬるりと距離を詰めたゴードンからは逃げられない。
鉄槌が、ガードした両腕ごと吹き飛ばした。
「――ゾルデさん!!!」
クロエの悲鳴。
確かに、勝っていた。
なのに気付けば、盤面は逆転していた。
ノアは魔力切れ。
ゾルデは辛うじて起き上がろうとするも、両腕が折れていて剣は握れない。
マグナは、冷や汗を流した。
「――っっ!」
ただの上位吸血鬼。
しかも、ノアが瀕死まで削った相手。
それでも、この有様。
依然、ゴードンの全身からは血煙が上がり続けている。
さらに、もう一段痩せ、骨の上に僅かばかりの筋肉が乗るだけだ。
あと数分……耐え忍べば勝てる勝負。
だが、その数分を耐えきる自信がなかった。
あの日。
世界の絶対強者と出会った時の記憶が蘇る。
神獣《白冥狼王フェンリル・アルバ》との戦いとも呼べぬ戦い。
「クックック……そうだったなぁ」
男は、ようやく全てを懸ける相手を見つけた。
「俺は、これを求めていたんだったなぁ!!」
神獣ではなかった。
だが、確かにゴードンは災厄であり、好敵手であった。
「命尽きるまで……やり合おうやぁっ!!」
マグナは自らを奮い立たせるように、そう叫んだ。
◇◆◇
その老兵は――死闘を繰り広げた。
大太刀《無銘》が閃くたび、ゴードンはそれを防ぐ。
それでも、流麗にして無駄のない剣術は、確かにその身へと届いていた。
《無銘》は冴え渡り、尽きることのない技が繰り広げられる。
それでも、ゴードンは倒れない。
まるで不死者と相対しているかのようだった。
一方のマグナは、寿命の近い老骨だ。
鉄塊のような拳を紙一重で躱し続け、肩で荒く息をしている。
この数分は、永遠にも等しく感じられただろう。
「くぅっ――楽しいなぁっ!」
マグナの眼は、爛爛と輝いていた。
人生の半分を費やし、積み上げてきたものを出し切る喜び。
技が通じ、読みが噛み合い、死と隣り合わせで剣を振るう。
それは、マグナにとって絶頂に近い快楽の連続だった。
――だが。
それは長くは続かない。
続く訳もない。
あのゴードンが、ほんの僅かに怯み、半歩退いた。
好機――そう判断し、追撃に踏み込んだ、その刹那。
読んでいたとでも言うように、
血に濡れたゴードンの手が、マグナの足首へと絡みついた。
まるで小枝でも振るうように、地面に叩きつけられる確信。
天地が逆さまになり、重心が奪われる。
しかし、叩きつけられることはない。
マグナは側転するように身を捻り、強引に体勢を立て直した。
ゴードンの手には、マグナの片足が握られたまま……。
マグナは瞬時に、自らの脚を切り落とし、生を拾っていた。
その行動に躊躇はない。
――しかし。
ゴードンは、その断面を口元へと運ぶ。
じゅるじゅると、音を立てて吸い付いた。
死の淵。
干からびた大地に、血の潤いが満ちていく。
――回復。
あと一歩及ばず、ゴードンに回復させてしまった。
致命的で、決定的な失策。
どの道、ここで逃げなければ吸われていた。
それはつまり、戦局の終末を意味している。
一滴残らず血を吸い上げ、枯れ枝のような脚を放り投げると、ゴードンは獰猛に笑った。
マグナは歯を食いしばる。
片足で立ち、迫り来る死を前にして、一矢報いる覚悟を固めた。
◇◆◇
(ヤバい、ヤバい――ヤバい!!!)
俺は地面に這いつくばりながらも、戦局だけは冷静に見据えていた。
片足となったマグナは、もう戦えない。
今は、最後の砦となったクロエが単身挑んでいる。
攻撃はしていない。
完全に回避のみに全集中し、それで何とか維持している。
俺もやるしかない。
このままじゃ、本当に全滅する。
ゾルデたちにバトンタッチした直後。
噴き出していたゴードンの血を、出来るだけ回収。
すでに吸収していた。
信じられないほど暴力的な血液。
それは、明確な“意思”を伴っていた。
絶大な力。
同時に――とてつもない飢えが、心の奥から押し寄せてくる。
新たなスキルは何もない。
だが、とにかくこの血を御するのに必死だった。
(魔力は僅かだが戻った! だが、それはゴードンも一緒!)
早く立って、クロエを守るんだ。
「……くそおおおぉぉっ!!」
俺は力を振り絞って、体内で暴れるゴードンの血を縛る。
反発する血を押し殺し、屈服させる。
――出来る。
始祖の血を組み伏せた俺だから、出来ないはずはない。
それが出来ないのは、あまりに強力な負の感情が込められているからだ。
死んでいった人間たちの怨念。
恐怖、悲嘆、怒り、絶望。
すべてが、血そのものになって渦巻いている。
……だからこそ。
(違う、違う……! 教わっただろ、静かな血だ!!)
力でねじ伏せるんじゃない。
血の感情を読み、知り、受け入れる。
この感情を“理解”してやれるのは――俺だけだ。
「あぁ……そうか。こういうことだったのか」
言葉には出来ない。
だが、確かに本質を掴んだ。
血は、支配するものじゃない。
寄り添い、鎮め、共にあるもの。
その瞬間。
俺の中を流れる血は、嘘みたいに静まり返った。
どこまでも、静謐な血へと変わっていく。
――その時。
「マグナさん!! 逃げて!!」
クロエの叫び声が、戦場を裂いた。
ゴードンは、悟った。
目の前のクロエを、これ以上追っても決めきれない。
先に時間切れとなることを。
背を向けてでも、マグナの方を見据える。
まずは補給。
血走った目が、そう語っていた。
吸わせちゃいけない。
だが――位置が最悪だ。
誰も届かない。
(間に合わない!)
誰しもが、そう思った。
――ゴツッ!
鈍い衝撃音が、響き渡る。
「んん――やはり、主の一撃でなければ、興奮しませんねぇ?」
場違いなほど、ふざけた声。
そこに立っていたのは――
凛と背筋を伸ばした、整った顔立ちの男。
赤い髪をなびかせ、白い犬歯を覗かせて、楽しげに微笑んでいる。
「なっ……じ、ジークハルトぉ!!!」
いるはずのない変態が、そこにいた。




