第70話 「命懸けの調査」
(――あぁ、これは本当に大変なことになりましたね)
ジークハルトは森の中を、脱兎の如く駆けていた。
ハッシュベルト国の最北端――忘却の都アグリオン。
晩春になっても、ここはまだまだ雪深い土地だ。
主の向かっているジパーン国へは、土地勘もないため、休みなく走り続けても三日以上は掛かるだろう。
(このことを、いち早くノア様たちにお伝えせねば……!!)
顔に叩きつけられる凍てつく吹雪。
皮膚を削ぐような冷気が、呼吸のたびに肺へ流れ込む。
方向感覚すら容易に失いそうな環境――だからこそ、奴らからなんとか逃げれている。
あと一瞬でも、退却の判断が遅れていたら戦闘になっていただろう。
そして、そうなったらなら――勝機はない。
(あの男は、あまりに危険過ぎる)
細心の注意を払って、気配を消していたにも関わらず勘づかれた。
昔から、ひっそりと物陰から人を観察するのは得意だった。
本気で潜伏すれば、何時間、何日でも見つからなかった自負がある。
なのに、あの男――ニコラは、恐るべき慎重さと、獣じみた敏感さを持っていた。
なにより、あの悍ましい身の毛もよだつような血の気配。
数えきれないほどの死者の怨念を煮詰め、大蛇の毒液にしたかのような血液が流れている。
長く生きたが、あれほどまでに不気味な“血の質”を持つ者は初めてだ。
それに、傍に潜んでいたバルチムという小柄な男も、やはり油断できない。
見た目をボロボロにし、ガリガリに痩せ細ってはいたが、その血の力は確かだ。
弱者を演じているだけの、能ある者――それも相当に癖のある部類。
(流石は……最上位種と呼ばれるだけはありますね)
ジークハルトは、ノアより命じられた三つの指令を思い返していた。
一つ目、吸血鬼の総本山である忘却の都アグリオンへの詳細なルートと、安全なキャンプ地の候補の選定。
二つ目、吸血鬼どもをおびき寄せ、事前に戦力を削るための作戦立案。
三つ目、最上位種の情報と、現在の動向などの調査。
――指令遂行は順調だった。
手早くすべてを終わらせたら、報告のためにまたノア様たちに会いに行ける。
戦闘は苦手だ。その代わり、こうした裏方の仕事には自信がある。
詳細なアグリオンへのルートと、安全なキャンプ地候補の目途はすでに立っている。
かつてのそこら一帯を記した古の地図を見つけ出し、地図の状態が悪かったため複写。
追記するからたちで、目印となる各ポイントを記載。
人間が進行できるルートを調べ上げ、安全な順に複数のルートを用意。
吹雪を遮れる洞穴の場所。川や湖の位置。魔獣の危険地帯なども抜かりはない。
吸血鬼をおびき寄せる作戦も、すでに立案してある。
ノア様を、新たな王子と信奉するものは多い。
少々血を嗅がせ、新たな眷属になるため力を与えると甘言を吐けば、すぐさま数人ずつおびき寄せられるだろう。人間狩りに誘うフリをするのも効果的だ。
奴らは今、闇夜の宴に向けて力を蓄えたがっているから、疑われる心配はほとんどない。
――もっとも。
そんな作戦をせずとも、抜け駆けする形で、人間を襲いに行っている奴もいた。
妖しい奴らは後を付け、未然に三体ほど始末している。
人間を守り、邪悪な吸血鬼の戦力を減らす行為は、主の意に背いてはいないだろう。
だが、私に「殺して回れ」とはご命令になられなかったので、勝手な真似をしたと叱られてしまう可能性はある。その場合は、甘んじて罰を受ける覚悟だ。
いやむしろ――罰を与えて欲しいまである。
ここまでは良かった。
だが、最上位種と呼ばれる者たちの調査だけは難航していた。
そもそも、最上位と呼ばれる存在がいること自体、私は知らなかった。
王を頂点として、あとはすべからく同列であるはずだった。
私が長期の休眠をとっていた間に、時代は流れてしまった。
