第73話 「モフモフ」
幸い、ここで薪に困ることはなかった。
見渡せば、倒れた大木だらけだ。
適当な枝をへし折り、地面を均して簡易の焚き火台を作る。
鍋に水を張り、手近な根菜と肉を放り込み、味噌と醤油で味を調える。
湯気と共に立ち上る、懐かしい匂い。
身体の芯から温まる、滋味深い汁物の完成だ。
それに、おばちゃんが山ほど握ってくれた様々なおむすびがある。
梅干し、昆布、おかか、味噌を塗った焼きおにぎりまである。
日が暮れ切る前に、俺は蛇王の肉片を拾い集めた。
適当な大きさに切り分け、串に刺し、遠火でじっくり炙る。
最後に、塩をぱらりと振り掛ける。
――がぶり。
蛇王の肉は、日数が経っているにもかかわらず、腐敗の兆しすらなかった。
血も乾ききらず、妙な瑞々しさを保っている。
不思議な肉だ。
おかげで、新鮮さが保たれている。
最初こそ、電気が走るような衝撃と、喉を焼く痛みがあった。
だが完全毒耐性を得た今では、まるで気にならない。
見た目からは想像もつかないほど、弾力に富んだ歯ごたえ。
噛み切る瞬間、閉じ込められていた肉汁が弾ける。
濃厚な旨味の凝縮体。そこに、臭みは一切ない。
淡泊なササミの軽さと、白身魚の繊細さを併せ持った贅沢な味だ。
(――いけるな!)
一人、致死性の猛毒を宿す肉を、美味そうに頬張る。
悪いけれど、皆には間違っても分けられない。
加熱したくらいじゃ危険過ぎる。
「うぅ……なんだか、すごく美味しそうです……」
クロエが、じっと串焼きを見つめている。
視線が、肉から離れない。
「やめとけ。いくらクロエでも、多分死ぬぞ」
ゾルデが、淡々と釘を刺した。
半吸血鬼の血が混じる彼女でも、この蛇王肉は別格だ。
「わ、分かってます……さすがに食べませんけど……」
そう言いながらも、滴る肉汁に未練たっぷりの目を向けている。
こんな危険地帯でも、焚き火を囲む時間はどこか穏やかだ。
日が完全に沈み、森が闇に呑まれ始める。
「――んっ。何かが近づいて来てるよ!」
こう見えて、食事中でも油断はしてない。
俺の索敵に、一匹引っかかった。
「……速いな」
一瞬で空気が張り詰める。
瞬時に各々が立ち上がり、武器を握る。
「そっちから来るよ! 四足歩行の――ん!? 二足歩行に変わった」
俺が指差す方向へ、全員の神経が集中する。
次の瞬間。
大木を軽やかに越えて現れたのは――子供だった。
銀色の髪が、焚き火の光を受けてふわりと揺れる。
女の子のようにも、男の子のようにも見える中性的な顔立ち。
柔らかな輪郭に、毒気のない無垢な表情。
巫女服を纏っていた。
ここは、激闘の中心地。
故に、一切の魔物が寄り付いていない。
そんな場所に、突如現れた子供?
……あり得ない。
「お前、こんな所で何してる!!」
マグナは、容赦のない声で怒鳴った。
びくりと肩を震わせたその子は、次の瞬間、声を荒げて言い返す。
「あなた達こそ! こんな所に来て――死にたいんですか!?」
人語を操る魔物は、少数だが存在する。
しかし、ここまで流暢に言葉を使いこなせる魔物は珍しい。
そして、人間の姿を模しているとなれば――それは、吸血鬼だけだ。
「夜になってしまった。また、アイツが巣から出てきます!
今すぐ、街に帰りなさい!」
その子は、明らかに何かを知っていた。
そして、言葉では俺たちの身を案じている。
油断は出来ないが、本心からくる必死さが伝わってくる。
「悪いが、その相手に用があるんでな!
お前、そいつを知ってるなら教えてくれよ。それに、お前のこともな?」
マグナは、視線を逸らさない。
この子の正体が、ただならぬ魔物だと確信があった。
「どの道もう、逃げ切れませんか――」
逡巡すると、やがて、その子は観念したように息を吐いた。
「良いでしょう。人族の子らよ。
私の後を付いて来なさい。そこで全てを話します」
小さな背丈で、凛と背筋を伸ばす。
この場で、語るつもりはないらしい。
さて、どこに誘うつもりなのか……。
「分かった。お前に付いていくこととしよう」
マグナは俺たちの顔を一瞥すると、小さく頷いた。
行き先は虎の巣穴だろうが、覚悟が出来ている。
――俺以外は。
「ま、待って! この肉だけ、もうちょっとで焼けるからさぁ!」
今焼いている分の串肉は、まだ半焼けだ。
これを置いていくなんて、俺には出来ない。
毒肉に執着する俺へ、呆れた冷たい視線が、四方から突き刺さる。
――だが、その子だけは違った。
俺が丹精込めて焼いている蛇王の肉を見て、顔から血の気が引く。
「――っば、馬鹿! それは猛毒です!」
するりと駆け寄ると、勢いよく串肉を蹴り飛ばした。
「――んなっ!! なんてことを……とっても美味しいのに!!」
俺は、あまりの出来事に開いた口が塞がらない。
食べ物を粗末にするなと、沸々と怒りが湧く。
「美味しい……? まさか、あなた……これを食べたのですか!?」
蒼白になり、震え出す。
「今すぐ吐きなさい! 人の子よ!」
次の瞬間、俺の頭を鷲掴みにし、容赦なく二本の指を突っ込んできた。
「おえっ……やめ、やめで……!」
懇願する俺に対し、その子は情け容赦がない。
「早く出しなさい!――死んでしまいますよ!」
嗚咽を漏らし、涙目で抵抗する俺。
ようやく振りほどき、距離を置く。
「だ、大丈夫だから! 俺に毒は効きませんから!」
「そこらの毒と比べないでください! これは土地神様の肉でしょう!?」
子どもに叱られる俺。
焦りと興奮のあまり、獣耳とふさふさの尻尾が露わになっている。
しかし、本人に自覚はないのか、そのことに気付いていない。
「あぁ――おほん。そいつの事は気にしないで大丈夫だ。
土地神様とやらの毒でさえも、本当に効かん」
ゾルデは、フォローするように言った。
「それよりも――真の姿が見え始めてるけど、大丈夫か?」
「ふぇ!? あっ――!!」
その言葉に、慌てて自分の頭とお尻を撫でる。
ようやく、自分の耳と尻尾が出てしまっていることに気付いたようだ。
「あわわわっ――これは、違くて!」
必死に弁解しようとしながらも、さらに二本、三本と尻尾が増えていく。
もう取り返しのつかない状態になると。
――ボフン。
煙と共に、五本尻尾の銀狐へと姿を変えた。
クゥーン、と情けない声を漏らす。
「狐の魔物だったか……初めて見たな」
ゾルデが顎に手を当てつつ、興味深そうに眺めた。
「か、可愛い……!」
クロエとフレイヤは、完全にモフモフに釘付けだ。
「はぁ……」
一連のやり取りを見ていたグリムは、深い溜息をついた。
「お前さんが好意的な魔物だって事は、よぉーく分かった」
グリムは、もっと凶悪で、狂暴な魔物を求めていた。
それが、必死に毒肉を吐き出させようとする姿を見て、すっかり毒気が抜けてしまった。
――ボフン。
「失礼しました――僕の名前はミラルカ。幻燐天狐のミラルカです」
再び人型に変身したミラルカは、恥ずかしそうにお辞儀をした。
モフモフは、あればあるだけ良いんですから




