第71話 「神の庭」
夜の魔物襲撃は、日中とは別物である。
人間の視力では、夜目に優れた魔物にどうしても劣る。
眠気や疲労もまた、集中力を削ぐ大きな要因だ。
夜は魔物たちの時間であり、人間の時間ではないのだ。
故に警護は、ある程度実力ある者にしか務まらない。
どれだけ篝火を焚こうとも、これだけ広大な田畑を照らし切ることはできない。
接近を見逃した魔物による一撃で、命を落とした者も多い。
幸い、たった四人で構成されるサンライズの助力は、桁外れに大きかった。
最前線に陣取り、片っ端から魔物を蹴散らしてくれる。
おかげで、働き詰めだった兵士たちも休息が取りやすくなった。
なにより、ノアの協力によって急造された矢倉が、大いに役立っていた。
索敵において早期発見を可能にし、身の安全を守る要となる。
必然的に奇襲を受けにくくなり、高所から一方的に魔法を放つことも出来る。
地面に立ち、暗闇からいつ襲われるか分からぬ恐怖は、言い表し難い。
ただ矢倉が林立しているだけで、どれほど心強く、有難いか……。
そして今も、トモハスは矢倉の上から、揺れる敵影を見逃さなかった。
「兄さま。十時の方角から魔物です――」
「間違いないな。この距離なら、俺たちで対処しよう」
魔物の骨を着飾った大百足が、地を這うように近づいて来ていた。
鎧というべきか、棲みかというべきか――
あばら骨のような空洞に、己の身体を嵌め込んでいる。
見たことのない不気味な大百足は、ガチャガチャと骨を打ち鳴らしながら、屹然と迫って来る。
――ピィィィィ……!
トモハスの兄――コウチャンは、魔物襲来を知らせる警笛を吹き鳴らすと、矢倉から飛び降りた。
◇◆◇
コウチャンとトモハスの家系は、昔から味噌と醤油を造る醸造家である。
そして二人の家は代々、それらを各地へ売り歩く行商人でもあった。
行商という仕事は、魔物はもちろん、山賊にも狙われる危険な生業だ。
当然、護衛は必須である。
護衛の冒険者も、多く雇うには金がかかる。
かといって出し渋れば、命が危うい。冷静に天秤に掛ける。
自らの命と商品を守るためにも、二人は幼少期から護身術を叩き込まれてきた。
嗜む程度のつもりが、冒険者と呼べる域にまで達していた。
それは、ひとえに才覚と積み重ねの結果だ。
行商と並行しながら冒険者として活動し、二人はBランクへ。
そして連日の魔物大侵攻を受け、コウチャンはつい先日、Aランクへと格上げされたばかりだ。
二人は揃って、反りを持った片刃の鋼を構える。
全身に、火の魔力が巡る。
骨の鎧を搔い潜り、肉体に刃を通すのは至難。
間違いなく毒を持っているだろうし、迂闊には近づけない。
刃より渦巻く炎を放出させ、中遠距離からの制圧を選ぶ。
田畑を燃やしたくはないが、これ以上侵攻させないことが最優先。
「「――《炎渦一閃》!」」
双方向から放たれた高温の渦は、隙間だらけの骨鎧で防げるわけもない。
闇夜を照らす、紅蓮の炎。弾ける火花が上昇気流に乗り、天へと舞い上がる。
蜷局を撒くように身をよじらせ、黒く炭化した大百足は、息絶えて動きを止めた。
「おわぁ~。二人ともやる~!」
見事な魔法に、背後から賞賛の声を掛ける。
「――きゃあっ!!」
「うわあっ!」
突然の声に、揃って悲鳴を上げる二人。
「あっ、ごめん。驚かせちゃったね」
影魔法で潜り、音も姿もなく忍び寄っていた。
移動が速いし、単に泥濘に足を取られずに済むからだ。
影から姿を現した後も、俺の接近には気付いていなかったようだ。
「……いつの間に背後にいたんですか。ノアさん」
「えへへ。今、来たところ」
「昼間も働いているんですから、無理はなさらないでくださいね」
「えぇ――あなた方の協力には、すでに大きく助けられていますから」
美男美女の兄妹は、整った顔に人好きのする笑顔を浮かべ、自然と気遣う言葉をかけてくる。
「……うん、そうする。今日は早めに帰るつもりなんだ」
マグナと出会ったのは、つい先ほど。
明日、魔物の大移動に関する調査へ同行することが、急遽決まった。
クロエも明日に備え、今夜は休んで居る。
俺も深夜までは警護にあたり、そしたら帰るつもりでいる。
「実は明日、北部の大森林へ潜って、元凶の調査へ行くことになったんだ」
計画について話すと、二人は揃って目を見開いた。
驚きと心配――表情の変化まで、見事に一致している。
「なるほど――確かに、ようやく魔物の活動が緩やかになってきた。
調査には、最良のタイミングでしょう」
コウチャンは、得心したように頷いた。
「でも、いくら上級者パーティーとはいえ、五人で行くなんて危険過ぎませんか?」
「いや。雷帝ゾルデさんに、マグナという人も熟練のSランク冒険者なんだろう?