見知らぬ者たちがそうした扱いをされていたため、一から情報収集に奔走した。
話によると、現在は四人の者がそう呼ばれているという。
最大派閥――最古の吸血鬼と呼ばれる血薔薇の女王ローゼリア。
彼女らは、眷属たちとともに王の目覚めを傍で見守っている。
次に巨大な派閥を持っていた魅惑の夜候クロード。
こちらはすでに、ノア様方の手によって全滅。
眠れる災厄ゴードン。
すべての吸血鬼から一目置かれるほどの、真正の怪物。
現在は休眠中で、三十年は活動していないらしい。
眠っている場所まで知る者はおらず、手掛かりなし。
そして――闇に誘う者ニコラ。
彼は派閥を持たず、単騎で暗躍する異端。
クロードの死体を奪い去った、要注意人物。
今、もっとも動向を知りたい者の一人だ。
その情報なくして指令達成には至らない。
しかし、情報規制されているのかと思う程、彼の情報は手に入らず困り果てていた。
(このままでは、主様に合わせる顔がありませんね……)
逆に無能だと罵倒され、叩かれるのもやぶさかではないが、やはり役には立ちたい。
せっかく、下僕にしていただいたのに、無能が過ぎれば捨てられてしまう。
それはそれで、ゾクゾクするが、やはり悲しさもある。
どこからか手がかりがないかと、バルチムと呼ばれる男に眼を付けた。
彼は薄汚い情報通として知られていた。誰からも見下されている存在。
皆のことは上手く騙しているようだが、私の眼には彼が実力を偽っているのは明らかだ。
彼は血薔薇の女王を主に監視していた。
コソコソと裏を這いまわり、情報を拾い集める。
また、噂話が好きな奴だった。
手頃な奴に近づいては、とっておきと称して情報を握らせていく。
皆は彼の言葉を信じ、口々に別の者へと話を拡散していく。
クロードがノア様に敗れた件も、事細かにしゃべっていた。
私には、まるで思考誘導のように感じられ、どうにも疑わしさが増していく。
彼なら、ニコラの居所を知っているかもしれない。
だが、ああいう狡猾な男は、肝心な部分は「知らぬ」で通す。
嗅ぎまわっていることは知られたくない。
ならば――と、徹底して追跡することにした。
そして、その勘は的中した。
バルチムは、ニコラと繋がっていた。
指示の下、汚い仕事を手伝って、手足のように動く。
裏ですべてを手のひらの上で転がしていたのは、ニコラだった。
ノア様が警戒するのはもっともだ。
その力は頭一つ、二つは抜けている。
いや――その姿すら思い込ませているだけかもしれない。
私にも、その底は測りかねている。
そして何より危険なのは、その思想。
彼は吸血王の目覚めに乗じ、下剋上を企んでいる。
居場所の知れなかった眠れる災厄ゴードンは、すでに彼が目覚めさせていた。
大食漢のゴードンは、目覚めのたびに途方もない量の血を啜る。
まるで家畜を肥えさせるが如く、ニコラはゴードンを育て上げ、吸血王の目覚めの前に喰うつもりだった。
恐らく、血薔薇の女王のことも狙っているのだろう。
故に、バルチムに使って監視させていた。
これ以上、血を集められたら本当に手が付けられなくなる。
闇夜の宴を防ぐ前に、最優先で仕留めるべきはニコラだ。
その思考が不味かった。
ほんの僅か。
産毛を揺らすほどの殺気が、漏れ出てしまった。
そして、その殺気をニコラは見逃さなかった……。
それ以上の追跡は諦め、全力での逃走へ切り替える。
少なくともバルチムは、私を追ってきているだろうが振り切るしかない。
今はなんとしても、手に入った情報を確実にノア様へ届けるべきだ。
(フフフッ……恐ろしい者たちから、命がけで逃げるのもまた一興)
総毛だつ鳥肌。
背中を撫でる寒気。
どれも、嫌いではない。
ジークハルトは、笑っていた。
この状況すら楽しんで、親愛なる主の元へと走り続けていた。