冒険者の中でも、上澄み中の上澄みだ。十分な勝算はあるだろう」
確かに、実力は申し分ない。
本来なら、引き際も理解している者たち。
だが今回は、マグナが無理を承知で押し通すかもしれない。
敵が神獣級である可能性もある。懸念点が多く、まったく油断ならない。
「そ、そうですね――出過ぎた発言でした。お許しください、ノアさん」
凛々しい眉毛を八の字に下げ、トモハスが頭を下げる。
感情がそのまま表情に出て、コロコロと変わっていく。
「それでさ、どんな魔物が出るのかとか地形とか、歴史とかでもいいんだけど。
知ってることを、聞いときたくてさ」
「分かりました。我々の知識などたかが知れていますが、知っていることはすべて話しましょう」
そう言ってくれたコウチャンに礼を述べ、一旦、矢倉へと戻る。
梯子を昇り、腰を下ろすと――
夜風に晒されながら、静かに語り始めた。
◇◆◇
ジパーン国では、あらゆる場所に神が宿るとされている。
山に。
川に。
大地に。
そして、人の手を渡り、大切に使った道具にさえ――神は宿る。
それは教義というより、生活そのものだった。
信仰心は思想ではなく、国民性として深く根を張っている。
ここ首都マテンロウは、北を除く三方を山々に囲まれた盆地だ。
清らかな水が山から湧き、流れ、土を肥沃な大地へと作り変える。
田畑を育てるにあたり、これ以上恵まれた土地はそう多くない。
そして――北側に広がる大森林。
霊脈の濃い場所として知られ、魔物が跳躍跋扈している。
当然、そこから魔物が里へと現れることも多い。
だがそれらは、肉となり、皮や骨となり、魔石をもたらす。
命の脅威ですら、この国では「神の恵み」の一部として受け止められてきた。
古くからの習わしとして、神官や巫女は、山奥に点在する社にて、豊穣神への供物を定期的に捧げている。穀物や豆、清めの塩などを神前に積み、祈る。
まるで見返りであるかのように、発酵技術がもたらされ、味噌や醤油といった特産品が生まれた。
今でこそなくなったが、長雨や日照り、不作が続いた際には、人柱を立て、豊穣神への供物とした時代もあった。すると、やはり苦難は乗り越えられた。
偶然か、必然か――人々は、あらゆる節目で神の存在を肌で感じてきた。
――神はいる。
そしてこの地には、ひときわ強大な神が根付いているのだ。
北方大森林は、その神の庭である。
森の端へと恵みを頂きに入ることは許されている。
だが、そこより奥へは踏み入らない。
どこよりも神聖な土地だからだ。
今回の異常現象も、神の怒りによるものだと考える者は多い。
再び人柱を立てるべきだと叫び、正気を失った老人すらいる。
「神域に入るのならば。どうか――神の怒りに触れないように」
二人は最後に、そう締めくくった。
それは忠告であり、祈り。
真剣な眼差しは、まるで、神の庭に踏み込む覚悟を問われているかのようだった。




